アメリカ社会論特殊講義(2003.4.11

 

1.   ポスト冷戦、ポスト9.11の世界とアメリカ

 

1.             「冷戦」は本当に終わったのか?

 

第二次世界大戦後の国際情勢年表

西暦

国際情勢

西暦

国際情勢

1945

1946

1947

1948

1949

1950

1951

1952

1953

1954

1955

1956

1957

1958

1959

1960

1961

1962

1963

1964

1965

1966

1967

1968

1969

1970

1971

1972

1973

1974

1975

1976

1977

1978

1979

1980

1981

1982

1983

1984

1985

1986

1987

1988

1989

1990

ヤルタ会談、ポツダム会談、国連発足

第一回国連総会、チャーチル「鉄のカーテン」演説

マーシャルプラン提唱、コミンフォルム結成

OEEC結成、米州機構成立、大韓民国・北朝鮮成立

NATO成立、東西ドイツ、中華人民共和国成立

朝鮮戦争、インド共和国、インドネシア成立

ANZUS調印、イラン石油国有化、ユーゴ・対ソ批判

対共産圏戦略物資輸出禁止協定、欧州防衛共同体条約

シューマン・プラン、朝鮮休戦協定成立

インドシナ休戦協定、SEATO結成調印

アジア・アフリカ会議、ワルシャワ条約、西欧連合

スエズ動乱、ハンガリー暴動、パキスタン成立

IAEA発足、欧州経済共同体・原子力共同体成立

第二次台湾海峡危機、第二次ベルリン危機

欧州自由貿易連合、中印国境紛争、チベット反乱

アフリカの新独立国19カ国が国連加盟、OECD成立

東独、ベルリンの壁構築、非同盟諸国会議

アルジェリア独立、キューバ危機

OAU結成、部分的核実験停止条約調印、キプロス紛争

国連貿易開発会議、中ソ対立

米軍、北ベトナム空爆開始、日韓基本条約調印

中国、文化大革命始まる

第三次中東戦争、EC発足、ASEAN結成

ベトナム和平パリ会議開始、NPT条約調印、チェコ事件

中ソ国境武力衝突、国連、生物化学兵器違法宣言決議

カンボジア政変、国連、海底核兵器禁止条約可決

中国国連加盟、スミソニアン体制発足、印パ戦争

バングラディッシュ独立、生物兵器禁止条約調印

東西ドイツ国連加盟、第四次中東戦争

国連資源特別総会、キプロス紛争、世界食糧会議

ベトナム戦争終結、ヘルシンキ宣言、サミット初開催

米ソ漁業協定、IMF・世界銀行第一回合同総会

国連砂漠会議、ベトナム国連加盟

国連軍縮特別総会、中東和平キャンプデイビッド会談

米中国交正常化、中越戦争、ソ連アフガニスタン侵攻

女性差別撤廃条約署名、イラン・イラク戦争勃発

韓国戒厳令解除、ポーランド戒厳令布告

国連海洋法条約採択、「民主カンボジア」成立

ソ連、大韓航空機撃墜、米軍グレナダ侵攻

アフリカの飢餓拡大、15年振りのコメコン首脳会議

ゴルバチョフ書記長誕生、米英、ユネスコ脱退

国連アフリカ特別総会、米ソ・レイキャビック会談決裂

国連安保理イラン-イラク停戦決議、INF全廃条約調印

アフガン和平協定調印、イラン-イラク戦争終結

天安門事件、ベルリンの壁撤去、米ソ首脳マルタ会談

イラク、クウェート侵攻、東西ドイツ統一

1991

1992

1993

1994

1995

1996

1997

1998

1999

2000

2001

2002

2003

湾岸戦争,START調印,韓国,北朝鮮国連加盟,ソ連消滅

アフガン内戦終結、国連地球サミット、中韓国交樹立

化学兵器禁止条約調印、START II調印、EU条約発効

EMI発足、NAFTA発効、イスラエル−ヨルダン平和条約

WTO発足、米越国交樹立、フランス、南太平洋で核実験

台湾海峡危機、国連、CTBT採択、ロシア、チェチェン攻撃ボスニア共和国発足、香港復帰、地雷禁止条約調印

印パ核実験、インドネシア暴動、ICC条約採択

NATOユーゴ空爆(→国連暫定統治),東チモール独立承認

初の南北朝鮮首脳会談

同時多発テロ事件、米軍アフガニスタン攻撃

ユーロ流通開始,日朝首脳会談,国連イラク査察開始

北朝鮮NPT脱退宣言、米英軍イラク攻撃開始

第二次世界大戦後、アメリカを中心とする資本主義諸国は、ソ連を中心とする社会主義諸国と対立し、特に新しく誕生した独立国をめぐって、互いに勢力圏の拡大をはかって対立した

