2002/12/5 アメリカ社会概論 8.犯罪・銃・ドラッグ規制とアメリカ社会
1.犯罪とアメリカ社会
国際比較では、日本は凶悪犯罪発生率が比較的に低く、検挙率が高いのに対して、アメリカは発生率が高く、検挙率が低い。しかしアメリカ国内の統計を比較すると、この20年間では犯罪は減少傾向にあり、2000年と2001年を比べると微増したが、ピークだった1992年と比べると、約30%減少している。日本(2001)は、殺人はピークの1976年に比べると63%で、強姦はピークの1972年の48%と比較的低い水準を維持しているが、強盗は1989年の約4倍、強制わいせつは1986年の約4倍、自動車盗は1996年の約2倍と急増している。放火、誘拐件数は30年間ほぼ変化してない。
殺人やレイプなどの凶悪犯罪の発生率が先進国の中ではアメリカが高い理由としては(−窃盗などは他の国と比べて特に高くない−)、@銃やドラッグ規制が不徹底であること、A検挙率・解決率の低いこと、B目的のために手段を選ばない文化的要因などが指摘されている。ただし犯罪統計については、暗数(dark figure−警察に被害届を出さない件数)も考慮に入れないといけない。
表1 過去12ヶ月にあなたや家族に起こった事件は?(%)(ギャラップ社、2002年11月)
2002 |
2001 |
2000 |
|
・家や車、財産を荒らされた ・お金や物をとられた ・家やアパートに侵入された ・車を盗まれた ・誰かに暴力をふるわれた ・ 強盗にあった ・性的暴行をうけた ・警察に届けていない |
15 |
11 |
12 |
<犯罪解決率の問題点>
2001年度の数字では、窃盗・盗難事件では16.2%、殺人事件で62.4%、暴行傷害事件で56.1%、強姦事件は44.3%、強盗は24.9%の解決率。逮捕の約3分の2は起訴に至らない(←この点については陪審制の問題点を指摘する声もある)。
犯罪の原因に対する見方としては、@社会が正しい価値観を伝達するのに失敗しているとする立場(→犯罪・逸脱行動には厳罰などで対処すべきとする)、A貧困、人種差別、教育機会の不均等など社会経済的な構造的要因を強調する立場(→社会問題の解決にこそ重点をおくべきとする)立場がある。また今後の犯罪については、@警察行政の改善、好況、警察人員の増員、ベビーブーマーの高齢化、刑務所収容人数の増加により、犯罪率が低下するという楽観的見方と、Aドラッグやヘイトクライムの増加、若年犯罪の増加、ホワイトカラー犯罪の増加、かならずしも犯罪の減少につながらないとする悲観論がある。
表2 「刑務所・矯正施設の主な目的は犯罪者を罰することだと思いますか?それとも更生させることですか?」1971−1993(はいと回答した%)
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1971 |
1976 |
1980 |
1989 |
1993 |
罰 |
15% |
21% |
32% |
38% |
61% |
J・Q・ウィルソンとジョージ・ケリングの「割れ窓理論」(James Q. Wilson and George L. Kelling, “Broken
Windows: The Police and Neighborhood Safety.”
