他者を見る眼

―異人論から芸術論へ―


所属専攻 コミュニケーション学専攻 講座 異文化コミュニケーション論講座




               堀 畑 由 加 里

要旨

本論文は、“異人”としての「他者」の認識について、特にその他者を「見る」という行為、視覚による認識に着目し、「見る」ことそれ自体の根源的な意味について再考することが目的である。自己は「自己」を肯定するために少なからず否定的な「他者」の概念を必要としているのではないだろうか。私はこの疑問を、日常生活に見出せる「他者」存在を対象に分析を開始した。日常の生活において‘奇異のもの’‘新奇のもの’を見た時には不安や興味、好奇心が生じることは比較的良くある事柄である。その認識を分析することで、私たちの抱いている「他者」像には人間の不安や恐怖が反映されていることを検証した。

第一章では、物事を見分け分類することがこれまでどう考えられてきたのかを振り返る。“異人”としての「他者」について、過去の研究者がどう捉えてきたのかをトーテミズム理論からイソマ儀礼などを参照にして考察する。「他者」としての異文化研究は文化人類学の分野であるが、その研究過程で注目された人間社会の分類体系、その“区別”の意識についてもE.デュルケームとM.モース、レヴィ=ブリュルらによって早くから論じられていた[坂井1988:165-166]。初期の人類学者は、主にその植民地における調査から「われわれ」よりも低俗な文化をもった「彼ら」現地人が構成しているその社会体系は、根拠のない宗教的観念や恐怖によって支配されていると考えた。その見解を否定したレヴィ=ストロースは、人間が作り出す分類体系とは、人類に普遍の知的欲求の賜物だと主張し、その点で「彼ら」と「われわれ」の間に優劣の差はないとした。レヴィストロースが重視したのは社会体系の形式であり、彼はあらゆる文化に見出せるという構造モデルを抽出した。彼の構造主義は人類学に大きな影響を与えた。しかしその後、構造分析は批判の対象となる。M.ダグラス、E.リーチ、V.ターナーらは、構造主義者が社会体系の二項対立的な構造を見出すことに固執する傾向を批判する。そして二項の間、つまり「中間」にあるもの、あいまいなものが着目されることとなり、分類不可能なもの、中間的性質に関する議論が発展した。中間的性質を表現する象徴は社会の中にたくさん見出せる。特に儀礼の中にはその中間的性質が明らかに見出せる。それゆえ、儀礼の性質についても考慮した。このような経緯の中で、人間が不安を覚えるような未知であいまいなもの、つまり中間的性質を有するものへの視点を導いた。

第二章では、社会において中間的性質を有するものは良くも悪くも特別視され忌避されている様相を考察し、その要因として「自己」を肯定・確立するための「他者」の存在の必要性が関わっていることを明らかにした。実際の社会の中で機能している二項対立の図式に、「われわれ」は常に「彼ら」の領域を作り出すという「排除の原則」が機能していることを指摘し、そうした区別を作り出す根源である“境界”の概念について分析した。“境界”の概念には人間と非人間といった生物学的過程の象徴や、自然と明らかに結びついたシンボルをたくさん見出すことができる。中間項に着目した議論は“境界”がない状況、境界があいまいになることへの人間の本来的な不安や興味についての考察へと発展する。この人間の本来的な不安についての考察は、具体的には“闇”というそれ自体カテゴリーの外にあるもの、分類できないものに対する私たちの意識やそれに対する人間の対応についての考察をした。捉えられない“闇”に対して、人は“妖怪”や“異人”が住む「異界」と関連付けてその意識の中に取り入れてきた。そうした“名づけ”の行為によって、捉えられない概念を捉え得るものにしようとする人間の普遍的態度を明らかにした。

またその議論の中で、異界への入り口としての「穴」の概念に注目し、「穴」が人間にとって非常に重要視されていること、物事の入り口と出口を象徴する「穴」が儀礼でよく使用されていることなどから、「穴」を通る、又は通すということは一時的な“闇”の体験であると言及するに至った。さらに、この一時的な“闇”である「穴」概念とその象徴である女性の膣との関連性は、負のイメージを付与されることが多い女性原理の解明でもあった。それは“闇”を自己以外のもの、つまり「他者」と関連付けることによって思考を成立させようとする人間の一つの営為であった。カテゴリーの外にあったはずの“闇”は異人としての「他者」と関連付けられることによってカテゴライズされ得るものとなり、「われわれ」の世界とは異なる他界、未知で不安の源泉である恐ろしい闇の世界として捉えられるようになっているということが判明した。“境界”を有しないものである“闇”は“名づけ”の行為によって何かと関連付けられることでカテゴライズされ、再び二項の図式に組み込まれる対象となっていたのである。こうした社会の仕組みを明らかにしたのが第二章である。

第三章では第二章で追求した“境界”の性質とそれを象徴的に表出する“儀礼”の持つ中間的性質が、両義的、多義的な空間であるカーニヴァル的要素と関わりを持っていることに着目した。物事を分類すること、その最も根源的な「自己」と「他者」の“境界”を見出すその“見る”行為に注目し、芸術論を考慮して“見る”ことの意味や効力について再考した。具体的には“鏡”という媒体を使用して「自己」を見出そうとする行為について追求し、「自己」「私」として把握しているものは、実は「自己」という名の「他者」ではないかと考えられることをラカンの見解を参考にしながら提示した。これによって、両者を隔てている“境界”は有ってないようなものであること、したがってそれを頑なに肯定し、「他者」を「自己」から遠ざけている「自己」も場面によっては簡単にその防御を解いてしまうという事柄が明らかになった。その場面とは、“境界”のないことを許容する空間、すなわちカーニヴァルの領域である。そうした“境界”のない状況、一時的なアノミー状態を許容するカーニヴァルの空間は「芸術」の分野として社会構造の中に用意されていることを指摘した、それが第三章である。

以上のように異なる角度から「他者認識」について考察し、私達にはどのように「他者」の認識が必要なのかを追求したのが本論である。それを明確にした上で、「他者」との対話を生み出すことを可能にさせる媒体の一つとして、「芸術」の効力が挙げられることを提案する。カーニヴァルが許容される領域という意味での「芸術」の分野には境界や区別を越えることを許容する余地がある。この余地に「他者」との対話を可能にする機能があると主張するものである。


目次
                                          

序・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1


第一章 認識−物事を“見”分けること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3                             

  1−1.トーテミズム理論の中に見る「他者」認識、あるいは分類について・・・・・・ 3

1−2.象徴的分類・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4                                        

1−3.儀礼・象徴表現・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8

1−4.イソマ儀礼 (V.ターナー 1976)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9         

第二章 他者のイメージと実体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13

2−1.‘境界’をまたぐ人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13

2−2.特別な能力をもつことと、芸術における「奇矯」のイメージとの関係・・・・ 16

 2−3.排除の原則・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 

1).正常な「われわれ」と異常な「彼ら」・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18

2).秩序を維持するための「排除の原則」・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20

    3).混沌の拒否−区別の意識・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  22

2−4.「穴」の概念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23

2−5.“闇”“異界”未知の世界である混沌への不安や恐怖と興味・・・・・・・・  25

1).“闇”“異界”の入り口としての「穴」・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27


第三章 社会的現実の表象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  31

3−1.「見」て「描く」−「他者」と「自己」を創造する行為・・・・・・・・・・ 31

3−2.「見る」こと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 32

3−3.「見る」ことによって抽出されるイメージ・・・・・・・・・・・・・・・・ 34

3−4.第三の領域を提供する場−芸術・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37

終章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 41    

4−1.まとめ−芸術の役割・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 41


本文注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47  

引用・参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 50


「他者」という語が誰を、何を指すのか。精神分析、心理学、現象学、哲学…様々な学問分野に登場するこの語は、私たちの社会の中で非常に広範囲の意味内容を示している。だが例えば他人、他界、異文化など“他”という語には一貫して「おのれと同一ではない」という意味が含まれていて[新田・宇野 19825,35]自己という概念に対し比較的肯定的ではない扱いをされていると言える。この事情に、他者概念の一つの重要な役割を指摘したい。

結論から先にいえば、自己は「自己」を肯定するために“自己ではないもの”としての「他者」という概念を必要としている、「他者」概念には少なからず自己を肯定する役割があると私は考えている。この考えは、私たちの日常生活の中にも比較的頻繁に起こる事柄で、‘奇異のもの’‘新奇のもの’を見る時のその認識にふと疑問を抱いたことから始まった。未知のもの、何とも判別できないものへの不安、そして不安と共に湧いてくる執拗なまでの興味、好奇心はどうして起こるのか。この疑問から、物事を認識するということは「自己」を肯定するために何か“自己でないもの”としての「他者」を認識するということではないのかと考えてみた。未知のもの、あいまいなもの、分類できないものは「自己」を肯定する要素としての「他者」概念形成の障害となるものであり、そうした自己概念の構成組織を脅かす可能性のある現象や存在への恐怖、不安が他者認識に反映しているのではないか。

そこでまず、日常生活という身近な範囲において「他者」とは何だろうか、という問いから分析を開始する。そう意識して周りを見渡して見れば誰でも何でも「他者」に成り得るし、また、同じ人物に対してでさえより近しいと感じられるときと、より遠いと感じられるときがあり「他者」の認識は毎回多少なりとも違っている。現実を経験する主体としての「自己」は単一ではない、自己とは単一の成り立ちを持っているのではなく、物質的、社会的、精神的といった様々の自己があると山口昌男は言う。人はその絶えず移ろい行く関心、意図、生活上の状況に応じて様々な「自己」を持つのである[山口1975148]。「他者」の意識とは時代の思想潮流の影響を受け、その見る側の個人の状況や状態でも多分に変化する高い恣意性をもったものであると言える。しかしこうして自己と他者の境界が恣意的な、柔軟な線でしかないことが解っているにもかかわらず、両者の間に明らかに境界を意識する時というのはどういう時か。それは自己を社会の一成員として肯定するために否定的な他者の存在、社会の一員としての私でない誰かの存在、つまり社会からあふれているアウトサイダー的な「他者」の存在を必要とする時なのではないだろうか。

例えば私の場合、先ず思いつく身近な「他者」のイメージは“障害者”だった。電車で他府県の学校まで通うその車内でさまざまな様相の人やものごとを見てきた。その中でも特に不思議に感じたのは、電車の車内というかなり限られたスペースにおいて大多数の人が行っていること−たいていはすわっているか立っているか、同時に読書していたり知り合いと会話していたりであるだろう−以外のことをすると妙に目立つ、ということである。まるで一本調子の旋律に突然別の音が入り込んだかのように、それが、それだけが周囲の存在によって余計に浮き出されるのである。そして私が電車の車内でそういう印象を受けた機会というのは“障害者”の人が関わっていることが多かった。電車の車内で突然大声で叫びだしたり、暴れたりする人の行動に車内の視線が一気に集中するような場面は、多くの人にとって想像するに難くない身近な経験ではないだろうか、周囲とは異なる行動をとる人のその一挙一動を、周囲の視線が追う。こうした特別な意味内容を持つ視線は、集結することによってよりその一点のみを浮き立たせる特殊効果を持っているようにさえ思えた。そのような場面に出くわす度に、見る側とみられる側のあからさまな二つの立場が成立しているように感じたからである。そして周囲が注目しているその‘何か’に自分も視線をやる時、自分自身も“見る側”の立場の人間としてそこに居ること、そして同じ立場の“見る側”=“周り”の人々とまるで同じチームに入ったような気がした。このような場面では、どんな事情があるにせよ見る側とは異なる側に居るその人の存在は「われわれ」とは違う、「私たち」とは違う誰かである。この「他者」の存在は「私」にとって何らかの役割をもっているのではないかと考えたのである。

特に事態をより具体的に考え始めるようになったのは、美術画廊で行われていたある展示会との出会いがきっかけだった。芸術的趣味という身近なことから、私はそれぞれに何らかの障害を持つ人々が通う作業所施設とその活動に関わる機会を持った。実際に彼らと同じ空間で同じ時間を過ごすという経験を経て、上述したような以前から抱いている“障害者”概念への疑問に全く意外な方向からヒントを与えられることになったのである。実際に障害を持つ人々と共に居て、共に同じ目標に向かって活動している時、その場に居るどの人も自分と同じ‘ひと’であることは全く無意識に体感されている自明のことなのである。そこには電車の車内で“障害者”を見たときに感じるような‘遠さ’は全くなかった。だが、いったん“社会”の中に出ると彼らの言動は非常に目立って見えてしまう。「われわれ」「私たち」とは違う誰かの存在、このような他者の意識はなぜ存在するのか、このような他者認識の必要性とは何か、そしてどうすればこうした「自己」と「他者」との‘遠さ’を縮めたり解消したりするきっかけを生み出せるのだろうかと思案した。