→しかし直接、米ソ両国が軍事衝突したわけではなかったので、「冷戦」と呼ばれた。

そうした「冷戦」の産物が、ドイツの東西分裂、朝鮮半島の南北分裂などの分断国家であった。

 

1962年のキューバ危機では、米ソの直接衝突に危機に瀕したが、回避し、1963年の部分的核実験停止条約など、米ソ対立はいったん雪解け時代を迎えた(「デタント」

 

その後、社会主義陣営内部でも対立が生じ(中ソ対立、中越戦争など)、またベトナム戦争ではアメリカが事実上、敗北し、国際紛争へアメリカが軍事介入することへの世論の批判が高まった。同時に米ソ両国が核兵器を中心に激しい軍拡競争をしたので、軍事支出が両国の財政を圧迫するようになった。その一方で急速な経済成長を遂げたヨーロッパや日本が台頭し、資本主義陣営内部でのアメリカの圧倒的優位が脅かされるようになった(多極化)。

→こうした米ソ両国共に政治的・経済的ゆきづまりから、コストのかかる核軍拡競争を避けようとする動機が生まれてきた。

1987年INF(中距離核戦力)全廃条約=米ソ間の最初の核軍縮条約

 1989年米ソ首脳マルタ会談=冷戦終結の方針を確認

 

80年代末には社会主義の行き詰まりを打破するためにソ連・ゴルバチョフ書記長がペレストロイカと呼ばれる自由主義的改革を断行したが、その影響で、まず東欧諸国で共産党政権が崩壊し、東西ドイツ統一を経て、ソ連も崩壊した。アジアでは中国、北朝鮮など社会主義政権が存続したが、経済的には、中国も事実上、市場経済を受け入れ、その結果、旧ソ連諸国や中国もアメリカを中心とする自由貿易体制に組み込まれることになった

文字通りグローバルな市場が成立

→このグローバリゼーションの動きの中で、アメリカを中心とする多国籍企業が市場支配力をさらに強化することになった

→アメリカ中心のグローバリゼーションへの各国の反発(同時多発テロ事件の一つの背景に)

 

ソ連の崩壊で、資本主義対社会主義の「冷戦」は終わりを遂げたと考えられたが、それは対立のない世界を生み出したわけではなく、「冷戦時代」には陰に隠れていた民族対立など様々な紛争・対立が表面化した(⇒「世界の紛争地図」参照)。

 

1990‐1991年 イラクのクウェート侵攻→湾岸戦争

 

サミュエル・ハンチントン・ハーバード大教授は、ポスト冷戦の対立軸は、冷戦時代の「イデオロギーの衝突」に代わる、「文明の衝突」であるとした→この「文明の衝突」が実際に起こったのかごとく捉えられたのが、2001年の同時多発テロ事件であった。

 

 

2.             対イラク攻撃をめぐる米欧対立

 

