5月8日comment
ライム:1895年にフランスで映像(フィルム)の技術が発明され、そのわずか2,3年後には日本が映像に映されるようになったという事実は、私にとって興味深いものでした。なぜ欧米諸国はそれほどまで日本に興味・関心を抱いたのでしょうか。そして日本はそれをどのように受け止めたのでしょうか。授業で「エキゾチシズム(異国趣味)」というキーワードが挙げられていましたが、この言葉は異文化と接触したときにそれをどのようにとらえるかという価値判断と結びついていると思います。もちろん異国の目新しいものへの憧れ、好奇心という意味もありますが、私たちが「エキゾチック」という言葉を使うときには、それだけでなく私たちよりも野蛮で劣っているという意味を含んでいるのではないかと考えます。日本の近代化、国民国家化は、欧米の文化と接触しそれを部分的には受容しつつも欧米に劣らない日本固有の「文化」を「作り上げる」動きであり、それが現在の私たちがイメージする「日本文化」のもとになっているのではないでしょうか。
ビタミンとなり:今回の講義では、近代国民国家という概念自体がかなり逆説的なものであるということがわかった。近代という「運動」は、国民国家を形成すると同時にそれを解体する動きであったという。市場経済の発達がその例である。近代国民国家では中央によって内部の標準化がはかられるという話があったが、日本にとってそれは明治維新・文明開化といった言葉で表される運動であったといえる。明治になり、江戸時代の200年余り鎖国体制を終わらせ、西洋の列強とよばれた国々と対面した当時の日本・日本人はどのような思いで「近代」を見ていたのだろう。「映像の世紀」では、諸外国にとって未知の国だった日本がたいそう珍しく、人々の日常を撮影したフィルムや日本人の勤勉さなどを讃えるような文書まで残されていることを伝えていた。しかし、そのような諸外国からの視線を集めることは、日本にとって誇りでもあると同時に屈辱でもあったのではないだろうか。だからこそ、政治経済面での「近代化」を急ピッチで進めたし、それができない文化面において日本的「国民文化」形成していったのだろう。とくに後者を強調することは、アジアのなかで最初に「近代化」を果たした証として大きな誇りともなったのである。ここに、日本の近代化のもつ、対アジアという側面でのパラドックスがうかがえる。この日本の立場が現在までの東アジア問題にどのようにつながるのか、興味深いところである。
リョウチン:先生は今回の講義の中で、オーストラリアでは日本で通例なものとは逆の地図が用いられているという話で、北よりも南のほうが優勢という考えを示していましたが、南北の力関係を示す議論は多い気がするのですが、東と西の勢力図はどうなっているのでしょうか?やはり、西にEU諸国が存在しているため東の地位は低いのでしょうか?自分の考えでは東西冷戦を例にとれば、東西の力は均衡していたようにも感じるのですが、この考えには先生はどのようにお考えでしょうか?
