『反・ポストコロニアル人類学』目次と序


目次

 序

第一部 コロニアルからポストコロニアルへ

 第一章 いびつな異文化接触としての植民地化
   一 サルベージ人類学?
   二 カストムとしての伝統的世界
   三 西洋世界との接触
   四 植民地化

 第二章 分離運動
   一 ヴァヌアツ独立前夜
   二 分離運動の軌跡
   三 独立を巡って

 第三章 独立運動と人々のまとまり
   一 ヴァヌアツの独立を振り返って
   二 分裂とまとまり
   三 バイカルチュラルな世界
   四 なんとなくまとまる人々

 第四章 メラネシアのナショナリズム
   一 エトニーとエトノス
   二 ヴァヌアツにおけるエトニー
   三 植民地のエリートと「我々」の発見
   四 植民地人民族の自決
   五 エスノナショナリズム
   六 独立運動それとも分離運動
   七 ネイション・イズムとエトノス・イズム

第二部 ポストコロニアル人類学を批判する

 第五章 歴史とかかわる人類学
   一 構造と歴史
   二 歴史的もつれ合い
   三 客体化
   四 オリエンタリズム
   五 純粋な文化
   六 真正さとリアリズム
   七 歴史記述の基点としての名もなき人々
   八 多配列思考

 第六章 カストム論再考
   一 カストム論の系譜
   二 植民地行政と伝統概念
   三 二種類の伝統概念
   四 モノカルチュラルとバイカルチュラル
   五 カストムとスクール
   六 異種混淆論批判
   七 操作される伝統概念
   八 真のオリエンタリスト
 第七章 本質主義批判を超えて
   一 みそっかす
   二 持続可能な観光と「のぞき見」
   三 秘境ツアー
   四 本質主義者? あるいは人類学者
 
 あとがき

 文献



 本書は、サイードの『オリエンタリズム』以降活発に展開されてきた人類学内部における自己批判を受け止めながらも、それら自己批判の仕掛け役となってきたポストコロニアル人類学を批判することを目的としている。ポストコロニアル人類学は、徹底的な本質主義批判を展開し、伝統と近代、非西洋と西洋、真正性と非真正性といった二分法に対する批判を行い、近年は、それはボーダレス論や異種混淆論へと到達すると同時に、脱構築と断片化、あるいは断片の探索という方向へ移ってきたといえる。しかし、それは、現在の時点でさらなる進展を遂げているとは言い難いのである。

 人類学批判の口火を切り、様々な問いかけを行ってきた欧米の人類学界においては、ポストコロニアル人類学が提起してきた諸問題が解決を見ないまま放置され、近年は、それらの問題を扱うこと自体が古いことであると言わんばかりに、全く別の新たなテーマに基づいた議論が行われようとしている。同様にして、日本の人類学界でも、ポストコロニアル人類学は一種の流行であったかのように扱われ、それには触れることなく、実証的なテーマが追求される傾向がここ数年の間に生まれてきている。しかし、日本では、ポストコロニアル人類学の問いかけが、様々な局面で現在も生き続けていることも確かなのである。

 発信地では議論が終焉に向かっても周辺部ではそれが継続している、という伝播の法則に則っているかどうかは別にして、日本では、ポストコロニアル人類学の影響はいまだ大きいわけだが、それは、議論の進展を生み出していると言うよりある意味で閉塞した状況をつくり出していると言える。「オリエンタリスト」や「本質主義者」というレッテルが烙印の様に用いられ、その結果、自文化中心主義を批判しようとするその姿勢や、文化の差異性を問うような姿勢は、一括して本質主義的として批判され、それ以降の議論が封殺されてしまうという危険な状況を生み出しているとさえ言えるのである。本書において、ポストコロニアル人類学を取り上げたことの意味は、こうした人類学的状況から生じている。それが、過去の地平にしまい込まれる前に、それを正面から再度見据え、総括することこそが今必要なことであろう。

 本書の舞台は、太平洋のメラネシア地域である。ポストコロニアル人類学の議論の主要な舞台であった太平洋の中でも、特にメラネシアは、コロニアルからポストコロニアルにかけての様々な議論の題材を提供してきたところである。ポストコロニアル人類学の大きな流れの一つである歴史人類学による「歴史的もつれ合い論」や、伝統文化概念を巡る一連の議論すなわち「カストム論」が、メラネシアを主たる対象としていたことからもそれが理解できよう。本書では、第一部でメラネシアにおける植民地化、独立をめぐる具体的な事例を対象とした議論を展開し、第二部ではそれを踏まえて、「歴史的もつれ合い論」や「カストム論」をはじめとしたポストコロニアル人類学の理論を批判的に検討する。第一部では四つの章が、第二部では三つの章が配置されているが、各章の内容を概観する前に、本書で用いているポストコロニアルという概念をネオコロニアリズムという概念と対比しながら整理しておこう。

