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とりあえず就職活動を

アジア太平洋文化論大講座
 嶋 賢介 (共同通信社)

 2001年の2月の中ごろから同年5月中ごろまでのおよそ3ヶ月間、私はいわゆる就職活動に身を投じていました。その間に私がやってきたことを、就職活動体験談としてここに書き記しておきたいと思います。体験談というものは、多分に個別的で独善に陥りがちなので、これから就職活動をしようという人にとって、ここに書いていることはほとんど参考にならないかもしれませんが、まあ話半分という感じで読み流していただいて結構です。

 共同通信社を受けたのは半ばしゃれでした。私はもともと総合商社志望だったのですが、いちおう他の業界も受けておこうと思い、メーカー、運輸、ITベンチャーなど多くの企業にエントリーシートを出しました。マスコミでエントリーしたのは産経新聞社と共同通信社だけです。なぜ朝日や読売を捨ておいて、この2社にだけエントリーしたのかは自分でもよく分かりませんが、まあとにかくこの時点では、報道関係の仕事がしたいという意志などなく、自分が記者になれるとも思っていませんでした。

 3月の後半、第一志望の大手総合商社の採用試験が始まり、いよいよ私の就職活動も本格化してくるはずだったのですが、このころの私は、就職活動に対するモチベーションをすっかり失っていました。説明会に行ったりOB訪問をしているうちに、総合商社は自分に向いてないことが何となくわかってきたからです。そればかりか、運輸や家電メーカー、重工業など第二志望としていた業種にも急に魅力を感じなくなり、これまで3次面接ぐらいまで進んでいた会社を含めて、ほとんどすべての採用試験を途中でキャンセルしてしまいました。これこそまさに、自己分析と業界研究を怠ってきた人間が陥りがちな、失敗する就職活動の典型的パターンです。もはや、また一から業界研究をし直し、自分に向いている仕事を新たに探し始めるには、あまりに遅すぎました。ここに来て、私の就職活動は完全に頓挫してしまったのです。

 4月のある日、就職活動をまったくの白紙に戻し、やる気を失って自堕落な毎日を送っていた私のもとに、一通の葉書が届きました。差出人は共同通信社とありました。面接の練習代わりに、といいかげんな気持ちで受けた同社の一次面接になぜか受かっていたのです。その葉書には、次回の筆記試験の日時と場所、そして私の受験番号が印刷されていました。

 そのときに初めて、ジャーナリストというのは悪くないかもしれないとふと思いました。取材を通じていろいろな人に会えるし、何よりも「広く浅く」という私のスタンスに合った仕事であるように思えたからです(本当は違います、あしからず)。また共同通信社なら、海外特派員になれる可能性もあります。こうして記者という新たな目標ができた私は、かろうじてモチベーションを取り戻し、再び就職活動戦線に舞い戻っていきました。

 私にやる気は戻ったものの、共同通信の筆記試験は1週間後に迫っていました。何を勉強していいのやら皆目見当もついていなかった私は、とりあえず『新聞ダイジェスト』とかいう主な新聞記事をまとめた雑誌に、一通り目を通しました。明らかに準備不足だったのですが、何とか筆記試験に合格しました。その後、東京での役員面接、最終面接を首尾よく切り抜け、5月の半ばごろに内定をもらいました。以下、共同通信社の筆記試験や面接がどのようなものであったかについて記述したいと思います。

一時面接:3月下旬
面接官2人との5分ほどの面接です。自己紹介書を持参してそれに沿った面接が行われます。普通にしゃべれていたら落ちることはないらしいです。
筆記試験:4月11日 会場は大阪北浜の共同通信社大阪支局
常識問題、英文和訳、作文(題目は「携帯電話」で、800〜1000文字)自信のある人だけ第2外国語。ちなみに私はスペイン語を受験しました。しかし選考にはほとんど関係ないそうです。常識問題は漢字の読み書きが出題されるので、自信のない人は勉強しておいたほうがいかもしれません。英文和訳は、英字新聞か雑誌の記事の和訳です。
役員面接:4月28日 会場は東京虎ノ門の共同通信本社
役員5人対自分一人の面接でした。かなり厳しい質問が多かったです。答えに対してもいろいろと細かいツッコミをしてきます。なぜジャーナリストを志望するのか自分の考えをはっきりさせておいた方がいいでしょう。また、必ず最近気になったニュースについて聞かれます。
最終面接:5月7日 会場は東京虎ノ門の共同通信本社
卒論のテーマや、話題になっているニュースについての自分の見識などを述べさせられ、これまでの面接よりは少し難しいと感じました。まったく的外れで底の浅いことを話していたように思いますが、とにかくはっきりわかりやすく説明しようと心がけたのがよかったのかもしれません。面接官は、政治部長、社会部長、経済部長、国際部長、人事部長、そして社長というラインナップで、かなり緊張しました。
内定通知:5月10日
ゼミの教授に報告すると、開口一番「ウソだろ」と言われました。自分でも何が評価されたのかよく分からず、ウソのような気分でした。何はともあれ、もうこれ以上就職活動する気にはとてもなれなかったので、他に受けていたところはすべて断り、就職活動を終えました。

 このように、私の就職活動は決して順調なものではありませんでしたが、結果として内定をいただき、まあ落ち着くところに落ち着いてよかったというのが今の感想です。それにしても就職活動とは、これまでの人生にはなかった特殊な体験でした。最後に、私が就職活動全体を通じて感じたことを簡単に述べたいと思います。

 1月も終わりに近づいたころ、リクルートシーズンを間近に控えたこの時期に、旅先のコロンビアの木賃宿で、私は帰国して就職活動をすべきかどうかずいぶん迷っていました。大学卒業後は、伯父の仕事を継いでプロの潜水士になるつもりだった私には、あえて一般企業に就職しなければならない差し迫った理由などなかったからです。少なくとも、ホワイトカラーのサラリーマンになることには、何かしら抵抗がありました。

 また、就職活動そのものに対しても、非常にネガティブな印象を持っていました。3年の終わりごろになると、髪を短く切って黒く染め直した大学生が、一斉にスーツ姿に変身するこの日本ならではの奇習が、私にとっては何やら不気味で、どうしても好きになれなずにいたのです。

 結局、みんなやることだから、とりあえずやるだけやってみようと思い、すぐに帰国し職探しを始めたのですが、今こうして振り返ってみると、この判断は間違っていなかったと思います。就職活動はいろいろな意味でいい勉強になりました。大学というなまあたたかい世界の中で、馴れ合いの友人関係の中で甘やかされてきた自分を、社会(=企業)の厳しい判定にさらすことは、まさに己の真の価値を知る絶好の機会であるし、また、さまざまな業界で生きる人たちの生の声を聞くことは、社会を知るよい機会です。そのついでに、何か面白そうな仕事でも見つけられれば上々と言えるでしょう。

 まあ本気で就職する気がある人も、まったくない人も、就職活動をとりあえずやってみることをお勧めします。ある意味、時間とお金の浪費でしかないのかもしれませんが、これだけいろいろな業界の人の話を聞ける機会は、今後死ぬまで訪れないような気がしますし、面白い人との出会いがあるかもしれません。

 冗長になってしまいましたが、以上で私の就職活動体験談を終えたいと思います。まあ皆さんもあまりしゃっちょこばらずに気楽にやってください。ご健闘をお祈り申し上げます。

たいしたアドバイスなど出来ないと思いますが、もしご質問などがあれば気軽にこちらshima9716729c@hotmail.com にご連絡ください。

(2001.7.24)