→南北関係と東西関係は、その区分する基準が違います。考えて見て下さい。
Bob Nozomu:前回の講義の、なぜ日本が東アジアにおいて植民地化を優位に行えたのかという私の疑問は今回の講義で解消された。それは日本の柔軟性によるものだということがわかったからだ。何百年も続いた武士の時代からたった数十年で近代化に移行できるのは、ペリー来航以来の一種の危機感を持ち、柔軟に対応できたからこその出来事だ。ヨーロッパ列強にとってこの事実はとても興味深かったのはよく理解できる。さらに、その後の日露戦争での日本の勝利は、当時ヨーロッパ列強に支配されていた他の東アジアの国々には日本にできるのなら自国も、という民族意識を強く抱かせたのだと思う。
ken76:今回の講義でみた、映像にすごく衝撃を覚えた。そして少し腹立だしさも覚えた。そこには国民文化が成立した場合、異質な文化を排除するという動きをみたように感じた。私の中ではどうしても、ヨーロッパによる文化的差異の植え付けが大きく感じる。日本というヨーロッパ圏からすると、異質である文化を映像に残しそして、また日本でも特殊な部分を映していたというところはその顕著なところである。ここにいわゆる自文化中心主義の考えがあるのであろう。
はにかみ工場長:ウェストファリア条約以降、ヨーロッパを中心に形成された国民国家のモデルがポスト冷戦期以降変わりつつあるように思える。国家の枠組みでは捉えきれない民族紛争や、国家の境界をボーダーレスにしてしまったグローバル化によって自分が国家に帰属しているという感覚が薄れているように思える。そして、国家への帰属意識の欠如はそのまま国政への無関心につながるのではないかと思う。特に若者における政治離れは以前より危惧されていることであり、国民が政治に無関心であることは政治腐敗を引き起こす可能性もあり、なんらかの対処を講じる必要があると思われる。
Htkz:資料「映像の世紀」を視聴して、西洋諸国の文明開化直後の日本の捉え方、またその捉え方の変容が表れているのが興味深いと思った。はじめは、西洋は、ジャポニズムに代表される日本の奇妙な文化に対して、ものめずらしい視線を送っていたように感じたが、日露戦争後は、日本の驚異的な進歩のスピードに、尊敬と恐怖といった印象を受けていたように思った。このことから、西洋は、当初、東洋は支配の対象であることを前提としていたということが分かるし、また、そのある種軽蔑に近い眼差しが、日本の文化に対する見せ物小屋的な興味を誘ったのではないかと考えた。
まさ:今回の講義では、世界地図をひっくり返した図が印象に残った。私たちは、普段日本が中心にクローズアップされている世界地図を見慣れているが、日本を含む東アジアは、長い歴史の中でもずっと極東(far
east)という位置づけで捉えられており、実際回転された世界地図を見たとき、日本がどこにあるか、よく探さないと分からないほど小さい島国であることに驚いた。世界地図をとってみても、日本が真ん中にある地図に慣れている自分の価値観は自文化中心主義に陥っているような気がした。そして、そんな長い間未知であった遠く離れた小さな島国を、欧米の人たちが珍しがって興味をもつのも分かる気がした。また、近代文明に遭遇し、西洋のエキゾチシズムの流れの中で、日本も、日本という国としてのアイデンティティを異文化との接触を通じて確立して行ったのだなと思った。
spirit:今回一番面白いと感じたのは、エキゾチシズムに関する話でした。講義で見た『JAPAN』の映像には、西洋の日本に対する異国趣味が映し出されていました。
なかでも、相撲の例にみるように、近代の国民国家を形成していく中で、西洋が日本に対して感じた異国らしさが、「他と区別される日本」としての役割を果たすようになったという点が興味深いと感じました。他の視線の中に見つけた‘自分らしさ’を演じるという手法は、現代の個人が常日頃から行っていることのような気もしました。他をみているようで、自分を見ているというのは自文化中心主義なのか自文化周辺主義なのかどっちなのだろうと思いました。
