比較主義者ニーダムの比較研究



神戸大学国際文化学研究科
吉岡政徳


 長島信弘の有名な論文「比較主義者としてのニーダム」は、比較主義者・ニーダムの姿を正面から取り上げた画期的なものであった。この論文が出版された一九八二年当時の日本では、ニーダムが比較主義者であるという認識をもっていた研究者は、長島以外にはいなかったかもしれない。長島の論文では、主として一九七〇年代から一九八〇年代にかけてニーダムが次々と著わした論集・講演集が紹介されていたが、これらの著作を紐解くと、確かに、ニーダムが自らの仕事を比較研究と位置づけ、実際にさまざまな比較を試みていることがわかる。そして、ニーダムが、社会人類学を「比較を通して人間の経験を解釈し、自然と宇宙の中における人間の位置づけについて再解釈する」ことを目指すものであると捉えていたことを考えれば(長島 1982:63-64)、彼は比較主義者として、「社会人類学には一つの方法しかない。比較法である。・・・そしてそれは不可能なことだ」というエヴァンズ=プリチャードのテーゼを乗り越えようとしていたことがよく理解できる。
 ところで、なぜ長島が論じるまでニーダムが比較主義者であるという認識がなかったのかと言えば、現実にニーダムは、まるで比較研究は不可能であると言わんばかりに従来の比較研究を徹底的に批判してきたからである。特に、一九六〇年代から一九七〇年代の中ごろまでの論文・著作では、機会あるごとに、比較研究を批判してきた。その結果、世界の人類学における比較研究は全体として停止状態に陥ったことも確かなのである。こうしたことから、日本におけるニーダムに対する大方のイメージは、反比較主義者というものであったのである。
 従来の比較研究を徹底的に批判してきたニーダムと、比較研究を積極的に実践するニーダムとの間にどういう連続性が存在するのか。ニーダムが批判した比較研究と彼が実際に行った比較研究とはどのように異なるのであろうか。本論は、こうした点を明らかにすることで、長島論文「比較主義者としてのニーダム」の続編となることを目指したものである。

規定的縁組論

 ニーダムは当初、オランダのレイデン学派の影響の下、インドネシアの循環婚に興味を持った。循環婚というのは、母方交叉イトコ婚によって親族集団間を女性が一方向にだけやり取りされ、A→B→C→Aという具合に、最終的に女性のやり取りが一周してもとに戻るような縁組のことを指した。レイデン学派では、デュルケームとモースの議論に忠実に、人々がこの縁組によって区分けされる社会的な分類構造と、それに伴って見出せる象徴的世界の分類構造が一致する全体的構造の抽出に関心を寄せていた(cf.デュルケーム、モース 1969、ヨセリン=デ=ヨング他 1987)。ニーダムもこれに倣い、母方交叉イトコ婚が実施されている社会から全体的構造を抽出する研究を開始した。
 交叉イトコ婚を基盤とした縁組の研究は、一九四九年にレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』が出版されて以来、構造主義的研究のひとつの中心的課題として位置づけられていた。レイデン大学に留学した経験を持つニーダムは、必然的に交叉イトコ婚の研究に邁進することになり、その著作『構造と感情』では、東南アジアのプルム社会における母方交叉イトコ婚を事例として用いて、その分析を通して、交叉イトコ婚研究における自らの視点を明らかにしていった。
 この著作は、『親族の基本構造』を批判したホーマンズとシュナイダーの共著論文「交叉イトコ婚と系譜」への反論として書かれたものであった。どの交叉イトコと結婚するのかという点については個人的な感情が動因となると主張したホーマンズとシュナイダーに対して、「社会現象が心理学的現実によって直接説明されるときはいつでも、その説明は間違っていると確信している」というデュルケームの言葉を引用して、その議論を批判した(Needham 1962:126)。その意味で、ニーダムは全体としてレヴィ=ストロース擁護の議論を展開したが、その中で、彼は、交叉イトコ婚との結婚が規定されている規定的交叉イトコ婚と、交叉イトコとの結婚が望ましいとされている優先的交叉イトコ婚を区別し、レヴィ=ストロースの議論は前者にだけ適用されるべきであると主張し(Needham 1962)、レヴィ=ストロースの議論をも批判の対象としたのであった。
 一九六〇年代の親族研究は、ニーダムを巡る親族論争の場でもあった。ニーダムの「規定」と「優先」の違いを強調した議論、また、規定的交叉イトコ婚の体系では、名称体系が作り出すカテゴリーが重要でありそれを系譜関係から議論することは間違っている、というカテゴリーと系譜の違いを強調した議論は、多くの反論を生み出し、ニーダムはそれへの再反論を徹底的に行っていった。そしてそうした論争の中から、次第に規定的縁組論が精錬されていった(吉岡 1982a, 1982b)。レイデン学派やレヴィ=ストロースが集団間での縁組に視点を置いていたのに対して、ニーダムは、規定的縁組論を関係名称におけるカテゴリーの分類を中心とした研究、すなわち名称による人々の分類としての社会的分類構造の研究と位置づけるようになっていった(Needham 1964: 236)。
 規定的交叉イトコ婚は従来は三種類指摘されていた。それらは三種類の交叉イトコと連動して、規定的母方交叉イトコ婚、規定的父方交叉イトコ婚、そして規定的双方交叉イトコ婚であった。しかしニーダムは、規定的父方交叉イトコ婚は理論的にも現実にも存在しないと主張し(Needham 1958:217)、一方向的に展開される規定的母方交叉イトコ婚を規定的非対称縁組、双方向的に展開される規定的双方交叉イトコ婚を規定的対称縁組と名づけて、両概念の規定を行っていった。


