アメリカ連邦最高裁・主要憲法判例 (『アメリカ政治システム特論』資料)

 

◇重要度◇

☆☆☆ 日本でもよく知られた判例。

☆☆  日本の本にはそれほど頻繁に出てこないが特に重要な判例。

☆   重要な論点を含んでいる判例。

 

Marbury v. Madison, 5 U.S. 137(1803) 「マーベリ対マディソン事件」(1803

☆☆☆

連邦最高裁首席判事ジョン・マーシャルが「司法審査制(違憲立法審査権)」の明確に打ち出した画期的な判決。ジョン・アダムズ(フェデラリスト)が大統領在任中にマーベリ(フェデラリスト)らを治安判事に任命したが、辞令交付しないまま、トマス・ジェファソン(リパブリカン)に政権を譲ることになったが、新国務長官のジェイムズ・マディソン(リパブリカン)は辞令交付を拒否していた。辞令交付の強制する職務執行令状の発給を求めた、マーベリらに対して、マーシャルは「原告は一般論としては辞令交付を要求する権利を有するが、事件の訴えは1789年に制定された裁判所法の規定に基づいて提起されたものであり、その裁判所法の規定が合衆国憲法に違反し、かつ無効であるので裁判所は職執行令状を発行する権利を有しない」とした。マーシャルは、「何が法であるかを述べるのは、断固として司法部門の権限であり義務である」とし、裁判所が、法律が憲法に反すると考えた場合には、それを無効にしうるという司法審査権の教義を打ち出し、連邦法を無効にした初めての判決。

 

McCulloch v. Maryland, 17 U.S. 316 (1819) 「マカロック対メリーランド事件」 (1819)

☆☆☆

州の了解無しに中央銀行がその支店を州内に進出させるのは越権行為だとして、第二合衆国銀行ボルティモア支店に重税を課して駆逐しようとしたメリーランド州に対して、マーシャルは、中央銀行に対する州の課税は連邦法に反する(「課税する権限は破壊する権限を含む」)として州の主張を退けた。連邦政府の機関に対する州による課税を禁止し、州政府に対する連邦政府の優位を認めた判例。

 

Dartmouth College v. Woodward, 17 U.S. 518(1819) 「ダートマス大学対ウッドワード事件」(1819

1769年にイギリス国王ジョージ3世から特許状を賦与され設立されたダートマス大学に対して、特許状を改定して州知事が任命する理事会を設置しようとしたニューハンプシャー州議会の措置を違憲とした判決。特許状は国王と大学との間の契約であり、当事者の同意無しでそれを変更する州の行為は、契約の債権債務関係の侵害であるとして、私企業にたいする州の干渉と統制を排除しようとした判決である。

 

Gibbons v. Ogden, 22 U.S. 1(1824) 「ギボンズ対オグデン事件」(1824

マーシャルが、合衆国憲法は州際通商の規制権は、連邦議会にのみ賦与しているとして、ハドソン川の渡船業務の独占権をもっていたアーロン・オグデンの主張を退け、蒸気船の自由航行を支持した判決。

 

Cherokee Nation v. Georgia, 30 U.S. 1(1831) 「チェロキー国対ジョージア事件」(1831

                           

1830年に制定された「インディアン強制移住法」に対抗して、ジョン・ロスを指導者とするチェロキー族がジョージア州相手に法廷闘争を展開、マーシャルはチェロキーの主張する土地所有権を認め、ジョージア州法はチェロキー国内には及ばないとの判断を示した。しかしジョージア州もアンドルー・ジャクソン大統領も判決を尊重せず、チェロキー族は移住を余儀なくされた。

 

Dred Scott v. Sandford, 60 U.S. 393(1857) 「ドレッドスコット対サンフォード事件」(1857

☆☆☆

北部の自由州(奴隷禁止州)に主人とともに移住した奴隷のドレッド・スコットが、自由人の身分を獲得したといえるかどうかが争われた裁判。連邦最高裁は7対2で、自由州への居住が自由身分の獲得を意味しないとの判断を下し、「ルイジアナ購入地の北緯3630分以北は奴隷制度を認めない」とした1820年のミズーリ協定は財産権の不当な侵害で、憲法修正5条違反であり、無効であるとした。連邦法を違憲であると判定した、マーベリ対マディソン事件以来、2度目の事例であると同時に、自由黒人は合衆国市民足り得ないとの判断を下した悪名高い判例でもある。後に合衆国憲法修正131865年、奴隷制廃止)で全面否定された。

