NHK BS1 『発見!世界の子育て』
アンケート
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1.子育てでこそ得られる喜び・価値とは何でしょうか?
世界には様々な社会があります。母系社会では、母と子供たちは同じ家族のメンバーだけれと父親はよその家族のメンバーという扱いを受けます。要するに、母子関係が強調される社会です。この社会では、しかし、父は積極的に子供とかかわろうとします。具体的には、子供をかわいがり、子育てに参加するのです。なぜそうするのか?それは、子育てにかかわることで、父親として子どもとの関係を築こうとするからです。父と子は違う家族に属していても、子育てを通して親子関係が保たれるのです。一方、母親は何もしなくても子供との生物学的な結びつきが認められ、社会的にも子供と同じ家族のメンバーであると考えられていますが、やはり、子育てに励みます。どうしてかといえば、「生んだだけ」では親になれないのであり、「育て」て初めて、親子であることが確立するからです。子育てとは、親子関係の証なのです。
2.日本では、子育てのために「仕事での成功をあきらめなくてはいけない」「自分の人生を楽しめない」という親の声が聞かれます。子育てをしやすい社会的条件・環境とは何でしょうか?
子育てのために仕事での成功をあきらめないといけない、という声は、主として女性から出てきます。そのため、出産休暇や育児休暇を権利として認めるような社会体制づくりの重要性は、早くから叫ばれてきています。また、託児所の増設やベビーシッターの育成も、同様に早急な課題として、提起されています。これらの議論は、子育てをしながら、男性も女性も同等に社会に出て働けるための装置をつくろう、という議論だろうと思います。それはそれで重要なことなのですが、こうした現在の流れは、ある意味で近代の呪縛から開放されていないということも意味しています。近代の呪縛とは、家庭内の仕事よりも外の公的な仕事の方が価値が高いという固定された見方のことです。女性が社会に出て働けるようになる装置を開発するのは、外の公的な仕事に価値があると考えるからです。ところが、こうして男性も女性も公的な場に身を置くと、家庭内の仕事に身をおく者がいなくなります。子育ては家庭内で行われます。必然的に、子育ては、それを業務とする人々が担当するような形になってきます。その結果、家族という単位の崩壊をもたらしかねません。そこで、発想を逆転して、女性を公的な場に進出させるということと平行して、男性を家庭内的な場に戻すという発想をする必要があると思います。最低限でも、家庭内的な付き合い(夫婦、親子の約束や行事)が公的な付き合い(会社の上司、同僚、部下との懇談など)と対等に扱われなければ、子育てのための環境はスタートすらできません。男性が家庭内的な領域に戻ることによって、女性は公的な場に向かうことも可能になります。子育ては、親である母親と父親が共有して行うべきことです。そのためには、男性を家庭内的な領域に戻さねばなりません。
3.どうすれば「子育てを楽しくする」ことができるでしょうか。
ご提言をいただけないでしょうか。
日本の都市生活では特に核家族化が進んでいますが、その核家族は、しかし、「母親と子ども」というまとまりに、「父親」が申し訳程度にくっついて出来あがっているような構成に見えます。父親は、家庭内的な領域にかかわらないとでも言うかのように、外からしか家庭内の世界に関与しません。そして子育ては母親の専売特許となってしまいます。これが問題なのです。母親一人に子育ての責任を押しつけることこそ、もっとも避けなければならないことだろうと思います。夫婦で子育てを共有すべきです。子育てを共有してこそ、家族の未来の設計が出来るのではないでしょうか。