             

                    図1                                                 図2 


 図1は、父系に整理した規定的非対称縁組のモデルを示している。ABCというのは名称体系を分析することで導き出される名称上のラインであり、Bが自己のライン、Aが自己のラインから女を妻として受け取る wife-taker のライン、Cが wife-giver のラインである。自己が結婚しているのは母の兄弟の娘(母方交叉イトコ)であるが、注意する必要があるのは、図1は名称上でのカテゴリーの分布を示しているのであり、必ずしも現実の縁組や系譜的な関係にある人々の縁組を反映しているわけではないということである。図は、名称によって形成される諸カテゴリー(図1では△や○で表される)が、一定の形式的な規則にしたがって配列されていることを示しているのである。一方、図2は父系的に整理した規定的対称縁組のモデルであり、そこでは自己が、双方交叉イトコ、つまり母の兄弟の娘(母方交叉イトコ)でかつ父の姉妹の娘(父方交叉イトコ)と結婚しているようになっているが、図1と同様に、そこで示されているのは、名称上でのカテゴリカルな関係である。
 ニーダムはこのように、実質的な親族集団の分析ではなく名称体系による分類操作を扱うようになり、レイデン学派の追求した社会的集団の分類構造とは異なった分類構造を探るとともに、象徴的分類構造は分離して議論されるようになっていった。こうして全体的構造の追及を放棄したニーダムは、東南アジア地域を中心とした規定的縁組研究で主として社会的分類構造を論じ、アフリカ地域を中心とした象徴的二元論研究で象徴的分類構造を議論するようになっていったのである。
 
