首都フナフチのマネアパ


 フナフチの空港に降り立つと、オレンジ色の屋根を持った比較的大きな平屋建ての建物が目に入ってくる。空港ターミナルの建物のすぐ横にあるこの建物は、腰高の壁があるだけで、中が丸見えになる独特の作りをしている。この建物がマネアパで、建物の中はがらんどうになっており、種々の会合をするための集会所として機能している(写真1)。空港の横にあるマネアパは、政府関連の諸会合が行われたりする集会所で、時々、裁判も行われる。裁判をするときには、テーブルと椅子が運び込まれるが、外から中が丸見えであるため、何をしているのかは誰でも覗くことができる。
 

              写真1

 この集会所は、ファレカウプレとも呼ばれる。マネアパという言葉は、ツバルの北隣のキリバス共和国にある同種の集会所の名称マネアバに由来する言葉で、ツバルでは島によってこの種の集会所の呼び方が異なっていたので、総称としてマネアパが用いられているようである。しかし、キリバス語よりもツバル語をという流れなのか、近年、「議論をする家」という意味を持つファレカウプレが意識して用いられるようになっている。1998年には観光局の出しているパンフレットにはマネアパという言葉が用いられていたのだが、2005年現在では、ファレカウプレという名前に代わっている。しかし、この呼称がフナフチの人びとの間で定着しているとは言い難い。フナフチの町議会もカウプレと呼ばれているが、カウプレという言葉は町議会だけに使うべきだという人もおり、集会所に対しては、マネアパという言葉がまだ広く用いられているのが現状である。
 マネアパは、ツバルの伝統的な政治的会議場であった。人々はそれぞれの島のマネアパで様々な議題について議論し、島としての方針などを決定してきた。ツバルの伝統的政治体系はチーフ制と呼ばれるものであり、リーダーであるチーフがピラミッドの頂点を構成する中央集権体制を作り上げていた。それぞれの島にはそれぞれの島のチーフが統治者として君臨し、チーフの座は、基本的にその長男が後を継ぐという世襲制によって継承されてきた。マネアパは、こうしたチーフ制に基づいた政治的な集会所だったわけである。独立国家となった現在は、それぞれの島のチーフは以前のような統治者としての存在ではなくなったが、それでも、人々の日常生活と密着した事柄についての議論を取りまとめる存在として重要な役割りを今でも演じているのだ。
 

 ところで、フナフチには、空港横にある政府関係のマネアパ以外にも、マネアパが九つも存在している。実は、これら九つのマネアパは、首都で生活する人々の郷里となっている島ごとにつくられているのである。
 フナフチはツバルの首都として、各地から人々が集まってきているところである。表1は、2002年の国勢調査によるツバルの島別人口構成を示しているが、ツバルを通常の居住地とする人々9,359人のうち、実に4割以上の3,962人がフナフチに集まっているのである。表2は、フナフチ在住者を郷里別に示したものである。フナフチ居住者の4分の3以上は他島出身者であり、しかも、それぞれの郷里の島の人口と対比してみれば分かるが、かなりの割合の人々が首都に移住してきていることが分かるであろう。フナフチ出身者は、当然自分達のマネアパを持っているが、他の島からフナフチにやってきた人々も、郷里ごとにコミュニティを構成し、コミュニティ・ホールとしてのマネアパを持っているのである。
 フナフチの人々は、メインのマネアパと、南部の人々のための補助的なマネアパと二つのマネアパを持っているため、残りの七つのマネアパが、他島出身者コミュニティのマネアパということになる。ところで、人口の極端に少ないニウラキタは、もともと無人島だったがニウタオの人々が移住したため有人島となった歴史を持っている。そして、人々の意識では、この島はニウタオと同じ範疇にくくられる。その意味で、ツバルは、フナフチを除くと七つの「島地域」から構成されていると言えるが、それら七地域を郷里とする人々が、フナフチで七つの地域コミュニティを成立させているのである。
 これら七つのコミュニティは、必ずしも、地理的にまとまった地区を形成しているわけではない。同じ島の出身者でもフナフチの各地に散らばって居住していることが多いが、自分達のマネアパを中核にコミュニティとしてのまとまりを維持しているのである。
 各コミュニティは、それぞれ独自のやり方で運営されている。例えば、ニウタオ出身者のコミュニティでは、役員として、リーダー、サブリーダー、会計、秘書、そして連絡人を置いている。ニウタオの人々は、例外的に、マネアパ周辺にまとまって居住していると言われているが、それでも、連絡人を2人置いて、フナフチ各地に散らばっている人々との連携を保っているのである。これら役員で議案を作成し、毎月1回、日曜日の夜にマネアパで行われる会合にはかる。話の中心は、コミュニティや郷里のニウタオの発展についてである。各世帯から寄付金を募って郷里の島に寄付することもあるという。これら役員は、選挙によって毎年選出される。リーダーは、コミュニティを代表し、コミュニティを統括する。しかし、彼はチーフとは呼ばれない。チーフは、それぞれの郷里の島にいるからだ。フナフチに移住してきた人々のコミュニティは、あくまでも、郷里の島の「飛び地」なのであり、そのコミュニティのリーダーは、島のチーフの「配下」になるのだ。