他者認識について、特にその他者を「見る」という行為、視覚による認識に着目し、「見る」ことそれ自体の根源的な意味について再考することを目的として本論は以下の展開を行った。第一章では、物事を見分け分類することそれ自体がこれまでどう考えられてきたのかを振り返り、第二章では「自己」を肯定・確立するための「他者」存在の必要を提示する。第三章では“見る”という行為それ自体についての再考を行い、最後に、本論を通して浮かび上がってきた“見る”ことの意味や効力と芸術の分野との関係に注目する。このようにして異なる角度から「他者認識」について詮索し、私達にはどのように「他者」の認識が必要なのかを追求したい。以上のような見解を持ってこれ以降の論を進めていくことにする。

第一章 認識−物事を“見”分けること

本論を始める前に先ず、用語の定義をみておきたい。一般的な意味において認識とは「物事を見分け、本質を理解し、正しく判断すること。また、そうする心のはたらき」とされている(注1)。哲学では「人間(主観)が事物(客観・対象)を認め、それとして知るはたらき。また、知りえた成果。感覚・知覚・直観・思考などの様式がある。知識。」と定義され(注2)、このうち「思考」とは「意志・感覚・感情・直観などと区別される人間の知的作用の総称。物事の表象を分析して整理し、あるいはこれを結合して新たな表象を得ること。狭義には概念・判断・推理の作用による合理的・抽象的な形式の把握」と定義されている(注3)。哲学においては、人間が物事について考えることそれ自体が「思考」、つまり意志・感覚・感情・直観などと区別される知的作用であるとされている。
 世界各地には様々な文化が存在し、個人は各々多様な文化的背景を負った認識の仕方をしている。その解釈によって自然現象を分類する。山口は、人間の文化は無秩序である自然に秩序を形成することによって成り立つものであると言う。そしてそれは意味形成の作用を通じて達成される。この意味形成の作用とは、人間のまわりをとり巻く事象に記号を付けつつそれらを類に分ける意識の行為に外ならないと述べている[山口197595]Z.バウマンによれば、最も普遍的で一般的な次元において、人間の営為とは混沌を秩序に変えるという行為からなる[Buman1973119]。こうした思考様式や分類体系についての研究を19世紀以降のトーテミズム論(注4)の中に窺い知ることができる。当時未開と呼ばれた非西洋文化の人々の文化、「われわれ」とは異なった文化的価値観をもつ「他者」としての異文化を研究の対象とする文化人類学が発展し、彼らの思考法、生活の営みを形作っている自然界の動植物を象徴とする分類体系の調査、分析が進められた。「私たち」にとって未知のもの、異なるものである「他者」としての異文化を意識することが、人間を分類することに対する意識を喚起したのではないだろうか、その西洋とは大きく異なる慣行、その認識の仕方についても早くから論じられていた[坂井1988165-166]

1−1.トーテミズム理論の中に見る「他者」認識、あるいは分類について

植民地時代、支配国政府はその植民地の統括を円滑にするために、現地文化の研究に力を入れた。19世紀の西洋人宣教師や旅行者らの記録からもわかるように、当初は未開の地に住む人々は根拠のない恐怖や不安に支配され、その恐怖や不安、畏怖と密接に繋がった宗教体系を構成していると考えられていた[ダグラス19851819]。学者らは、現地社会において実践されている禁忌や婚姻の禁止、儀礼等の相互関係は、個人あるいは集団と動植物とが関連付けられた“トーテミズム” を軸として成り立つ未開人の宗教と捉え、これに注目した。E.タイラー、J.フレーザーを代表とするイギリス人類学派は、未開社会の様々な習俗、言語などに関する多量の集積を行った。デュルケームを始めとするフランス社会学派は世界中から集めた民族誌的事実に基づいて「未開社会」の諸習慣に関する詳細な分析を行った[エヴァンズ=プリチャード20011617]。その分析において、デュルケームはトーテミズムの一面である“分類”システムに着目した。そして、人間の物事の分類の仕方を決定する差異あるいは類似は、多分に感情的要因によるものだとした[デュルケーム198094]。こうした考え方に対し、レヴィ=ストロースは異論を唱える。レヴィ=ストロースは、デュルケームでさえ「社会的現象を情緒性から派生せしめている」[レヴィ=ストロース1970115]と批判し、トーテミズムとは普遍的な人間精神に由来する一つの分類体系であって、食用のタブーや宗教的観念とは別のものだとする。彼はラドクリフ=ブラウンやマリノフスキーに代表される構造−機能主義社会人類学者が想定する現地社会に対する解釈についても、自然主義的、実利主義的さらに情緒主義的であるとして否定している。レヴィ=ストロースによれば、人間はまず自分が全ての動物と同類であると感じているので、そこから自分を区別し、これら同類を相互に区別する能力、つまり種の多様性を社会的分化の概念的支柱とする能力を獲得していくのである[レヴィ=ストロース1970165]。それ故トーテミズムとは「悟性の分野」に属する普遍的な人間の知的欲求の産物であって[レヴィ=ストロース1970170]、その思考は意志・感覚・感情・直観などと区別される人間の知的作用以外の何ものでもない[レヴィ=ストロース197613]。感情は途絶えることのない観念体のひびや傷に対する答えとして補助的に現れているに過ぎないものなのである[レヴィ=ストロース1970170] R.ニーダムはレヴィ=ストロースを支持し、社会体系の分析の際により支配的な要因として考えるべきは感情か権威かと問うならば、私たちは自信を持って後者と断定すべきだと言う[ニーダム197761]。彼もトーテミズムを「宗教」とはみなさずに、象徴的分類の一形態として捉える[吉田1993103104]。人は様々な現象をいくつものクラスに分ける必要があり、人間はクラス(class:部類)に区分しなければ、人間の社会も含むこの世界というものについて考えることはできないとニーダムはいう。分類classificationとは、クラスの体系的集合であり、クラスとは、様々な方法で物事を結び合わせている特定の類似による物事の概念的なまとまりのことなのである[ニーダム199321]

1−2.象徴的分類

トーテミズム理論の盛況とともに異文化の研究が進められ、いずれの文化においても男と女という二つのカテゴリーを区別する意識が存在する[青木199179]と報告された。これによって、相補的な性の別を基本として二項対立構造的な枠組みで森羅万象を捉えるという傾向は、西洋以外の文化にも広く見出せるとされた。このような認識の仕方を取る文化においては、分類しがたいもの、未知のもの、未分化の状態とされるもの、あいまいなもの等は「混沌」の範疇に入れられる傾向があり、それはたいてい(文化に対する)自然の状態であることを意味する[山口197595]。この分類は、ニーダムによれば“象徴的分類”である。ニーダムは分類を実用的分類と象徴的分類の二つに区別した。なぜならいずれの社会においても、多くの事物は実用的に分類されるだけでなく、それらが持つ重要性を示す象徴(=ニーダムの定義するところでは「何か別のものを表わす何か」)によっても印しづけられているからである[ニーダム199312]。ニーダムはそれを、科学的な目的や日常の言語における同定に用いる分類である実用的分類(practical classification)とは明らかに異なるもう一つの分類、どのような社会の集合体においてもみられるがどう考慮しても実利的利点の見当たらない象徴的分類(symbolic classification)とした。

象徴的分類について、ニーダムはそれを食用キノコとそうでないものを見分けるという事例で説明している。この事例において、対象が食用キノコであるか否かの判断をすること、それが最も基本的かつ生きていくのに必要な行為(=実用的分類)である。毒キノコを食して死なないために知識を駆使して判別を行うその時、必要なのは実際的な概念的区別であって象徴的区別の必要はない。けれども私たちの身の周りにはたった一つのキノコ、たった一つのものが存在するだけではない。その近辺や、あるいは身の内に起こる様々な物事や事物について、人間は「意味のある類似性がある」事柄に基づいて分類しなければならない。意味のある差異によって対照的なクラスをとらえる必要に応えるのが象徴的分類であるとニーダムは言う[ニーダム199321]

レヴィ=ストロースやニーダムを代表とする構造主義者は、類似性をもつもの同士をあらたに大きなカテゴリーで括ること、しかも対照的・対立的な位置付けによって物事をとらえるという思考は普遍的に見られるとし、男性と女性という二項対立の区別をその起点として全ての分類が体系的に組織されるその形式を抽出した。実は一般に考えられているほどに科学的、生物学的な差異が男女両者の間には見出せない。それにも関わらず、世界各地のあらゆる人間社会においてその「区別」自体は見られる。この事実から、男性と女性との間柄における区別の意識は、男性が「共に寝てよい女性と、性の相手とすることが禁じられている女性とを区別すること」をその基本とする象徴的分類であり、それが世界各地の文化に見出せるというのが構造主義の説明であった[ニーダム19932123]

少なくとも西洋中心主義思考の文化において、2つ以上のグループを成立させるその最も基本的な区別は性の区別に起因していると考えられてきた。現在でも生物学的な男女の背反的、補完的な二つのカテゴリを基点とする考え方が一般的である。傾向としては受け入れられつつあっても、未だ同性愛に対する捉え方においてそれを許容できないのは、これまでの社会における差異の認識が性的な差異を基本としているからである。長い間、性的な差異が他者性の重要な符合であることを示唆してきたとS.L.ギルマンは述べている[ギルマン199682]。しかし、社会体系のその形式を重視した分析には注意が必要である。創造意欲を高揚させるような二元論的対立構造を抽出することに固執し、あたかもそれが普遍的なモデルであるかのごとく語ることを批判する意見は多い。

M.ダグラスは、構造分析主義者が、巧妙を極めた手法を用いて諸々の象徴表現を構造に組み立てようとする傾向に注意を喚起する[ダグラス19837]。そして彼女は二項の間にあるもの、社会の二項対立構造からは忌避されがちな中間的なものに着目する。人は異例なものを始めて認識した時、不安を覚え、そのものの抑圧または忌避に至る。だがそうして忌避される未知のもの、あいまいなもの、汚物とみなされるもの、それら異例なるものは秩序との関係無しには語れないというのである[ダグラス198525]。この異例なるものをダグラスは「場違いのもの」と表現する。「場違いのもの」、それは二つの条件を含意している。すなち、一定の秩序ある諸関係と、その秩序の侵犯である。従って汚れとは絶対に唯一かつ孤絶した事象ではあり得ず、形式的には二項対立構造が見て取れる場合でも、その二項は必ずしも定式化されるものではない。秩序が不適当な要素の拒否を意味する限りにおいて、汚れとは事物の体系的秩序付けと分類との副産物なのである[ダグラス198579]

ダグラスによれば認識とは分類することである[坂井1988167]。事物を分類し、その位置を定めるというのは秩序を設定して隔離することであり[Douglas19668485]、その努力は認識体系を構成する、その理念を一致させようとする人間の創造的行為である。人間の境界を設定するという行為は、本来無秩序である私たち人間の経験を体系化することである。人間は各々が属する社会で機能している原理、宇宙観の中で分類されなければならない。そこで彼女が注目したのは人間の「衛生法」である。汚物に対する概念は見るものによって異なるが、本質的に“汚物”とは無秩序であり、その不浄性とは秩序を侵すものであるという認識がある。秩序を乱す汚物を避けようとする行為としての人間の「衛生法」は、自らの理念を一致させようとする極めて積極的な創造的行動である。よってこれに着目することは、その社会のシステムを理解する上で有効な手がかりとなるとダグラスは言う[ダグラス19851920212325]

彼女は人間の衛生法に対する見解を、デュルケームの見解を挙げながらさらに発展させた。デュルケームは社会の本質を理解するためには個人心理が社会の発展を説明するという功利主義理論以外のものが必要であり、それが共通の価値体系に対する共通の信念、つまり集合意識であるとした。そのデュルケームも呪術的儀式を一種の原始的衛生法であると認めているという[ダグラス19855051]。儀礼はその小宇宙だけにとどまらず、他の次元にも影響を及ぼす。衛生に対する人間の観念も日常における儀礼行為である。事物の置場所を決めるというのは秩序を設定して隔離することであり、こうした象徴空間を作り出す行為とブッシュマンが行う儀礼との間に本質的に違いはないとダグラスは述べる[Douglas19668485]。彼女は身体に基づく象徴表現や儀礼に、人間のその身体に関わる象徴表現によって社会状況を象徴的な形で再現しようとする強い傾向を見て取る[ダグラス198378]。特に肉体の開口部は社会の構成単位の入口または出口を表象し、肉体的完全性は理想的神権政治を象徴し得ると言う[ダグラス198523]