また、他がもっている異質性をまじまじとみる映像の視点は、私自身に異国の異国らしさに出会ったときに感じる不思議な感覚を想起させました。その不思議な感覚がエキゾチシズムだったのだなと、一つ言葉を覚えた気がしました。異国らしさに人が惹かれるのは、それが得体の知れないものへの恐怖と興味が混ざったワクワク感を内包しているからなのかもしれないとも思いました。恐怖って根元的で面白い感情だなと再認識しました。
easywood:現在の主権国家が近代化の際に、いわゆる「グローバル化」に対応するため、余り意識されずに自然と、単独のユニークな文化を作ろうとしていたことが大変興味深かった。例:相撲、芸者、歌舞伎等。外からの影響に「応える」という形で、主権国家の領土内で統一の文化がつくられるという現象は、日本ではなおさら強いものと思える。なぜなら近大~現在の日本国内のマイノリティの影響力は、ヨーロッパ各国や南米各国に比べて比較的小さいものだったと言えるからだ。
トムヤムクン:「JAPAN」というビデオでは戦後の日本がいかに急激に、そして高度に復興を遂げてきたかに焦点を当てられていたが、ビデオを観て第一に「敗戦した日本が欧米化を取り入れ“真似”をしようと奮闘している」と考える記者を含む欧米人の上から目線の観点が垣間見えとても不快に感じました。「ゲイシャ・ガールズ」や日本を題材に取り上げたフランス映画も紹介されていましたが、登場する日本人の言動や表情はちょけたようなふざけた印象を抱かせる演出であって、日本人=小柄な有色人種という固定概念を植え付けるような作品に感じました。
なもん:日本、韓国、中国では、近代、内部の標準化と外部に対する差異化が図られた。これは三国ともに同一国家民族であり世界の他地域に比べ統制しやすかったためであろう。また外部との差異化によって独自の文化を作り上げることで自民族のアイデンティティーを構築していったのだと考える。また、都市と田舎については、田舎から都市への人々の移動により、都市が中央、田舎が地方という優劣関係のような関係ができあがり、中央の文化が国民文化、公定文化であるという認識がなされてしまう。しかし、韓国、中国についてはわからないが、日本では地方の文化もその地域で根強く残っている。同一民族でありながら住む地域によって様々な文化が存在するということは非常に興味深いことだと改めて感じた。
kakikaki: 本講義で、「近代化の流れにおいて、国民国家が形成され国家を一つの単位としてみる動きが強まる一方で、市場システムが発達し国境を越えた動きが活発化し ていくというパラドックスがある」とあった。しかし、それはもともと存在していた通商ネットワークの上に国境がひかれただけではないのだろうか。 国家形成による市場の発達があったとしても、その市場が一国家内でとどまることがないのは当然のことではないのだろうか。
pocky:近代東アジアにおける「世界」認識という話があったが、さかさまの世界の地図を見たとき、いつも見ている地図と違うため、その地図に対して違和感を抱いた。そこに、北半球が南半球よりも優れているという序列関係が存在していることを初めて知った。このことを知るまで一切そんなこと気にしていなかったが、その隠れた序列関係を知った時、納得してしまった。これも近代が作った自文化中心主義の一種なのだろうと思った。自文化中心主義を捨てるには思ったよりも難しいだろう。
gagaryu:公定化した自文化中心主義とありましたが、国家が中心となって国民を統合し作り出した国民文化、公定文化には、すべて自文化中心主義的な思想が加わっているのでしょうか?だとすれば、すべての国が固有の文化を持つ昨今の社会では自文化中心主義というのは逃れようにも逃れられないものなのではないかと思います。文化が自文化中心主義の考え方から生じたものであるならば、文化は人類学的に否定されるべきものなのでしょうか?その点が少し疑問として残りました。
pipex:今回ポイントであると言われていた、近代は国民国家を形成しつつも解体していくという矛盾についてですが、国家を単位とする市場システムが導入されたことで国民国家が形成され、その後のグローバル化によって市場が国家を単位としなくなることで国民国家が解体されていくというプロセスには納得がいきましたが、その形成と解体のプロセスが同時に進行するというところが少し腑に落ちない感じがしました。文化的植民地化と国民文化の生成というパラドックスは、造られた日本文化のイメージがあるように、現代にも存在すると思いました。
