資  料
 
[単配列と多配列]
 
1974 Remarks and Inventions
 
1  「こうした過ちの中でも最も重大なのは、クラスを不適切に概念化すること、すなわち、 クラスというのは何らかの共通の諸特性、あるいはおそらくたった一つの特性でもいい が、それらを持っているいくつかのモノの集まりであるという概念化に執着してきたこ とである。さらには、共通のものは、特別なあるいは本質的な特徴と考えられ、この特 徴が経験的な用語で表現されてきたのである。」(p68)
 
1975 Polythetic Classification(Man 10)
 
1  Sokal and Sneath 1963 Principles of Numerical Taxonomy からの引用:「単配列的グループ という概念を貫いている着想は、それらのグループが厳格で連続する論理的区分によっ て構成されているということであり、共通(unique)の諸特徴を持つということが、定義 されたグループへの必要十分な成員権となっているということである。それらは単配列 と呼ばれ、決定的な特徴が 共通(unique)しているから、と説明される。多配列的なや り方は、どの一つの特徴も集団成員権にとって本質的でもなければ集団の成員になるた めに十分なものでもないが、最大多数の共有(shared)特性を持っている諸有機体を一緒 にする」(p356)。
2  Lockhart and Hartman 1963 Formation of monothetic groups in quantitative bacterial taxonomy  からの引用:「それゆえ多配列的グループは相互に排他的ではなく、また、現在の分類 における階層的なタクサに理論的に類似しているわけでもない」(p356)
3  Mayr 1969 Principles of Systematice Zoology からの引用:「個々の成員が一連の特徴の大 半を持っている」場合が多配列である(p357.362)
4  多配列概念を社会人類学に持ち込むことで、比較は困難になる。ラベルは単配列なのに そのラベルが指し示す現実は多配列だからうまく行かない。しかしラベルを、実質的な 性質のものから形式的な性質のものへ変換すれば、この問題が解決する。alternation,   transitivity, complementarity, symmetry などの relational concepts による比較は有用(p365)
5  「・・・多配列的な見方を、フィールドにおける実際の記述や民族誌的報告についての 学術的な議論から排除することが出来るとは考えていない。それら多配列的な見方なし ですませることの出来るところというのは、形式的で論理的な用語法の工夫の中におい てである」(p366)。
 
1979(1993) 『象徴的分類』(Symbolic Classicifation)
 
1  「西洋哲学におけるクラスの伝統的な定義によると、あるクラスは所属する諸要素のす べてが少なくとも一つの特色を共有している。まさしくこの類似という点で、いくつも の個体はそのクラスに所属する。極端な場合においては、置換の原理が適用される」(p85)
2  「18世紀にフランスの植物学者ミシェル・アダンソンが、一つの植物のクラスの要素 はそのクラスのすべての特性をもつとは限らないことと、それから外れた標本も別のク ラスに所属させる必要がないことを主張した。事象は共有される最も多い特性によって まとめられ、その特性における重要性の度合いをあらかじめ決めることは正しくないと いうのである」(p88)
3  「一つの例として、五つの特性によって定義される五つの個体についてみる。各個体が 五つの特性のうち四特性を共有することができ、こうして相互に全体としては似ている が、五つの個体全体が共有する特性をまったくもたない場合がある。つまり個体1は特 性A,B,C,Dを、個体2はA,B,C,Eを、個体3はA,B,D,Eを、個体4 はA,C,D,Eを、個体5はB,C,D,Eの特性を持つ。これらの五つの個体は、 それぞれ定義による類似の特性をもつことによって一つのクラスにまとめられる」(p89)
4  「『右と左』における二元的分類の図式を見れば、多くの場合、左右二つの欄のうち一 方の欄に縦に挙げた項目相互の間には質的な類似がないように見えることが容易にわか る。多配列的に見ても、その諸項目が一つの象徴的クラスを構成しない。しかしそれら は、分類を構成する抽象的な関係によってまとまっている。・・・その原理は、慣例的 にa:b::c:dとして表される類似の原理である」(p91)
 