あらゆる種類の人間社会が敷居や門に対してとても大きな儀礼的受容性を与えているということは、E.リーチも着目している。その開口部には、清潔と不潔という身体=物理的な不連続がなくてはならないのである[リーチ1981128129]。リーチはダグラスの浄/不浄への着目を評価し、境界に存する「タブー」の概念を提唱する。彼の言う「タブー」とは、断片化した連続体の中の「名づけられた」部分の承認を拒む行為[Leach1966]であり、「タブー」の概念は、知覚の文化領域の境界を劃する[山口197565]。境界は定義によって穢れとなるから、それをはっきりさせておくことによって範疇の体系をきちんと保持することができる。境界を厳しく定めれば定めるほど境界線のどちら側かに間違ってあいまいに入り込んでしまった穢れについてより強く意識するようになるとリーチは述べている[リーチ1981128129]。山口は、そうした事情ゆえに平常のコミュニケーションの秩序から排除されている好ましからざるもの、汚さ、汚れ、穢れといった感覚を通して反秩序的とされるものが儀礼で使用されると言う。糞・母乳・唾液などが儀礼に使用されるのは、それが反秩序を象徴するものだからであり、相互的に秩序の範疇の体系を明示するのである[山口1975105]

二項対立の概念は硬直化させてはならない、だがその図式を硬直化させない議論は、二項の中間にあるあいまいなもの、境界をまたぐ分類し得ないものに対する人の意識やその象徴表現の議論へと発展させることができる。なぜなら現実の社会の中では混沌やあいまいなものは拒否され、それ故に物事は二項対立的に構成されている。しかし人々の意識にはあいまいなもの、中間的なものに対する強い関心がある。二項の議論を利用してその間にあるあいまいなもの、中間的なものへと焦点を合わせると人間の本質が見えてくる、というわけである。そのことをダグラス、リーチ、そして以下に挙げるV.ターナーらは論証し、こうした二項対立の図式からその中間に存在するあいまいなものを考慮した議論へと発展させたのである。

V.ターナーは構造分析について次のように述べている。確かに構造分析は相同・対立・相関・変換などといった“我われ”が高度に洗練された思考とするその諸特性を「未開人」の思考の中にも見出せることを論証し[ターナー197659]、西洋中心主義的見方に疑問を投じ、その偏見への再考を促すことに貢献した。しかし、構造主義が提示した構造“モデル”のようなあらゆる状況に当てはまる単一の分類体系などは存在しない。「多義的」で「中途半端」な性格である象徴が現れる行事全体の意味体系を組み立てる分類のしかたによって全体論的に見るとき、それら象徴に配分される意味はそれぞれ単一の原理をもつとターナーは言う[ターナー197638]

ターナーはファン・へネップの分析をさらに進めて儀礼に着目し、その‘境界’に焦点をあてた理論は儀礼以外の移行過程にも適用可能だとした[ターナー19818]。へネップの提唱した「通過儀礼」[ヘネップ1977811]の概念、「段階」を人間が移行する際のその節目節目に在る規範の枠から解き放たれる時、「秩序づけられた世界の裂け目」とでも言えるようなその‘境界状況に在る人間’の心性にターナーは注目する。例えばイニシエーション儀礼において、これまでの属性から新たな属性への移行を体験する存在が示す象徴的意味、つまり分類されにくいもの、あいまいで不確定な属性の存在をリミナリティ(境界性)とし、それが社会においては“劣位”や“周辺”と関連して存在していると指摘する[ターナー1976126127]。ターナーをはじめとする儀礼理論者らはこのような象徴、特に境界における劣位性、周辺性と、そこに結び付けられる事物の関連に着目する。

ターナーは、ンデンブ族のイソマ儀礼で空間の方向指示や様々な事物に象徴されている分類法には、レヴィ=ストロースならば“二元論的区別”と称するであろう分類のセットを見ることができるが、その変数項も考慮する必要があると述べている[ターナー19817]。人々が頭の中に抱くメタファーやパラダイムが社会的行為を生み出す原動力になっているとし、私たち見る側が儀礼の構造に形式を見て取るだけでなく、ンデンブ族自身のその儀礼に対する解釈をも考慮して彼らの宇宙論を抽出する必要があると彼は言う[ターナー197656]。ターナーは、分析する側である研究者の西洋主義的見方に従って性の二項の区別を基本に男性と女性、一方を肯定的なイメージとしもう一方を否定的なイメージをもつ象徴とを結びつけることに固執するような傾向を否定し、その意味で構造主義者の分析を批判している。確かに一対の象徴が別個の分類次元を結ぶ連絡点を表すこともあり得る、だが後で見るイソマ儀礼には三つの分類セットにおいて二元論的な対立がみられる。交錯する分類次元を「連結する」象徴の機能に注目し、そこから象徴の持つ多義性、中途半端な性格に着目する必要があると言うのである[ターナー19765758]


1−3.象徴表現−儀礼

私たちの世界観の大要は文化的背景の提供する象徴的モデル、シンボルによって構成されている。性を始めとする二項対立的思考様式で構成されるその宇宙論があらゆる文化に見出せることは確かであり、西洋中心主義思考の文化においても象徴的モデルであると言える。デュルケームは象徴の機能として、その社会集団に属する人々の連帯感を強め、またそれを維持させる作用があると述べた。「社会」という概念、その体系的モデルが大衆に示された時、それは象徴的作用を帯び、人々を結び付ける基本的思考となる。それを目にみえる形にしたものが法律である。社会的連帯という非物質的特性を持つものが持続していくのは、感知される作用、つまり人々を互いに強く結び付ける社会的象徴=法律−の作用によってである。そのような意味で、法律に社会的連帯の本質的な全ての様相が反映されているとデュルケームはいう[デュルケーム1971118119]。デュルケーム社会学派のR.エルツは、社会はその成員に対して頻繁に社会は永遠に続くものであると主張するので、「社会」とその構成員は社会が不死であると感じ、またそうなることを望んでいると言う[エルツ2001121]。だが、物事の有機的な非対称性は事実であって人々はそれを意識しているしまた、そうした有機的な非対称性は人々の理想にもなっているのである[エルツ2001122,147]

人々の関心の向かうところは根本的には非対称的な、有機的な物事であり、そうした意識の全てが象徴の世界に集約されている。「存在の両義性から意味性の多義性を開示する」のが象徴の存在理由であるとP.リクールは述べている[山口197553]。ターナーは、通過儀礼に焦点を合わせその象徴の中途半端な性格や多義性に着目した。通過儀礼では“節目”の状況、構造モデルを超越する「秩序づけられた世界の裂け目」が表現される。そうした‘境界’をまたぐ人、例えば年齢など社会的な地位の階層を移行しようという状態にある人が受ける儀礼である[ターナー19818]。この儀礼には中間的性質を象徴する二つの存在がみてとれる。まず、その儀礼の主役となる側の境界状態(=リミナリティ)にある人、一方の分類事項から別の分類事項へ移行する途中の、どちらともつかない「中途半端な状態にある人」である。次に儀礼の中でそれを仕切る人、儀礼を進行させる側の人間、超人間的な世界と接触する祭司、呪術師である。儀礼や神話的思考には頻繁に見られることだが、何らかの円滑に運んでいない状態を再び良い状態に戻す人、「混沌の状態に再び境界を明確に打ち出し、平和をもたらす調停者」は境界をはさんで区別されるカテゴリーのどちらの世界にも通ずる中間的な人である[山口19754]。この、儀礼の中でそれを仕切り、進行させ、超人間的な世界と接触する祭司、呪術師として選ばれるのは実際に中間的な性質を持つ人、それを想像させる外観をもった人であることが多いようである。このことは、儀礼の主人公となる人に対する概念とは異なる点である。儀礼の主人公となる人は、儀礼が終われば元の「正常」な状態、物事を分類し区別する秩序の世界に戻る人であり、一時的に境界状態を経験しているにすぎないと考えられているのに対し、儀礼の祭司、呪術師は現実に普段から俗世を越えた存在、両義的な性質を有する特別な存在として意識されている人である。

なぜ儀礼の中にはこうした二つの性質が共存することが求められるのだろうか。その答えとして儀礼研究者が注目してきたのは、儀礼の持つカーニヴァル性である。「社会」は人々がその体制に対して感じている矛盾を容認させる必要がある。その効力が儀礼にはあるのとターナーは言う[ターナー1981309]。儀礼は中間的性質を象徴する存在を必要とし、この存在があることによって儀礼はその効力を得る。通過儀礼では物事と物事の“節目”の状態にある人間を無事に移行させる力をもち、治療儀礼では、滞った事柄を元のように円滑に流れるよう治癒するその効力を得る。人々の中の‘境界’の意識は境界のないあいまいな状況と対置し、‘混沌の自然の状態’に対する‘社会’というイメージで対立的に捉えられている。儀礼はその中に、概念上あるいはイメージ上の境界に属する中間的な性質を持った事物と、現実の世界における境界を超えた境界を持たない出来事−矛盾やあいまい性を感じさせる出来事−とを共存させ、現実と想像の世界とを繋ぐ。その両者の境界を行き来することが肯定される儀礼の場で、人々の抱いている矛盾に対する不満や不安を解消させる力を儀礼は性質として有している、というのである。以下にターナーの調査によるンデンブ族のイソマ儀礼を取り上げ、ターナーやリーチを中心にその理論における儀礼の持つ性質についてみていきたい。


1−4.イソマ儀礼 (V.ターナー 1976

ターナーの調査分析によればイソマ儀礼は女性が受ける儀礼で、死産、流産、不妊、障害児の出産など産婦人科的変調を治癒する、これらの状態にある病人(=妻)とその夫が受ける儀式である。儀礼の様子[図1参照]は次のようなものである。

@大アリクイ、大ネズミの隠れ穴を探す。Aそれを見つけ出して掘り返す「妖術師が逃げた」と儀礼の参加者たちが述べる。Bアリクイの出た穴を「死の穴」と呼び、人々は死の穴を掘り続けて再び地上に行き着くまで堀り続ける。そうして行き着いた時、できた新しい穴を「生の穴」と呼ぶ。C生の穴に冷たい薬、死の穴に熱い薬を置き、赤いオスの鶏が男の側に縛り付けられ、一方白いメスの鶏が女側の病人の胸に抱きかかえられる。D司祭は両人に一緒に穴に入るように言い、一緒に穴から出てきたところで生の穴では冷たい薬、死の穴では熱い薬をふりかける。両人に穴を行ったり来たりさせ、冷たい薬と熱い薬の残量が1:2の割合になるまで続けられる。E最後に赤い鶏の首がはねられ、儀礼は終了する。


1:イソマ儀礼の空間の象徴的表現の説明図(ターナー197645 『儀礼の過程』より)

テキスト ボックス: トンネル







































この儀礼からターナーはまず、次の3つの治癒を見て取れると言う。一つはふさがれた穴(=ふさがれた生殖能力)を「生」に向かって再び開ける(=回復させる)。次に冷たい薬(生)と熱い薬(死)の残量は2:1で生の勝利を意味している。三つ目に死を表す赤い鶏を殺すことで生を勝利させる。これは意味的な対比を眼にも明らかな色でも対比させるカラーシンボリズムである。この儀礼では赤は危険の概念、白は純白の概念を象徴する象徴二元論と見ることが可能である。これらのことからは、イソマ儀礼は生が死に勝利することを象徴的に示している、と分析できる。だがこうしたカラーシンボリズムから見て取れるのは二項対立構造だけではないのである。

リーチはカラーシンボリズムの中に二項対立を見出すことについて、次の要点を述べている。外界の事物は全て目に見える限り何らかの色をもっているから、人はそうした色の差異を分類手段として用いることができ、様々な事物が何らかの色彩クラスに類別されていく。しかし、色の社会的隠喩は常に多義性を含んでいることを忘れてはならないのである。人は、多義的なものの中からわれわれにとっての一般原理を選び取ろうとするが、実際はコミュニケーション対立項(ABをあらわす)がそのまま唯一の解釈をもたらすなどと言うことはない。まず心の中に未発達の形而上学的な観念Aが生じ、具体的な表象化へのプロセスを通してはっきりとした物理的な形を獲得する。その形には隠喩や換喩を通じたほかの様々な関係が必ず全体をなして結びついており、あらゆる意味が関連してくるかも知れず、また、関連していないかもしれないのである[リーチ1981123125]

