2002/12/12 アメリカ社会概論 9.多宗教・多宗派社会アメリカの現状と問題点
1. 多宗教社会アメリカにおける寛容と不寛容
アメリカは世界のキリスト教国の中でもとりわけ信仰心の篤い国とされ、宗教が今なお市民生活や政治に大きな役割を果している。1620年にボストンの南にあるプリマスにメイフラワー号に乗って到着したピルグリム・ファーザーズは、イギリス国教会に反対して、新天地を新大陸に求めざるを得なかった会衆派(組合派 Congregational churches)の人々であり、その意味ではイギリスにおける「宗教戦争」の「敗者」であった。そうした歴史的経緯から、合衆国憲法では、「宗教的寛容」の精神を修正第1条「国教樹立禁止」条項で表明し、移民国家アメリカを支える基本原理となっているが、アメリカ国家建設過程で、先住民の信仰が抑圧されたことに始まり、新移民の流入とカトリック差別、反ユダヤ主義から最近のイスラム教徒に対する反発など、常に宗教対立を抱えてきた。
9月11日同時多発テロに対する反応−「テロの責任は誰にあるか?」に対する見方
@「神が起こした」−キリスト教原理主義者
Jerry Falwell(80年代前半に「モラル・マジョリティ」という団体を率いていた、キリスト教右翼−fundamentalist−のテレビ伝道師)
「テロは、アメリカ社会における異教徒、政教分離論者、中絶手術提供者、フェミニスト、同性愛者に対する神の怒りのメッセージである」
Pat Robertson(80年代末から、代表的なキリスト教右翼団体「クリスチャン・コアリッション」を率いてきた、テレビ伝道師)
「アメリカ社会は神を侮辱しつづけてきたので、神は保護の手を引き上げてしまった。いったん神の加護がなくなってしまえば、自由社会のアメリカは攻撃に対して脆弱である」
A「イスラム原理主義のテロリストが起こした」−アメリカ政府、アメリカ国民の大多数
B「イスラム諸国全体の責任である」−Toward Traditionなどの保守系ユダヤ教団体
C「全てのイスラム教徒に責任がある」−アメリカ人の中のごく少数派
「福音派(evangelical Christian)」の見方
回答 |
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天国に行くまでわからない |
21 |
出典 Christian Today誌調査(2001.10.4)
→「キリスト原理主義者」と呼ばれる人々も、伝道師ではない一般信徒はテロについて、比較的現実的な見方をしている。「宗教的」な見方は29%に過ぎない。
・同時多発テロ後のアメリカ人の宗教認識についての世論調査(Pew Research Center, 2002.3)→イスラム教徒に対してよりも「無神論者・無宗教者」に対してのほうが非好意的。しかし「福音派」の人々はイスラム教徒に対して厳しい見方を示している。
<アメリカにおける宗教分布>
<主流派教会(mainline church)>−プロテスタントで、「アメリカ合衆国全国教会協議会(NCCCUSA)」に所属する36団体。各派の特徴を簡潔にまとめると
@監督派(聖公会 Episcopal Church)−イギリスでは国教会(アングリカン・チャーチ)と呼ばれる。ピューリタンが移住したマサチューセッツとは違い、ヴァージニア植民地では国教徒が主流派であった。いわゆるWASPの中でも最もステイタスが高いとされる(ブッシュ家も含まれる)。
A会衆派(Congregational Church)−ニューイングランド植民地を形成したピューリタン。もともとはカルビン派。
B長老派(Presbyterian Church)−スコットランドで創設されたが、アメリカではフィラデルフィアで始まり、独立戦争で大きな役割を果した。また代議制民主主義にも示唆を与えた。教義もプロテスタント諸派で最もリベラル
Cメソジスト派(Methodist Church)−英国教会派から分離独立。独立革命時は微力だったが、20世紀中番に最大のプロテスタント教派に成長した。
Dルーテル派(Lutheran Church)−ドイツ系移民が中心となって始まる。「福音」重視
Eバプティスト派(Baptist Church)−幼児洗礼を認めず,成人の全身を浸す洗礼(immersion)を信じるカルビン派
こうした主流派教会の教会員数は長期低落傾向にある。←1960年代の公民権運動期、牧師の多くが公民権運動や反戦運動に参加し、世俗問題と宗教を分離しようと考える教会員や、政治的に保守的な教会員の離反を招いた。
しかしNCCCUSAは連邦議会に対して、福祉予算の増額、ODA予算、難民救済政策の改善、フードスタンプ制の改善などを働きかけるリベラルなロビー団体として現在も積極的に活動している。