Atlantic Monthly, March 1982, 29-38)「建物の窓が壊れているのを放置すれば他の窓もまもなく全て壊れるだろう」
→ネイバーフッドの物理的崩壊を放置すれば社会的崩壊につながる。→ニューヨーク、ボストンなどの大都市での凶悪犯罪の低下はこうしたコミュニティ警察による改善策が功を奏した。(日本の「交番(派出所)」制度や巡回制度を参考にする自治体も現われてきた。一方、日本の検挙率の「高さ」は日本の警察の市民生活への浸透度の深さを示すものという批判もある)。
2. 警察・刑事行政における政府間関係
アメリカで警察行政の中心はミュニシパリティ(60%)。カウンティが30%、州は10%程度。国家反逆罪、貨幣偽造、誘拐、銀行強盗、ハイジャックなどは連邦犯罪(federal crime)でFBI(=連邦捜査局、合衆国司法省の捜査部門)が担当、また公民権・人権関係事件もFBIが担当している。
連邦政府の州・地方政府に対する援助−1968年の法執行援助援助局(Law Enforcement Assistance
Administration)−1970年代には多額の資金を州・地方警察に援助
しかし80年代のレーガン・ブッシュ政権期には援助を大幅カット。
クリントンの「犯罪法」→88億ドルを警察官新規採用資金として、79億ドルを刑務所建設費として援助。
サイバー犯罪の増加により連邦政府の役割はますます高まっている。
2001年9月11日の同時多発テロ事件→FBIは銀行強盗よりも国際テロ対策などに重点をおくべきだという議論が高まり、また空港警備を連邦政府管轄下に置くことも提唱された。→犯罪の広域化・国際化で、広域的捜査協力が管轄争いよりも重要になっているが、その反面、警察行政をめぐる政府間関係は連邦最高裁判決に大きく左右されている。
<ウォーレン・コートの一連の判決>
「マップ対オハイオ事件 Mapp v. Ohio, 367 U.S. 643 (1961) 」−正当でない捜査手続きで得られた事実や証拠物件は裁判で採用されないとした判決。
「ギデオン対ウェインライト事件 Gideon v. Wainwright, 372 U.S. 335(1963) 」−死刑に相当する以外の重罪で起訴された者にも経済的に余裕がない場合は、州は公費による弁護人依頼権を付与しなければならないとした判決。
「ミランダ対アリゾナ事件 Miranda v. Arizona, 384 U.S. 436(1966) 」−連邦最高裁は、警察は被疑者に対して彼らの有する権利−黙秘権、発言が法廷で不利な証拠として用いられうること、弁護人選任権−を告知する義務があると判示し、犯罪の合理的容疑がない限り、人を停止させ、所持品検査をしてはならないとした判決。犯罪捜査の「ミランダ・ルール」として確立することになった画期的判決。
←こうした一連のリベラルな判決が犯罪者の権利を過度に擁護し,起訴を難しくしたという批判もある。「1960年代から70年代にかけて最高裁の諸判決により、連邦、州および地方自治体が、嫌がる個人に対して多数派の道徳基準を強制することは一層困難になったのである」(M・L・ベネディクト、『アメリカ憲法史』)
→近年の最高裁判例では疑わしいものに対する所持品検査や令状なしでの車のトランク検査を合法とするものも出てきている(例えば「合衆国対ロス事件 United States v. Ross, 456 U.S. 798 (1982)」−ドラッグなどを運んでいると疑われる根拠があれば警察官は捜査令状なしで車全体を調べることができるとした−)。
また<レーンキスト・コートでの判決>「合衆国対ロペス事件」(1995)−連邦法の「学校区域銃規制法(Gun Free School Zones Act of 1990)」を、「学校周辺での銃の所持は州際通商に影響する経済的行為とは言えず、違憲である」と批判し、同法で起訴されたテキサス州の高校生の有罪を破棄した控訴裁判所の判断を支持。→依然として「連邦制の原則」により、犯罪規制が制約されることも少なくない。
しかし州によって政策や法体系が異なることは必ずしもネガティブに捉えられるものではなく、州ごとに様々な政策を試行錯誤して、互いに影響を与えあう「デモクラシーの実験室 Laboratories of Democracy」(David Osborne, 1990)として機能してきた面もあり、実際、1980年代には州政府が環境規制などで連邦をリードしてきた。
3. アメリカ民主主義と銃規制
合衆国憲法修正2条−”A well regulated Militia, being necessary
to the security of a free State, the right
of the people to keep and bear Arms, shall