このイソマ儀礼は次のような多義的な意味を持つ。ここで治療される病は、現地の人々には男性の祖霊であるムブウェンイと接触したために起こるもの、または女性親族の誰かが小川の水源の近くで妖術をかけたため、女性祖霊(亡霊)が取り憑いたためだと考えられている。どちらも妖術による力=“攻撃”によって病が生じていると考えられていて、それを呪術師が治癒する儀礼である。このような解釈は非科学的な、信仰的な語りと思われがちであるが、ターナーはこの儀礼をンデンブ族社会の諸事情と照らし合わせて総合すると、一貫した論理の通る科学的分析ができると言うのである。この部族は母系の夫方居住の集団である。この居住体系をとる社会では同じ親族集団のメンバーがばらばらの場所に住むのであまり安定した形を生みださないという特徴がある。こうした集団において結婚という事柄は、必要な事柄ではあるが集団を乱す要因にもなるのであまり好ましいことと捉えられておらず、結婚した女性は自分の親族を大事にしないという意味にみなされるのである。このようにあまり好ましい事ではないとされている結婚だが、かといって種の存続のためにそれをしないわけにはいかない。この社会的矛盾を人々に容認させる装置としてイソマ儀礼は存在しているとターナーは分析する。イソマ儀礼の妖術による攻撃を呪術師が治癒するという表現行為は、親族関係によって結ばれている集団の婚姻関係によって結ばれる集団への不満、あまり好ましくない結婚という事柄を経なくてはいけないというこの部族にとっての社会体制への不満を、男でも女でもなく人間でも霊でもない、中間であり枠を超越した存在である呪術師が治癒し、その関係を続行させることを意味的に象徴している。リーチが言うところによれば、儀礼や儀式の主催者とか司祭、中心的立役者の行為はそこに居る全員にとって筋の進行の目安となる。上演者と聴衆は同一人物である。「われわれは自分自身に集合的メッセージを伝えるのである」[リーチ198197]

このように一つの儀礼の中でその表現行為によって論理の転換をはかり、問題や円滑に運ばれていない事柄を治療するといった方法は、西洋とは全く異なるものである。西洋では直接的に物理的力を加え、“病”を引き起こしている原因、悪の根源とされる対象を内から取り除こうとする。技術的力の作用によって“悪”を目立たせ、目に見える働きかけによってその存在を取り除こうとする。一方イソマ儀礼でみたように、儀礼で行われたことが並行関係で現実にも生じるという想定のもとで、妖術の影響による“病”を中間性を象徴する者が呪術によって治療する、間接的に力を作用させる。儀礼のうちに自ら無秩序を作り出し、儀礼の中で秩序の状態に戻す、つまり儀礼によって論理の転換/変換を行い、“病”“悪”“矛盾”を解消する文化もある。リーチはこれを西洋の技術的行為に対し表現的行為として分析し、これらは人間の持つ二つの行為の表れであると解説する。さらにこのようなことは、西洋以外の文化に限って見られるのではないと言う。こうした表現的行為は、西洋の文化においても占いや儀式などに見られる事象であると言う[リーチ198124,5967]

表現的行為、そこで表現される儀礼の小宇宙の中では、負の要素の再現と排除、性の秩序の回復が強調される。儀礼といわれるものの多くは結合と排除の原則を確認するためのものであり、原初の状態を再現する行為からなっていると山口は言う[山口1975104]。どのように構成された社会であれ、あらゆる社会には集団が境界性を帯びる方式というものがはっきりと認められる。境界性に対する考察は文化的社会になくてはならない、というのも、構造に基づく区分を生み出すのも文化であり、そうした区分を境界性の中に消滅させるのも文化だからである[ターナー1981308]。以上のことから、境界性に対する人々の強い関心と、それに対する人々の対応を様々な文化における多様な社会現象から窺い知ることができる、と言えるのである。

第二章 他者のイメージと実体

いずれの社会においても集団が境界性を帯びる様相が見られ、境界性に対する人々の強い関心が認められる。山口は、神話とは空間を分節して境界を生み出し、秩序を作り出す人間の思考の基本的な形式であるとし、そこに登場する諸々の象徴的イメージが、人間の身体と関連すると述べている[山口197597]。ダグラス、リーチ、ターナーら儀礼理論者が注目しているように‘境界’を象徴する表現的行為は、あらゆる文化において見られる事象である。身体を宇宙における秩序の基礎とし、大宇宙を反映する小宇宙とする考え方は、西欧中世のみならず様々な世界、多くの文化に見られるのである[山口1975105]。そしてこの身体に対するイメージとは常に二重映像的であり、反対の極の直接的な対立によって分割されていることも報告されている。これによって、それが引用される宇宙論も対称的な二項で表わされているという[オルティグ1972315]E.カッシラーは、神話的思考においてこの二項は不断のモチーフであると言う。神話的空間のどの分離もどんな分節化もこの対比に基づいていると述べる[Cassirer195590]

ではこの二項の思考形式の中で、そのような分節化、思考の基本を成す身体の二項対立が見出せないような事象、あいまいな事柄に対し人々はどのような意識を抱いたのだろうか。具体的に言えば、障害をもつ人々に対してどのような認識をしてきたのか、人々が空間を分節し、秩序を作り出すために基本となる程に重要視されるその身体が多くの人とは違って際立って異っていたとき、それを見た人はどのような認識をしたのだろうか。

2−1.‘境界’をまたぐ人

境界性には人間と非人間といった生物学的過程の象徴や、自然と明らかに結びついたシンボルをたくさん見出すことができる。この明確な例は半人半馬のケイロンで、この馬であり人間でもある境界的な存在のうちに人類の英知と動物の力とが一体化されている。ケイロンは部外者性と境界性を象徴する山の洞穴の中で王子に教えを授ける。この例のように、境界状態には動物に人間の性格を結びつけた神人的存在がたくさん現れる[ターナー1981240241]。論理的に隔てられた二つの類の間のギャップをうめるのは「タブー」である。その断層には魔性の者、半人・半獣的な存在が生息することが多い[山口197576]

「タブー」のもの、つまり境界の“中間的性質”を持ち、周辺に属する「異人」とみなされたのは、例えば両性具有であったり身体に奇形の部位を持つ人であった。そうした人々は生きた超人的存在と認識され、その存在へは神や聖の域といった極端に正のイメージか、そうでなければ負のイメージが付与され易かったようである。小松和彦は、そうした「異人」の存在について地方に残る伝承、伝統を調査し、民俗社会における「異人」の意識の分析を行っている。彼によれば、中世の人々は障害の発生を仏罰とみなし、障害児の誕生を奇妙に感じる現象の一つとしてそれを人間ではないもの=化物、鬼として見ていた。『酒呑童子』や『弁慶物語』に登場し鬼の子とみなされた障害児は、村落外部の人間=「異人」としての鬼が人間の女との間に子を生んだという説明で共同体内部の人々に認識されていた。近世の世では、障害児の発生を異人殺しの祟り−民俗社会、その村落共同体に訪れた「異人」(=旅人や巡礼、遊行の宗教者)を殺したことの祟り−であるとかその呪いの正当な結果とみなした。誕生した障害児は鬼子、化物の子とみなされ捨てられたり殺されたりしたが、一方で家に富をもたらす「福子」と呼ばれ大切に育てられたりもした[小松19895457]

 障害者に関わる事柄を小松は別の著書でも“妖怪の他者性”として分析している。鬼などの「妖怪」の類が説話の中にでてくる事例において、どのような対象が「妖怪」像の元となったのか。それは例えば頭に毛があったとか、目がひとつであったとか、白子であったという事柄、つまりその身体上の“異常”によって判断され、妖怪視された人々であった。“異類異型性”とは「妖怪」の特徴を小松が表現した用語であり、「人間の普通にもつ姿とは異なった鬼や怪物、動物たち、人間なんだけれども人間のカテゴリーを少し逸脱したようなもの」[小松1985237]が「妖怪」とみなされた。共同体内部の人々にとっては、自分達が聞いたことのない言葉をしゃべったり、自分たちとは違った服装や生活をしているような人、そういったものは全て「妖怪」「異人」であったと小松は述べている[小松1985237]。人々は、障害児を「妖怪の子、化物の子、天狗の子、鬼の子」というラベルを貼って民俗社会から排除・抹殺することで共同体の外側、「われわれ」集団の外側の世界に送り返した。障害児の発生は、それがこちら側の“私たち”の世界に出現した場合は、こちら側の世界の平穏のために排除しなければならない異物であった。

 ところが一方では、盲目の子を「盲僧」や「座頭」あるいは巫女にしたり、心身障害児を福をもたらす「福子」「宝子」として大事に育てたりして何らかの形でプラスの価値付けを行ったという事例もある[小松1985240]。このようなことから、小松は人々の「妖怪」意識を二つのレベルに分けて分析している。一つの極に「不思議」と遭遇したときの説明としての「妖怪」、もう一方の極に追放すべき存在としての「妖怪」を置く。この二極は水平上に対に位置する端と端の極となり、妖怪とはその間のどこかに位置している「超越的な存在」であるという[小松199439]。人々は、不可思議な事柄に対して起こる不安の感情を「妖怪」のせいだとすることで消化したのである。

 ダグラスは、奇形児の誕生を次のように分析している。奇形児が生まれたような場合には、人間の意識の上で動物との境界線が脅かされることになる。しかしもしこの奇形児がある特別な種類の事象だと分類されれば、もとの範疇は回復されるのである[ダグラス198585]。ヌーア族の例では、奇形児が誕生した場合、その乳児をたまたま人間から生まれた河馬の子として取り扱う[エヴァンズ・プリチャード195648]。このように、もとの範疇を維持するため“奇形”のものはそれと異なる特別な種としてみなされる。物事を知覚する時、我々は形成作用を行っているのであり、あいまいなものごとは、あたかもそのパターンのほかの部分に調和しているような工合に扱われる傾向があるとダグラスは言う。もしその種のものがそのまま受け容れられるとすれば、今までに形成された構造の全体が修正されなければならないからである[ダグラス198581]

 知識が進むにつれて、名辞を持つ対象は増えてくる。対象に与えられた名辞が今度は、次に同種の対象が知覚されるときのやり方に影響を与える。つまり一たび対象に名辞が与えられると、それ以降その種の対象は一層分類され易くなるというわけである[ダグラス198581]。山口は、新しい現実のパターンの認知である名づけの行為とは、現実のある部分に対する見取り図の拡大であると述べている。その時、「意味の横滑り」あるいは「暗喩の転移」という現象が起きる。「新しい現実」とは人の認識の地平においてはそれまで「周辺部分」にあったものであり、そこに位置付けられる混沌や未知といった概念から区別して秩序の中に組み入れられたのが物事である。出来事というのは、些細であるにせよ、現実の既存のシステムの拡大によらずには捉えられない性質を帯びているのである[山口197559]。混沌や未知が存在するとされる周辺、そこは分類しがたいもの、あいまいなものなど人として形を成す以前のものが属する、物事が誕生する前の世界と繋がる接点であり境界の領域である。私たちのもつ境界に対する概念が多義的であるため、そこには日常生活の中では位置を与えられないイメージが立ち現れる可能性をもつ。二つの矛盾するものが同時に現れることができる「周辺部分」。タブーおよび「混沌」の象徴は周辺的な部分に置いて増殖する[山口197565, 7688]

 柳田国男の日本民俗学研究では、境界に存する中間的性質をもった道祖神の事例が紹介されている。道祖神の勘進は村に近い境界の神を喚起する行事である。この日子どもらは悪態を吐き、雑言を投げかけることが許される。こうした振る舞いに対応する行事として「千葉笑い」や「悪態祭」がある[柳田19621971(※1)]。いずれの行事にせよ子ども−自由な行為−道祖神−境という関係が容易に成立する前提が民俗の中にあったと見られる。これに道祖神の神体が和合双体であったという点が加わることによって、境界の‘両義性’という象徴的連想が成立する[山口197576]。「古陵墓」の例もある。「古陵墓」は荒蕪地と耕地の中間として「文化」の中に取り残された「自然」の存在である。大和河内では特に、ここに「夙ノ者」が住んだといわれ、この神には「怒れば人の命を取り、悦べば世に稀なる財宝を与える」というような両義的性格が仮託されている[柳田19621971(※2)]。これらのことから、両義的存在は‘境界’に住むという意識が民族社会の人々に存在していたことが伺えるのである。

“障害者”の概念も両義的性格が仮託されたものの一つである。この“障害者”という言葉自体には、現代社会においても“普通でない” “不完全” “欠陥有り”などと、負のイメージがある。一方、俗界とは異なる世界に属するものという聖性を帯びた“障害者”イメージも維持されている。特別な能力をもつ人々、われわれの域を超えている人々というようなイメージが“障害者”概念と連関していることなどである。障害を持ちながらも特別な能力を発揮し芸術活動において貢献している人の姿がメディアを通じて盛んに報道されるようになった。数例がTVなどのメディア上に登場することでその特別性は少なからず誇張されて社会に広まり、現代における境界に属する「異人」の特別な能力の持ち主という連想も一般に親しい事象である。このような二つの対極の概念が同居する両義的存在が、社会には相変わらず保持されていること、超人的世界に属するものへの羨望と、“普通”である私たちと違う異界の者としての「異人」である“障害者”が、結び付けられているこの矛盾した事情には、どのような文化的背景があるのだろうか。