  島・環礁

 人数

 

 郷里の島・環礁

 人数

 

  ナヌメア
  ナヌマンガ
  ニウタオ
  ヌイ
  ヴァイツプ
  ヌクフェタウ
  フナフチ
  ヌクラエラエ
  ニウラキタ

 855
  710
  817
  610
 1310
  701
 3962
  392
    2

  ナヌメア
  ナヌマンガ
ニウタオ
  ヌイ
  ヴァイツプ
  ヌクフェタウ
  フナフチ
  ヌクラエラエ
  ニウラキタ
  どれでもない

  661
  356
  627
  222
  463
  459
 972
    98
     0
  104

         

9359

       

 3962

表1 2002年国勢調査による        表22002年国政調査によるフナフチ 
ツバルの島別人口構成        在住者の郷里別人口構成 


 それぞれのコミュニティには特別の日がある。ニウタオ・コミュニティにとっては917日がその特別の日である。昔この日に、ニウタオ島では4人の祖先がコンクリート製の教会を初めて建立したという。それを記念して、フナフチ在住のニウタオ出身者も様々な行事を行う。今年は、17日に球技大会、18日には、ヌクフェタウ出身者と合同で会食と合唱の夕べが催された。合唱は、日が落ちてから、歌合戦の形式で行われた。二手に分かれた人々が、儀礼的なやり方で、交互に歌を競う。まるで、村落がそのまま出現したかのような雰囲気であった(写真2)。しかし、そのすぐ横には、ニウタウ・コミュニティの人々が、自らのコミュニティのために作った夜間照明付のコートがあり、歌合戦に関心のない子供達が、夜の8時をまわっても照明に照らされたコートで、球技に興じていた(写真3)。フナフチは、村落ではなく都市なのだ(続く)。(2006年3月『会報ツバル』27に掲載)

               

         写真2             写真3

首都フナフチのマネアパ(続き)

ツバルの水

 フナフチで私が滞在していたロッジのシャワー室には、水を満杯にしたバケツと、その水をくみ出すための桶が置いてあった。最初は、何のために使うのだろうか?洗濯の為か?と思っていたが、数日してその理由がわかった。シャワーが、突然、出なくなったのである。シャワーだけではない。トイレの水も、洗面のための水も出なくなったのである。バケツの水は、そんなときに用いる非常用の水だったのだ。
 ツバルの水は、天水に頼っている。基本的に各家はタンクや貯水槽を持っていて、トタン屋根をつたって落ちる雨水をタンクや貯水槽にためて使っている。私の滞在したロッジも大きなタンクを持っているが、そのタンクの水が枯渇してしまったのである。雨が降らないとき水を使い続けると、必然的に水が枯渇する。そのために、ツバルでは、政府庁舎、病院、港、公共事業局の建物などの地下に大きな貯水槽を作って水をためておき、非常事態になれば、有料だが、これらの水を必要なところに給水してまわるのである(写真4)。私の泊まったロッジは、給水車が来るまでの2−3日間、管理人がどこからか水を都合してきてバケツに満たしてくれた。その水で、シャワーをすることができた次第である。

