2002/10/24
アメリカ社会概論 2.訴訟社会アメリカの司法文化と連邦最高裁
1.訴訟社会アメリカ
アメリカ人は訴訟好きな(litigious)国民として知られる。アメリカ人からすると何故日本人が訴訟に訴えないかが疑問(日本国民の一人当たり訴訟件数はカリフォルニア州民の10分の1程度)。
→日本人が訴えない理由(アメリカ人の見方)
@コンセンサス重視の文化A弁護士の数が少ないこと(日本で活動している弁護士の総数がアメリカのロースクールの毎年の卒業生総数と同程度)B日本では「交通事故センター」などの裁判外紛争処理機関が保険会社と結びついて普及しているC集団代表訴訟class action(当事者が多数で全員が当事者になれない場合、一人また数名が代表して全員の権利について訴訟を行なう事)の禁止など、日本の訴訟ルールが訴訟を起こしにくくしていることD裁判の時間が長期間に渡ること
集団代表訴訟について
個人と企業との間で契約上のトラブルが生じた場合、個人が裁判を起こすことは訴訟費用などの点で現実には難しい。また、裁判で消費者側が勝訴しても、同じような被害を受けた人々が救済されるとは限らず、結果として企業の姿勢が改まらないという問題を抱えている(例 欠陥商品を全て回収するコストと、訴訟を起こした個人に対する賠償金を払うコストを比較して、後者が少額だったら欠陥商品を放置するなど)→日本でも「集団代表訴訟」的な制度は必要なのではないか?
1980年代後半にアメリカが貿易赤字に苦しんでいた頃、当時のクエール副大統領がアメリカにおける訴訟と弁護士の多さがアメリカの国際競争力の低下につながっていると発言するなど、アメリカ人時代もtoo litigiousであることに批判もあるが、一方で「コンセサス重視」や「法定外解決」を強調しすぎると、権利意識に敏感な個人は日本社会では押さえ込まれてしまうことになる→選択肢の一つとして司法による解決を受けやすくする法制改革も必要
2.アメリカの法文化−参加デモクラシーと司法
−アメリカ法は、英米法系の@歴史的継続性の強さ、A判例法主義などの特徴のほかに、「人民による統治」を強調するアメリカならではの特徴をもっている(1840年代のジャクソニアン・デモクラシー及び1890〜1910の革新主義運動の影響が強い)。
アメリカ司法の特徴その1<陪審制度>(イギリスで始まったが世界の陪審裁判の80%はアメリカで行なわれているといわれるほど定着、日本でも大正デモクラシー期に一時導入)
利点 @司法制度に対する市民の関心の向上、A法と社会常識の乖離を避ける、B司法制度への攻撃の緩衝材(田中英夫『英米法総論』)、C捜査手続きや起訴理由に対する市民の監視を強める。
問題点 @素人の陪審員が事実認定を適正に行なえるのかA原告に同情しての過大な損害賠償認定をする恐れがあるB陪審審理のための余計な時間と費用がかかる(田中英夫『英米法総論』)C陪審員の性別・人種・階層などが判断に影響する可能性がある。
刑事裁判で無罪となり、民事裁判で有罪となったO・J・シンプソン裁判のように陪審制度に対する批判はアメリカでも根強く存在するし、陪審員になった場合の負担の大きさもしばしば問題になっている。しかし陪審制度に対する日本人の批判に両国の法文化や権力に対する考え方の相違が現われている(「余計な時間や費用」なのか?民主主義のコストではないか?。)
アメリカの司法観−政府が誤るよりは市民が誤った方がよい。市民による司法のコントロール
日本の司法行政−判事と検事の人事交流も盛んで、最高裁事務総局が判決についての「指導的範例」を示すなど中央統制的司法
アメリカ司法の特徴その2<判事の公選>
アメリカでは29州で裁判官が直接選挙で選ばれている。また裁判官の党派性・政治的立場が判断に影響することも少なくない。←アメリカ内部の批判としても選挙ではなく司法任用委員会による選抜制度(ミズーリ・プラン)で、より能力・資格を重視すべきだという考えもある(22州で採用)
3. 連邦最高裁とアメリカ社会
アメリカの裁判制度は当初は、各植民地が第一審を、控訴審は植民地議会が裁判し、1789年にはじめて連邦裁判所が設置されたあとも州裁判所がほとんどの事件を審査する管轄権をもっていた。カナダにおいては今日もなお州裁判所が第一審管轄権をもち、州裁判所から上訴されたもののみを連邦最高裁が審査することになっているが、合衆国は連邦、州ともに三審制の裁判制度をもつ二重裁判所制度となっている。
<憲法第3条による最高裁の第一次管轄権>
@ 連邦と州の間の事件ないし争訟A2つ又はそれ以上の州の間の事件ないし争訟B外国の大使その他の外交使節および領事に関わる場合C1州と他の州の市民または外国の市民の間、もしくは1州と外国の間←憲法第1条第8節の連邦議会の権限に見られる「連邦政府」の管轄領域に対応
合衆国憲法が政治の基本的枠組として重視されているアメリカ社会において、合憲性を判断する連邦最高裁の政治的影響力はきわめて強いものである。いわゆる「ブラウン判決」や「ロウ対ウェイド判決」など世論や公共政策にドラスティックな転換を迫った判決も数多いが、最近の研究によると、例えば「ブラウン判決」の場合もトルーマン大統領やアイゼンハワー大統領も、人種問題のような世論を二分する問題が選挙の争点となることを回避した反面、公民権支持派の判事を任命して、司法主導の人種差別撤廃策の推進をはかったというように、むしろ政治主導型の政策形成だったとする見方も出てきている。いずれにしても最高裁を中立の判定者とみるのではなく、政治過程における一アクターとして見るのがアメリカ政治学にごく一般的な立場である。
<司法審査権と司法積極主義>