“障害者”概念は両義性や中間的性質を持っていると捉えられ、頻繁にタブーおよび「混沌」の象徴として周辺的な部分に位置付けられてきた。「人は混沌を介して思考を発展させてきた」[山口19751]と山口は言う。同時に、全ての生命の始原である「混沌」から身を引き離した瞬間に人は混沌を対象化する。こうして対照的、相対的な二項が人の意識の内に存在していくのである[山口19751]。二項対立の議論を考慮する必要はここにある。二項対立の図式を硬直化させる主張は批判されてきた。しかしそうした二項対立理論を批判する議論はその中間に存在するものへの視点を生み出し、境界性とともに中間性や多義性の議論を発展させた。人々の意識において、中間、分類の存在しない「混沌」の領域は周辺に位置付けられるものでありながら全ての生命の根源である。よって混沌には人間の本質が見出せるのではないか、というのが象徴や儀礼に注目するダグラスやリーチ、ターナーらに共通する見解であった。本論でも、境界性に注目すると、それが周辺に位置付けられ忌避される理由として、人々がその意識の中であいまいで中間的な領域である混沌の世界と「異人」や「障害者」を結び付けているという事情が浮かび上がってきた。その時、二項のどちらにも属さない分類不可能なものであったはずの混沌の世界は「他者」「異界」として再び人々の意識の中で二項対立的に処理される対象となっている。こうした状況を的確に説明しているのがギルマンの病気に対する見解である。

2−2.特別な能力をもつことと、芸術における「奇矯」のイメージとの関係

ある対象を「異人」としてみなすその見方は、正負両極端とも言えるイメージが混在しつつも常に社会に存在してきたということが言える。この特別性は何ゆえに存在しつづけるのだろうか。ギルマンは、精神分裂病者を「奇矯」と見る傾向は、病気の複層性をその多くの表出の一つだけを中心に据えることによって理解しようとする試みであるとし、結局はわれわれが自分自身の健全さを囲い込む手段であったのだと述べる。奇矯的なものに対するステレオタイプを、われわれ自身の正気を定義する手段として使うのである[ギルマン1996350]。小松は「現象学的に見れば、「他者」は「われわれ」に排除された者として人間の意識のさまざまな位相に現れる」[小松198511]と言う。そうした人間の欲求が形にされたときの象徴(シンボル)としての「異人」、私たちに対する「他者」の認識の様態は、二項対立的に表現されている。
 ギルマンによれば、「奇矯」の概念は精神異常者の形姿と関連付けられる否定的なイメージで捉えられる語であった。「奇矯」「奇妙」「不条理」などの単語はともに精神分裂病患者やその言動を表すのに使われていた。だが芸術の絵画の世界では、16世紀の時点で「過度の丹念さ」より「素描」、「感興」から生まれる「粗描き」が評価されるという一側面があり、さりげない筆裁きでしかし虚偽のないように対象を描かねばならないという一見矛盾した要請があった。当時、狂気(乱雑)と想像(手仕事)の両義的世界表現に根ざした宇宙観が有力な主題の一つであった[岡田2000146148]。こうした要請に、“障害者”は超人的な特殊能力をもつという意味付けとの関連がみられる。芸術において狂気(乱雑)と想像(手仕事)の関係に関心が持たれた時、その狂気の側に位置付けられていた「奇矯」は少しずつ肯定的意味を付され、ついには「天才」の意を示すまでになる。その変化の様子は次の具体的な歴史的事実に見ることができる。

17世紀初頭、奇矯なものは厳格な芸術的枠組みの中でコントロールの喪失を表象するコードであった。ダンテの奇矯という言葉の使用やボッカッチョによるこの語の使用によって「奇矯」な狂人の恐るべき力と言葉にならない怒りとが表現されるようになった。ルネサンス期には、奇矯なものは無類で嫌悪感を起こさせると言う意味を示唆した。その後さらに“caprissioso(気まぐれな/幻想に陥りやすい)”と言う意味を付加され、奇矯の周辺的で偏奇であることを示す特質はアウトサイダーの存在として表現されるようになった。

18世紀になって「奇矯」という語は観相学、骨相学といった領域で精神病を見分ける新しい科学的用語となった。美学の世界では、文学作品の中で周縁的人物または精神異常者の姿を表象する美学的用語となった。奇矯な人とはつまり、「異常な仕方で行動したり考えたりする人」のことを意味した。「奇矯」は科学的な用語として完成され、強力な医学言説の刻印を帯びた[ギルマン1996344]

19世紀になって「奇矯」という語に対する諸事情は急変する。当時のロマン主義者が「奇矯」や「異常」に肯定的な意味付けを行ったのである。それはロマン主義の作家達が意識的に自らを周縁的と位置付けていたので、彼らが自らの芸術も「奇矯」であると表明したことによる。19世紀末になって「奇矯」という語は、特に芸術の分野においては、天才、「無類(ユニーク)で社会の表現の基準を超えた異常さ」と言う意味が肯定的に捉えられた形で存在することになった。シャルル・ボードレールは真の芸術と通俗な芸術を区別する手段として「奇矯」の概念を用い、これによって奇矯は様々な力や可能性の源泉において真の芸術であるという位置付けを与えられたのである[ギルマン1996347]。こうして「奇矯」は創造性の商標となった。ロンブローゾが論じたように、天才も狂気の一つの形態に過ぎないものとされるようになった[ギルマン1996334339,346]

以上のように、精神分裂病者のつかみ所のない性質を表現するのに適切な語として「奇矯」という語が使われ、美学、精神医学の用語として様々な場面で機能してきた。正常と異常である「狂気」を区別する意識、その対象となる「彼ら」を差異化、アウトサイダー視する様態について、ギルマンは次のように解説する。病気は見るからに無秩序なものだから、カオスや混乱、不毛といったものに対する人間の本質的な恐怖を反映して、そこからなんとか距離をとりたいと思うのである。この表象には病気に対する恐怖や不安が作用していて、「正気」の人を「狂気」の人から分け、その境界を明確にしようという意識は、普通・正常である自己と狂気の犯罪人あるいは犯罪を起こしかねない狂人とを区別したいという欲望なのである[ギルマン19961819]


2−3.排除の原則 

1).正常な「われわれ」と異常な「彼ら」

「われわれ」の領域と他者としての「彼ら」の領域を存在させ、私たちを「彼ら」の領域である周辺性、混沌から引き離して「われわれ」の領域の平穏を維持しようとする様子は、社会において様々な場面で見られる。その一つとして病気、狂気といった概念に対する私たちの意識が挙げられる。正常と異常である「狂気」を区別する意識は「排除の原則」[山口197183]の機能である。19世紀に成功をおさめた法精神分析学はそうした意識の現われだとギルマンは指摘し、「狂気」に対してある原因やパターンを特定する必要は、「社会がコントロール不能とみなした要素」を隔離し統御しようという欲望を満たしているという。その例として、当時評判になったチェザーレ・ロンブローゾの犯罪分析は、狂気と社会的劣性が分かち難く結びついているものであった。このことは「狂人」は自分たちとは異なるのだということをより具体的に示してその差を絶対的なものとしたいとする、私たちの欲求を示しているとギルマンは言う[ギルマン19963236]
 こうした欲求、あるいは掴みどころがなく、混沌の表象である病気に対する恐れは、より具体的な徴候を欲する傾向を生み出す。人はより具体的で判り易く、目に見える形で異常性を示すものごとを欲し、「先天的癲癇」や脳が「縮んでいる」など科学的・生物学的な要因が法廷に“証拠”として提出されるようになると安堵のため息をついたとギルマンは述べる[ギルマン199636]18世紀の西欧には、観相学、骨相学といった、目の色、顔の形、骨格などから精神病を見分ける新しい科学が導入されるようになった[Kris1932169228]。こうして狂者を見る仕方は、異質と考えられたものやかたちを隔離し、識別する必要から生じている[ギルマン19964149]。ギルマンは私たちの日常生活に存在する「狂者」の大衆的イメージに二つの基本状態を見て取れるという。それは受動的状態とその反対の活動状態という二項対立のイメージである。前者はメランコリーや鬱と呼ばれる状態、後者の状態は自分をコントロールできず、暴力的で、人に危害を加えるというものである[ギルマン19962829]。後者のイメージに対する人々の反応は、彼らは別の世界、自分たちより下位の、われわれの世界の外に属する「他者」であり、できるだけ避け、隔離する対象であった[ギルマン199636]

病気に対する区別の意識は、科学と芸術、双方の分野の研究によって構築されていった。科学において規範となる外見の基準が確立され、理想の外見と病理学的外見との相対的な類似が創作された[ギルマン199653]。芸術においては芸術家が精神異常者を描くときに何を表象すべきかについての注釈書とでも呼べるようなものが、芸術における感情表現の問題に関して論じた著作として出版された。その代表ともいえるC.ベルによる『表情解析論』の中の図解/挿絵における「狂人」の肖像画は、先の章で述べた観相学の影響を受けているとギルマンは指摘している。そうした論考において精神異常者は動物的様相に描かれ、視覚化されていた。野蛮さ、野性的状態といったイメージはまた、暴力的狂気のイメージを連関させる。観相学を提唱したラファーターもメランコリーに陥った人のものとした特殊な形相を描いている。彼の作品の中で躁病患者は暴力的で動物のようなイメージに則っている。それに影響されたW.ブレイクは聖書の中のネブカドネザル王を動物のように草を食う姿で描いた。チャールズ・ダーウィンは一般にも認められているその著『人間と動物における感情表現』において、精神異常者にポーズを取らせた写真を載せている。それは精神異常者を「野生的人間」として表象する古くからの伝統を追認するものであった[ギルマン199672]。写真は精神異常を科学的に表象するものとして認められた。画家の抽出するモデルのイメージよりも忠実度があるとされたその‘写真’は、「われわれ」意識から区別しがたい精神異常者、つまり“狂人”を視覚的に分別する傾向を是正するのに貢献した。「われわれ」の“正常性”を肯定するための他者の像が、写真という科学的論拠を経てさらに確証されたのである[Conolly18583]

野性性と人間とを結びつけ、さらにその人間を低級扱いするといった傾向は、心身に障害をもつ人に対する社会の意識の例や、その他「国」という枠を介した異文化接触の際にも表出すること、そしてこうした傾向は現在でも未だ指摘し得る様態である。「われわれ」とは異なる他者を低級扱いする指向が最も表面化したのは、植民地時代の現地人に対する支配する側の捉え方であった。西洋文化と違って近代的国家を築かず、土地と密着して生活する異文化の人びとを、われわれより野生に近い、野蛮で粗野な人びとと見なしていたという歴史がある。19世紀、トーテミズムを「未開人」の原始宗教としてみなし、そうして学術的客観性を与えることでますます彼らは野生の状態に近い低級なもの、それに比べて自分たちは科学的思考を有する高級な種であるとして自己や自文化を肯定する思潮が主流であったが、そうした意識はレヴィ=ブリュルを始めレヴィ=ストロースらによって批判されるようになる。西洋人は未開地の開発と共に、現地にもともと移住していた人々を「未開人」「野蛮人」と呼んだ。進化理論にのっとる西洋人の価値観によれば、“清潔”な“正しい”外観でない原住民は粗野な野蛮人、未発達の段階にある人種であった。「いくつかの人間現象を切り離し」て、一つの人間像‘われわれ’をつくりあげようという傾向は、19世紀末の様々な分野の学問にみられる一種の流行のようなものであった、とレヴィ=ストロースは述べる[レヴィ=ストロース 19706]

レヴィ=ストロースの視点は、同じく当時議論の的となっていた精神障害者との関連付けにも向けられる。「未開人」と精神病患者には相似する点がいくつもあるとし、両者は社会のその一つの人間像を形成するための学問的‘道具’の役割を担っているとした。それを画家エル・グレコの例を挙げて説明している。「絵画における伝統墨守の官学派が」その威光を維持するためには「エル.グレコがある種の正解の表象法に対して意義を申し立てる資格のある健全な存在であってはならず、かれは不具者であり、かれの描く細長い像は、ただ、かれの眼球が奇形であることを証明しているにすぎなかった」[レヴィ=ストロース197067]。これは、中心に属していて正常である‘われわれ’のために、周辺に位置付けられる‘彼ら’の存在が形成されているという社会の様態への指摘であると考えられる。そうしたレヴィ=ストロースの志向は、先に挙げたように18世紀頃の精神異常の諸形態がその身体的外見で識別可能であることが当然とされていた潮流[ギルマン199652]に危惧を唱える立場であった。彼はG.フロイトの主張を取り上げ、健全な状態と精神病の状態との間には本質的な違いは存在せず、両者の間の差異は社会においてそうみなされる程にはありえ無いと述べている[レヴィ=ストロース19706]。フロイトを始め1819世紀の“患者”に対する一般的見方に異議を唱える立場の、その主張はギルマンが取り上げている。フロイトは彼の精神分析の補助として患者を視覚化することを意図しなかった。オイゲン・ブロイラーは「正常」なものと「精神病理的」なものとの間に、ある種の連続性が存在することを強調し、精神分裂病でない人の中にも「精神分裂病」的症状が認められるとした。M.フーコーは精神科医がどのように患者を把握して表象しているのか、そうした医者自身が持つ先入観や想定について語るために医学と狂気の歴史に対する語彙の根源について検証している[ギルマン199673]