 

Slaughterhouse Cases, 83 U.S. 36(1873) 「屠殺場事件」(1873

ルイジアナ州議会がニューオーリンズ市の一会社に屠殺場・食肉売買の独占権を与えたことが憲法修正14条の「特権及び免除」、「デュープロセス」、「平等保護」条項に違反するかどうかが争われた裁判。連邦最高裁は、第14条修正は合衆国市民権に付随する諸権利を州による侵害から保護しているに過ぎず、州の市民であることから発生する一般的・日常的な諸権利は保護の対象に含まれないという判断を下した。合衆国憲法の権利章典がそのまま州に適応できるのか、修正14条の対象に連邦の権利章典全体が含まれている(「編入理論」)かどうかが争われた判決。

 

Plessy v. Ferguson, 163 U.S. 537(1896) 「プレッシー対ファーガソン事件」(1896

☆☆☆

鉄道施設における人種隔離が憲法修正14条(「平等保護」条項)に違反しないかどうかが争われた裁判。連邦最高裁は、各人種に提供されている人種別公共施設の設備がおおむね同等である限りは、「平等保護」条項に違反しないという判断(「分離すれども平等 Separate, but Equal」)を示した、1954年のブラウン判決で覆されるまで、公共施設における人種隔離を正当化する根拠となった。

 

Schenck v. United States, 249 U.S. 47(1919) 「シェンク対合衆国事件」(1919

第一次大戦中に、徴兵に反対するパンフレットを配布したシェンクが防諜法違反で

訴追された事件で、連邦最高裁は、防諜法が修正1条が保証する言論の自由を侵害しているというシェンクの主張をしりぞけ、問題の言論が違法行為を引き起こす「明白かつ現在の危険」を有するときは、話し手を処罰できるとの判断を下した。

 

Gitlow v. New York, 268 U.S. 652(1925) 「ギトロウ対ニューヨーク事件」(1925

☆☆

修正1条の「言論・出版の自由」が修正14条のデュープロセス条項を通じて、連邦のみならず州にも対しても適応されることを最初に認めた画期的判決。

 

Korematsu v. United States, 323 U.S. 214(1944) 「コレマツ対合衆国事件」(1944

第2次世界大戦中に、軍が日系アメリカ人を強制収容したことの合憲性が争われた裁判。連邦最高裁は、強制移住命令が議会及び大統領の戦争権限の限度内にあったとし、また「人種のゆえ」ではなく「軍事的必要性による」計画であったとして、大統領命令の合憲性を支持した。

 

Youngstown Sheet and Tube Co. v. Sawyer, 343 U.S. 579(1952) 「ヤングスタウン・シート&チューブ社対ソーヤー事件」(1952

朝鮮戦争時に製鉄業のストを恐れたトルーマン大統領が、行政命令で製鋼工場を差し押さえ、操業継続を命じたことの合憲性が争われた事件。6対3で最高裁は、こうした行為は「立法権」であり、大統領は憲法上の権限を逸脱しているとの判断を下した。

Brown v. Board of Education of Topeka, Kansas, 347 U.S. 483(1954), 349 U.S. 294(1955)

「ブラウン対カンザス州トピーカ市教育委員会事件」(1954-55

☆☆☆

「プレッシー対ファガソン判決」の「分離すれども平等」原則を覆し、人種別学は黒人に劣等感を与え、黒人を教育から疎外するゆえに修正14条の平等保護条項に違反するとした

画期的判決。公民権運動の一大転機になった、アメリカ史上、最も有名な判決の一つ。

 

Mapp v. Ohio, 367 U.S. 643 (1961) 「マップ対オハイオ事件」(1961

正当でない捜査手続きで得られた事実や証拠物件は裁判で採用されないとした判決。

 

Baker v. Carr, 369 U.S. 186 (1962) 「ベイカー対カー事件」(1962

☆☆☆

連邦最高裁が初めて、州議会の議席配分不均衡が修正14条の平等保護条項違反であると判断した画期的判決。以後、連邦下院および州議会の選挙区の定数配分は「1人1票」の原則に基づき、議席再配分が行なわれるようになった。伝統的に「政治的問題」と考えられていた領域に司法が判断を示した点でも重要な転機となった判決。