not be infringed.”−は、ヨーロッパ絶対王政の常備軍に批判的だった建国の父たちが、(必要に応じて)民兵を組織すべきだと考え、導入された、18世紀的な性格が強い規定である→しかし実際にはアメリカは世界最大・最強の常備軍をもつ国家に成長、「修正2条」は、銃規制に反対する全米ライフル協会(NRA)などのガン・ロビーや、連邦政府に反対する白人至上主義団体militiaの法的拠りどころとなるという皮肉な運命をたどった。
2001年のギャラップ社の調査では、54%のアメリカ人が銃規制の強化に賛成、14%が銃規制の緩和を支持→「中絶」問題のように国論は二分しておらず、政治的に強力なガン・ロビーと、政治的に組織されていない弱い世論が対立しているという図式である。
しかし未成年者や犯罪者が銃を入手できないようにすべきだと考える市民が多い反面、「法を守る市民law-abiding citizen」が自分や家族を守る権利があるという考えもまた根強い(→犯罪率の上昇が必ずしも銃規制の支持率アップにつながらない)。<例>フロリダ州の1987年法−21歳以上で、犯罪・精神科への通院歴がなく、一定の講習を受講すれば誰でも携帯用小銃の所持許可証を申請することができる→論議の的に、しかしフロリダでその後殺人件数が必ずしも増えなかったという反論も。
1992年 日本人留学生・服部君射殺事件(ルイジアナ州バトンルージュ)
1993年ブレイディ法(1994年から施行)−拳銃購入に際して5日間の「待機期間」を設け、その間に警察による素性調査を義務付けた。
1994年包括的犯罪防止法−19種類の攻撃型ライフル銃を販売禁止に→これらの連邦法により、今までは州ごとに銃規制していたのが、全国的な基準で規制できるようになった。
1997年「プリンツ対合衆国事件判決(Printz v. United States, 521 US 98)」→5対4で、ブレイディ法が義務付けた「素性調査」は、修正10条(州の留保権限)及び州際通商条項違反であると判断(→しかし以後コンピューターによる全国データベースの構築により「素性調査」の問題は技術的にはクリアされた)。
1999年コロラド州デンバー郊外のコロンバイン高校での高校生による銃乱射事件(13人射殺)→94年法、コロラド法でも禁じられた自動ライフルによる事件→銃による悲劇であると同時に銃規制の限界を示した事件でもある。
ブッシュ大統領はテキサス州知事時代からNRAに近い立場であるが、積極的に銃規制の強化や緩和を行なう可能性は高くないと思われる。
4. 死刑政策
1935年だけで諸州は199人の死刑を執行
1972年「ファーマン対ジョージア事件判決」−州による死刑執行は恣意的、人種差別的、残酷で違憲だとした。しかしその後の「グレッグ対ジョージア事件 Gregg v. Georgia, 428 U.S. 153 (1976)」では、連邦最高裁は7対2で「謀殺罪に対する死刑宣告自体は『残酷で異常な刑罰』には当たらない」として合憲と判断するなど司法判断も揺れており、レーンキスト・コート(1986〜)では、知的障害者や未成年者に対する死刑の適用も合憲とする判断を示している。
現在は38州が死刑を含む法律が有している(32州が薬物注射、10州が電気椅子、5州がガス室、3州が絞首刑、アイダホ、オクラホマ、ユタ州では銃殺隊による銃殺などの方法が取られている(複数の方法を採用している州もある)−2001年現在で全米で約3700人の死刑囚がいる。
しかし倫理的見地に加えて、経済コストの観点からも死刑は問題視されている。例 フロリダ州では死刑執行一人当たり320万ドルかかる(訴訟費用なども含めて)。
人種問題−黒人は総人口の13%だが、死刑囚の42%を占め、1977年以来、死刑執行されたうちの35%を占めている。白人を殺害した黒人は死刑判決の出る可能性が高い。死刑判決が下される女性は2%以下で、執行率はさらに低い。
犯罪抑止効果の高い刑は「すばやく、確実に執行されること」が要件→死刑は必ずしもその要件を満たさないという批判がある。「報復(retribution)」の側面も強い(2001年のティモシー・マックベイの死刑執行のテレビ中継など)
5. ドラッグ規制
逃避的行動―ロバート・マートンによれば、「ある社会における支配的な文化的目標とその目標を達成するための制度化された手段の両方をともに放棄すること」(『社会理論と社会構造』)e.g. 自殺、家出・蒸発、アルコール中毒、薬物乱用→目的志向性が強く、物質的成功や競争原理を重んじるアメリカ社会では同時にドロップアウトを生み出しやすい(また自覚しやすい)社会でもある。
社会的なストレスを「発散」させる嗜好物のうちで、合法的なアルコール、タバコとドラッグ類の線引きをどこでするのか?(反復性、依存性、犯罪などの逸脱行動の誘発性、組織犯罪との関係etc)→日本人は体質的にアルコールに酩酊しやすく、また比較的アルコールに寛容な社会であるため、ドラッグに対する厳しい輸入規制と並んで、アルコール類がドラッグの社会への浸透を防ぐのに役立っているという指摘もある。