 西洋列強が世界中の非西洋世界を植民地支配下に置くという政治的な図式は、第二次世界大戦後から崩壊していった。それまで植民地状態にあったアジア地域で続々と独立国家が誕生し、それに続いてアフリカ地域でも独立国家が生まれていったからである。植民地であったところが独立国家として歩み始めることにより、コロニアリズム、すなわち植民地主義は終焉を迎えたかのように見えた。ところが多くのアフリカ諸国が独立を達成しているさなか、新たな問題が指摘されるようになった。それがネオコロニアリズム、すなわち新植民地主義である。一九六〇年にギニアで開催された第二回アジア・アフリカ会議で、ネオコロニアリズムの特徴が規定されたが、それは、あからさまな植民地支配が出来なくなった帝国主義者が、外面では自由を与えると見せかけて、結局は以前の植民地支配地域を管理し続けるために考え出した新たな方法である、というものであった[土生 一九七三:三八]。

 このことは、ネオコロニアリズムは、あからさまに支配言説をふりまわさないが、結局はコロニアリズムにおける支配構造を維持しているということを示している。コロニアリズムは、「未開」と呼ばれてきた社会を「文明」と自認する社会が支配するという枠組みで出来あがっていたのに対して、ネオコロニアリズムは、前者が独立することによって成立した「発展途上国」を、後者が「先進国」として支配するという枠組みで成立している。すなわち、そこでは、支配する側と支配される側の関係が継続されるとともに、支配される側に貼られた「未開」や「発展途上」というレッテルにも、「今はまだ発展していないがやがて発展して我々のようになる」という支配する側の自己中心的な論理が相変わらず反映されているのである。

 さて、ネオコロニアリズムは主として三つの形態をとるとされている。一つは、経済的な形態であり、典型的な例としては経済援助が挙げられる。つまり、支配する側は、支配される側が国家として独立することを承認したとしても、経済援助によって経済的な独立を阻んでいるという状況を指す。他の一つは政治的形態である。これは、軍事同盟や軍事条約などを通して政治的に支配しつづけることを指す。PKOなどの平和維持や人道支援という名目での軍事的な支援・支配もこれにあたるとされる。最後の一つは文化的形態である。これは、技術援助、留学受け入れなどを通して、強者の側の論点や価値観が弱者の側に浸透していく状況を指す[土生 一九七三:四四─四七]。

 文化的なネオコロニアリズムは、文化帝国主義概念と関連している。文化帝国主義というのは様々な規定が存在するが[トムリンソン 一九九三]、よく用いられているものを言えば、その概念は、世界の中心に位置する文化が、新聞・テレビなどのメディアやその他何らかの方法を通して周辺地域の文化に入り込んでいき、それらを侵食することによって、結局、文化的に植民地状態を作り出しているという状況を指す。「それは文化帝国主義である」という批判は、たとえ意識的に支配しようと思わなくても結果としてそうなっている場合にも適用されており、文化人類学において従来から行われてきた自文化中心主義への批判と類似の視点から成り立っていると言える。自文化中心主義という概念は様々な意味合いで使われており、特に自民族中心主義の言い換えの様にして用いられることが多い。しかし、この概念をもっとも広く、また、もっとも深く用いるとすれば、それは、「意図的ではなくとも、しらずしらずのうちに、気がついてみると自分の文化的フィルターを通して異文化を見てしまうこと」という意味になる。その意味で、「それは自文化中心主義である」という批判は、自文化の価値観を意図的に押し付けるというやり方だけではなく、無意識のうちに自分の文化的フィルターを通して異文化を見てしまう姿勢に対しても適用されることになるのである。

 一方、ポストコロニアリズムもネオコロニアリズムと同じような意味合いで用いられることが多い。つまり両者とも、植民地支配が終了したにもかかわらず、植民地支配の構造が現在も継続しているという認識の上に成り立った概念と言うことが出来る。そして両者の違いは、ネオコロニアリズムが、国家間における支配・被支配が継続している状況を指すのに対して、この意味でのポストコロニアリズムは、旧植民地内において植民地状況が継続していることを指すという点であるとされている。しかし、ポストコロニアルという形容詞形をとった場合、それは多義的な用いられ方をされてきた。