表2 イラク開戦までの動き

2002

1/29

ブッシュ米大統領がイラク、北朝鮮、イランを「悪の枢軸」と非難。

3/7 

国連とイラク、査察への対話再開。

9/12 

米大統領が国連で演説、単独でのイラク攻撃を警告。

9/16

イラク、査察の無条件受諾に同意。

10/25

米英、対イラク新決議案を安保理に提出。

11/8

安保理、査察強化の決議1441を全会一致で採択。

11/13

イラク、新決議を無条件受諾。

11/18

国連査察団の先遣隊がイラク入り。

11/27

4年ぶりに査察再開。

12/7

イラク、大量破壊兵器開発計画の申告書を国連に提出。

12/19

査察委員長、申告の初期報告で「兵器廃棄の証拠示していない」との見解表明。

2003

1/9

査察委員長が査察の中間報告。「兵器保有の決定的証拠はないが、イラクの協力は不十分」と表明。

1/20

バグダッドを訪問した査察委員長にイラク側が査察への協力強化を約束。

1/27

査察委員長、安保理報告で「イラクの協力は不十分」と指摘。

2/5

パウエル米国務長官、イラクの決議不履行を示す機密情報を安保理で開示。

2/10

イラク、偵察機による上空査察受け入れ表明。

同日

仏独ベルギー、対イラク戦を想定した北大西洋条約機構(NATO)のトルコ防衛計画策定に反対。

同日

仏独ロ、対イラク査察強化を求める3か国共同宣言発表。

2/14

査察委員長、安保理追加報告でイラク側に「協力の兆候ある」と一定の評価。独仏ロ中、査察の継続求める。

2/15

世界各地でイラク攻撃反対デモ。

2/16

仏を除くNATO加盟国、トルコ防衛支援で合意。

2/17

欧州連合(EU)が緊急首脳会議、武力行使は「最後の手段」と共同声明。

2/18

安保理が公開協議開催、大半の国が平和的解決を主張。

2/21

査察委員長、イラクにミサイル廃棄要求。

2/24

米英、安保理に新決議案提示。

3/1

イラクが弾道ミサイル「アッサムード2」の廃棄に着手。

3/4

イラクが国連査察団に対し、1週間以内にVXガスと炭疽(たんそ)菌の廃棄に関する報告書を提出すると通告

3/5

仏独ロの3国外相、米英の新決議案反対の共同宣言を発表。

3/7

査察委員長が安保理外相級会合でイラクの査察協力状況を評価する一方、生物・化学兵器のさらなる廃棄証明努力を要求。

同日

米・英・スペインが安保理外相級会合で、イラクに17日までの武装解除を求める修正決議案を提出。

3/11

安保理6か国がイラク武装解除期限の45日延長を提案。

3/12

英が安保理で、イラクに期限内の武装解除を求める6項目課題案を提示。

3/16

米・英・スペイン3国首脳がアゾレス諸島で会談。

3/17

米英スペインが新決議案取り下げブッシュ大統領がイラクに最後通告。

3/20

米英軍、イラク攻撃を開始。

ブッシュ政権内部では、国際協調派のパウエル国務長官と、先制攻撃も辞さないとする「ブッシュ・ドクトリン」をまとめた、ウォルフォウィッツ国防副長官などのいわゆる「ネオ・コンサバティブ(新保守主義者)」らが対立、大統領主導のもと、タカ派・新保守主義者の路線に押し切られて、イラク攻撃に突入した。

 

国際的には各国のスタンスには、以下のような相違があると考えられる。

 

 

アメリカ

フランス

ロシア

中国

テロに対する危機感

極めて強い

普通

強い

強い

世界の「民主化」へのコミットメント

極めて積極的

人権問題への関心は高いが、体制変革には消極的

ソ連時代は積極的(親ソ政権の樹立),現在は消極的

消極的

フセイン政権との石油協定・交渉

湾岸戦争以降なし

あり

あり

あり

核兵器保有

あり

あり

あり

あり

イラク攻撃への賛否

 

世論は常時55%程度の賛成、政権内部では賛成派のタカ派が優勢。

シラク政権も世論も強く反対。

プーチン政権も世論も反対

共産党政権も世論も反対

 

イギリス

日本

ドイツ

韓国

テロに対する危機感

強い

普通

普通

強い

世界の民主化へのコミットメント

消極的

消極的

消極的

消極的

フセイン政権との石油協定・交渉

湾岸戦争以降なし

なし

なし

なし

核兵器保有

あり

なし

なし

なし

イラク攻撃への賛否

 

世論は開戦前は反対が優勢、政権内部では賛成派のタカ派が優勢。

世論は反対多数、小泉政権は攻撃支持

シュレイダー政権も世論も反対

世論は反対多数、盧政権は攻撃支持、工兵派遣を決定。

 

注 アメリカが考えるデモクラシー(民主主義)の条件 (Freedom House: http://www.freedomhouse.org)

