2002/10/10
アメリカ社会概論
イントロダクション−ポスト9.11の世界と「アメリカン・デモクラシー」

1.攻撃されたアメリカ・批判されるアメリカ・反撃するアメリカ
2002911日のニューヨーク・世界貿易センター及びワシントンDCの国防総省ビルへのテロ事件−当初被害者数5000人以上と報道、死者・行方不明者数2797人(2002/10/7現在)それに続く105日以降の炭疽菌郵送事件→アメリカ市民にとっては初めて「攻撃対象」となっていることを実感。しかも現在進行形。冷静な判断が困難に(いつ自分がターゲットになるかわからないという不安)。

しかし世界の世論は、各国政府の「反テロ」支持とは裏腹に、アメリカに対して厳しい評価(例えば2001年11〜12月のインターナショナルヘラルドトリビューン紙の世論調査では、回答者の70%が「脆弱であることがどのようなものであるのか、アメリカ人が知ることはよいことだ」とした)。

日本のマスメディア、知識人の間では「対アフガニスタン攻撃の正当性」に対する疑問を中心にアメリカ外交の独善性、単独主義を批判する論調が支配的。しかも「対岸の火事」的論評(「イージス艦を派遣すれば、日本もイスラム原理主義者が敵視される。」など)

2.政府と一般市民、国民−リベラル・デモクラシーをめぐって

9.11後のアメリカ国民 −ミシガン大学社会調査研究所データ、ギャラップ調査から
−市民連帯、愛国心の増大。外国人やマイノリティへの寛容性は低下か??

クローズアップされた世界の民主主義の状況
デモクラシーの条件(Freedom Houseの定義−http://www.freedomhouse.org
<政治的自由>
1.国家元首や政府の長が自由で公正な選挙を通じて選ばれること2.  立法機関(議会)の構成員(議員)が自由で公正な選挙で選ばれること、3.公正な選挙法、選挙運動機会の保障、公正な世論調査、選挙集計が行なわれること4.自由な選挙で選ばれた議員が実際に政治的権限をもつこと5.複数政党制、6.選挙を通じて支持を獲得できる野党や反政府勢力が存在すること7.文化、民族、宗教その他の面でのマイノリティが合理的な自治権や政治参加の権利をもつこと
<市民的自由>
1.報道・メディアの自由、2.信教の自由、3.集会・結社の自由、4.労働組合、農業団体、その他の職業団体の団体交渉権、5.司法の独立、6.法の下の平等、7、不当な拘束を禁じる人身保護律、8.極端な政治的腐敗からの自由、9.言論の自由、10.移動・職業選択・居住の自由、11.財産権・私的企業の自由、12.男女平等、婚姻の自由、生殖の自由(政府による産児制限がないこと)、13.機会の平等(地主や経営者、官僚などによる搾取がないこと)

こうした西欧型デモクラシー・モデルに対しては、多文化主義やアジア型民主主義論(開発独裁論、指導制民主主義論)の立場から反論がある。

多文化主義−女子教育の禁止、一夫多妻制、強制婚姻、女子割礼などを強制する文化を多文化主義の名のもとに擁護できるのか?(Susan M. Okin.1999. Is Multiculturalism Bad for Women? Princeton University Press. での議論とそれに対する「道徳普遍主義」批判)

開発独裁またはGuided Democracy−サミュエル・ハンチントンらの「後発国近代化論」(例えばSamuel Huntington, 1991. The Third Wave: Democratization in the Late 20th Century. University of Oklahoma Press)−一人当たりGDP4001000ドルの段階の国は政治経済的に不安定なので強い政府=権威主義体制が必要、という立場−アジア、ラテンアメリカにこの種の「開発独裁」国家が多い)

<アジア諸国における権威主義体制から民主主義体制への移行>
韓国1960年代の朴正煕政権(軍事政権)から25年後の80年代後半には民主化を達成
インドネシア1997年に30年支配していたスハルト政権崩壊、99年選挙では開発政党のゴルカルが敗北→民主化の途上
台湾)開発独裁型の蒋経国に代わって、総統となった李登輝政権下で90年代に民主化を達成
中国)経済の「市場化」は急速に進展。しかし共産党の一党独裁体制は変化するのか?
−江沢民の「三つの代表」理論
中国共産党は、(1)「先進的社会生産力」、(2)「先進文化」、(3)「人民の根本的利益」を代表する組織であり、そのために党の建設を行う11月の党大会で江沢民が引退するか否か依然不透明、党はいつまで「指導的」立場を維持するのか?

「国際市民社会」の前提としてのリベラル・デモクラシー
<イスラム原理主義のテロで日本人が犠牲になった例
       『悪魔の詩』事件−1991年にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』の訳者の筑波大学助教授が刺殺された事件(シーア派イラン人による犯行説)←1989年イランの最高指導者ホメイニ師が全世界のイスラム教徒にこの小説の著者と発行人の「処刑」を命令
       1997年のエジプト・ルクソールでのイスラム原理主義ゲリラによる外国人観光客襲撃事件−日本人10人、スイス人43人、イギリス人4人、他3人の計60人、エジプト人のガイドや警察官計3人、テロリスト6人の合わせて69人(68人説もある)が死亡し、85人が負傷した。
→国際社会で「宗教的寛容」は成立するのか?