比較研究批判

 ニーダムは、規定的縁組を巡る論争の中から、比較に関して大きくは二つの論点を導き出した。一つは、個別社会の名称体系は内的な構造を持っているのだから、体系は全体として理解されねばならないのに、その一部だけと取り出して比較する論理的必然性は何もない、ということであった(長島 1974:52)。これは親族名称研究で盛んに行われていたタイポロジーへの批判であることは言うまでもない。ニーダムは安直な比較をするよりも詳細な個別社会の研究をするべきであると主張し、タイポロジーを全面的に否定する。そして、「オマハ型の名称体系というのはオマハ社会のそれを除いては存在しない」と主張した(Needham 1971:15)。
 比較に関するもう一つの議論は、上記のものと関連するが、アメリカを中心に活発に行われていた通文化的比較法に対する批判であった。ニーダムは、人類学的な概念を安易に社会に適用することで比較するのではなく、個別社会の独自のあり方を詳細に検討して、そこから概念を構成することの必要性を論じた。例えば、母系社会と呼ばれる社会であっても、個々の社会を詳細に検討していけば、母系という人類学の概念で一まとめにできないことがしばしばある、という点を彼は強調したのである(cf. Needham 1971:9)。
 これらの一連の議論は、人類学の概念を無批判に個別社会に適用するのではなく、個別社会から独自の概念を抽出するべきであるという議論として、つまりは、安易な比較研究よりも個別社会研究の重視の議論として受け取ることは可能である。そしてそのように受け取れば、個別社会を十分考慮した安易ではない比較、あるいは、グッドイナフらが推進したより改良された通文化的比較が可能であれば(Goodenough 1970)、比較研究もなしえるという考えに行き着くのだが、ニーダムはそのように考えてはいなかった。従来の方法では、比較研究は可能ではないと考えていたのである。ニーダムは、事象そのものが自明の概念で整理できるという比較の前提に疑念を呈するのある。
 ニーダムの議論の背後には、ヴィトゲンシュタインの哲学が横たわっている。ヴィトゲンシュタインは言う、「我々は、自分が使用する諸概念を明確に描くことが出来ない。それは、我々がそれらの真の定義を知らないからではなく、それらには真の<定義>がないからである」(Wittgenstein 1969:25)。そして、ゲームと呼ばれているもの全てに共通の特性はないと論じた後で、「ゲームとは何であるかを誰かに説明するにはどうすべきだろうか。思うに、我々は彼にいろいろなゲームを記述し、それに加えて「これや、これに似たものが<ゲーム>と呼ばれている」と言うだろう」(Wittgenstein 1967:33e)と論じる。ヴィトゲンシュタインは、ある概念を共通する特性で定義することは出来ないと考えているわけであり、それを家族的類似という言い方で表現する。「というのは、家族の構成員の間のさまざまな類似、つまり、体つき、顔だち、眼の色、歩き方、気質などなどは同じように重なり合い交差しているからである」(Wittgenstein 1967:32e)。
 ニーダムは、この家族的類似という概念を援用しつつ、人類学における概念である「親族」や「婚姻」などを吟味していく。そして、親族という概念に対して「私が言えるのは、それが、現象の独自のクラスや他と異なった論理型を示しているのではない、ということである・・・非常にぶっきらぼうに言えば、親族などというものはない・・・」と述べ、婚姻については「従って<婚姻>も、雑役語である。つまり、すべての種類の記述的な文章ではとても使いやすいが、比較においては、誤解を招くということよりももっと性質が悪く、分析においては、まったく実際の役にはたたない」と論じるのである(Needham 1971:5,7-8)。比較の前提となる概念そのものを疑うことで、ニーダムは、比較研究そのものへの大きな疑念を提起することになったのである。
 やがてニーダムは、家族的類似という概念と同じ視点に立った分類概念が自然科学の分野で用いられていることを見出した。それが多配列分類という概念である。ニーダムは、自然科学で用いられている多配列分類およびそれと対照的な単配列分類という概念を、人類学の世界に持ち込んだのである。

単配列分類と多配列分類

 表1は、長島が単配列分類と多配列分類のあり方を示すために提示した表であり、ニーダムがソカルとスニースの著作から引用してきたものをほぼ踏襲している(長島 1982:65, Needham 1975:357)。そして長島は次のように説明している。つまり、多配列クラスとしてまとめられている個体1,2,3,4は、一つの特性も共有しないがその類似により一つのクラスを成しているのに対して、単配列クラスとしてまとめられてい個体5,6は全く同じ特性を共有することで一つのクラスを成し、特性F,G,Hがこのクラスの定義となる。表1はニーダムの言わんとするところを適切に著していると言えるが、もう少し詳細に彼の議論を整理するために、以下では、表2と表3を用いることにする。



                    表1



     
                      表2                                                   表3


 単配列分類というのは、自然科学における従来からの分類のやり方を指し、ニーダムの説明によれば「単配列的グループという概念を貫いている着想は、それらのグループが厳格で連続する論理的区分によって構成されているということであり、特有の諸特性を持つということが、定義されたグループへの必要十分な成員権となっているということである」(Needham 1975:356)。また別のところで彼は、単配列の原理に関して、あるクラスに所属するすべての個体は少なくとも一つの特性を共有し、それら諸個体には置換の原理が適用できると論じている(Needham 1981:2,62)。置換の原理というのは、ある個体の特性が分かれば、そのクラスの他の個体が類推できるというものである。
 表2で示してあるように、単配列分類に基づいた分類は、いくつかのヴァリエーションを想定することができる。例えば、A、B、C、Dという4つの特性を持っている個体を一つのクラスXとして分類することもあれば、E、F という2つの特性を持っている個体を一つのクラスYにまとめたり、G というたった1つの特性を持っている個体をZとしてまとめたりすることもある。しかしどの場合も、最低ひとつの特性を共有しているものを単一のクラスにまとめるというやり方をとっている。これら三つの場合それぞれで、各個体には置換の原理が適用されることが分かるだろう。単配列分類は、基本的に自然科学における分類のやり方であるが、ニーダムはそれを「西洋哲学におけるクラスの伝統的定義」と呼んでおり(Needham 1981:2)、人類学の概念もこの単配列分類の原理に従った定義を行っていると論じる(Needham 1975:356, 1981:63)。
 一方多配列分類に関してニーダムは、さまざま説明を行っているが、それらは以下のいくつかの説明に区分される。@単配列分類とは違って、クラスを構成する諸個体の間に共通する特性が一つもない(Needham 1981:3)、Aどの特性も集団成員権にとって本質的でもなければ集団の成員になるために十分なものでもない(Needham 1975:356、1981:2)、B多配列クラスには置換の原理が適用できない(Needham 1981:63)、C個々の個体が特性の大半を持っていれば一つのクラスとしてまとまる(Needham 1975:356,357,362)。この4番目のものは、植物やバクテリアを分類するという作業の中からでてきたもので、共通の特性をもたないからといってクラスからはずすのではなく、そのクラスに含まれている個体の諸特性と多くの共通部分を持っていればそのクラスに含めるというやり方を指す。
 つまり、表3で説明すれば、次のようになる。表3のXという多配列クラスでは、各個体は、共通の特性を持たないが、A、B、C、D、Eという5つの特性の大多数である四つの特性をそれぞれ持っている故に一つのクラスにまとめられる。そしてそれぞれの特性は、クラスの本質的なものではない。また、個体1と個体2を入れ替えることは出来ない。
 自然科学で作り出されてきた単配列分類と多配列分類という概念は、研究者中心に出来上がる概念である。つまり、研究者が植物やバクテリアなどを分類するときに、どのようなまとめ方をするかというところから生み出されている。そのため、互いに関連した次の二つの特徴を指摘することができる。一つは、単配列クラスも多配列クラスも、クラスに含まれる個体の特性は研究者が決定するということである。二つ目は、共通する特性だけに着目するのではなく、特性の大多数の共有という点にも着目して分類することで、研究者が多配列クラスを作り出す、ということである。