“病を患う”ということは異世界の側に近づくこと、そしてこの世ではない異世界の側に入ることは死の世界に入ることを意味し、そうした死と関連する“病んでいる”状態に対する恐怖や不安が人々の中にあり、人は日常生活の中で抱いている不安の源泉を限定して安心したいという欲望を常に抱いている。そうした不安の源泉を「狂人」、つまり健康でない患った人たち、病気である「他者」という連想したイメージ群に限定して安心するのである[ギルマン199636]正常である自己と狂気である他者を区別したいという欲求は、正常の側に自己が入ることである。不安の源泉を捉え得る明確なものにすること、「私(我々)の領域」と「彼らの領域」を作り出し、特に視覚化して区別することでそれらを自己の世界とは異なる異世界のものと認識するのである。

2).秩序を維持するための「排除の原則」

女性原理は男性の「文化」に対する「自然」として捉えられ、男性(文化)に制圧される女性(自然)の象徴となっている…、こうした語りは女性の社会進出と共に勢いを増し、フェミニズム論の盛況と伴に1970年代までは盛んに議論された。事実、女性を異界と繋がっている「他者」として捉える傾向が頻繁にみてとれた。小松は「異人としての女性」と題して「山姥」や「大蛇」(=美女)や妖怪「鉄の歯」を挙げ、それらの像は、究極的には「自然」に近い潜在的な「他者」としての「女性」、男性たちが恐怖する根源的かつ統御しえない力をもつ女性のイメージを表現していると述べている。“自然”のもつ底知れぬ力、脅威を伴う偉大な力の象徴的イメージとしての「山姥」、「大蛇の大きな口」、「鉄のような歯をもった女陰」は、文化=秩序を呑み込み、再び“自然”生まれたままの未開状態、混沌の状況に戻してしまう。そうした恐怖を“文化”の側に位置する男は本来的に抱いている、といった理論が頻繁に交わされた。「男は文化の深層において女性を恐怖し続け」てきた、そうした恐怖の念が「歯の生えた膣」の空想を産み出すまでになったのである[小松1985120]

女性原理は確かに、頻繁に負の象徴に結び付けられることは様々な文化でみられてきた。この事情に、山口は「排除の原則」を見て取る。例えばナイジェリアのジュクン族においては、その二元的な対立項の組み合わせで形成される世界観の中で女性は穢らわしさを象徴している。宇宙論的に女性が「秩序」に対して潜在的脅威を形成しているということは、女性に対する様々なタブーを課する前提となっている。そうした意味では、女性の穢れに対する恐れがジュクン族の「秩序」を常に再編成する原理になっていると言える。「排除の原則」がこの文化の秩序を維持している[山口1971108118]。このような論理形態は結局、集団の「異人」志向の問題であると山口は言う。「異人」は何よりもその「脆弱性」を意味している。ウィッチクラフトの現象も然り、多くの社会で女性が潜在的に我々の内側の彼らの位置を占めている。日常生活の周縁に位置する「異人」の存在は内側の「違和性」に光を当てるための民族的モデルあるいは光源なのである[山口19758283]。哲学では狂気という、正常でない不均衡な状態をメランコリーに陥っていると考える。このメランコリーのイメージは女性であり、中世の抒情詩において男性の登場人物がその状態にあるときは受身的な、女性的な特徴を彼らは与えられた。「メランコリア」は女性系の名詞であることからもわかるように、女性は感情の誇張状態に特に陥り易いと考えられてきた[ギルマン199641]。つまり、女性は男性よりも正常でない状態に陥りやすいものと考えられているということである。「バッグ−レディ」(注1)への象徴的イメージも、そうした女性のイメージと関わるものである[ギルマン199636]

「われわれ」の内側の世界の「違和性」に光を当てるための光源として内側に存在する「彼ら」の志向は、家族内における「異人」の存在の問題でもあるとJ.ヘンリーは指摘する。彼はどの家族にも寝小便とか怠け者とか、汚名を着せられて潜在的に差別される子どもがあるとしてその存在に着目している。家族内には潜在的に差別される「異人」的存在があるというこの分析がどれほど妥当するのかは疑問であるが、このような指摘は集団はいずれの場所にも内部の敵を必要としているという点で「排除の原則」の議論を発展させるものとして期待できる。家族は内部の敵を必要としていて、この「敵」の存在は端に押しやられ、有害ですらあるとされる。「戦争は反対者を堂々と破壊しうる、有害な物に転換させることによって起こる」[Henry1973449]。排除の原則はバークによれば「犠牲者のでっち上げ」[Burke1966]である。家族の平和とは意外にも、「排除の原則」の適用の上に成り立っていると山口は述べ、こうした分析の今後の発展に期待している[山口19758384]

「排除の原則」は常に社会生活に存在し、そして‘境界性’(リミナリティ)に向かうことが認められる。ターナーの分析によれば、リミナリティには弱さや受動性が象徴され、政治的・法的・経済的な体系における個人や集団などの構造的な劣位性との間に対応関係が認められるという。リミナリティには周辺的な、ないし劣位の人、もしくはアウトサイダーが象徴的に関連付けられている[ターナー1976175]。そこに関連付けられる中間的な性質を持った存在、あいまいなものごとは、私たちの認識上、そのカテゴリー化に混乱をもたらすために忌避され、周辺に関連付けられる。そして境界性や周辺性といった概念群との別をより明らかにしようとする意識は、未知のもの、分類しがたいものへの不安が関わっている。不安や恐怖心を起こさせる異界に自分自身が関連付けられること、「こちら側」ではなく「あちら側」の人間として認知されることへの不安である。人間はいつでも「私(我々)の領域」と「彼らの領域」を作り出す。不安の源泉、そのイメージは人間の中に常にある[小松 1994136]。この区別の意識が人間に常に存在することは、二項対立的概念体系が成立しやすいことに繋がると考えられる。混沌であり不安の源泉を含む「彼ら」の領域には、正常である「私(我々)」の領域の肯定と言う側面がある。


3).混沌の拒否−区別の意識

人間はいつでも「私(我々)の領域」と「彼らの領域」を作り出す、それはなぜか。それは、私たち人間が本来的に「自己と他者の区分がなくなることへの恐れ」をもっていること、すなわち、自己が他者と同化することへの不安や恐怖を持っているからである。M.ミルナーは、人間は分離する境界線の感覚を失うという恐れ、外的世界の触知可能な現実と、感情や観念という内的な世界の創造的な現実とのあいだの境界線の感覚を失うことに対する恐れを持っていると述べている[Milner 195017]この不安や恐怖が、他者と自己との境界線や区別の意識への執拗なまでのこだわりを生じさせていると考えられるのである。「他者」と自己の間の境界があいまいになることへの不安は、境界を無くすことを拒否する。自己自身がコントロール不能になってしまうことへの脅威は、コントロール不能な状態と同一視される“死”に近づく病気の状態、死後の世界という無秩序な異世界の拒否であり、それらからの区別の意識を設けたいとする意識である。ダグラスはこうした欲求を、私たち全ての人間の中にある“確固たるものへのあこがれ”であると述べている[Douglas1966162]

リーチはこの区別の意識を次のように分析している。「自然のまま」にあってはもともと切れ目のない連続体である場のさなかに、われわれは人工的な境界を創り出している。その際に言語的あるいは非言語的象徴を用いてある種の事物や行為を他のものから区別して一つの組に分類する。精神の安全にとっては内側と外側の違いを混同させないことが重要なので、自然のままでは連続していて切れ目のないところに、わざと人工的な切れ目として境界を入れるのである。このことは空間ばかりでなく時間に対しても当てはまる[リーチ19817273,129]。そしてこうした様々な事象に人工的区別をつけるその象徴的行為は、身体においては損傷や犠牲と言う形で表現される。リーチの分析によれば、例えば社会的地位の変化は肉体を傷つけることによって表される場合が非常に多い。男子の割礼、女子の陰核除去、剃髪、抜歯などがそれにあげられる。そうした損傷をこうむる部分はほとんどの場合身体の境界部分、つまり包皮、陰核、髪、歯でありそれらは境界の両義性、タブーと関連してくるとリーチは言う。清潔/穢れの対立を示す不連続は意味的になくてはならないのである。そして特に、門にあたる身体の穴は儀礼と関連させられることが多いと述べている[リーチ1981127130]

2−4.「穴」の概念

リーチやダグラス、ターナーらは境界性の象徴でもある身体の開口部である「穴」に注目している。あらゆる種類の人間社会において、敷居や門に大きな儀礼的受容性が与えられ、その開口部に清潔と不潔という身体=物理的な不連続がなくてはならない[リーチ1981128129]という事象は、人間の身体の完全性を理想的神権政治とみなす思考[ダグラス198523]によって存在する。人間の身体の内側は象徴的に「われわれ」の世界であり、死に対する生の世界であるのに対し、外側は異世界であり、異人とみなされる他者、アウトサイダー視される「彼ら」もそこに存在することになる。女性原理が頻繁に負の象徴に結び付けられ、不浄観や死生観、非人間性、異人など混沌や無秩序に対する脅威となる概念をあてがわれる傾向があったことは先に見たが、それらの概念に注目してみると、人が恐怖や不安を抱きまたそれ故にか興味を持ってしまう概念である。実は混沌こそ人の意識が向かうべく全ての根源が存在する場所、それ故に生命に関する人の興味や好奇心の集中する場所なのである。山口は混沌を「豊饒性を帯びた闇」と表現し、全ての精神はそこへ立ち還ることによって、あらゆる事物との結びつきの可能性を再獲得する。それ故、社会は論理的明晰性を価値あるものとしても、常に文化構造のあらゆる片隅に人が“闇”と遭遇することができる“仕掛け”を秘め隠していると言う[山口19751]。「穴」はその豊饒性を帯びた‘闇’と遭遇することのできる“仕掛け”の一つであり、異世界へと繋がる“闇”の入り口となり得る。いくつもの文化においてこうしたイメージを持つ「穴」概念が「女」に付与されているという事情には、女性が膣という「穴」を持つものであるという認識が関わっているのではないだろうかと私は考える。と言うのも、“闇”や混沌、捉えがたいものに対する不安や恐怖と興味とが共存しているように女性に対する興味と負のイメージとは共存しているからである。

E.ショウォールターによれば、女性の肉体を開き、その肉体と創造の秘密を見極めたいという願望が19世紀の科学の推進力となった[ショウォールター2000230]ということである。一方、女性に比べ男性が被実験体になることは一般的でなかったという。ショウォールターはこの事情を、男性性器であるペニスや睾丸はもともと体の外についているために一目瞭然の付属物でしかなく、それ故男の肉体の内部についての文化的空想が存在しなかったからだと分析する[ショウォールター200025]。見るからに明らかであった男性性器に比べると女性性器はその肉体の内部にあって明らかではない、そうしたことから「神秘の入り口」[ショウォールター200025]に例えられ、女性の肉体が興味の対象となったのである。フロイトは、女性性器を性器化したメデューサの頭部と見る説において、メデューサの口はヴァギナ・デンタータを、蛇は陰毛を表していると分析した[ショウォールター2000255]。この分析も女性性器への特別視としてあげることができよう。「ヴァギナ・デンタータ」(歯の生えた膣)モチ−フは、アジアやアメリカ大陸などで多くみられ、ミクロネシア、ウリシーへ伝播し、台湾でもみられる[小松1985100113]。穴、異世界への入り口、恐ろしい口というイメージで女性の女陰と膣を捉える傾向は女性論の中で盛んに議論されてきた。女性が“闇”への入り口である「穴」を内包しているが故に、それに対する不安や恐怖から女性原理には負のイメージが関連付けられている、未知の闇に対する人間の意識や態度を見て取ることができるのである。

