2002/11/14 アメリカ社会概論 5.多文化主義と文化戦争
1.多文化主義とはなにか−その論理構造
表1 多文化主義と他の主張の比較
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リベラリズム |
ナショナリズム |
多文化主義 |
・アイデンティティの基礎単位 |
Individuality |
Nationality |
Ethnicity |
<受容問題> |
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<関与問題> |
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<統合問題> |
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出所 井上達夫「多文化主義の政治哲学−文化政治のトゥリアーデ」(油井大三郎・遠藤泰生編『多文化主義のアメリカ−揺らぐナショナル・アイデンティティ』東京大学出版会、1999)
図1 集団権 対 個人権
差別(マジョリティ中心主義)
同化主義 ←個人・普遍主義 |
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リベラリズム |
多文化主義 |
反差別(マイノリティの権利重視)
多文化主義は、異なる複数の人種や民族が共存するため、それぞれの独自の文化を相互に理解し、尊重し合い、特定の文化が主流文化として支配することがないように配慮する考え方である(同時にいままで当然視されてきた「主流文化」を、あくまでも一つの文化として相対化することになる)。多文化主義を構成する文化としては、各エスニック文化以外にも、女性や障害者(手話・点字文化などを含む)、同性愛者などの性的マイノリティ、子供文化なども広い意味での文化・アイデンティティ集団として捉えることができる。単文化主義という考え方がいまでも支持されないので、多文化主義は非のうちどころがないように思われるが、上に示したように各文化集団内部では、個人の権利より集団権を優先するしくみになっているため、そうした文化集団の構成員としてではなく、個人として社会で自己実現してゆきたい場合には、様々な葛藤を経験することになる
→国家がある民族文化を支配することを拒絶する多文化主義であるが、各エスニック文化が個人を支配することは拒絶しない(というより積極的に推進する)。その場合のエスニック文化は「小さい国家」として機能する恐れはないのだろうか?→各文化集団の内部での権力関係についても注意を払うことが大切。
・アメリカの場合、公式に多文化主義を政策として掲げたカナダやオーストラリアとは違い、多文化主義は社会の構成原理の一つであるが、人権保障は基本的には個人主義・自由主義的立場から行われることになっており、例えば世界に先駆けて成立した「1990年障害をもつアメリカ人法(ADA)」も障害者に対して、雇用や公共サービスや交通へのアクセスを、公民権法を拡大援用する形で保障しようとしたものであり、アメリカ憲法体制のもとで、障害者個々人の平等な権利を保障しようというものであって、「障害者集団」としての集団権を認定したものではない。
・多文化主義も価値のウェイトの置き方によってナショナリズム(=ネーションの力を最大化する)に接近するか、リベラリズム(=「国家・政府」からの自由を重視する)に接近する折衷的な性格を有している。
・もっとも個人対集団という図式も単純には割り切れない。個人の価値観やアイデンティティは生まれ育った文化集団の中で形成され、志向性も文化集団の価値観に影響されている。また個人主義的人権救済を目指すアメリカの法システムにおいても、各種市民団体やエスニック利益団体、障害者・同性愛者団体がロビー活動して法律制定や改正を促してきたのであり、個人の自由を確保するために集団が果してきた役割が非常に大きい→個人のよりよい自己実現のために集団に積極的に加入するというアメリカ的な集団生活と個人主義の両立のやり方
以上の点を考慮すると、多文化主義を構成する文化集団間の権力関係のバランスが、多文化主義の実現を考える場合に肝要である。
2.多文化主義政策と多文化主義の異同
連邦政府の公式な政策として多文化主義を掲げるカナダの場合(「1988年カナダ多文化主義法」)は、フランス系カナダ人が中心のケベック州の独立運動が激化した1970年代に、まず公用語を英仏2言語に指定して、二言語二文化のカナダを目指したが、ロシア系やドイツ系移民の反発を買い、政治的妥協として「二言語多文化主義」を掲げるようになり、1982年憲法では先住民の権利も認めるようになったことから始まった。背景としては労働力不足やそれまでの差別的な移民政策の反省から、有色人種(カナダで言う”visible minority”)を積極的に受け入れると言う方針転換もある。カナダの代表的な多文化主義理論家である、ウィル・キムリッカは、多文化主義政策として、@マイノリティの進学・就職・昇進の促進(アファーマティブ・アクション)A学校や会社、役所、メディアなどにおける差別やハラスメントの禁止とそのためのガイドラインの作成B警察官や福祉担当者などが多文化主義的配慮をできるように研修することC二言語教育やエスニック・メディアの助成などを挙げている。これらの政策は多文化主義政策を公式には掲げないアメリカの連邦や州・地方政府によって行なわれている。
しかし、例えば「ラウ対ニコルズ事件」(1974)−英語を話せない中国系児童のために、英語補習教育か中国語による授業を提供しなかったサンフランシスコ市教育制度は、平等な教育機会を保障した1964年公民権法に違反するとした判決。非英語系児童に対するバイリンガル教育の必要性を認めた判決−の場合も内容的には、多文化主義教育で掲げられるバイリンガル教育を認めたものであっても、「1990年障害者法」の場合と同様に、あくまでも「公民権法」の枠内での解釈であり、カナダ政府がフランス系国民に認めた「言語権」とは根本的に異なる性質であることに注意しなければならない
(←しかしカナダにおいても「公用語」としての地位を獲得しているのは、英語とフランス語だけであり、先住民とフランス系カナダ人だけが法的に特別な地位にあり、他の移民集団の文化的権利と大きな差があることには批判がある)。