自然科学における多配列分類と家族的類似のズレ

 ニーダムは、これらの概念を人類学の世界の導入したとき、人類学的概念は単配列で出来上がっているのだが現実は多配列的であると述べ、それゆえ人類学的概念を用いた比較研究はうまくいかないと主張したのであるが(Needham 1975:365 、Needham 1981:63 )、ここに多少の論旨の変化が存在したのである。確かに、人類学的概念は、科学的定義に従って研究者が作り出したものであり、その意味では、自然科学で用いられている単配列分類と同じものであった。しかし、多配列分類は、もともとの自然科学では研究者の側がその特性を設定しそのクラスを作り出すのに対して、人類学の分野では、それは、研究者の手で作り出されるものではなく、現実の社会の側が作り出すのもであるという設定に変わっていたのである。
 「現実が多配列的である」と言うとき、それは、例えば、親族という人類学概念で指し示されている現実は、お互いに共通の特性を持たないいくつもの現象からなっているということを意味している。自然科学にならって多配列という概念を研究者の側が設定するものであるとすれば、この場合は、「A、B、C、D、Eという特性を持っているもので、それらの特性の大多数を共有しているものを<親族>という多配列クラスとしてまとめよう」ということになったはずなのである。しかし二ーダムはそうしなかった。親族という概念を多配列クラスとして設定し直すのではなく、親族は単配列クラスとして設定されているのだから、多配列的な現実を論じるのには「役にたたない」と主張したのである(Needham 1971:5)。
 ニーダムはヴィトゲンシュタインに忠実であった。ヴィトゲンシュタインはゲームという概念と特性に関して次のように述べているのである。「例えば、我々が<ゲーム>と呼んでいる一連の事を考えよう。私は、盤ゲーム、カード・ゲーム、ボール・ゲーム、オリンピック・ゲームなどを意味している。・・・例えば、盤ゲームをその多様な連関性ともどもに見てみよう。次にカード・ゲームに移ろう。そこでは、最初のグループと多くの一致点を見出すが、多くの共通の特性は抜け落ち、別の特性が現れてくる。ボール・ゲームに移れば、多くの共通のものが残るが、多くはなくなる。・・・ボール・ゲームには勝ち負けがあるが、子供がボールを壁に投げてそれを再び受け止めるとき、その特性は消える」(Wittgenstein 1967:31e-32e)。ヴィトゲンシュタインはゲームというクラスに含まれている各個体を見つめて、それらの個体に見出せる特性を抽出しているということになる。再度確認しておくと、ヴィトゲンシュタインは、自然科学者がやったように、特性を先に規定して、それらの特性を持っているものをゲームと呼んでいるのではないということである。
 ニーダムが人類学で用いる多配列分類として想定したものは、ヴィトゲンシュタインの家族的類似を明確な形態で提示したものであり、それは個体間での特性の共有やずれを勘案することで個体間の類似のあり方を説明するものであるはずであった。しかしそこには大きな問題があった。一つの個体からは無数の特性が抽出できるということである。そして渡辺が「醜いアヒルの子の定義」と呼んで論証したように、数え上げる個体の特性の数(渡辺の言葉では述語)が多くなればなるほど、本来は関連を持たない二つの個体は限りなく類似していく(渡辺 1978:90-101)。つまり、特性の数を多くすればするほど、同一のクラスとしてまとめられている個体も、そこからはずれている個体も、限りなく類似してくるということなのである。
 この問題をクリアするためには、渡辺が指摘しているように、特性の間に優先順位をつけて、重要な特性とそうではない特性を設ける必要がある(渡辺 1978:103, 吉岡 1983)。しかしニーダムは、この問題を論じることはなかった。彼は、多配列分類がいかにして成り立っているのか、あるいは家族的類似に基づいてクラスがいかにして形成されるのかということにはあまり関心を示していないように思える。ニーダムが最も関心を持っていたのは、「概念は単配列であるのに現実は多配列である」ということを指摘することであり、その矛盾した状況の中で、比較をいかにして成し得るのかということであった。

