ポストコロニアル人類学を批判する
吉岡政徳
(2005,1,29於民博)
1 拙著『反・ポストコロニアル人類学』 硬直した捉え方を批判したい
Aはだめだからnon-Aという論法を批判したい
○目次と概要の説明
2 ネオコロニアルとポストコロニアル
2−1 ネオコロニアリズムの三つの形態
○経済的形態 --- 経済援助
○政治的形態 --- 軍事同盟、PKO活動など
○文化的形態 --- 文化帝国主義
2−2 ポストコロニアリズムの二つの用いられ方
○文化帝国主義という考え方を肯定
○文化帝国主義という考え方を否定
2−3 ポストコロニアル人類学の特質
○本質主義批判 ・文化帝国主義という捉え方を批判
・自文化中心主義という捉え方を批判
○異種混淆論 ・文化は創造される、構築される
・真正な文化はない
○文化を語る権利 ・政治的正しさ
3 「ポストコロニアル人類学」批判
3−1 歴史的もつれ合い = 土着と西洋という二分法を批判(トーマス)
○「真正で単一の伝統体で、豊かな文化的複合に満ちているもの」
と「宣教師や居住者によって持ち込まれた雑多であまり興味を
引かない西洋技術や換金作物など」という二分法を批判
○植民地化する側の持ち込むことが変われば、植民地化された側の
反応も変わる → 植民地における伝統の発明は受動的
○植民地化する側のヘゲモニーを証明
3−2 純粋な文化 = 本質主義的規定
○「消滅の語り」批判→固定的な「真正な伝統文化」設定を批判
○文化間の相互作用が不断のものであると強調 → どのような外
的影響であっても同じような相互作用が生じると錯覚
○しかし、変化は現実に起こっている→変化を考えるときには、前
と後を設定する。それを封印することは議論の硬直化に。
3−3 真正さ
○「真正さ」の強調は本質主義的。
↓
「真正」なものはない。
○しかし、こうした視点は、リアリティが単一であることを前提。
○真正さが、あるか、ないかという問題ではない。
○人々が語る真正さは、ある、が臨機応変に移り変わる。
○リアリティは単一ではない(キージング)という現実を見落とす
3−4 政治的正しさ
○支配ー被支配の図式からぬけれない
○被支配者、あるいは弱者とは何か?
○植民地支配を受けた側=弱者:弱者の論理を支援
○植民地化した側の論理はすべて批判される=議論の硬直化
3−5 異種混淆
○二分法を批判 → シンクレティックに混交した文化に着目
しかし、要素主義的:腕時計をしてティーシャツを着たキリスト
教徒が行う「伝統的儀礼」→ 混交した文化
↓
しかし、儀礼を行っている人々はそれを「真正な伝統」と見てい
る
↓
誰が「混淆している」と決めるのか?
○固定した文化観を批判→文化は構築される、真正な文化はない→
島嶼のエリート達の主張する「伝統」も真正ではない→政治的に
正しくない→他者の文化を研究者が語ることは出来ない
↓
「かつての伝統と後からの近代は混淆して新たな文化を創造してお
り、それに意味がある」という考え
↓
島嶼のエリート達が言う「伝統」そこには含まれる→エリート達
は自分達の言う伝統が真正なものであると主張する必要がなくな
る
○エリート主義:エリート達の発言ばかりに注意が向く
↓
エリート達と共同でワークショップを開催、同じ論点を共有
↓
真のオリエンタリスト
4 多配列思考
4−1 多配列と単配列
○単配列 --- 共通の特性を抽出する科学的定義の根幹
多配列 --- 家族的類似、チェーンの輪をつなぐように結びつく
|
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多配列クラス |
単配列クラス |
個体 |
1 2 3 4 |
5 6 |
特
性
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A A A
B B B
C C C
D D D
|
F F
G G
H H
|
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|
4−2 類似に基づく関連
○典型の持つ特性との類似によって周辺が形成される
XとYは葉の形が似ている
YとZは幹の形が似ている
4−3 多配列思考
○単配列思考:明確な境界線を持つ単一のリアリティを想定
多配列思考:リアリティの重なりを認め個々のリアリティの境界
線を曖昧なままにしておくという発想
↓
多声的リアリティの承認
:cf.クリフォードの「多声的」概念 = 単配列的
:「近代」以前の思考
4−4 多配列思考に基づく現実と、多配列的に捉える研究者の視点
4−5 単配列思考とポストコロニアル人類学
○本質主義的な従来の研究姿勢 → 単配列思考
それを批判しようとしたポストコロニアル人類学の議論
→ 単配列思考
5 本質主義批判と差異性の設定
5−1 ジレンマに陥る「創造される文化」論
○山下論:非真正とは呼べない「秘境観光文化」 しかし
観光する側とされる側の力関係が顕在化した見方を温存
5−2 ジレンマに陥る「政治的正しさ」擁護論
○栗田論:観光される側がなんらかの利益をあげる→秘境観光を否
定するような見解を提出するのは政治的に正しくない
しかし
観光する側とされる側の力関係が顕在化した見方を温存
5−3 ジレンマの解消
○観光される側に対するする側の一方的な見方を問い直す
文化的優劣ではなく文化的差異の強調
5−4 本質主義に陥らずに差異を設定する
○従来の差異の設定=他者を他者として閉じ込める
=あれかこれかの二分法を生み出す
:単配列的思考による
○近代の持ち込んだ「あれ」か「これ」かの二者択一
↓
本質主義的な排他的区分
↓
それに対する批判としての混淆論、ボーダレス論
↓
カテゴリー区分、差異性の放棄
○周辺は混交していても、中心部は差異があるとみなされる現実
↓ =多配列的な世界
カテゴリーの区分、差異性の保持、しかし、排他的ではない