1980 Reconnaissances
 
1  象徴的二元論で出来る二つの欄について:それぞれの欄に入っている語彙は共通の属性 を持っていない。A:B::C:Dという関係の類似で出来上がっている(p46)。これをも多配 列と呼んでいる。対比的類似が多配列カテゴリーで演じる重要な役割を強調(p8,46)。
 
1981 (1986) 『人類学随想』(Circumstantial Deliveries)
 
1  「西洋哲学におけるクラスの伝統的定義においては、また辞書による定義においても、 あるクラスの全構成要素は最低一つの特徴を共有しています。この類似点に基づいて、 各要素はそのクラスに属し、あるいはそれを構成しているのです。この方法は単配列分 類と呼ばれてきました」(p3)
2  「クラスの伝統的な共通特性の(つまり単配列の)構成によって、置換の原理を適用す ることができますし、したがって、私たちはクラスの一メンバーについて分かっていれ ば、他のメンバーについても類推することができるのです。」(p87)
3  「すべてに共通する基本的特性がただの一つもなく、また、同じクラスの各構成要素ご とに、欠けている特性が異なる場合がありうるのです。・・・この分類様式は多配列的 と命名され、・・・」(p4)
4  多配列的なまとまりにおける特性について:「この特性(個別的特性=characteristic   feature)の発生はまさに偶発的なものであって、本質的なものではありません」(p2)
5  「・・・多配列クラスを形成する場合もあるのです。この場合には、置換の原理は適用 出来ませんし、一事例について知られていることは、同じクラスに属しているというこ とから察して別の事例に置き換えるというわけにはいかないのです」(p89)
6  「・・・人類学の標準的用語ーこれは特徴的に単配列的なものですーは、それが分類す る社会的事実の多配列的性質によって有効性を失うのです。したがって、出自、インセ スト、婚姻などに関する人類学理論は、多配列クラスが単配列であるかの如く扱われて いるため、ほとんど価値のないものになっています。」(p88)
 
[比較研究のために重要な formality]
 
1972 Belief, Language, and Experience
 
1  人間の比較研究では、論理的制約や心理的特質という形態をとった一次的要因を用いる ことでなんらかの秩序を引き出す可能性がある。しかし、これらの一次的要因は、そこ から現実としての偶発的で恣意的な多様な秩序を作り出す源泉となる形式的で直感的な 可能性にすぎない。「仮説的にはそうした一次的要因はすべての人間に共通(common)で あるが、それらは人間の共通の表象を形成すると予想することはできない・・・」(p244)
 
1974 Remarks and Inventions
 
1  規定的縁組は、社会分類である名称体系によって定義されており、名称体系は諸ライン や諸カテゴリーをつなぐ一定の関係の規則性によって構成されている。効果的な比較が 行われるのは、こうした関係を示す抽象作用への言及によってであり、リネージ、集団、 オフィースその他の制度や婚姻のルールや婚姻の割合によってではない。(p70-71)
2  「このことは、しかし、比較研究がうまく行きそうではない、あるいは軽んじられてし まうということを意味するのではない。逆に、もし我々が社会人類学で通例となってい る具象化したタイポロジーを諦めるなら、比較のために現実的によりよい位置に立つこ とになろう。というのは、我々は少なくとも、より歪められてはいないやり方で社会的 事実を見ることが出来るからである。より積極的に言うなら、我々は論理的特徴に言及 することによって、そして慣習的となってきたよりももっと適切な抽象化を定式化する ことによっても、比較をなしうるのだ。」(p70)
 
[一次的要因 primary factor ]
 
1972 Belief, Language, and Experience
 
1  「すべての知られた文化の中で、あれやこれやで認められる素質、概念、イメージ、関 心、そして直感を簡潔に指し示す用語が、“人類経験の一次的要因(primary factor)”で ある。そしてこの探索を通して私が持ってきた隠れた意図の一つが、 信仰を生み出す 素質を、どこの人間も、それでもって世界とお互いを説明することが出来るような一次 的要因の中に見出すことが出来るかどうかということであった。・・・結論は、信仰に 関する言語的および組織的な制度は、永続的な経験の明確で普遍的な形態を表しはしな いということであった」(p217)
 