<政治的自由>

1.  国家元首や政府の長が自由で公正な選挙を通じて選ばれること

2.  立法機関(議会)の構成員(議員)が自由で公正な選挙で選ばれること

3.  公正な選挙法、選挙運動機会の保障、公正な世論調査、選挙集計が行なわれること

4.  自由な選挙で選ばれた議員が実際に政治的権限をもつこと

5.  複数政党制、6.選挙を通じて支持を獲得できる野党や反政府勢力が存在すること

7.  文化、民族、宗教その他の面でのマイノリティが合理的な自治権や政治参加の権利をもつこと

<市民的自由>

報道・メディアの自由、2.信教の自由、3.集会・結社の自由、4.労働組合、農業団体、その他の職業団体の団体交渉権、5.司法の独立、6.法の下の平等、7、不当な拘束を禁じる人身保護律、8.極端な政治的腐敗からの自由、9.言論の自由、10.移動・職業選択・居住の自由、11.財産権・私的企業の自由、12.男女平等、婚姻の自由、生殖の自由(政府による産児制限がないこと)、13.機会の平等(地主や経営者、官僚などによる搾取がないこと)

 

<新しい欧州対古いアメリカ?>

Of Paradise and Power: America and Europe in the New World Order (Alfred A. Knopf, 2003)の著者の

ロバート・ケイガン(カーネギー国際平和研究所主任研究員)は、こうしたアメリカとヨーロッパの違いを、

@      テロ攻撃の対象となる危機意識がアメリカでは強く、欧州諸国では弱いこと

A      欧州諸国は域内での国際平和・国際協調秩序(平和・人権・環境共生など)の維持を優先し、もはや安全保障面では、世界秩序の形成を左右するグローバル・パワーである能力ももっておらず、その意思もないこと(特にアジアの安全保障秩序には無関心であること)

B      欧州諸国もそうした国際法秩序を20世紀までの数世紀に渡る戦争を経て身に付けてきたこと

などの背景を指摘し、いわば欧州がカント的な平和秩序の世界を生きているのに対して、アメリカはホッブズ的な「万人の万人に対する闘争的」無秩序の世界を生きていかないとならない違いだとしている。

→しかしこのブッシュ・ドクトリン擁護的なケイガンの議論を逆に見ると今回のイラク攻撃のように、世界秩序を形成する意思も軍事能力ももったアメリカが、それぞれの能力点で限界のあるヨーロッパや日本のように「政治」交渉の側面を軽視し、単独行動に走ってしまい、その結果、かえって国際秩序を不安定にするばかりでなく、世界を民主化しようとするアメリカと、アメリカ流の民主化・グローバル化に反対するその他の国々との「冷戦」状況を作りかねない。それがアメリカに対する新たなテロの温床となりかねないだろう(「冷戦」後に国際政治の脱イデオロギー化が進んだと言われたが、ブッシュ政権以後はむしろ、アメリカ対反米のイデオロギー闘争が復活してきている)。

 

<まとめ>

イラク攻撃を巡るブッシュ政権内部でのタカ派対国際協調派(ハト派)の対立に見られるように、ブッシュ政権内部やアメリカ国民内部では意見は様々であり、9月11日以降も決してアメリカは一枚岩になっているとはいえないが、来週から扱うアメリカが国内で実践してきた民主政治や様々な裁判の事例と異なって、国際政治の場面では、アメリカは国連などにおける多数決原理を重視せず、その圧倒的な経済軍事力を背景に単独行動をより好んできたきらいがある。ブッシュ政権内部で有力になっている新保守主義的な考え方がアメリカ国民の間にどこまで浸透するかは、2004年の大統領選挙も含めて今後の動向を見守らなければならないが、今後、国際協調主義が復権する可能性は十分にあると言えるだろう。アメリカ史を見る限り、国際協調と単独主義、個人主義と集団主義、保守主義と革新主義など常に異なった考え方が対立・論争しながら展開してきたのがアメリカの政治・経済であり、「アメリカは〜である」と単純に決め付けるのは危険である。本講義を通じて、日本の政治・経済とアメリカの政治・経済の共通点と相違点を比較しながら学び、これからの国際情勢やアメリカ事情を判断する眼を養っていってほしいと思う。