タンク

 貯水槽

  タンクと貯水槽

 コミュニティ貯水槽

 その他

  

404

 134

    62

    22

  17

 639

         表 フナフチの家の数と飲料水の入手手段

 表は、2002年の国勢調査によるもので、飲み水をどのようにして確保しているのかという調査結果である。フナフチの639戸の家では、多くは自宅のタンクや貯水槽を利用して水を確保しているが、中には、コミュニティ貯水槽を利用している人々もいる。このコミュニティ貯水槽というのが、コミュニティのマネアパのところに作られた貯水槽のことなのである。フナフチには、各島からやってきた人々が作る7つのコミュニティがあるが、それぞれのコミュニティのマネアパは貯水槽を持っており、そこにたまった水は、コミュニティが管理しコミュニティの人々だけのために使われるのである。

      
           写真4                                   写真5


フナフチのチーフ

 これら7つのコミュニティと一線を画しているのが、フナフチ・コミュニティである。フナフチ・コミュニティのマネアパは二つあるが、ツバル・キリスト教会の大きな建物の奥にあるマネアパが、メインのマネアパである(写真5)。そしてそこにある貯水槽は、コミュニティの管轄ではなくローカル・ガヴァメントの管轄になっており、半公共的なものとして使用されているのである。
 ところで、フナフチは、各島から人々が集まる首都であると同時に、フナフチ生まれの人々にとっては、そこが故郷である。フナフチにやってきた他の島の人々のコミュニティは、いわば、それぞれの出身島の統制化にある「飛び地」としての地位であるのに対して、フナフチ・コミュニティは、そのまま「故郷」であり「本島」なのである。そのため、他のコミュニティとは異なり、フナフチ・コミュニティの長は、チーフ(首長)と呼ばれている。そしてチーフは、マネアパの運営、コミュニティの発展、フナフチ全体の動向に対して目を光らせているのである。
 フナフチのチーフは、本来は、世襲制をとっていた。基本的に息子が後を継ぐ形で首長位が継承されていったが、そのシステムは、サモアからキリスト教の牧師がやってきたときに崩れてしまった。つまり、キリスト教の布教活動にやってきたサモアの牧師が大きな影響力をもつに従って、チーフの力が衰えて行ったのである。サモアから最初の牧師がやってきた当時のチーフであるイアコパは、その座を牧師に明け渡したと言われているのである。そしてそのチーフの息子で、最後の伝統的なチーフとなったエリカが
1902年に亡くなることで、フナフチにおける伝統的な世襲制によるチーフ・システムは終わりを告げてしまった。しかし、現在のフナフチでは、こうした世襲制による伝統的なチーフとは異なるが、新たなチーフが存在している。このチーフは、世襲制によって代々継がれていくのではなく、選挙によって選ばれるのである。


        写真6

 写真6は、現在のフナフチのチーフであるシアオシ氏である。毎年選挙で選出されるが、シアオシ氏は4年間チーフをつとめている。選挙は、マネアパでの会議に出席する人々によって行われるのであるが、これらの人々は、常に50人と定められている。この50人は、マタイと呼ばれるフナフチ出身者の各家系の家長達なのである。この50人によって最も多くの票を得た者がその年のチーフとして、次の票を獲得した者が、その年のチーフ代理として活動することになる。チーフ代理というのは、フナフチの伝統的なチーフ・システムにも存在したもので、会議では、チーフになり代わって議事を進行し、チーフの代弁者として様々な発言をする役割りを持った者である。そして、チーフは、会議ではあまり発言しない。シアオシ氏も、会議の最後に、会議で出た意見をまとめるような発言をするだけだ、と言っていた。チーフは、自分の意見を押し付けるのではなく、みんなが合意できるように、多数意見を代表してまとめるという。
 マネアパでの会議は、月1回行われる。そこでは、漁業、農業、地域開発など、何でも議題として取り上げるという。時々、政府関係者や町議会のメンバーなどもやってきて、政府提案、町議会からの提案をしていくらしいが、このマネアパの会議でそれを拒否することもあるという。マネアパは、いわば住民会議とでも呼べる性格を持っており、住民の意思の決定機関でもあるのだ。