1974 Remarks and Inventions
 
1  「言い換えれば、より深くカリエラ体系を理解することは、一旦は避けられた親族の誘 惑、つまり、人間自身と世界に関する概念の一次的な性質である論理的、心理的特性へ の革新的な洞察へと導く」(p36)
2  「こうした観点から見れば、親族という表題のもとで慣習的にくくられてきたこれらの 事象の研究は、人類経験の一次的要因とでも呼べるものの探索の一翼を担うのである」 (p36)
 
1978 Primordial Character
 
1  本書でしようとすることは「人類意識の本質的な特性」を説明することである(p2)
2  「西洋人類学は、実際に何が人間の本質的な、それゆえ普遍的な能力や特質なのかを問 わずに、それらが何であるのかを既に知っているのが当たり前であると考え、自分達自 身の言語による語彙が記述と分析にとって完全に適切な手段であると確信してきた。」 (p8)
3  「人類の特質を普遍的に作り上げている力、特質、制約」つまり「決定因子」を「経験 の一次的要因」と名づける(p8)
4  「第三の例として・・・世界中で見出され、明らかに一次的要因によって構成されてい る複合体である半分人間(half man)のイメージに言及したい。それゆえ、世界規模での 民族誌による比較主義の仕事は、個々の要因とその働きを抽出するだけではなく、人類 経験の集合表象においてこれらの要因によって組み立てられている象徴的複合体の輪郭 を描くことである」(p19)
5  「言い換えれば、妖術師のイメージは自立的で、無意識の想像力の原型(archetype)とし て捉えうるものである」(p45)
 
1979(1993) 『象徴的分類』(Symbolic Classicifation)
 
1  「おびただしい量にのぼる特定の意味の中で、異なる多くの人間集団の間に、象徴とし て表すものが何であれ、それを示すために共通のものを使用する傾向が一般にある」  (p84)
2  「人間は言語によって、世界におけるきわだった無数の現象から、望ましい特定の事物 や性質を選び出すことができる。それにもかかわらず、さまざまな象徴分類において、 人間は一連の共通のものを集中的に用いる」(p84)
 
1980 Reconnaissances
 
1  「・・・集合表象の中で見出しうる原型(archetype)は、ちょうど対比的類似(proportional  analogy)が無言のうちに作動するのと同様に、経験の一次的要因として活動する。」(p14)
2  「このように双分方法にはいくつもの可能性があるのだが、片側人間というはっきりし た分割は数の上でも圧倒的に多く、しかも可能性の一つを任意に適用したというより、 それ自体独自の意味をもつ独立した形態であると考えられる」(p27)
3  「すなわち片側人間という文化表象を一つの原型という心理的要因に起因するものと考 えることである。」(p39)
 
1981 (1986) 『人類学随想』(Circumstantial Deliveries)
 
1  「象徴的分類を比較することによって明らかになるのは、世界中に分布しているさまざ まな関係や形態や媒体が非常に簡潔にまとめられるということです」(p47)
2  「なぜかといいますと、人間が、お互いの利害と目的が対立していることを念頭に置い て、自由意志によって自分の行動を決定しているにもかかわらず、結局はいつも決まっ てよく似た制度を作り上げるということは、考えれば考えるほど明白な事実だからです。 こうした類似を生み出す要素をいくつかざっと述べてみることにしましょう。項目は六 つあります。象徴的要素(symbolic elements)、関係(relations)、形態(forms)、分類   (classification)、心理(psychology)、理性(reason)であります。」(p29-30)
3  「このように問題を捉えてみますと、次には、何が一次的要因を決定し、そうした要因 がどうして自然に存在するのか、と問う必要が出てまいります。・・・私は経験の一次 的要因を大脳皮質の属性と解釈しています。そうした要因は脳(物質的器官)の活動の 本質的傾向として存立し、中枢神経を経由して発動される、と私は推理しています。」 (p36)
4  人体の生理機能に帰すことができると考えられている一連の象徴的構成要素である右と 左の対比、片側人間のイメージ、白/黒/赤の区分、打音、基本的図形は、結局は、生理 機能に帰すことができないことを論証。(p48-73)
 