ニーダムの比較研究(T)多配列的現実の比較

 ニーダムが従来の比較研究を厳しく批判したのは、そこでは、多配列的な現実を、親族、婚姻、単系などのような、単配列的クラスを指し示すものと仮定されている用語を用いて比較が行われていたからである。この問題点を、ニーダムの指摘に従って簡単に整理すれば次のようになる。つまり、こうした用語が単配列クラスを指し示すということは、それによって指し示されるいくつもの社会的事実は、お互いに置換可能であるということを意味する。しかし、実際には多配列クラスを指し示しているため、そのクラスの中に含まれる社会的事実は互いに置換可能とはならない。それゆえ、例えば親族という用語を用いて比較をしたとしても、ある社会の親族と他の社会の親族には共通の特性がないため両者は置換することが出来ない、つまり同じ親族として比較することができないということになる、というのである(Needham 1975:365)。
 そこでニーダムは、これらの用語ではなく、形式的な用語を用いた比較を提案する。彼は、上記の問題点は対称(symmetry)、非対称(asymmetry)、交替(alternation)、相補性(complementarity)などの相関的概念にはないという。というのは、これらの概念は現実社会で構成されるクラスやそれらのクラスの成員の特性に言及することなく用いることが出来るからである(Needham 1975:365)。ニーダムは、さまざまな社会的事実が作り出すクラスのあり方とは関係なく設定できる形式的基準を想定しているのである。それは、親族などの単配列クラスを指し示すような実体的な概念でもなく、自然科学者が想定したような多配列クラスを構成する実体的概念でもない。さらにそれは、これらクラスの構成員(個体)の持っている特性とも関連を持たない抽象的な論理性のことを指しているのである。
 ニーダムは言う。「逆に、もし我々が社会人類学で通例となっている具象化したタイポロジーを諦めるなら、比較のために現実的によりよい位置に立つことになろう。というのは、我々は少なくとも、より歪められてはいないやり方で社会的事実を見ることが出来るからである。より積極的に言うなら、我々は論理的特徴に言及することによって、そして慣習的となってきたよりももっと適切な抽象化を定式化することによっても、比較をなしうるのだ」(Needham 1974:70)。多配列的現実を比較するためにニーダムが提案しているのは、クラスのあり方からは独立した変数としての形式的用語を用いるということなのである。
 ニーダムは、しかし、こうした視点に基づいた比較研究を提案して以降、それを積極的に実践してきたわけではない。彼は、むしろ、こうした提案を公表する以前に実施していた比較研究をしばしば引き合いにだして例示としている。それが、規定的縁組の比較研究である。
 ニーダムは、さまざまな社会の規定的縁組を比較して、規定的縁組の枠組みを精錬したことは確かである(吉岡 1975)。彼が、実体としての社会的事実からの全体構造の抽出を目指したレイデン学派の影響から抜け出して、カテゴリー論を基盤とした独自の規定的縁組の議論をするようになってから、実体としてのクラスを比較するのではなく、抽象化された形式的基準を用いた社会的事実の比較を実施していたといえる。彼は後に、規定的縁組に関して次のように述べているのである。「このタイプの組織は、社会分類である名称体系によって定義されており、名称体系は諸ラインや諸カテゴリーをつなぐ一定の関係の規則性によって構成されている。効果的な比較が行われるのは、こうした関係を示す抽象作用への言及によってであり、リネージ、集団、オフィースその他の制度や婚姻のルールや婚姻の割合によってではない」(Needham 1974:70-71)。
 規定的縁組の比較研究を振り返って、ニーダムはまた次のようにも述べている。「規定的縁組体系の研究は、意図的に単配列的にした定義が必然的に単配列的な分析概念と一緒に用いられることで、広範に多配列的な社会的事実のクラスに有利に適用されうることを特に良く示している」(Needham 1975:366)。このことは、単配列的に仕上げた規定的縁組の定義は、対称、非対称などの単配列的な形式的な基準によって論じられることで、多配列的な社会的事実にうまく適用できたということを意味している。
 このことを踏まえれば、同じく単配列的な親族、婚姻といった概念が多配列的な現実に適用できなかったのは、それらが実体としてのクラスを念頭に置いていたからであり、親族、婚姻などの概念も形式的基準によって構成されているという視点から議論すれば、可能であるということになる。しかしニーダムはそうした議論には着手しなかった。むしろ、親族や婚姻という概念を否定する議論を展開した。ということは、これらの概念は形式的基準を用いて定義できる概念ではなかったということになろう。つまり、規定的縁組のように単配列的に定義できる概念は、それほど多くはない、あるいはむしろ限られているということを意味しているとも言えるのであり、ニーダムの比較研究の一つの限定要素をここに見ることが出来るといえよう。