ゲマインシャフト都市・フナフチ

 フナフチ・コミュニティのマネアパ会議に出席する50人の家長達は、フナフチの土地の所有者達でもある。フナフチはツバルの首都であるため、公有地も多い。約60%が公有地であるとされている。しかし残りの40%は私有地であり、これらが、この50人によって分有されているというわけである。そしてそれらの土地は、宅地として使われる他、多くの部分は、実は、農地として使われているのである。
 人々自らが「ヴィレッジ」と呼ぶフナフチ中心部は、様々な都市機能を備えた市街地であり、個人所有のオートバイや車、さらには公共交通としてのバスやタクシーが行きかういわば「繁華街」である。しかしそれと同時に、その「繁華街」は、バナナやココヤシなどが茂り、あちこちに、プラカ・ピットと呼ばれるタロイモの田んぼが作られた田園風景の中に存在している(写真7)。これらタロイモの田んぼなどの農地は、フナフチ出身者の所有になるものである。他島からやってきた人々は、基本的には土地を所有していないため、公有地を借りるなどして居住しているが、畑や田んぼを作ることはできない。これができるのは、フナフチ出身者だけなのである。
 各家々の敷地内や、道路の並木のようにして林立しているココヤシの樹の上の方をじっと見ると、小さなビンがつるされているのが目に入る(写真8)。これは、ココヤシの実を作る樹液を、ビンにためているものである。カレヴェと呼ばれるこの樹液は、水で割ると甘いジュースにもなるし、日を置くと、発酵してヤシ酒にもなる。ツバルでははなくてはならない食材であるが、これらの収穫も、まるで村落での生活のようにして、首都フナフチで実現されているのである。

     
        写真7                        写真8

 村落生活で顕著に見出せる相互扶助に基づく人間関係が、フナフチ・コミュニティでも実現されている。人々は総出で、メンバーの農地の世話に出かけることもある。コミュニティのマネアパが、メンバー相互を有機的に結び付けており、そこには、「隣人は何をしている人か分からない」という都市特有のバラバラな人間関係は見出せない。

 フナフチでは、このように村落生活が実現されているわけだが、それでも、フナフチのチーフ、シアオシ氏は、フナフチは他の島と比べると西洋化が進んでいるので良くない、と批判的だ。特に、「お金」について苦言を呈する。チーフは言う。「お金すべてが悪いわけではない。お金をもっと欲しいと思うと、悪くなる。オートバイにみんな乗るけど、あんなもの必要ない。歩けばよい。こんな小さな島なのだから。何のためのタクシーだ。これらはガソリンがいる。輸入してくるのだ。オートバイに乗る、それを欲しがる、お金がいる、盗みなどが生じる。これが良くない。」
 西洋化、近代化、そして現金経済の流通は、フナフチが首都として機能している以上避けられない。それこそが都市機能を充実させていくのだ。通常は、都市はそのまま発展して、合理的・機械的な性質を持つゲゼルシャフト(利益社会)として、そして無機的なバラバラの人間関係の場として拡大していく。ところが、フナフチでは、それを阻止するかの様に、マネアパを中心とした各コミュニティが、血縁、地縁、友情などによって有機的に結びついた共同体、すなわちゲマインシャフト(共同社会)を持続させている。フナフチは、首都としては稀有なゲマインシャフト都市として、存続し続けているのである。(2006年10月『会報ツバル』28に掲載)