 “穴”の概念を調べてみると、事典(注2)には多数の意味が並ぶが、その概念において穴の中に闇が存在することは確かである。その先に何があるかは多様な想定があるだろうが、入り口があって出口に至るまでに闇の中を通過することを“穴”は要する。私たち人間の身体が“穴”を有し、またそのことに人が高い関心を持っていることは、身体のイメージによる外側と内側といった二項で捉えられたあらゆる文化の人生観や宇宙論に見て取れる。ダグラスは身体を用いた象徴表現に注目し、境界の重視、開口部の防備、混合すべからざるものを混合してならぬといった人間の普遍的な意識をみる[ダグラス198310]。人の死生観を形容する諸概念が一貫して入り口と出口と捉えられるものを有することは一つの象徴的な特徴である。それは、こちらの世界に入ってきてあちらの世界に出る、という語りにみられる。人は誕生し、そして死ぬこと、ものごとは始まりそして終わりに至ること、吸収し排泄することなどである。

こうした対立項の境界があいまいになることは拒否される傾向が強いことは先に述べた。入り口と出口という二つのカテゴリーに始まる神は広く世界中にみられている。そうした神話や儀礼はその境界を明らかなものとして人々に提示する働きがあると考えられている。聖に対して俗を、善に対して悪を対置させ、そう志向するように方向付ける。大衆の志向をそうした儀礼や神話に順応させるのは、強制だけでなく、人間のもつ本来的な不安の作用が関わっている。近代国家においては内閣、王国においては王権など中央の権力といった「内」への敬愛、崇拝、それに対立させて捉えられる「外界」のイメージは異世界、われわれと異なるものとなり、拒否感や排他性が付随してくる傾向がある。対置して捉えられる二項には一貫してそうしたイメージが存在する。そうした傾向、そして対立項の境界があいまいになることへの拒否には、不安や恐怖が関わっていると言えよう。

闇の中、何も見えないその時人は何かを想像する。穴の役目は、その空間を体感させることで一時的な闇の空間を体感し、その間に混乱した人の思考体系をもとに戻す、意識の内の境界を明確にさせる機能をももつ。藤田は、かつて路上でくり広げられていたかくれんぼうが見られなくなってしまったことには重要な意味があると指摘する。彼によれば、かくれんぼうは一種の社会経験を感じ取るようにできている遊戯である。鬼になって目をつぶって数を数え終わった後、目を開ければしんとした孤独な世界が急に広がる。「急激な孤独の訪れ」、擬似的な「他界」の経験を通して、子ども達は将来訪れるであろう経験に対する胎盤を、「遊び」によって抗体反応を起こすことなく形成されるのである。しかも鬼になった子だけでなく、隠れている方も、巧く隠れたのが成功しすぎてなかなか見つからないことがある。そんなときに感じる不安に耐え切れず、ついにはでていく。かくれんぼうで鬼と隠れる方そのどちらもを経験することは相互的に回復と再生を経験することである。これによって「対抗しながら相互に救出しあう統合」、相互主体性の世界を経験できる遊戯、それがかくれんぼうであった。そうした日常的な場面での社会突然変異、価値の転覆を経験できなくなった現代に藤田は危惧を唱えるのである[藤田198210153137]

擬似的空間を造りだし、そこに表現行為によってメッセージを込めたりまたそれを体感するという様態は儀礼と同様の機能的意味をもっていると言える。先述したンデンブ族のイソマ儀礼は穴を扱った儀礼である。日常生活から儀礼における表現行為まで、人々の“穴”に対する意識について読み取れる特長の一つに、その“闇”、見えない部分をうまく通過させることを重要視する傾向があることを指摘できる。村瀬は母親と子どもとの関係を先ず挙げて、赤ちゃんが「抱かれる」「おっぱいを吸う」こと、母親が抱擁や授乳を通して赤ちゃんを自分の一部のように感じること、この「相似体験」の必要性を述べる。この相似体験は男女の抱擁に始まり、自−他、内−外の入れかわる体験であるという。この授乳、抱擁に始まり夫婦の間ではオルガズムやエクスタシーを感じること、これら抱合、融和し合う世界を通り抜けること、穴の入り口を通して見えない部分であるその世界をうまく円滑に通り抜けることが必要であるとする[村瀬19844049]

このことは、ンデンブ族のイソマ儀礼においても共通しているのではないかと考えられる。呪術師は“上手く”穴を通し、円滑に運んでいない物事を再び円滑に運ぶようにする。西洋医学ならば手術によって身体に穴を開け、悪の根源である異物を取り出し、また縫合して治癒するところを、儀礼において自ら作り出す擬似空間で論理の転換を行って治癒する。このようにンデンブ族のイソマ儀礼による治癒は、その方法は異なっても治癒の目的は西洋のものと共通するものであると捉えることが可能であることをターナーは解説した。つまりこうした行為は普遍的なものであり、重要なことは、思考として成立するには“闇”や混沌といったものを捉えられる何かにする必要がある、ということである。穴はそれを“形”としたものの一例である。“穴”であると認識することによってその先には必ず何らかのものが−出口か、異世界か、あるいは底が存在するのでは、という想定が可能になる。それでも認識上、穴の奥にはまだ目で捉えられない闇の存在がある。その存在に永遠の宇宙、カオス、混沌のイメージと結び付けられる人間の思考の域を超えた世界が繋がっている。穴の奥の未知の領域へと興味を抱き、思考の域を超える様々な現象に対し分類と命名をしようと努力する行為、それらの活動の発生には知的好奇心であり不安でもある「未知のものに対して抱く感情」が関わっている。

2−5.“闇”“異界”未知の世界である混沌への不安や恐怖と興味

 私たちの“闇”の概念、闇はそれ自体カテゴリーから外れた存在であり、分類不可能なものである。全ての生命の根源であり全てを無に帰す、全てのものが混在した境界性のない混沌の世界である。だがそれが「異界」のイメージを与えられるとき、「闇」を異界と認識したとたんにそれはカテゴリー化された二項対立の図式に当てはまる存在となり、「異人」「他者」が存在する恐ろしい世界となる。

 情報量の少ない時代、かつての日本では「妖怪」というカテゴリーが、現代よりももっと盛んに人々の意識に登場し、存在していた。近代においては「迷信」として、科学的目線の旺盛によりほとんど人々の意識からは遠ざかり、趣味の分野で細々と生き長らえている「妖怪」。既に想像上の生き物という認識が一般的になったが、かつてはもっと実在性のある生き物として捉えられていた[小松19947]。妖怪の存在を信じている人が多かった時代とは、前近代の時代、妖怪が出没することのできる空間・時間がたくさんあった時代である。今のように夜になっても明かりを絶やさない情景が広がる世界とは違い、夜になると闇が全てを包み込み、今ではもうそれを追い求めて地方の‘田舎’へ行かねばならないような“夜”らしい夜を世界が有していた。

 山口は儀礼における神話や民俗誌的思考における夜に対するイメージについて、次のように整理している。“夜”は昼の絶対的対立者でなくその彼方にある空無と昼の仲介者的相貌を帯びていること。“夜”を示す根源的な言葉は「結び合わせる」であり、ここから保留する、隠す、秘するという表現が派生していること。さらにそうした「保留」の時間的空間である夜は、暴力という理念を介して、突発的な変動を示唆する。夜の保留という行為は「爆発を引き起こす前提としての否定的な形の暴力の現れ」であり、またこの爆発の中から新しい根源的なそして始原的なイメージが発生してくることである。夜が象徴する爆発のイメージは、福をもたらすと共に災厄をもたらす。日本の民俗で言えば地震のイメージである[山口197519]。こうした何らかの恐怖や不安を掻き立てる闇が民族社会の人々の間近に存在していた。その闇という空間、恐怖や不安の情を生じさせ、人間の想像力を駆り立てる空間(あるいは時間)が在った時代こそ、かつての民俗社会、「妖怪」が存在した時代であった[小松199432]。この、かつての民俗社会における“闇”は「妖怪の住む世界」として一つの起承転結の存在する物語が描けるだけの大きさを有する闇、例え家々の各所にばらばらに拡散していても総体的に考えれば、そこに人間の思想に別世界を抱かせるほど許容量の大きな闇であった。この闇の素性は現在の闇とは異なる闇、コントラストで捉え得る‘暗さ’が存在する闇であった。

地形的環境と「妖怪」思考にも関連性が見出せると小松は言う。その分析によると、近代以前のムラとは、周囲を山に囲まれたいわゆる「小盆地的宇宙」であった。そしてその‘内’と‘外’との境界を境に‘内’は自分たち人間の住む世界、それ以外の‘外’は自分たちとは異なる世界の人々やものであり、容易に心を許せる存在ではなく、どちらかというと外敵、忌避すべきもの、「自分たち」という‘人間’以外が住む世界としての‘外’だった。「妖怪」も‘外’に居た。内の世界は民俗社会の人々が誕生してから死ぬまでの‘すべて’を含む生活世界、それ以外の異界がイコール外の世界、死後の世界であった。そのようにして、地上的異界と観念的異界は背後に互いの存在が在ることによって互いを成立させていた[小松19945255230231]。言い換えれば、闇に包まれる観念的異界の存在が必要だった、ということである。
 ではムラ以上の人口密度と土地環境や機具等の発展しているマチにおける「妖怪」の存在はどうなるのだろうか。「前近代の都市」として小松は平安時代の京都と江戸時代とを例に挙げる。人が増え、環境も整備されてくるに従って「妖怪」は確かに減少したが消滅してしまったわけではない。それどころか、現代の‘闇’を持たないマチ以上の‘都市’においてもやはり「妖怪」は消えてなくなってしまうことは無いという。例えば平安の都市の中で「妖怪」が居るとされた場所、それは具体的には辻や橋であった。交差する角や境界を繋ぐ場所には都市の外の世界から「妖怪」が悪さをしに入り込んで来た。また、ムラからの変化としてみられるのは、人家が増えて都市の内部に棲むべき空間がなくなってきた「妖怪」は人家に住み着くようになった。江戸時代に至ってはそれがもっと顕著な形になり、都市空間の中に、人びとの意識する「境界」が増えていった[小松19945255103105111112]

大都市の繁華街を中心に夜が‘暗闇’でなくなり始めたのは高度成長期以降である。私たちは必死に「ひたすら闇を排除し光の領域の拡大を積極的に進めてきた」[小松1994115]。形を成さない闇に対する恐怖心や不安は人間の想像力を駆り立てる。高度成長期以降、暗闇は排除されるべき対象となっていった。‘闇’の文化の中に私たちにとって必要なものが含まれていた、として危惧を訴える意見もある。谷崎潤一郎は「目が効かない漆黒の闇」の喪失ではなく、「目に見える闇」の喪失を嘆いた[谷崎1975255256262264276278]。例えば燭台や行灯の明かりとその明かりの陰にできる闇とがほどよく調和したところに日本文化の美しさがあったが、それも電化製品の普及する都市に特有の「闇のない白日のような過度の明るさ」によって消滅した[小松1994116117]

一方、都市化の開発によって生み出される新しい‘空間’は合理性の追求された、陰影=‘闇’をもたない‘空間’である[小松1994117126]。こうした都市化の傾向、「妖怪」の居る闇の存亡の危機は地域へも波及していく。小松は、「地域社会が便利で気楽な「豊かな」都市文化に同化していく」ことを選んだのは、「教育の充実と大都市と同じ情報をテレビやラジオ」で知ることができるようになったことが大きかったと述べている。しかし別の場面で別の意味においては「妖怪」は今もなお存在している、つまり「妖怪は人の心が生み出す存在」であるから、人が集まる都市の中にも「妖怪」は存在しているはずだという。その場面とは「明るい光がともっていても、暗いイメージを抱く」ような場所、都市にも必ず人々に不安や恐怖を感じさせる空間が存在し、そこに「妖怪」は入り込んでくるのである[小松 1994130]

).“闇”“異界”の入り口としての「穴」

その場所として、先ず挙げられるのは便所(トイレ)という場所ではないだろうか。(注3)現代社会はここからも‘闇’を追放できたはずなのに、どうして「便所」はまだ不安の付きまとう暗い印象を引きずる場所なのか。常光徹は次のように分析する。一つは便所は人間の陰部をさらけ出す場所、動物としての人間の弱点をさらけ出す場所であるという点で常に不安が付きまとうこと。もう一つは非行の行われ易い閉鎖空間でもあることから、学校の秩序を脅かし続ける「学校の負の側面を象徴的に示す空間」であることを挙げている[常光199330-31]。便所には必ず穴がある。旧式のものであればあるほど、純粋に掘っただけの穴が便所という場所に存在し、暗い穴の入り口を目の前にさらけ出している。これが人の抱いている‘闇’へのイメージと連関し、その不安をかきたてる場所となってきたのではないだろうか。未知の領域、その混沌、不安の源泉に繋がる入り口のイメージを目の前の穴に重ねた時、「穴」は恐ろしいブラックホールとなる。

