選択問題(優秀答案例) 6

第二次世界大戦後に荒れ果てたヨーロッパ諸国を復興支援するために設立されたマーシャル・プラン、財政難のイギリスに代わって、トルコやギリシアを支援するというトルーマン・ドクトリンの発表、この二つの柱をもとに、戦後の米欧関係は築かれた。しかしそこには反共主義支持国の一体化とヨーロッパ市場の育成という、安全保障、経済両面からの計算が働いていた。ドイツに対する他のヨーロッパ諸国の警戒意識をうまく利用し、EECなどへのイギリスの参加を促すなど、アメリカはヨーロッパの一体化を側面から促進した。NATO加盟国も積極的に拡大し、ドイツには軍隊を常駐させ、ドイツが再び軍事的野心を起こすことを抑え、他のヨーロッパ諸国の安心感を得ようとした。こうしたアメリカの対ヨーロッパ政策は、第二次大戦以前の孤立主義からは脱却し、新たな介入主義へと踏み出すものだったが、そこには単独主義的で、自らの国益の実現を重視するアメリカの姿があった。冷戦時代にはソ連とアメリカがともに核兵器を保有することで均衡を保っていたが、西欧各国にはアメリカが、米ソ均衡を優先して、ヨーロッパ諸国を見捨てるのではないかという疑念が生じていた。また国際貿易の面でもアメリカの単独行動は顕著であった。アメリカの対EC貿易赤字が増大するとパスタなどのECの産物に高い関税をかけたり、スーパー301条を発動させるなどの措置をとって、国内市場の安定化をはかった。しかしヨーロッパ諸国にとってもうアメリカとは縁の切れない関係になっていた。今日ではNATO加盟国の拡大をどうするのかという問題もうまれつつあり、冷戦期にアメリカがヨーロッパで築いた基盤はゆるぎないものとなっている。ドイツの東西統一にブッシュ・シニアが大いに寄与したことは有名だが、その際にもイギリス、フランスの様々な思惑が交錯し、最終的には冷戦は終結した。米欧関係は互いに反発しあっても、切り離せない間柄であり、互いの利害関係が短期的に食い違っても共に歩んでいこうという認識が生まれつつあった。冷戦後のヨーロッパでアメリカの絶対的な影響力を知らしめたのは、ボスニア内戦とコソボ紛争でアメリカが果たした軍事的役割の大きさである。東ヨーロッパ諸国の民主化に大きく貢献し、NATOの軍事力を統率したアメリカの影響力はヨーロッパ全土が集まっても作り出せない規模のものだった。その後、ヨーロッパ諸国とアメリカは新しい道を切り拓いている。「新大西洋経済パートナーシップ」などにみられる新しい信頼関係の構築やロシアや太平洋諸国・日本などを含めて、グローバル・リーダーシップを主導しようとする動きも見られる。またヨーロッパでは通貨統合など地域内の一体化が急速に進み、新しい形の統合体が生まれつつあり、その功績が世界の他の地域へも波及するものと思われる。アメリカは国連決議を経ずに開戦したり、国連を軽視していると批判されがちであるが、その身勝手で単独主義的な姿勢と対等に向き合える力をつけることもヨーロッパ諸国に期待される。しかしながらイラク戦争で明らかになったように、アメリカがヨーロッパ諸国を軽視していることも否めない。貿易面でも安全保障の面でもアメリカと肩を並べ、その力が世界で認められるような権威とまとまりのあるヨーロッパ統合体が出来て、それを導く協調性のあるリーダーが現れない限り,アメリカの単独主義的行動は続くであろう。それを抑止するために、日本が果たせることがあれば世界の場で積極的に提言していくべきだろう。しかし日本は経済面ではセーフガード発動など積極的な行動を取る反面、安全保障面では自国の立場や方針を明確に出来ていないので,ヨーロッパ諸国と手を取り合って、アメリカの行きすぎた単独主義的な外交に歯止めをかけていくべきであろう。

(寸評)

最後の部分が問題で求めている「米欧関係の変質」から踏み込んで、「提言」のようになっているが、全体として巨視的な視点から戦後の米欧関係をうまくまとめている点が評価できる。どう変わったのかという「変化」の側面をもう少し強調すると、さらにアクセントのついたよい答案となるだろう。

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