ザキヤマ:近代市場システムによって国家が単位として機能しだし、その広まりとともに国家がその役割を強めていったが、近年はグローバル化にともなう市場システムのさらなる深化により国家が機能しなくなっているというのは非常に納得した。市場システムに参戦するためには国家の仲介が必要であったが、近年は国家を介せずとも市場システムには参戦できるというもので、多国籍企業がその最たる例であると考える。近代に入り、西洋の政治制度や先進的科学技術の導入などによって近代化を果たした日本であるが、日本は近代に入るまでは各地方が独立しており、藩が国そのものであった。農村と都市の構図に関しても、農村で長男が土地を受け継ぎ、その他兄弟や土地がもらえないものは都市に出ていく、この構造は近代市場システムが導入されるまでは成立していた。このような構図をとっていた日本がアジアでは最も早く近代化を成し遂げ、一つの成果が日露戦争での勝利であった。近代化にあたっては中央集権が重要であるが、当時の中国や韓国は日本よりも中央集権が進んでいた。sかしながら近代化に関しては日本が先に達成した。この理由として考えるのは、やはり明治維新である。近代化に関しても、旧態な考えを持つ中央が実行するよりも、急進的な明治維新政府によって実行されたことにより、日本では急速な近代化が達成できたと考えられる。近代化にあたっては西洋の真似であったため、ある種のアイデンティティを保つために、日本の固有文化を強調していくのが近代以降の文化である。映像で見たように、日本の文化が海外で興味を持って受け止められたのは、日本の存在感をしめしている。当時は日露戦争などを通してアジアでのトップとして日本の立ち位置は確立していたが、第二次世界大戦、そして近年のグローバル化を迎えて、日本の東アジア、そしてアジア全体での立ち位置が揺らいでいると考える。
Carpediem: 江華島事件を日本側ではなく朝鮮側から見るとしたら、76年の日朝修好条規は近代に入り朝鮮が外国と結んだ最初の条約で朝鮮の多くの人は日本との交流を反対していました。しかし、一方で不平等条約でありながら日本との交流により西洋の優秀な文物を取り入れるべきだと主張する人もいました。朝鮮の植民地化だけではなく、欧米への対抗としての大アジア主義と近代のエーゼェントという二面性を持つ日本とは異なる両面性を当時の朝鮮では持っていたではないかと思います。
ころひだろく:映像におさめるとはどういうことかを考えた。それは特に"reality"を切り取るという意味で、「生き」証人を保存することだと思う。人から語り継がれた話や、本に記載された出来事よりもなぜか映像でとられた"reality"において、真実だと感じる。いや、真実かどうかを疑う余地がほとんど残っていないとも言える。それだけに想像と実際に見るということの間には大きな影響力の違いがある。だが、気を付けないといけないのは、映像のもつ"reality" が、真実なのかどうかを吟味する余地をほとんど残さないほど映像には、それが"reality"だと自然に思ってしまう作用があることだ。映像を見る側は撮る側の存在を時に忘れてしまう。まるで、映像の被写体が主体であるかのような錯覚に陥ってしまうのである。『JAPAN』に映された、子どもから大人まで、さて彼、彼女たちは、はたしてみな「日本人」だったのであろうか。「JAPAN」という名の映像に収められたというだけで、まるで日本人のように自然と思ってしまったが、撮る側の存在を意識するとき、彼、彼女たちも映像によって作られた一種の「日本人」のように感じた。いや、撮る側は何も「映像に移る者たちは日本人だ。」などとは言っていない。「JAPAN」とくくられる映像のタイトルから私(見る側)が彼、彼女たちを「日本人」とくくったのである。こうして「生き」証人は生き生きとある意図通り動き出す。
ごまプリン:明治時代の日本の様子の映像や、それに対する欧米の反応が非常に印象的だった。未知の途上国だとみなされていた当時、日本の独特な文化や急速な欧米化がいかに注目されていたかを理解することができた。日本をモチーフにした映画のような、ステレオタイプな日本の捉え方が当時の世界で広まっていったのは仕方が無いことだろう。しかし、ステレオタイプな文化の捉え方が批判されている現代になっても、外国から見た日本のイメージには実際とかけ離れたところがあるように感じる。それは、やはり昔の欧米の人々の間で広まったイメージに起因しているのではないだろうか。