 

Gideon v. Wainwright, 372 U.S. 335(1963) 「ギデオン対ウェインライト事件」(1963

☆☆

死刑に相当する以外の重罪で起訴された者にも経済的に余裕がない場合は、州は工費による弁護人依頼権を付与しなければならないとした判決。

 

Miranda v. Arizona, 384 U.S. 436(1966) 「ミランダ対アリゾナ事件」(1966

☆☆

連邦最高裁は、警察は被疑者に対して彼らの有する権利−黙秘権、発言が法廷で不利な証拠として用いられうること、弁護人選任権−を告知する義務があると判示し、犯罪の合理的容疑がない限り、人を停止させ、所持品検査をしてはならないとした判決。犯罪捜査の「ミランダ・ルール」として確立することになった画期的判決。

 

Roe v. Wade, 410 U.S. 113(1973) 「ロー対ウェイド事件」(1973

☆☆☆

連邦最高裁が7対2の多数意見で、人工中絶を権利として認めた画期的判決。ブラックマン判事は、「結婚と家族生活における個人の選択の自由は修正14条のデュープロセス条項で保護される自由の一つであり、その権利に、女性が妊娠を継続するか終了するかを選択する権利が含まれる」と述べた。フェミニズム運動の一つの画期となった判決であるが、

最も論争的な判決の一つで現在でもpro life派とpro choice派で国論を二分している。

 

Lemon v. Kurtzman, 403 U.S. 602(1971) 「レモン対カーツマン事件」(1971

修正1条の「国教樹立禁止」条項に関して、政府の宗教に対する補助が違憲かどうかを

判断する基準として、@法律は世俗的な立法目的を有してなければならないAその主たるないし主要な効果が宗教を促進し、あるいは抑圧するものであってはならないB法律は『政府の宗教との過度の関わりあい』を促進してはならないの三つの基準から判断すべきだといういわゆる「レモン・テスト」を確立した判例。

 

Miller v. California, 413 U.S. 15 (1973) 「ミラー対カリフォルニア事件」(1973

連邦最高裁は、わいせつ的表現が修正1条(表現の自由)の保護を受けないとの立場から、

「真摯な芸術的、政治的価値あるいは科学的価値を」を欠き、地域社会の基準に照らして明らかに不快な方法で性的行為を描写しているときには規制しうるとした判決。

 

United States v. Nixon418 U.S. 683(1974) 「合衆国対ニクソン事件」(1974

☆☆

1973年に発覚したウォーターゲート事件に際して、ニクソン大統領とその側近は有罪の証拠となる文書や録音テープの提出を拒否し、「国家の安全を確保し、大統領の会話の秘密を保持するための」行政特権の行使であると主張したが、連邦最高裁は、「行政特権」は刑事事件の審理に必要な証拠提出拒否にまでは及ばないという判断を下し、全ての資料を特別連邦検察官へ提出するように命じた。

 

INS v. Chadha, 462 U.S. 919(1983) 「移民帰化局対チャダ事件」(1983

☆☆

不法滞在で強制退去を命じられたケニア人(イギリス国籍)チャダが国外退去の停止を求め、移民審査官に認められたが、連邦議会下院がチャダの国外退去停止を拒否する決議を行なったため、チャダの不服申し立てにより下院の拒否権の合憲性が争われた裁判。連邦最高裁は、移民及び国籍法に含まれる議会拒否権条項は権力分立原則に反し、違憲であるとの判断を下した。

 

Regents of the University of California v. Bakke, 438 U.S. 265(1978) 「カリフォルニア大学理事会対バッキー事件」(1978

☆☆

黒人学生より高得点を取りながらカリフォルニア大学デーヴィス校医学部を不合格になった白人学生バッキーが、黒人のための特別枠は平等保護条項に反すると訴えた事件。最高裁判事の間で意見が分かれたが、パウエル判事は、人種割り当て制は違法であるとしてバッキーの入学を認める一方で、選抜にあたって人種を考慮することは違憲とはいえないとしてアファーマティブ・アクションの妥当性を支持した。