自然環境と共に生きるーオセアニアにおける人々と暮らし
〇パワーポイント
shizenkankyou.pdfへのリンク
〇スライドの補足説明
スライド2
〇三つのネシア
〇フィールドワークの地:ヴァヌアツ、キリバス、ツバルの説明
スライド3
〇ル・クレジオの説明:パナマの先住民と生活。先住民の視点から文明批判。2008年ノーベル文学賞
〇『ラガ』2006年、日本語版2016年(岩波)
〇2005年のヴァヌアツ行き、数日の滞在
〇メルシシ村へ行った理由の説明
スライド4、5
〇1974年のメルシシ村
〇日記より「浜から坂をのぼって村へ入る。何と!水道があり、自家発電所があり、電灯があり、コンクリートの建物がある。村ではなく町だ」
〇村落 vs 町=伝統 vs 近代、 オセアニアでは近代化=西洋化
スライド6
〇ル・クレジオの感想と正反対、ル・クレジオのラガに対する評価に違和感
〇ル・クレジオ=進化主義の視点
〇ダーウィンの進化論が登場した19世紀末の考え方
〇西洋的な基準をすべての社会に適用するため、西洋が一番進化しているということになるのは当たり前であり、異なった社会では社会の発展の基準が異なるということを認めようとはしなかった
スライド7
〇「未開から文明へと進化すると想定した進化主義」
一つは、「文明化を阻害している要因を取り除き、文明化する手助けをする」という方向 ? 開発
〇文明批判を続けてきた欧米の知識人たちは、その方向へは行かなかった(開発も批判)
〇文明批判と連動する、古代/失楽園イメージ 楽園/秘境イメージと同根
〇コインの表と裏 → 文明を批判的にみれば「自分からかけ離れた遠い世界」は楽園、文明を肯定的にみれば「自分からかけ離れた遠い世界」は秘境
〇テレビで放送された『秘境の地からやってきた仰天ニッポン滞在記』12話(2011〜2017)のうち11話がオセアニア
スライド8
〇進化主義は自文化中心主義
〇開発論も基本的には進化主義の視点に立ち、自らの論理から途上国を規定する=自文化中心主義
スライド10
〇それぞれ異なった価値観で生活している、という視点から見れば、異なった側面が見える
〇都市社会学(村落での貧困→都市へ出て働く→仕事がない→スラムの形成)、しかし例えばヴァヌアツではスライド10のようなことが生じている
スライド33
〇今回の都市部でのフィールドワークでよく聞いたセリフ。「お前はここの昔と今を見てきたが、西洋化は進んだかどう思う?」
Yu lukluk ples ia blong bifo mo tetei. Yu
tingting olsem wanem westanaizeition hem
I kam big?
〇西洋化への反動:伝統復興運動(近代化を踏まえた伝統)
1)指導者:ヒルダー・リニ(大臣経験者、反核・女性解放で活躍、2005年ノーベル平和賞のための1000人の女性プロジェクトに選出)
2)伝統銀行(豚の牙、マットを預ける)、伝統文化大学
〇開発=トラックの通ることができる道路を作る=森林伐採
〇ニュージーランド:開拓者が到着して原生林は2割になった→自然保護先進国
〇里 vs 森 の対比を壊す
〇持続的な開発:1)貧困を抱えた人々のニーズを満たし
2)経済成長路線が引き起こす環境破壊を問題にする
3)環境との調和を図りながらの開発=貧困撲滅を目指す
→ 開発を持続させるためのものか?と批判
〇開発論の性質 (ポスト開発論のアルトゥーロ・エスコバル)
○「持続可能な開発」では、新興独立国の人々を「近代化の遅れた、貧しい人々」「栄養状の悪い人」と分類。
〇「低開発という思想こそが、ある種の他者を作り、彼らを排除する可能性を持っている」
○持続可能な開発とは、開発を持続させる戦略にほかならず、自然と調和した多様な社会生活の持続を援助するために行われているわけではない」と分類
スライド43
〇「文明 vs 未開」という世界の構図は変わらない
〇文明から未開を見る、文明が未開に恩恵を授ける、という構図も変わらない
言いたいこと2点
1)未開と呼ばれてきた社会=途上国は、過去の時代を生きているのではなく、文明と自認する人々と同時代を生きている。それは秘境でも楽園でもない普通の生活であり、ただ異なった価値観に基づいて営まれているだけ。
2)多様な価値観の存在を主張し、差別的な文化観を批判する多くの知識人(ル・クレジオなど)には、その背景に、依然として、「未開?文明」という進化主義的ないびつな構図が存在していることを再確認する必要がある