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就職活動をして考えたこと

文化交流論 若野 安美


<自分に合った職業を見つけること>

 一流企業に内定をもらった学生は、それで人間的価値が高いように見えてしまうのだ。たとえば友達に「**さん、NHKに決まったんだって」と聞けば、その**さんが特別な、自分とは違う人種の人間に見えてくる。会社の知名度は気になるし、就職活動で有名な会社に内定をもらうと、人に言うときもカッコイイから嬉しくなってしまう。お給料だって大きいところはたくさんもらえる。

 ところが私の会社は割と小さい会社で、従業員は100人くらいだ。たいていの人は言っても会社の名前を知らないので、他人に内定先を聞かれると適当に「コンピュータ関係」とかいっておく。

 私は秋頃まで、大会社に内定をもらった友達にちょっとした嫉妬の感情を持っていた。どうしても会社の大きさで「負けた」と思っていた。しかし半年位するうちに、自分の考え方が変わってきた。

 その変化は、まず「会社の知名度に、女性の働きやすさは比例しない」という雑誌記事を読んだことにはじまった。会社によって休暇の取りやすさや子育てのしやすさ、残業の量などは違う。これは働いてみないとわからないという。有名なところにも、いや、有名なところだからこそ、ハードな仕事が待ち受けていることは多いらしい。体を壊して、大きな会社を辞めざるを得ない人も少なくないのである。

 私の会社には、7歳くらい上の神大卒の女性の先輩がいる。採用プロセスの間に大学の話などで仲良くなったこの人は、おととしくらいに子供を産んだという。この先輩は出産で職場を去るかどうか悩んだが、あまりにそこの職場で働くことが楽しかったため、それまであまり使用されていなかった会社の育児休暇や時短制度を開拓して仕事を続けることを選んだといっていた。この会社は、知名度はあまりなくても、女性は働きやすいところなのかもしれない。

 ところで、夏くらいに一部上場企業の内定者の集まりに出た友人は、くちぐちに同期がいかに魅力的であるかを語った。彼らはみな4月から働き出す仲間たちとの生活に希望を抱いている。それに対し、私の会社に内定をもらった仲間たちは、人数が少ないうえにわりとおとなしい人が多く感じられ、その第一印象は一部上場企業の人々の話に比べるとあまりよくなかった。さらに、彼らは私のことをリーダーだと言い始めた。私は、「私なんかをリーダーと呼んでいるようじゃこの会社に未来はない」と心の中で叫んでいた。

 実際に一部上場企業の面接で出会った人のなかには「この人はどんな人なんだろう、友達になってみたい」と思う人が多かったように思う。大企業には優秀な人が集まってくること。このことがまた、私が大企業に内定をもらった友人に嫉妬を感じる一因となっていたのだが、半年のあいだに、この嫉妬は消滅していった。反対に私は、この小さい会社で良かったと思い始めた。

 私は有数の進学高校を卒業し、神戸大学という優秀な大学に入った。周りにはつねに優秀な人が多く存在し、周囲の人間と比較して、私は自分のことを悪く考えがちであった。いつもまわりの人間にコンプレックスを抱いていた。ところが、今度の内定先での私はそうではない。同期の間では私はのびのびと自分に自信を持って振舞うことができるようだ。私は優秀な人ばかりの間で競っていると萎縮してしまうが、リーダーとみなされるとかえってがんばれる人間だと気づいた。内定先の会社に対して失礼にあたるかもしれないが、これは「鶏口牛後」かもしれないとひそかに思っている。

 ここで私がいいたいのは、大きな会社に就職するということと自分に合った職場につくことは、必ずしも一致するわけではないらしいということだ。

<仕事と、社会のつながり>

 就職活動をするとき、大学の授業で聞いた話で、心に残っていた話があった。それは、「自分の人生を使って、どのように社会を動かしていくのか」という話だ。

 その授業では、アメリカの投資会社がタイのバーツを投機目的に扱い、バーツが下がるときに一斉にその投売りをして一国の経済を破綻させたことがトピックに挙がっていた。そこで先生が「自分の人生を使って、お金を儲けるために、どこかの国の経済を破綻させるというのは、果たしていい仕事といえるのだろうか」というようなことをおっしゃった。右から左にお金を動かして利益を得ても、一生の仕事の結果を見ると、そこにはなにも残らないのではないかと。