3.アメリカにおける多文化主義論争と文化戦争
ケベックの分離独立を阻止するという切迫した政治的背景があったカナダと違い、アメリカにおいて「多文化主義」は現実の政治過程よりも主に教育や知識人サークルの間で影響力をもつことになった。
1960年代のリースマンの「文化剥奪論」→主流文化に適応させる補償教育に重点→しかし70年代以降は、多様性や差異を肯定する多文化主義教育へと移行。
・アメリカの多文化主義教育は、@エスニック集団、文化集団、ジェンダー集団の声、経験、戦いなどを組み込むカリキュラム改革、A低所得層の生徒、非白人生徒、女子生徒、障害生徒の学業達成、B異なった人種、文化、ジェンダー集団に属する人々の集団間教育の達成を目的とする。
アフロ・セントリズム−モレフィ・アサンテ(テンプル大学)、レナード・ジェフリーズ(ニューヨーク市立大学)
「アフロセントリックなアプローチとは、どんな状況でも常にアフリカの人々を正しく中心に据えようとする。中心的とは、排他的概念ではなく、自己を自己の文化的準拠枠において理解することであり、そうすることによって自己の文化と他者の文化の関連付けを可能にする概念である。教育においては、教師が生徒に世界とその人々や概念や歴史についてアフリカの観点から学ぶ機会を与えることである。」
PC(Political Correctness)運動(=性・階級・人種差別的表現を徹底的に排除する運動)→各人種、文化、ジェンダー集団の自己定義を承認するか否かが争点に
<多文化主義教育批判>
・1987年にスタンフォード大学の「西洋文明」講座は、「西洋中心主義」であるとジェシー・ジャクソンらに批判され、ヨーロッパ人以外の著作も読むよう指定する「文化、思想、価値」講座にカリキュラム改革した(1989年から実施)→全米の大学に波及→ヨーロッパ系知識人の反発
また同年、ニューヨーク州の公立高校のアメリカ史カリキュラム(エリック・フォナー・コロンビア大学教授らが編纂)も「ヨーロッパ中心的」であると批判され、先住民の歴史を大幅に増加したものに代えられた。
Allan Bloom, The Closing of American Mind. 1987−アメリカの大学カリキュラムの中心は、アメリカ共和国の実現に最も影響力があった西欧文明・西欧思想中心であるべきだとした。←西欧文明コア科目も時代の産物にすぎない(Lawrence Levine, The Opening of the American Mind. 1996)
←「平等や正義に関する西欧デモクラシーの理想と、人種、ジェンダー、社会階級による差別の現実は矛盾している。そのギャップを埋めることが多元主義教育の目標」(James Banks, An Introduction to Multicultural Education, 1994)
Arthur M. Schlesinger, Jr. The Disuniting of America: Reflections on
Multicultural Society, 1991−「自称『マルティカルチュラリスト』は、西欧の遺産としては西欧の犯罪以外にほとんど何も見ようとしない民族中心を唱える分離主義者であり、こうした人々は西欧の伝統は、人種差別的、性差別的、『尚古主義的』、覇権主義的であり、西欧文化の普及は西欧の武力の拡大に夜に過ぎないと主張している。しかし奇妙なことに西欧の伝統に対する攻撃が多くの場合、西欧で磨き上げられた分析理論(マルクス主義、脱構築主義、ポスト構造主義、ラジカルフェミニズムなど)によってなされているのである」
・こうした論争を通じて、無批判にヨーロッパ文化を前提としていたアメリカのカリキュラムが、ヨーロッパ文化も一つの文化として相対化できるようになった功績は大きいが、アフリカ中心主義にカリキュラム改革を迫るとすれば、それはヨーロッパ中心主義と同じエスノセントリズムに陥ることになる→歴史観をめぐる「文化戦争」へ。またエスニック・マイノリティだけでなく、公立学校教育で、同性愛をノーマルであるように教えるカリキュラム改革したことなどが親たちの反発を買うといった文化戦争もしばしば生じるようになった。
4.ポストエスニック・アメリカのアポリア
こうしたエスニック・ナショナリズムの問題を克服するには、ホリンジャー(ホリンガー)のいうアイデンティティの重層性を考慮した「ポストエスニック・アメリカ」を構想するべきなのかもしれない。他方、人類学者を中心とした研究は、「人種」概念が社会的構築物に過ぎず、根拠に乏しいことを明らかにし、「ハイブリッド性」を強調するようになった。そうした研究動向は大きな社会的・学問的意義をもち、長期的には差別意識を克服するのに役立つものと考えられるが、その一方で現実社会ではエスニシティが個人のアイデンティティの形成過程や社会生活において依然として大きな位置を占めており、「人種」を「無視」することが新たな「人種主義」につながりかねない恐れがある(辻内鏡人『現代アメリカの政治文化』ミネルバ書房、2001年)。アフリカ中心主義も「自尊心」や「目標」をもたせる教育としては非常に有効なアプローチだと考えられるが、人種的な敵愾心や偏狭なエスニック・ナショナリズムにつながるならば多文化社会の維持にマイナスとなってしまう。
以上の点を考えると、多文化主義教育や政策により、社会における価値や文化の多様性を認識し、それを相互に尊重しつつ、可視的な形で論争を行ない、しかも最終的には個人が自分自身の文化的アイデンティティを選択的に形成できるような社会作りが必要かと思われる。しかし選択の背景には各文化集団間の社会経済的不平等の問題があるので、社会的に成功するために「主流社会」の価値観に合わせてゆく「選択」をせざるを得ない場合が多いことと考えられる(ヒスパニック系児童を抱える親が、「バイリンガル教育」よりも「イングリッシュ・イマ−ジョン教育」を選択するケースなど)。このような問題はアメリカに限らず、日本を含む多くの社会が直面している問題であり、国内における文化間の権力関係により敏感になることが必要である。
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