司法審査権 Judicial Review とは、連邦議会が制定した法律、大統領の行政命令、州議会が制定した州憲法や州法がアメリカ合衆国憲法に違反しないかどうかを判断する連邦裁判所の権限である。日本国憲法では、第八十一条で「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と明記しているが、合衆国憲法では明文の規定がなく、1803年の「マーベリ対マディソン事件」判決で確立された。司法審査権を梃子として、積極的に司法が社会的・政治的判断を行なっていくことを司法積極主義 Judicial Activismと呼ぶ。日本では、司法審査権はしばしば「違憲立法審査権」と呼ばれ、最高裁の「違憲」判決の数が限られていることから、日本の最高裁は保守的な司法消極主義 Judicial Restraint であるとしばしば教育、報道されてきた。
◇日本の主な違憲判決◇
自白調書有罪認定違憲判決(1950年)=38条3項
強制調停違憲判決(60年)=32条、82条1〜2項
第三者所有物没収違憲判決(62年)=29条1〜3項、31条
余罪量刑考慮違憲判決(67年)=31条、38条3項
偽計自白有罪認定違憲判決(70年)=38条2項
高田事件判決(72年)=37条1項
尊属殺重罰規定違憲判決(73年)=14条1項
薬事法距離制限規定違憲判決(75年)=22条1項
衆院議員定数配分規定違憲判決(76年)=14条1項、15条、44条
森林分割制限規定違憲判決(87年)=29条1〜2項
愛媛玉ぐし料訴訟違憲判決(97年)=20条1〜3項、89条
しかしアメリカでも議席再配分不均衡などの政治的影響を伴う争点に関しては、「政治的問題 political question」であるとして、司法が判断を留保してきた事例もある。(日本の憲法訴訟でのいわゆる「統治行為論」にあたる)。司法審査制の焦点は、19世紀のいわゆる「二重連邦主義 Dual Federalism」の時代は連邦権と州権の範囲をめぐる係争にあったが、1930年代のニューディール時代以降、行政国家化が進行し、連邦政府が経済的・社会的規制を強めると、政府の経済・社会規制の合憲性が争われ、さらに1950〜60年代になると公民権など市民的自由の問題が中心的争点となった。
<ウォーレン・コート>
アール・ウォーレンはカリフォルニア知事として保守政治家として知られていたが、任命者アイゼンハワー大統領の予想に反して、リベラルな判決を連発して、アメリカ憲法史上の一大画期を形成するに至った。登場した時代は、マッカーシズムの時代であり、ウォーレンの仕事は反共主義から表現の自由を守ることから始まったといえる。
「イェイツ対合衆国事件」(1957) 有罪とするには単なる革命理論の唱導ではなく、「明白かつ差し迫った」革命行動を唱導していなければならないと判示した。
「ニューヨーク・タイムズ対サリヴァン事件」(1964)公務員がマスコミを名誉毀損で訴えるためには表現者の「現実の悪意(虚偽性の認識とそれに対する無思慮)」があったことを立証しなくてはならないとした。その他の判例→判例プリント参照
ウォーレンは、リベラリズムを国内における社会改革と国外における資本主義、民主主義の維持そして個人の権利の擁護と理解していたと考えられるが、ウォーレン・コートといってもコート全体として一貫してリベラリズムが保たれていたわけでもなく、またウォーレン・コートの終了とともにリベラルな最高裁が終わったわけではないのは、1973年の「ロウ対ウェイド判決」が示すところである←最高裁判事の自律性の高さ、個人主義的性格の反映
<最高裁の「保守化」について>
保守的憲法理論の主張 @自由主義的な裁判官が憲法の名のもとに自分たちの価値観を社会に押し付けるべきではない。A裁判所は憲法違反が極めて明白でない限り法律を違憲と判決すべきではない。B裁判官が憲法を解釈する場合には、憲法起草者や批准者の「原意(original intent)」を重視しなければならない(ex.
第14修正から「妊娠中絶」の権利を引き出すのは不当)C連邦裁判官は、合衆国憲法に明白に抵触しない限り、州が自らの政策を追及する権利を尊重すべきであるD憲法第1修正は、政府が宗教と無宗教の間で中立を保たなければならないという意味ではなく、特定の信仰の援助や個人の信教の自由の侵害に当たらない限り、信仰に便宜を与えるべきである。Eポルノ表現などは社会の品位を維持するために制限すべきであり、第一修正の言論・表現の自由は、猥褻物を保護するために利用されるべきではない。
<レーンキスト・コートの保守化の意味>@ウォーレン・コートで推進された、人種を中心とする平等主義の立場は基本的にとらない。A表現の自由に関しては、リベラルの法理よりも事件の文脈をより重視する。B現代アメリカ政治における最高裁の公的役割を抑制する。
<今後の最高裁と保守化の行方>
保守化といってもウォーレン・コート・リベラリズムを完全に覆してはいない。必ずしも州中心主義になっていない。またコミュニタリアン的規制にも必ずしも同調してない。またレーンキスト・コートの保守化を支える政治的連合が形成されていない。→しかしブッシュ共和党政権の誕生と、2001年9月のテロ事件以後、アメリカの政治的ムードとしては一層の保守化が進行している。ウォーレン・コートが作ったリベラリズムの遺産を完全に逆行させることは困難であるが、社会的世論と政治情勢と相互作用しあいながらアメリカ政治の保守化に最高裁が役割を果たすことは今後も予想される。マッカーシズムの嵐の中でウォーレン・コートが登場したように、言論統制や保守化が行過ぎると反動としてリベラルな政治の復権が求められることもあるので、保守化傾向が一直線に進んでいくとは言えないだろう。
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