初次的要因

 ニーダムによれば、比較のために必要な対称、非対称、交替などの形式的概念は、特定の言語的、知的伝統に特有のものではなく、どんな文化においても見出せるものであり、それゆえそれらは、カテゴリーなどを作り出す上で人類に普遍的な精神的特質や制約を指し示していると述べる(Needham 1975:366)。一方彼は、「すべての人間に共通」であり、「形式的で直感的可能性」であり、「論理的制約や精神的特質という形態」をとるものを初次的要因(primary factor)と呼んでいる(Needham 1972:244)。これを見る限り両者は同じものを言っているようであるが、彼は、その点について明確なことは言っておらず、両者の関係は微妙に入り組んでいるように思える。この点を踏まえながら、初次的要因について簡単に見ていくことにしよう。
 ニーダムは象徴研究に取り組む中で、人類は無数の現象の中から望ましい特定の事物や性質を選び出すことができるにもかかわらず、さまざまな象徴分類において一連の共通のものを集中的に用いている、ということに気がついた(Needham 1979:62)。そして、人類は自由意志に基づいて自分の行動を決定しているにもかかわらず、いつもよく似た制度を作り上げていると論じ(ニーダム 1981:20)、こうした類似を生み出す共通の要素を初次的要因と名付けた。つまり初次的要因は、人類に普遍的な思考のあり方とかかわっている。ニーダムは、人類が作り出した様々な文化現象は、これら初次的要因が多配列的に組み合わさることで出来上がっていると考えているのである(Needham 1981:25)。
 人類に普遍的な思考としての初次的要因を、ニーダムは大きく大別して、「要素」、「関係」、「形態」、「分類」、「心理」、「理性」に分けている(Needham 1981:20-23)。そして、「関係」という要素の中では、対称、非対称、交替などの関係によって規定しうる社会体系があるという議論を行っており、これらの形式的概念は初次的要因でもあるようにほのめかしている。しかし、一方で、形式的概念として捉えている交替という概念を、詳細な吟味の結果、初次的である必要はないと論じたりしている(Needham 1983:153)。
  ニーダムが最終的に初次的要因の特質としてまとめたものは、次のようになる。
  a それらは知覚、イメージ、抽象作用、論理的制約などの異なった種類からなる。
  b それらは意思から独立している。本源的にそれらは創造されるものでも改変され    るものでもなく、無意識的に生じる。
  c それらは体系に結びついたクラスではないが、様々に結び合わせることができる。
  d それらは初次的だが基本的ではない。それぞれは、組み合わさった根拠あるいは ありうべき決定因子に分解できる。
  e それらは、もっぱらそうだというわけではないが、特徴的には、合理性や認知に かかわる制度ではなく象徴的な形態の中に現れる。(Needham 1985:70)。
 この a では、初次的要因の種類について述べられているが、この中で、「論理的制約からなる」初次的要因というのは形式的概念と同一のように思える。しかし、「イメージからなる」初次的要因は、形式的概念とは齟齬をきたすようである。というのは、ニーダムは別のところで、イメージは形式的ではないと論じているからである(Needham 1985 :xi-xii)。これらのことを考えれば、初次的要因と考えられるものの中に、比較で重要な形式概念が含まれることもあるが、そうでないものもあり、形式的概念は必ずしも初次的要因である必然性はないということになるのである。
 ところで、ニーダムは、クラスの構成員(個体)の特性をヴィトゲンシュタインに倣って二種類に区分している。一つは種的特性(specific feature)であり、他の一つは個別的特性(characteristic feature)である。前者は単配列分類における特性のようにクラスを決定する特性であり、後者は多配列分類における特性のように、偶発的で本質的なものではないという。そして、初次的要因を、後者の個別的特性の基礎となる「文化の基本的構成要素」を構成するものとして位置づけているのである(Needham 1981:1)。つまり、初次的要因とは、多配列クラスの構成員の持つ特性の基礎となる人類の思考に普遍的に存在する論理のあり方ということになろう。
 こうした議論の中、ニーダムは元型という新たな概念を提出する。元型というのは初次的要因によって構成される総合的文化複合であり(Needham 1978:19, 1981:1)、無意識のもつ性癖として捉えられている(Needham 1980)。つまりは、人類の無意識の想像力の元型となっているものを指しているのであるが(Needham 1978:45)、その例として取り上げられているのが、片側人間というイメージである。