<福音派(evangelical)>1.「救われた」「再生した」という宗教経験をもつ、2.積極的に伝道を行なう、3.聖書を字義通りに解釈しようとする人々。福音派はキリスト教徒の中では「保守派」として捉えられるが、さらに積極的に政治運動を展開する人々を「ファンダメンタリスト」と呼ぶ。
<ファンダメンタリスト>−1970年代後半以降、福音派の政治化が急速に進んだ要因として、@1960年代以降、対抗文化が台頭し、それに伴って許容的社会となったこと、A 南部のサブカルチュアとしての福音派が危機に瀕したこと、B 福音派の神学者の啓蒙的著作がベストセラーになったこと、Cテレビ伝道が活発化したこと、D最高裁が公立学校での祈りの禁止や中絶合法化などリベラルな判決を連発したこと、Eウォーターゲート事件により政治におけるモラルの問題が関心を集めたこと、F カーター、レーガンと福音派の大統領が続いたこと→いわば社会のリベラル化に対する反動として台頭したのがこうしたキリスト教原理主義者である→1980年代のカーター・レーガン・ブッシュ政権期に政治的影響力を発揮し、「保守化」が80年代以降のアメリカ政治の基調となった。→しかし世論は、教会が特定候補者を政治的献金をしたり、教会が政治活動することに否定的であり、また「原理主義」的発想自体、アメリカの個人主義的リベラリズムに反するので、比較的少数の支持者以上の支持は得られないだろう。
<モルモン>−1830年にニューヨーク州で始まった新教派で、一夫多妻制の実践などで社会から反発を買い、1847年以降、ブリガム・ヤングに率いられて、ユタのソルトレイクシティへ「神の国」の建設を目指して移住した。当初はカルト的色彩が強かったが、20世紀になるとアメリカ国家へ恭順し、一夫多妻制などを放棄、厳しい戒律で、家族、勤勉、愛国心、禁酒などを重視し、他のキリスト教保守派に近い教義になっている。
<ローマ・カトリック教会>
アメリカにおけるカトリック人口は、19世紀初頭の東欧・南欧から「新移民」流入時に急増したが、当時の「禁酒法」運動がプロテスタント系団体が中心になったことに見られるように、カトリックとプロテスタントの文化戦争はアメリカ社会の一つの流れとなり、ローマ法王に忠誠を誓うと考えられるカトリックは、しばしば差別や排斥に対象となり、1960年に初のカトリック系大統領であるケネディ政権の誕生まで続いた。カトリックは、民主党の強い支持基盤であったが、近年は、ヒスパニック系や、フィリピン、ベトナム、韓国系移民のカトリック人口が増えており、カトリックが伝統的に掲げてきた、中絶禁止、同性愛禁止などの争点ではむしろ共和党が政策的に近い面もあり、共和党投票者も増えてきている(特にヒスパニック系)
2.アメリカにおけるイスラム教
アメリカで約700万人のイスラム教徒が暮らしているが、世論調査で見るように平均的アメリカ人にとってイスラム教徒のイメージが必ずしも悪いわけではない。しかしメディアの注目を集めるのは、国際テロ活動に従事しているイスラム原理主義団体(2001年のテロ事件以前にも、93年に同じ世界貿易センターでの爆弾事件や96年のTWE機墜落事件などがあった)と、ブラック・ナショナリズム団体である、「ネイション・オブ・イスラム」である。
・移民によるムスリム人口は主にアラブ系移民と、旧ソ連邦からの政治難民、中東・北アフリカ・南アジアからの留学生の帰化、ソマリアなど内戦地域からの難民などで構成される。アメリカ国内に約2000のモスクがある。
・ブラック・ムスリム−公民権運動ではキング牧師らの南部バプティスト教会が大きな役割を果したが、その後の社会経済的地位の改善が順調でない黒人たちの間で教会離れが進み、イスラム教信者が急増した(アメリカのムスリム人口の25%を占めている)。
ネイション オブ イスラム−イスラム系黒人ナショナリスト団体、1930年代に結成、イライジャ・ムハンマドが50年代に発展させ、マルコムXも所属して、団体の知名度が上がった。1978年にはルイス・ファラカンが指導者となり、黒人分離主義・反ユダヤ主義・反白人主義などを掲げている。1995年にはワシントンへの集結を呼びかけた「黒人男性100万人行進」を実現した。
3. アメリカにおける政教分離をめぐって
合衆国憲法修正1条の「国教樹立の禁止と宗教活動の自由」条項について、厳密な解釈が行なわれるようになったのは、ウォーレン・コート以降である。
「エンゲル対ヴァイテイル事件 Engel v. Vitale, 370 U.S. 421 (1962)」−ニューヨーク州の公立学校で毎朝始業時に、生徒に「全能なる神よ、私たちはあなたに依存していることを認めます。私たち、両親、先生たち、わが国に祝福を与えてください」と唱えさせていたのは明らかに宗教的行為であり、修正1条の「国教樹立禁止条項」に反するとした
「アビントン学校区対シェンプ事件 School District of Abington Township v.