1985 Exemplars
 
1  「二元的象徴分類の研究においては、相同性はコンテキストに依存しているということ は基本的な事項である。かくして、a:b:c:d(aとcが相同的、bとdも同様)は、異な った状況では、また異なった側面で見たら、a:b::d:c へと変換する、つまり相同性が逆 転することもある。しかしこうしたことが象徴的分類の分析では大体の前提であるとし ても、我々は、火と右のような連関がどのような意味で著しく適切であるとみなされう るのかを説明せねばならない」(p21)
2  一次的要因の特性:(ロックの言う生得観念と一次的要因との相同性を論じ、ロックが 生得観念を否定していることへの反論を展開した後の規定)
  a それらはは知覚、イメージ、抽象作用、論理的制約などの異なった種類からなる。
  b それらは意思から独立している。本源的にそれらは創造されるものでも改変され    るものでもなく、無意識的に生じる。
  c それらは体系に結びついたクラスではないが、様々に結び合わせることができる。
  d それらは一次的だが基本的ではない。それぞれは、組み合わさった根拠あるいは    ありうべき決定因子に分解できる。
  e それらは、もっぱらそうだというわけではないが、特徴的には、合理性や認知に    かかわる制度ではなく象徴的な形態の中に現れる。(p70)
 
[formal で primary であると想定された概念の吟味]
 
1983 Against the Tranquility of Axioms
 
1  symmetry, asymmetry, alternationなどの関係によって統合的に定義されうる社会システ ムがある、という議論をした後、「しかし、このことは、問題となっている概念が厳密 に十分規定され適切に定義されてきたということを意味しない。いえることは、形式的 な用語は経験的記述をするうえで何らかの有利さをもたらしてきたのであり、曖昧で明 言されないだけの語義しか持たない形式的用語でさえ、比較分析を実践する上では役に 立ちうるということである。しかし、“対立(opposition)”のような明らかに形式的な概 念についての経験が教えているように、もし我々が実用的な有用性にだけ満足していた り、問題となっている概念の系統的な分析を怠ったならば、重大な過ちを犯すことにな ろう。」(P15-16)
2  「こうして規定的体系では、symmetry、asymmetry、taransitivityという関係を用いるこ  とでかなりのことが明らかになった。そして象徴的分類の分野においても、対立、類似、 相同性という観念に依拠することで同様の(学術的)利益が生まれた。・・・しかし、 我々がそうしたアイデアに依拠する時、我々の説明はどんな根拠に基づいて行われてい るのかということを理解するというよりラディカルな仕事が残っている。」(p93)
3  「逆転(reversal)や倒置(inversion)に関する民族誌的報告を社会的事実の単配列的クラス として取り扱うことは、範疇錯誤である」(p117)
4  「alternation という概念は、それ故、一次的である必要はない・・・」(p153)
 
1987 Counterpoints
 
1  対立(opposition)という概念は一次的要因として考えられてきた。それは基本的な知的  構成物とみなされてきた。しかし、その概念の特性が特有のものになればなるほど、ま た、構成要素を詳細に探査すればするほど、その概念は安定した統合性を失っていく。 「その概念は形式的ではなく隠喩的である。隠喩はイメージを表す。イメージというは、 空間における相対的な位置づけを方向性を持った直感によって見ることで生み出され  る。その独特の性質を認識することで、比較主義の実践がさらに難局に至るが、同時に、 同種の概念に見られる精神的特質を明らかにする」(pxi-xii)
2  「・・・“信仰”という概念の場合は、結論は、明瞭な内的状態の形態としてはそうし た実体はない、というものである。“対立”という概念の場合は、結論は、実体に一致 する関係の諸類型があまりにも多くあり、そのどれもが、その概念の適切で絶対的な意 味を構成しない、ということが結論である」(p234)
3  「対立という概念には本質的でかつ弁別的な属性はない。symmetryやtraisitivityのよう な本当の形式的概念と違って、対立は内的な論理形態を持たない。適切な定義がなく、 だた、たくさんの異なった種類の変数の間でみられるさまざまな二元的な関係の不確定 な集合があるだけなのだ。対立の諸様式は、対比の多配列クラスを作り上げる。このク ラスの成員の個別的諸特性は、それらが二元的であること、また、空間的な隠喩によっ て描かれているということである」(235-236)