アメリカ社会論特殊講義(4.19)

heuristic approach(問題発見型アプローチ)によるアメリカ都市論を目指す。

2.農村デモクラシーから都市デモクラシーへ−アメリカ都市の発展−

「小規模ということと多様性ということは、確かに同義語ではない。都市企業の多様性はあらゆる大きさを含んでいる。しかしながらすぐれた多様性というものは、小さな要素の高度な調和を意味しているのである。都会の中で展開される生き生きした光景は、小さな様々な要素の莫大な量にわたる集合のおかげで生き生きしているのである。」(J.ジェイコブズ著・黒川紀章訳『アメリカ大都市の死と生』鹿島出版会、1977、p.169)

2.1   都市と都市化の「定義」

Wirth, Louis. 1938. “Urbanism as A Way of Life.” American Journal of Sociology

都市の生態学的定義

都市を産業や近代化の度合いで捉えるのではなく、人口規模の大きさ、人口密度の高さ、社会経済的異質度の高さの3要素から捉え、大都市がいかに社会的に解体されるのか、またコミュニティをどう再生するかを動態的に捉えようとした。

都市の発展段階

 

成長期

都市化

絶対的集中





相対的集中

郊外化



相対的分散

 

 

絶対的分散

衰退期

逆都市化(ポスト郊外化)
絶対的分散

 

 

相対的分散

中心人口

++

− −

郊外人口

++

都市圏人口全体

++

(Klassen and Paelinck. 1979. “The Future of Large Towns.” Environment and Planning.)

 

@農村から都市への集中→A大都市圏の形成→B郊外への人口分散→Cスプロール化・中心都市の人口減少→D都市圏全体の人口減少→E郊外の人口減少・都市圏自体の人口減少(ポスト郊外化)

 

2.2   アメリカ都市の発展

 

表参照

 

1790年のアメリカ 人口1〜2.5万 ボストン、チャールストン、ボルティモアの3都市

         人口2.5万以上 フィラデルフィア、ニューヨーク

農村デモクラシー(agrarian democracy)を夢想したトマス・ジェファソン

アメリカ人がヨーロッパの場合と同様に大都市に集住すれば、ヨーロッパの場合と同様に腐敗する。デモクラシーは、たくましい独立した農民が住む、腐敗していないアメリカの荒野でのみ栄えうると考え、アメリカ・デモクラシーがよってたつ、農村的基礎を破壊するという理由で都市や商業の成長に反対した。−人口同質的でコンサンサス指向型の、「小さい政府」による共和制を目指した。

1920年代の都市化

1930年までにニューヨークの人口は700万人に達し、1920年代だけでシカゴは人口の25%増加し、350万人に達した。フィラデルフィア、デトロイト、ロス・アンジェルスなどの大都市も120から150万に達した。1920年までにニューヨーク人口の36%が外国生まれの人々で構成され、ボストン、フィラデルフィア、シカゴ、ピッツバーグ、デトロイト、クリーブランド、ミネアポリス、ミルウォーキー、サンフランシスコ、ロスアンジェルスなどの都市では20%移住が外国生まれの人口であった。(この時期の移民は、イタリアなどの南欧、ポーランドなどの東欧からのラテン系、スラブ系、ユダヤ系の、カトリックやユダヤ教徒が多く、WASPからの差別などの問題に直面した)。

1924年の割当移民法で、その時点での民族構成比に従って、移民を制限(移民受け入れを年間15万程度)

またアメリカ南部から北東部、中西部の大都市へ黒人が移住し、またメキシコから南西部の都市への移住が相次ぎ、人種問題が生じたのもこの時期である(KKKの全米レベルでの台頭や、ヒューストン(1917)、フィラデルフィア(1918)、ワシントンDC(1919)での人種暴動などもその現れである)。→学校、居住地域などの法的差別から住宅、雇用、投票などの「非公式」差別まで様々な問題が持続することになった・

→文化や習慣、社会経済的背景や地位の相違を前提とした大衆都市デモクラシーの模索へ

cf. ボス政治と市政改革

→白人VS マイノリティ、中産階級VS下層労働者階級、中心都市VS郊外都市といった対立軸が、さまざまな政治経済的文脈で現れることとなった。

1920〜1975年の都市化

西部の諸都市はアジア系移民、ヒスパニック系移民を受け入れて、人口急増。 表参照

現在の移民パターン 2900万人のヒスパニック系移民(メキシコ、プエルトルコ、キューバで5分の4)

その他の移民パターン→表参照。

アメリカにおける都市化・郊外化の展開

@      20世紀のアメリカにおいては、8割が都市人口に分類されるに至った。

A      大都市圏の成長(metropolitan growth)の3大要因は、農業生産力の向上、自動車などの交通手段の発達・技術革新、死亡率の低下である。

B      1840年から1920年にかけてのアメリカ人口の都市化は、ヨーロッパ(特に中欧・南欧)からの移民、西部開拓、そして全国経済の成立によって促進された。

C      1920年から1975年にかけての、アメリカにおける大都市圏の発展は、人口の西部への移動と郊外の発展をその特徴とする。1950〜1960年代にかけては、Dual Migration と呼ばれる、所得や社会経済的地位の相違に応じた人口移動が見られた。つまり中上流の白人は中心都市を脱出し、農村の黒人、ヒスパニック、アジア系、貧困白人層が中心都市に移住した。

D      1980年代末から1990年代全般にかけて、都市の脱産業化が進んだ。つまり旧来の鉄鋼や自動車産業を基盤産業とした北東部や中西部の都市では産業構造の転換により失業率が上昇した。また中心都市の再活性化の動きも見られ、都市再開発ブームやジェントリフィケーションなどの現象も見られた。

E      こうした都市化の政治的含意としては、アメリカでは都市化が特に民間主導で進んだため、人種的・社会経済的住み分け、差別(residential segregation)が進行したこと、大都市、とりわけ中心都市では貧困の再生産により、社会的上昇移動(upward social mobility)のチャンスが極めて限定されたことなどがあげられる。