Schempp, 374 U.S. 203 (1963)」
公立学校で聖書の一部を朗読し祈祷を斉唱することを命じたペンシルベニア州法が修正1条に違反していると判断した。公立学校での宗教的教育を事実上、不可能にした両判決は宗教右派を中心とする保守派の猛反発を招き、この判決を無効にする憲法修正を求める政治運動や法廷闘争が活発になった。
「レモン対カーツマン事件 Lemon v. Kurtzman, 403 U.S. 602 (1971)」
教会系学校教員への公的補助を「違憲」とした判決で、修正1条の「国教樹立禁止」条項に関して、政府の宗教に対する補助が違憲かどうかを判断する基準として、@法律は世俗的な立法目的を有してなければならないAその主たるないし主要な効果が宗教を促進し、あるいは抑圧するものであってはならないB法律は『政府の宗教との過度の関わりあい』を促進してはならないの三つの基準から判断すべきだといういわゆる「レモン・テスト」を確立した。
このように政教分離は学校教育をめぐって争われるケースが多く、
@ 宗教系学校への公的助成の是非−バウチャー制やチャータースクールの導入によりさらに問題化
1993年「ゾブレスト対カタリナ・フットヒル学校区事件(509 US 1)」−カトリック系高校に通学する学生に、「障害者教育法」に基づく手話通訳者を州の費用でつけることの合憲性が争われた裁判で、連邦最高裁は、「世俗的目的」であるとして合憲とした。
2002年7月「ゼルマン対シモンズ−ハリス事件」−オハイオ州クリーブランド市の「バウチャー制」で、バウチャーが宗教学校として使われることも合憲として認めた。
A ホームスクーリングの是非(進化論論争などと絡めて)
B 公立学校における礼拝の是非
1992年「リー対ワイスマン事件(505 U.S. 577)」−公立学校の卒業式での祈祷は違憲と判断。
興味深い判例として、「オレゴン州人材局雇用部対スミス事件(494 US 872)」がある。−原住民教会で使用する「ペヨーテ」という薬物をしようし、解雇され、「非行」を理由に失業保険を支給されなかった男性が州の行為は修正1条「信教の自由な行使」に反すると訴えた裁判。連邦最高裁は、多宗教国アメリカで、これを認めると義務兵役制度、納税、故殺や子供遺棄に関する法律、強制予防接種、薬品法、最低賃金法、児童労働法、動物虐待法、人種機会均等法など全てが争いの対象となるが、修正1条はそれを要求するものではなく、『なじみの薄い宗教実践には不利かもしれないが、一人一法よりはその道を選ばなければならない』」として州の判断を合憲とした。
日本国憲法 第20条は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない。何人も宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない」と規定している←アメリカ憲法よりストレートな文面で(−アメリカでは「信教の自由」修正条項が1998年、連邦下院で否決された−)、誤解の余地がないようだが、地鎮祭訴訟や、靖国「公式」参拝問題、私立学校への公的助成など厳密にこの条項を解釈すると「違憲」の可能性が高い事例が多い。
<むすびにかえて>
宗教は、伝統文化と人々の根源的な価値観と結びついているため、容易に変えることができないものであり、また「政教分離」というリベラリズムの原理を立てても、政治も宗教もある価値観に基づいて社会的目的を実現するという共通性があるので、結びつくことが多い。アメリカの学校では、宗教に基づく休日をとることを認める事例が多く、宗教的ダイバーシティの配慮を行なっているが、アメリカの政治社会システムがキリスト教的伝統や価値観にのっとっている側面は否めない。イスラム教などキリスト教的価値観と異なった宗教的価値観とどこまで共存してゆけるのかにアメリカ的宗教的「寛容」の行方がかかっているが、銃規制などの事例と同様にvocal minorityがsilent majorityの声を覆い隠してしまう側面もあるので注意が必要である。
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