 ポストコロニアルというのは、基本的には、字義通りコロニアル時代の後、すなわち植民地化が終了し独立国家に至った状態、およびそうした時代区分に対して適用される。本書でもそうした時代区分としてのポストコロニアルという概念を踏まえている。しかし、そうした時代における状態、ないしは状況をどう捉えるのかという点で、ポストコロニアルは大きくは二つの用いられ方がされてきた。一つは、上で述べたポストコロニアリズム概念の用い方と同じく、植民地状況が現在も継続している状態という認識の上で用いられる。もう一つは、現在はコロニアルの時代に引き続いて起こった新たな文化的支配の時代であると捉えるのではなく、文化そのものが脱中心化されはじめ、周辺の文化が中心の支配的文化勢力と様々な交渉や駆け引きを通じて新たな地平へと向かう時代と捉える見方に基づいている[cf.太田 一九九六b:一二五]。両者は、全面的に対立しているわけではない。というのは、最初の意味でのポストコロニアル概念も、新たなコロニアルの状況がいまだに継続していると捉えるが故に、それを打破するためには、コロニアルな状況で確定していた様々なカテゴリー、概念、境界を脱構築し、それらを乗り越える必要をも考えようとしており、その意味では、二つ目のそれと同じく、文化そのものの脱中心化を目指すからである。

 しかし両者の対立点は、ネオコロニアリズム的なものごとの捉え方を肯定するか批判するかという点で決定的に異なる道を歩むことになる。最初の意味でのポストコロニアルは、ネオコロニアリズムと同じような認識にたっているため、文化帝国主義論を肯定し、文化帝国主義的な支配から抜け出す、あるいはそれを批判するために脱構築を考える。ところが、二つ目のポストコロニアルの視点からは、文化帝国主義論そのものに問題があるという指摘が登場してくる。つまり、「文化帝国主義という発想・捉え方」そのものを批判する立場をとるのである。こうした後者の立場を、本書ではポストコロニアル理論と呼ぶことにする。そしてこの理論を踏まえた人類学をポストコロニアル人類学と呼ぶことにする。

 ポストコロニアル理論、ひいてはポストコロニアル人類学は、大きくは三つの特徴をもっているとして整理できよう。まず最初は、本質主義的なものの見方に対する批判である。文化帝国主義という捉え方が批判されるのは、以下の理由によっている。つまり、周辺の文化が中心の文化によって侵食されてしまうと論じる文化帝国主義論は、独自性・固有性をもっている周辺の文化が、それとは異質な中心の文化によって侵食されるという見方に基づいて成立しており、それは、とりもなおさず個々の文化は「純粋で真正なものである」という本質主義的な規定を前提としているからこそ成立するのである、と。そして、この本質主義批判は、従来の文化人類学が主張してきた「自文化中心主義に対する批判」に関しても同じように適用される。つまり、自文化とは異なる異文化という「真正な他者」を設定するからこそ、「自分の文化的フィルターを通して異文化を見る」という視点が生まれてくるのだし、自文化中心主義という批判が成立するのだと言うのである。

 第二に、異種混淆性に着目することが挙げられる。そうした姿勢は、周辺の文化は一方的に支配されるのではなく、支配的な文化との様々なやり取りを行った結果、個々のものは脱構築され、新たな地平、すなわち混淆した状態が生み出されるという認識に基づいている。伝統と近代、非西洋と西洋などの二分法が、本質主義的な視点にたっているとして批判されるのも、ポストコロニアル人類学では、文化は純粋な形で変化することなく存在すると捉えるのではなく、文化はたえず変化し、様々なものが混淆した状態を生成しつづけていると捉えるからである。

 第三は、他者の文化を語るという自らの研究姿勢を問いつづけるということである。それは、文化を規定して本質主義的に語ることへの批判から生まれているが、文化を語る権利が誰にあるのかという問いかけを常に問題とするという姿勢でもある。

 さて、本書の内容を概観しておこう。
 第一部では、コロニアルからポストコロニアルへと至るメラネシア世界を、ヴァヌアツ共和国を題材に論じる。この時代は、ポストコロニアル人類学で常に対象とされてきた時代であるが、ポストコロニアル人類学が見過ごしてきたのは、こうした時代の歴史的出来事を演出した運動体やそれを指導したエリートたちとは別に、これらの運動についていったり、流れに身をまかせたりした多くの人々が存在していたということである。本書では、コロニアルからポストコロニアルに至る時代のメラネシア世界を、運動の主体となった人々の論理に着目するだけではなく、これら名もない多くの人々のもつ別の論理にも着目することで考察していく。

 第一章では、西洋と接触する過程で、メラネシアの伝統的な世界が激変していったという捉え方に立って、メラネシアが西洋との接触を経て植民地化にいたる経過を概説的に説明する。こうした捉え方は、西洋とは異なる独自の非西洋という他者を本質主義的に規定するとして、ポストコロニアル人類学から批判されてきた捉え方でもある。しかし、それは本当に批判の対象となるのであろうか? この問題は本書の第二部で詳細に検討することになるが、本章では、ポストコロニアル人類学からの批判を踏まえたうえでも、植民地化を論じるには、こうした捉え方が必要であることを強調する。そして、植民地化は、結局は西洋の側が一方的優位に立つように仕組まれたいびつな異文化接触であり、西洋の文化が非西洋の世界に一方的に流れ込む特殊な状況を作り出した点を指摘していく。