やんぬ: 映像の世紀JAPAN」のVTRで映像メディアが発明された頃の日本を映した映像に興味を持ったので、今後も講義内で映像が見れたらなと思います。当時の映像は皆欧米のカメラマンが珍しい光景だと思ったから撮ったのだと聞き、今まで漠然と見ていた映像が急に意味を持って見え始めました。 私は、昔の日本の風俗や街並みについては教科書の記述や写真くらいでしか知りませんが、これは当時の欧米の人たちが日本という異文化について、特別に特徴的な数枚の写真や映像を通してしか知らなかったのと同じ境遇だと言えるのでしょうか。
ピエロ:東アジアはこれまで、欧米諸国の植民地となって以来、独立・解放運動や分断国家の成立など、その民族国家形成において、西洋諸国による影響を受け、複数のターニングポイントを経てき、近年になってその国家形成はほぼ安定したように思われる。しかし、現在において、グローバリゼーションに伴い、新たなターニングポイントにあると述べられていたように、中国や韓国などの経済成長にあげられるように、東アジア諸国と欧米の相関関係は大きく変化しているだろう。今後、東アジアと欧米との関係はより複雑となり、今後の自国の体制においても大きな変革期を迎えるだろうと感じた。
acid: 日本は、事実的には少数民族がいるものの、政策的には単一国民国家という形をとっている、あるいはその形が主流であるという旨を授業できいた。そこで、単一国民国家を形成しようとしている例を探してみると、皇民化政策というものをみつけた。皇民化政策は日本が占領した朝鮮や台湾において現地の住民を強制的に日本化させるために教化することであるが、その中には創氏改名という、朝鮮本来の姓名を奪い、日本式の名前にしてしまうなど、民族性を強制的に覆す恐ろしい政策もあった。他国の住民を戦力にしてしまおうという戦争時の政策ではあるが、このような強引な同化政策を行っているあたり、国内で同様の同化政策が行われていてもなんら不思議はないと思った。
あいり:今回の授業で、日本の国民文化形成に非常に興味を持った。いわゆる、現代でイメージする日本的なものには19世紀末にできた日本のイメージが色濃く残っていると思った。このイメージというのが、日本の歴史の中で自然に培われて日本的な文化へとなったわけではなく、国外からの日本のイメージの影響を受け、当時の世界の流れの中、国内から意図的に日本文化へと作り上げたものであった。これが現代ではあたかも昔からある日本の伝統的な、崇高なものであるという無意識の認識に陥ってしまっているのが、恐ろしいことであると思った。
あんな:メルカトル図法で描かれた世界地図で、地域ごとの「世界」の認識がみられるということが印象的であった。子供の頃から見てきた日本を中心に描かれた世界地図をいつも当たり前のように見ていたが、それは世界では当たり前のものではなかったのだと感じた。特にオーストラリアで使われている地図が普段私たちが見ている地図と上下が逆になっているということに驚いた。日本中心に描かれた世界地図に見慣れている私たちにとって、上下逆になったオーストラリアの世界地図はとても違和感があるように感じるが、逆にオーストラリアの人々にとっては日本の世界地図に違和感を感じるだろう。日本の世界地図が当たり前になっている私たちが日本が極東に描かれたヨーロッ パ中心の世界地図やオーストラリアの世界地図を見たときに「この地図はおかしい」と思ってしまうことも、無意識的に自文化の論理で理解してしまっており、認識上の自文化中心主義的な考え方と言えると思うと、自文化中心主義的な考え方は日常のなかのあらゆる場面で起こっているのではないかと改めて考えた。
まっちゃ:「映像の世紀」を見て、今まで遠いものだと思っていた明治が映像に取られる時代であり、案外近い時代であったのだなと驚きました。また、日本という小さな島国が文明開化、日露戦争などから、ヨーロッパ、アジアから注目されていたのを見るときに、果たして他国が全く日本と同じ立場に立ったときにどういう行動を取ったのだろうか、日本と同様に戦争を起こしたのではないのだろうかと思ったりしました。