ニーダムの比較研究(U)普遍的思考の追及
 
 片側人間とは、体の一方の側からだけで出来ており、同じ側に目が一つ、手が一本、足が一本あるような想像上の人間である。ニーダムは、こうした人体を垂直に二分割することによって出来る片側人間のイメージが世界中に分布していることに注目し、さまざまな社会における神話などを比較することでそのイメージの概念規定を試みている(ニーダム 1982)。
 この比較研究は、しかし、規定的縁組の場合とは異なった様相を呈している。まず、規定的縁組が社会全体に及ぶシステムであるのに対して、片側人間イメージは神話の中の一つのモチーフにすぎないであるという点が挙げられる。次に、規定的縁組の比較では、形式的基準を用いて規定的縁組を定義することの重要性が指摘されているのに対して、片側人間の場合は、そのイメージは双分原理によって出来上がるとは述べているが、それをさらにいくつかの形式的基準によって定義しようとするわけでもない。そして、規定的縁組では行わなかった元型の設定を片側人間研究では行っている。つまりは、ニーダムは、後者においては、様々な社会における神話からの事例を比較する中で、片側人間というモチーフが如何に人類の文化現象に普遍的に現れるのかという点を強調していくのである。そして、片側人間イメージは、数の上でも圧倒的に多く、人体を二分割するという様々な可能性の一つであるというよりも、それ自体独自の意味を持つ独立した形態であると主張し(ニーダム 1982:46)、「片側人間という文化表象を一つの元型という心理的要素に起因するものと考えることが出来る」と結論することになるのである(ニーダム 1982:51)。
 ニーダムの関心は、形式的基準を用いた多配列事象の比較というよりも、比較研究をとおして、人類に普遍的な要素が何であるのかということを追求するということにおかれるようになる。そしてニーダムは、何が初次的要因と呼べるのか、という問題を比較研究によって精力的に展開することになるのである。それは、「西洋人類学は、実際に何が人間の本質的な、それゆえ普遍的な能力や特質なのかを問わずに、それらが何であるのかを既に知っているのが当たり前であると考え、自分達自身の言語による語彙が記述と分析にとって完全に適切な手段であると確信してきた」ことへの批判を込めたものであった(Needham 1978:8)。
 ニーダムは、規定的体系では対称、非対称などの関係を用いることでかなりのことが明らかになったと述べた後、「そして象徴的分類の分野においても、対立(opposition)、類似(analogy)、相同性(homology)という観念に依拠することで同様の(学術的)利益が生まれた。・・・しかし、我々がそうしたアイデアに依拠する時、我々の説明はどんな根拠に基づいて行われているのかということを発見するという、よりラディカルな仕事が残っている」と論じる(Needham 1983:93)。この視点に立って、彼は、様々な社会における事例を取り上げながら、交替、反転(reversal)、対立、倒置(inversion)などの概念を吟味している(Needham 1983, 1987)。
 そして、反転や対立という概念は「どちらも明確でもなければ確かでもなく、それに言及することで社会的事実の単配列クラスが識別できるような定数でもない・・・・反転というクラスは、多配列的である」と述べるとともに(Needham 1983:112)、次のように論じるのである。「対立という概念には本質的でかつ弁別的な属性はない。対称や他動性のような本当の形式的概念と違って、対立は内的な論理形態を持たない。適切な定義がなく、だた、たくさんの異なった種類の変数の間で見られるさまざまな二元的な関係の不確定な集合があるだけなのだ。対立の諸様式は、対比の多配列クラスを作り上げる。このクラスの成員の・・・個別的諸特性は、それらが二元的であること、また、空間的な隠喩によって描かれているということである」(Needham 1987:235-236)。
 ニーダムは、比較研究に基づいて、人類の思考に普遍的な概念は何かを探り出すとともに、それまで普遍的だと考えられてきたものが、真にそうであるのかどうかということを確定していると言えよう。