 第二章では、ヴァヌアツで生じた分離運動に焦点をあてて、それが人々にとってどのような意味をもっていたのかを論じる。ヴァヌアツでは、植民地化といういびつな異文化接触の結果、価値観が混乱し、土着主義運動が活発に展開された。その土着主義運動の流れを引く運動が、ヴァヌアツ独立前夜に、分離独立を主張して暴動を起こしたのである。本章では、分離運動を指導していったリーダーたち、独立運動を指導してきたエリートたちの思惑とは別に、そうした分離運動についていった人々にとって、その運動はどういう意味をもっていたのかを考えていく。

 第三章では、ヴァヌアツの独立が人々にどのような意味をもっていたのかを問い直す。ヴァヌアツが独立してから一〇年後、独立運動の指導者で独立後の首相となったリンギは、ヴァヌアツにおける国民形成を高らかに謳った。しかし、国民としてヴァヌアツ人がまとまってるという総括とは裏腹に、国家は具体的にはまとまるための工夫をしてこなかったと言える。それにもかかわらず、まとまっていると総括され、事実、なんとなくまとまっているのは、人々の側にまとまりの独自の論理があったからである。本章では、独立運動のプロセスを追いながら、こうした人々の「まとまりの論理」の形成を見ていく。

 第四章は、第二章や第三章で論じた人々の側の視点ではなく、運動を指導した側の人々、すなわちエリートたちの論理をとりあげ、彼らにとってのナショナリズムとはどういうものだったのかという点を、ヴァヌアツを中心に検討する。従来から植民地化を経た地域における独立運動も分離運動も、ともにナショナリズムとして論じられてきたが、本章では、ヴァヌアツにおける独立運動と分離運動を詳細に検討することで、従来からの定説、つまり、分離運動は民族の自決に基づいたナショナリズムに似ている、という論点を批判し、民族の自決に基づいたナショナリズムに似ているのは独立運動の方であるという結論に達している。

 第二部は、いわゆる理論編であり、第一部で論じたメラネシアの具体的な事例を踏まえながら、ポストコロニアル人類学の諸理論を批判的に検討する。特に、ポストコロニアル人類学の中心的テーマである本質主義批判と異種混淆論を、再考する。

 第五章では、様々に展開された人類学批判を踏まえながら、人類学が歴史をどのように扱うのかという点について考察する。そのために、まずサーリンズの言う構造・歴史人類学と、それを批判したトーマスの歴史人類学の議論を整理し、トーマスが議論の前提としたオリエンタリズム批判、さらには彼を含めたポストコロニアル人類学が展開した本質主義批判、すなわち、「彼ら=非西洋」と「我々=西洋」を明確に区分する二分法を批判する視点や、客体化論などを検討する。しかし、本章では、トーマスもその一翼を担う人類学批判の視点に敬意を払いつつも、それが行ってきた全ての批判に賛同することには異議を唱える。そして、認識論としてのオリエンタリズムの可能性、純粋な文化論批判の見直し、日常生活における変動する真正さの存在を再考しながら、歴史記述の基点としての名もない人々の歴史に対する対応を、多配列概念を用いることによって考察する必要性を論じる。

 第六章では、メラネシア地域を舞台に展開された一連のカストム論を批判的に総括する。カストムというのは、メラネシアのピジン語での伝統概念であり、それはまさしくコロニアルからポストコロニアルへ至る時代のキータームでもある。ポストコロニアル人類学では、メラネシアにおける伝統を近代のもたらしたものとは異なった独自なものと捉えることを本質主義として批判し、伝統と近代が混淆して新たな文化をメラネシアで生み出しているという異種混淆論へと向かう。本章の後半では、特にホワイトとリンドストロームの異種混淆論を取り上げ、こうした議論はメラネシアの現実を無視したものであり、その姿勢そのものが、むしろ、オリエンタリスト的であることを証明していく。

 第七章では、ポストコロニアル人類学が登場してきてからの人類学の状況を見据えた上で、敢えて、本質主義的と見なされるかも知れない人類学的な姿勢を問い直してみようと思う。取り上げるテーマは「観光」である。太平洋における観光の中でも、持続可能な観光と呼ばれてきた小規模な観光を題材に、「文化は創造される」という立場にたった観光文化論や、「政治的な正しさ」を重視する議論を批判的に検討する。そして、観光する側と観光される側の間に存在する大きな落差を批判するためには、従来は本質主義的であるとして一蹴されてきた「差異性の強調」というものを、もう一度正面から考え直す必要性を主張する。

(註は省略)