 仕事というのは、社会と連動している。たとえばパン屋はおいしいパンを地域の人に食べてもらう仕事をするように、教師は生徒を教えて未来を作るという仕事をするように、人は、仕事をすることによって社会になにかを貢献しているといえる。現実にいえば問題はもっと複雑なのであろうが、この授業を受けて、自分はどんな仕事をして、どんな風に社会に貢献しようかと考えるようになった。

 どんな風に社会を動かしたいのか。私がなにかすることで、この世の中は、良い方にも悪い方にも10億分の1くらいは変わるのだ。なにが良いことでなにが悪いのかという価値基準も人によって一定ではないのだが、そういう視点で職業を考えることも、きっと大切なのかもしれない。

<人生のレール>

 就職活動をしてみて、私は今までの人生では「中学の次は高校、高校の次は大学、大学の次は企業」というレールに乗って走ってきていたと感じた。途中で浪人をしたとはいえ、浪人の先には大学という明白な行き先が見えていたので、就職活動とは感触が全く違っていた。内定が全くなくて将来が見えなかった6月くらいには、この、意識せずに走ってきたレールが意識の中にあらわれ、これを踏み外すかもしれないことが、ものすごく怖かった。将来がどうなるかわからないという不安を、はじめって知った。

 しかし、あるとき「もし、なにも内定が決まらなかったら、卒業してからアルバイトをしてお金をためてインドに行って、1年くらいマザーテレサの家の手伝いでもしてこよう」と思いついてからこの怖さをふっきることができたように思う。別にマザーテレサにこだわらなくても、「内定が決まらなくても死ぬわけではないし、若い間はなんとかして食べていける」と思うと気が楽になった。将来が決まってないということは、「なにをしても自由」のうらがえしなのだ。このとき漠然と、日本の若者にはこの自由を楽しむひとが少ないんじゃないだろうか、とも思った。

 今はさらにマザーテレサを超え、就職活動がうまく行かなければ、どんなに小さなところでも、とにかく働き口を見つけるべきだと考えている。自分の職場が意にそぐわなくても、まず働くという経験を積むことは大切だ。もし、大きな会社で働きたいと思うなら、確かに新卒採用はひとつの大きなチャンスだが、キャリアを積んだ上でも、自分が努力さえしていればいくらでも道を変えてゆくことはできる。私は大学に入り、いろいろな人とであって、自分が高校のときより10倍くらい大人になったように思っている。それは別に神戸大学でなくても、どこの大学でもそうだったと思うが、それならば社会人になってお金を稼ぐようになれば大学の100倍くらい色々な経験をして大人になれると思う。今よりもっと視野が広がると思うと働くのがとても楽しみだ。

 私はシステムエンジニアの職につくが、仕事とは直接関係がなくとも英語だけはやっておこうと思っている。国際文化学部生だけに海外には興味があるし、いつどこでリストラに遭うかもしれない、または転職したくなってチャンスを探すかもしれない。「SEをやってコンピュータ知識を身につけ、ここに英語能力が加われば怖いもんなしちゃうか」とこれまた内心思っている。

<付け足し、就職活動を今している方々へ>

 こんな私でも、それなりにいろいろ考えて、人生が楽しみだと思えるようになりました。そのチャンスを与えてくれた就職活動は、本当に良い経験でした。 自分に自信のないみなさんは自信を持ってください。神大生というステータスは、結構それだけで自慢しても良いくらいすごいものだと思います。受験勉強がんばったんやから、それだけ賢いっていうことで自信満万でいてください。私は「神大だからってたいしたことないわ」と考えて損をしたと思っています。この作文ではまるで大企業をけなしているようですが、決してそんなことはなく、大企業もええとこがたくさんあるからたくさんの人が子供をそこへ入れたがるわけです。大企業。いいじゃないですか。あなたにはそこを受ける資格があります。チャレンジしてください。どんな人にでも絶対いいとこあるし、それと同時にどんな企業にも絶対いいとこや悪いとこがあるんで、自分を好きになってください。それだけでずいぶん違うはずです。

 世の中そうそう食いっぱぐれるもんじゃありません。チャンスが新卒のこれきりってわけでもありません。失敗さえももしかしたら後から見たらいい経験になるし。いろいろ考えて良い人生を送ってください。私もがんばります。


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