おわりに

 ニーダムは、初次的要因が大脳皮質の機能とかかわっていると論じたことで(Needham 1981:25)、「彼が導き出す結論は、人を大いに拍子抜けさせる」という批判を受けることになる(出口 2003: 218)。確かに、従来の比較研究を徹底的に批判してきたニーダムが、新たに行った比較研究で、生理学的、生物学的な決定論と結びつくような結論を述べているとなるとがっかりするということは理解できる。彼は、比較研究を通して人類に普遍的な思考のあり方を追及しているが、その結論が生理学的、生物学的に決定されるというのであれば、比較をすること自体が無意味になってしまう。それは、まさにマリノフスキーの生物学的欲求を基盤とした機能論と同じく、トートロジックな議論になってしまうということになる。しかし、その点をだけを問題として、ニーダムが実施したり提案したりしてきた比較研究を一蹴することはできないであろう。初次的要因が大脳皮質の機能と関わっていようといまいと、人類に普遍的な思考のあり方を示していようといまいと、多配列的現実をなんとか比較しようとしたニーダムの研究は大いなる意味を持っていると言うべきなのである。
 ニーダムは、確かに比較主義者である。そして、彼の比較研究でポイントとなるのは、比較を通じて単配列的な概念を抽出しようとしているということである。比較研究Tでは、単配列的な形式的概念を用いて単配列的な定義(規定的縁組)を抽出し、比較研究Uでは、人類の思考にとって普遍的とされる単配列的な形式的概念、あるいは初次的要因を抽出しているのである。その意味で、ニーダムは、比較を通じて、必然的に単配列的になされる「概念の科学的定義」を行っているとも言えるのである。ただし、従来の科学的定義と異なるのは、ニーダムが現実は多配列的であるという認識をもっているということ、そして、実体としての現実とは異なった抽象的な論理、イメージなどを扱うことで、実体的な単配列クラスの定義をしているのではないということであろう。
 この点と関連することだが、ニーダムは、ヴィトゲンシュタインの「家族的類似」を基点に議論を始めているにもかかわらず、比較研究では、それ、あるいは多配列クラスについては何も語らず、単配列クラスについてだけ語ってきたといえる。もっともそれは、単配列クラスと単配列クラスを比較したということを意味するのではない。ニーダムは、多配列的な社会的事実を比較するためには単配列クラスが介在せねばならないと考えているのであり、「単配列クラスには置換の原理が適用できる」という点こそが、比較を可能にしていると言っているようである。つまり彼は、別の言い方をすれば、共通の特性を抽出できないもの同士を比較することはできないという従来の比較研究の枠組みを踏襲しているといえるのである。
 このようなニーダムの比較研究は、しかし限界を持っている。それは、既に指摘したように、形式的基準を用いて多配列的現実にうまく適用できる単配列的定義を行うことの出来る概念は、限られているということである。彼は規定的縁組以外の概念については、こうした定義を試みているわけではないのである。そして彼は、より単配列的定義が可能であると考えられる人類の思考に普遍的な形式的概念、あるいは初次的要因という概念そのものの確定という作業に向かうことになる。その意味で、ニーダムの比較の方法は、人類の作り出した社会的事実の根幹にかかわる部分にだけ適用できるのであり、それ故、社会的事実の大部分を切り捨てた部分にだけしか適用できないということになるのである。人類に普遍的な思考のあり方を探るためにはそれでいいのかもしれないが、多配列的な社会的事実をいかにして比較するのかという当初の課題のためには、ニーダムの比較研究の限界を乗り越えていかねばならない。この問題をクリアするためには、従来の比較研究の枠組みを出て、多配列クラスを基点とした比較の道を探るしかないのである。
 我々は、まず、ニーダムが手を付けてこなかった多配列クラスのあり方を研究することから始める必要があろう。筆者は、多配列クラスにおける「個別的特性が互いに類似している」という問題を考える時には、渡辺が論じた「重要な特性とそうでない特性の区分」が重要なポイントとなるだろうと考えている。また、ヴィトゲンシュタインの「家族的類似」の概念を念頭に置いた、認知心理学における「典型」概念も重要であると考えている(吉岡 1983、1998、光延 1989)。こうした多配列クラスのあり方の研究が、多配列クラスを基点とした比較の道を切り開くためには、まだまだ課題が山積している。しかし、これらを出発点として新たな比較研究を探ることで、ニーダムの比較への挑戦、つまり、エヴァンズ=プリチャードのテーゼを乗り越えるための試みを継承していけるのではないだろうか。

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