1960年代初期までは、マリファナ、ヘロインすべてに対してアメリカ国民は不寛容であった→1960年代半ばに ハーバード大学ティモシー・リアリー博士の行ったLSDの実験や前衛芸術家やアーティストによるサイケデリック・ドラッグの使用や、公民権運動やベトナム反戦運動でのマリファナ使用などが、ドラッグ=サブカルチュア、カウンターカルチュアとして容認されるムードが出てきた。
<薬物政策の展開>
1914年ハリソン法−薬物規制に関する最初の連邦法、薬物を取り扱う輸入業者、製造業者、薬局、医者を許認可制とし、医者は薬物中毒者には薬物を処方できないことになった。
1937年マリファナ税法−マリファナの税率を大幅に引き上げることで事実上入手できなくした。
1938年食品・医薬品・化粧品規制法−医師の処方を必要とする薬物とそうでないものを区別、また一般販売前に毒性テストを義務付けた。
1970年包括的薬物乱用防止・管理法 薬物をスケジュール(一覧表)で分類→マリファナ、ヘロイン、LSDはすべてスケジュール1(中毒性が高く医学的価値が低い)、コカインは2(医薬的価値もあり)、3、4、5は乱用の危険が低いもの。
<ニクソン政権の対麻薬政策>@国際的な麻薬ルートを断つことで薬物を入手困難にする(トルコ、メキシコ、フランスなどのヘロイン・ルートの摘発)、A 国立薬害研究所を設置して,中毒者の治療・教育を行なう。→国内の下層階級の薬物中毒者には犯罪防止・医療管理を行ない,中産階級のマリファナ使用には教育や予防措置をとった。
1973年 司法省に麻薬取締局(Drug Enforcement Administration)設置。
しかしその後のフォード、カーター政権はマリファナ容認の方向
1976年 18から25歳の若者の25%、12−17歳の少年の12%が過去一ヶ月にマリファナを使用→1979年にはそれぞれ35%、17%へ急増。議員たちも子弟のマリファナ使用により、厳罰主義に二の足を踏んだ。
1979〜85年にはマリファナ吸引率はそれぞれ21.8%、12%へと低下
<レーガン政権の対麻薬政策>
1984年犯罪管理法 麻薬の売人のみならず薬物所持違反者も後半まで拘留できるようにし、また罰金も増額した。
「ゼロ・トレランス」政策
80年代後半からクラックが流行、麻薬使用が中産階級から下層階級に拡大→クラックを扱うギャング間の抗争の激化、クラックを買うための売春の増加、中毒母親による子供の遺棄、クラッカーズ・ベイビーの誕生などの社会問題が生ずる。さらに薬物を静脈注射する男女にHIV感染が広がった。
オランダの「寛容」な政策 |
1986年薬物乱用防止法−@マリファナ販売を懲役刑に、Aいわゆる「デザイナーズ・ドラッグ(合成麻薬)」をスケジュール1に指定して規制、B マネーロンダリングの規制
1988年 薬物乱用防止法に基づいて、大統領府に国家薬物管理政策局(Office of National Drug Control Policy)設置
強硬な薬物取締策→刑務所が受刑者で飽和状態に。州財政の負担に。またマイノリティ貧困層をターゲットにした摘発も問題に
1990年犯罪管理法−麻薬取り締まりを強化する州や都市に連邦補助金を増額、文教地区や田園地区での薬物取り締まりの強化
十代のドラッグ使用の実態−クラブ・ドラッグ「エクスタシー(MDMA)」やGHB、ハルシオンなどの悪用→教育現場でも「ゼロ・トレランス・ポリシー」が重要に
・ドラッグの普及とドラッグの「回し打ち」によるHIV感染率の上昇→公衆衛生の点から「注射器交換(needle exchange)」制の導入が検討され始めた(コネティカット州ニューへブン市、ワシントン州タコマ市などで実施され、一定の効果を上げる)→しかしドラッグ容認という社会的メッセージを公共機関が発しているととられかねないので多くの自治体ではまだこの制度は採用されにくい状況にある。
・ドラッグ規制では、国際刑事警察機構(インターポール−178ヶ国が加盟)との連携が重要(主に情報提供、麻薬ルートの解明など)
ブッシュ政権のドラッグ政策(2002.2発表のNational Drug Control Strategy)−全体で192億ドルの予算−@ドラッグ・フリー・コミュニティ支援に1000万ドル追加支援、A薬物依存者治療に38億ドルの予算を計上(2003年度予算案)、Bドラッグ取引・市場の壊滅、・ドラッグに関わる入国管理の強化に23億ドル、Cボリビア、ブラジル、コロンビア、エクアドル、ペルー、ベネズエラなどの対米主要麻薬輸出国からの流入対策に73.1億ドル→新たな立法や対策をたてるというよりも既存のプログラムに予算を増額して機能させるようとするのが中心である。
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