マリオン・クーザンさん講演「明治初期の数学教育-菊池大麓の政策をめぐって」報告
徳川時代の終わり(ペリーの来航後)や明治時代には、時の権力者は洋算を教えることを奨励しており、それまで盛んだった和算の教授を洋算を教えることに変更させました。この江戸時代の後半における蘭学や数学の研究については、今までの日本数学史研究では、あまり注目されていませんでした。マリオン・クーザンさんの修士論文は、和算書『堅亥録』について論じたものであり、その中で『堅亥録』を初めて仏訳されています。マリオンさんの現在の研究目的は、先に述べた背景が幾何学の教育に与えた影響を明確にすることにあります。明治期の数学教育においては、中村六三郎や菊池大麓の他に、東京数学会社(Tokyo Mathematical Society)に所属していた、神田孝平、岡本則録、川北朝鄰らが大きな役割を果たしています。中村六三郎はチャールズ・デイヴィーの著作を翻訳して『小学幾何用法』を刊行しました。また東京数学会社には菊池大麓も所属していました。菊池大麓は江戸、明治期にイギリスに留学し、日本の西洋数学の導入に大きな役割を果たしました。菊池が初めて著した西洋数学の教科書として、『初等幾何学教科書・平面幾何学』があります。本書はユークリッドの『原論』に大きな影響を受けています。また、当時の教科書は縦書きであったことや使用されている記号もカタカナの「イ」や「ロ」だったのですが、英文字を漢字に換えた「英(A)」などが使われ始めたことも注目に値するものです。マリオンさんの研究は他に類がないもので、今後の研究の発展が期待できます。(報告:協力研究員 野村恒彦)