リテラシー、ソーシャル・リテラシー−「権威主義体制」で育った「人民」に「支持」された政府の支配は「正当」なものか?
「破綻国家」の救済−「破綻国家」とは、内戦、恐怖政治、弱体な統治機構、不十分な社会インフラ、平均年齢の低下、教育システムの崩壊、食糧不足など、政府が公共サービス提供ができず、正当性を欠いている国家」をさす。
アメリカやヨーロッパは軍事行動よりも統治機構回復の資金援助をすべき。国連など国際機関による選挙監視、暫定行政機構の設立、司法警察制度の確立が不可避

3.アメリカン・デモクラシーの矛盾

     冷戦期に反共を掲げた多くの独裁政権を支持したこと。
・ 中国に対して最恵国待遇の更新の条件を人権問題の改善とリンクするとしていたクリントン政権が、人権状況の進展が特になかったにもかかわらず更新を行なうなど、経済利益優先で、原則を変えること。
     1960年代まで南部は事実上、「権威主義体制」に近く、黒人に政治的・市民的自由が認められていなかったこと
    単独行動主義に陥りがちであること
    ベトナム戦争の反省から1973年に制定された「戦争権限法」が尊重されず、今回の対アフガニスタン攻撃でも守られなかったこと。

「相対主義」と「絶対主義」
アメリカ社会の特徴である、multiple membershipと限定的な「忠誠心」→デモクラシーを支える相対主義の基礎ファシズムへの防波堤となったと自負。
・実際、アメリカほど複数の「正義」をめぐって争ってきた国は少ない(→第2回講義「最高裁」参照)
しかし「国際社会」では圧倒的なパワーを背景に「相対主義」を尊重していない。

アメリカが世界の民主化を実現する資格がないからといって、世界各国の非民主的諸国や非民主的政治体制を放置しておいてよいことにはならない→潜在的な戦争・テロ・構造的貧困の要因。国際社会の圧力が南アフリカのアパルトヘイト体制を終わらせたように、国際世論の形成や国際機関・主要国の政治的働きかけが不可欠。また経済発展が必ずしも政治的市民的民主化に連動するわけではないので、経済・政治両面での民主化を実現していくことが寛容(独裁体制をODA援助で支えるのは矛盾)。

4.アメリカ社会を学ぶ視点

日本への問いかけ
1.同時多発テロ事件後のアメリカの独善、愛国心の高まりを批判できるほど日本は寛容で成熟した社会か?(小泉首相訪朝後のメディア報道とそれに対する人々の反応など)
2.経済外交中心の日本はアメリカ以上に原理原則がなく、経済・産業利益(だけ?)を優先する場合が多い(独裁体制をODA援助で支える、南アフリカでの「名誉白人」扱い、天安門事件に対する日本企業の反応の鈍さなど)→「平和外交」の美名に値するのか?
3.グローバル・スタンダードをアメリカの押し付けと見る見方が少なくないが、「霞ヶ関スタンダード」の押し付けには抵抗が少ないのは何故か?地方都市がグローバルスタンダードを実現して、東京に対抗していくこともありうるのではないか?
4.日本では最高裁が政治的判断を下すことに消極的で(司法消極主義)、憲法と社会的争点の関係について建設的でオープンな議論をする機会が少ない。違憲立法審査はアメリカに倣って導入した制度だが、日本とアメリカでどのような違いがあり、それが両国のデモクラシーの違いにつながっているのだろうか?
5. 家族問題、男女関係、犯罪対策、教育問題など、「10年先をいく」といわれるアメリカ社会を見ることで現代日本社会の将来を占うことができるのだろうか?日本はリベラル化が直線的に進んできたが、アメリカではキリスト教的倫理観の支配もあり、道徳的なゆり戻しも見られる。社会的モラルと社会変動の関係は日米両国でどのように異なっているのだろうか?

アメリカを語る・考える場合、日本人は、敗戦国としての立場から、また経済的ライバルとしての意識などから、アメリカモデルを過度に理想化したり、反発したりすることが多く、アメリカ合衆国を「普通の国」としてみる姿勢に欠けてきた。しかし日本の経済的役割の飛躍的増大や、社会文化のアメリカ化の進行などを踏まえると、むしろいろいろな矛盾や社会問題に悪戦苦闘する普通の国としてアメリカ社会を観察することからヒントを得ることは多いと思われる。特にデモクラシーの理念にこだわっている分、理念と現実のギャップやそれを合わせようとする奮闘ぶりが顕著で、最初から理念を掲げることを諦めているかに見える?日本社会にとって学ぶべき点は依然として多い。特に中央集権・一極集中・官僚主導マインドに染まった日本人研究者は、アメリカを見る場合も日本的基準から類推しがちである(例えばアメリカの教育改革を学ぶ場合も「ナショナル・スタンダード」はどうか?ということに関心が集中する)。アメリカ社会を突っ込んで検討することを通じて、逆に現代日本社会の特徴を浮き彫りにするような講義を目指してゆきたい。

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