開発によって作り出される現代の空間は、合理性を追求した建造物によって占められた陰影を欠いた均質的な空間であり、「奥」や後ろ、背後、向こう側がない空間だと小松は指摘している。[小松1994126] 建築家の槇文彦によれば「奥」は「深さ」ないし「距離」をともなった「裏」や「後ろ」であり、身体的、生理的体験を通じて把握される厚み、深みである。[小松1994121] 「「奥」は水平性を強調し、見えざる深さにその象徴性を求める」[1992331]。仏壇の奥、背後、異界と繋がる世界の存在を思わせる暗さのある場所、妖怪が住む世界、あるいはそれと繋がる場所であった「奥」は、都市化によって衰退していった[小松1994122]。穴の存在についてもこのような傾向は見て取れる。

私たち人間の生の営みに穴は欠かせない。ダグラスやリーチも注目したように、概念的な“穴”の重要性は、それが人間の社会の“門”を象徴するものであり、頻繁に儀礼と関連させられることからも明らかである[ダグラス198310] [リーチ1981127130]。そして日常生活における居・職・住の基本的行為にとっても穴は身近な存在である。例えば洗面所、台所の排水溝、トイレ/便所など食事や排泄行為にとって穴の存在は欠かせない。だがこの事柄は、近代的国家社会ではそうではない社会と比較して、あまり意識されなくなってきたということは言い得るだろう。近代的国家社会では‘穴’の存在はなるべく目に見えないように隠すよう意図されていて、この傾向は闇をなくそうとしてきた近代社会の傾向との関与を予感させる。人々が恐れ、不安を抱く物事、妖怪やお化けなどはっきりとした形を成さないもの、目に見えないものと繋がることを連想させる‘闇’、その入り口を連想させる‘穴’の存在も近代的国家社会の事情によって、目に見える部分からは消去されつつある。私たち人間が食事をし消化吸収して排泄をすること、さらに洗濯、洗浄、洗うなどして身体を病原菌から守り、衛生を保つように努力すること、健全な身体を維持していくには穴の存在は非情に重要なものである。このような行為によって病原菌という人間の生を阻害するものを穴を通じて‘外’に出し、内の平和を維持する。人間は常に「穴」と共に生きてきた、と言っても過言ではないだろう。

だがそうした穴が“闇”の存在を消そうとする近代社会の傾向の影響を受けていることは目に見える事実である。かつてのイメージ、穴の奥の「見えない底」−不安、混沌、不浄の源泉と繋がる入り口−としての穴ではなくなってきている。穴は目に見えないように隠し、暗さとは対比される清浄感をイメージさせる“白”が多くトイレを飾る装飾品のデザインイメージに取り入れられたりしている。このように排除されていった私たちにとっての奥、穴の存在はどこへいってしまったのか。都市化によって闇や暗さなど、槇の言う「日本の奥性」[1992284] は衰退してきたが、私たちの意識の世界の中において“穴”や“奥”や“暗さ”、“闇”の概念は消えていない。いつの時代の人々も暗がりや未知の領域に対して恐怖を抱いてきた。それらの現実における変化に際して、その概念はどのような様子で存在するようになったのだろうか。

意識のうちで様々な概念が構築され、そうして作り出される宇宙観について、小松はかつてのムラやマチと現代の都市における差異を次のように指摘する。かつてのムラやマチには、そこに住む住民の間には共有するコスモロジーが存在していた。住民たちを結集しうるシンボルが存在していた。ところが都市には共有のコスモロジーは存在しない。ムラやマチと比較して都市の特徴は個人的なコスモロジーが存在することである。人々は個々人の努力によって自分自身のコスモロジーを育て上げているという。 もちろん、それらは似通ってはいる、だが人々はその類似よりも差異の方に自分自身のアイデンティティを見出そうとする[小松1994134135]

このことはつまり、人々はより自分の側、「内」の中に異人の存在を創り出し、そのために以前にまして自己と他者の境界を意識するようになったと言う事でもあると考えられる。かつて異界の存在が共同体の外であった頃、それと同様に外界に向けられていた「排除の原則」は、今では内の中に新たな「内」と「外」を創り出す境界を明確にさせるように働いている。現実に存在する“闇”−暗闇、奥、背後を見出すことができなくなり、またそういう負の象徴である“闇”をなるべく減らそうとして社会を作り上げてきた人々は、意識の中の「闇」とその連関するものたちについてのイメージを、自分の想像力によって個人的に発展させてきたというのが傾向として挙げられるのではないだろうか。その傾向における特徴を次の点に指摘したい。現実の世界で明確に識別されている「奥」や「後ろ」、「穴」などは、観念の世界の中では“闇”を内包するという点でイメージ的に繋がり、混沌・無秩序・未知のものの存在する異世界と一緒に不安の源泉としての大きなイメージ群を構成している。“闇”と関連した一つの負のイメージは、また別の負のイメージ郡を引き連れていて、互いが互いの連想を引き起こすよう機能する。人間はいつでも「私(我々)の領域」と「彼らの領域」を作り出す。不安の源泉、そのイメージは人間の中に常にある[小松 1994136]

人の意識の中の、「私(我々)の領域」に対する「彼らの領域」である“闇”はその成長過程の中でどのように創り上げられていくのか。村瀬学は子供の暗闇に対する捉え方とその大人との違いについて次のように考察している。村瀬によれば,子供は一つ一つの場所や空間を決して「均質なもの」と受け止めていない。だが大人にとって空間はみな均質なものとして受け止められ、それぞれ大なり小なり「似ている」場所や空間は置き換えのきくものなのである[村瀬19847074]。実際、自然の風景に目をやると、そこには直線という均質で測定可能で、置き換えの利くものなどほとんどないことがわかる。ところが人間が処女地の自然に干渉を始めるや否や、自然はたちまち直線や平行線や平面で満たされていくのである[エッシャー1994191]

人はある程度の年齢になれば、先に広がる闇に対しそこに何らかの“危険”があるかもしれないが逆に“危険”なものは無いかもしれない、という想定ができるようになる。ところが子供にとってはひとつの場所はどこへ続いているかわからないもの、「完結しているもの」としては体験されない。子供たちにとっては電気コタツの中にはどこか下へ続く道があるのかもしれない、「不思議の国のアリスの穴」が至るところに感じられるのだと村瀬は言う。それが、謎を解きたいとする好奇心であり、子供にとっての空間には‘謎’が存在するのである。子供の直面する空間には常に「向こう側」「背後」があって、それがよくわからないと不安になる。物の影の部分、「背後」のその暗さが特有の「向こう側」を隠し持っている感じがするのである[村瀬198475]。だが人は大人になれば闇を怖がらなくなるかと言えば、そうではない。私たちがもつ観念的な“闇”、不毛やカオスや混沌に始まり病気や異常、異世界といった私たちの不安や恐怖の源泉である“闇”は意識の中に存在する。私たちはそうした不安や恐怖を生じさせる未知のもののイメージを、文化的に受け入れられた表象のカテゴリーにあてはめることによって、それらのイメージを社会的現実として提出しているのである[ギルマン199614]

第三章  社会的現実の表象

3−1.「見」て「描く」−「他者」と「自己」を創造する行為

人は、曖昧模糊としたものごとと自己が同化するのを恐れている。人間は外的世界の触知可能な現実と、感情や観念という内的な世界の創造的な現実との間の境界線の感覚を失うことに対し恐れを持っている。分類し難く、あいまいな世界としての「他者」と自己の区分がなくなること、自己が他者と同化することへの不安や恐怖を持っているのである。M.C.エッシャーは、人間の生命は、五感がコントラストを知覚できる限りにおいてのみ存続が可能だと述べている。人間の眼は、コントラストが完全に失われている光景を前にして眼を支えたり休んだりする点を見つけることができない。そのため、時間がたつにつれて見ていることに耐えがたくなり狂気においこまれていく[エッシャー199424]。人は本来的に自己のコントロール喪失に対する不安や恐怖を抱いている。自分がコントロールできなくなるのではという恐怖を追い払うために、「科学」や「芸術」という確固たる形式を私たちは用いている、とギルマンは言う[ギルマン19961416]

視覚によって捉え、把握するという行為は「所有」の概念と関連する。“見る”ことは「所有する」ことでもあると岡田は言う。対象となる物事を捉えるということは何らかの認知し得る「形」にすることである。その意味では、目に見えるようにして対象を把握すること、目に見えない概念に名を与え把握することは、「手(筆)」で「打つ/触れ」て対象を把握する行為と同義である。このことは、その言語からもわかる。「目に見えるようにする」[manifesto]とは、その起源において「手」[manus]で「打つ/触れる」[ferio]なのである[岡田2000167]。そうした意味で目(視覚)と手(触覚)は隣接している。フロイトにとっても見ることは触れることから由来すると同時に、その自然な延長であった。視覚の欲望は触覚の欲望から派生するものとして捉えられるのである[フロイト197225]。ティツィアーノは愛撫するかのようにカンバスに描くモデルの肌にタッチする。描くことが、ティツィアーノにとっては愛撫することなのであった[ヴァレリー 196754]。こうした一連の「輪郭線」を見極めようとする行為を岡田は「別の世界、想像力の世界に対して自分を守ること」と表現する[岡田2000167,170]。「私」を含め物事の“限界”を欲するのは何か他のものから区別するということ[エッシャー1994142]であり、分類することへの欲求である。
 自己の認識の際に鏡という媒体を使うことは私たちにとって非常に親しい文化である。岡田はJ.ラカンが1936年に「鏡像の方がむしろ主人であり、オリジナルであること、鏡の手前にいるこの私は実はその写しにすぎない」と述べた有名な「鏡像段階」の概念を取り上げている。実は、視覚にとって「私」とは「最初の他者」なのであり、「私」の把握とは「私たちが外界の中に自己と同一視できるものを見つけることによって、統一された自己という虚構の意識を強めていくナルシスティックな過程にほかならない」と岡田は述べる[岡田200066]。私たちは自己という像を「他者」に認識によって意識の中に描いている、鏡を使って自分を映す行為は、「私」の一創造過程である。

概念という形のないものに形を与えて抽象的なものをより明確な、具象的なものとし、そうして形になったものとは例えば、科学的記号や病名もそうであるしまた、芸術においては絵画で演劇で、映像、文学作品などによる表現がある。無秩序や病気を表象することが、現実の狂気や自己制御に関する不安を反映しているように、表象、表現することを介して「芸術」と「科学」は緊張関係にあるとギルマンは言う[ギルマン199616]。「芸術」が私たちに見せるものは、確かに「現実の」世界ではないがしかし芸術や象徴表現はわれわれの経験する現実に対するわれわれの理解を形にしたもの、世界についての神話の表現である[ギルマン199639]。その意味において「芸術」と「科学」とは共通の意図をもっている。ギルマンはフィリップ.C.リッターブッシュを援用して、私たちの意識にごく素朴に受け取られる芸術なイメージも、意識的に受け取られる科学的なイメージも、あらゆるイメージは多様で相異なる現象から抽象化されたものだと述べる[ギルマン19969]。そしてこの抽象化されたイメージとはあくまで理想的なモデル、理想的「他者」である。モデルとは抽象化であり、理論を位置付ける時に生み出される発明物である。[Miriam Siegler and Humphry Osmond1974xviii] 「見る」という行為はそれ自体、歴史的に決定された(よって社会的に容認された)イメージの創造行為であって、そうしたイメージによってはじめて、観察者と「他者」との区別が作り出されることになる[Engelhardt1975125141]

私たちがいかに異常者を「見る」かは、一貫性と継続性に対する私たち自身の心理的欲求によって決定され、その欲求によって自己と他者との境界線を構築する[ギルマン199699]。このようなギルマンの主張は過言ではない。少なくとも私たちは狂気と区別し正気である自分を肯定している。

3−2.「見る」こと

見ることとは、「力をもった行為」なのである[岡田2000227]。日常生活の中で「視線を感じた」という表現はよく耳にする。注目すること、注視すること、その時の視線には、例えば集中力だとか、直接触れない力、例えば念力のようなエネルギーが有るように考えられてきた。「穴の開くほど見つめる」という言い回しがあるように、見ることはまた、傷付けることでもある。じっと相手の目を見ることは「相手を愛に陥れるか、相手を苛立たせ怒らせるかのどちらかである」として、岡田はその力の存在を主張する[岡田200074]。実際、自己と把握しているものを‘見る’ことでさえ実に難しい行為なのである。「鏡の中の自分を、それもアイ・コンタクトによって真剣に見つめようとするのはかなり骨の折れる仕事」である。「鏡の中の分身とじっと目を合わせること」は「私は私の分身を見つめつつ、私の分身から見つめ返され」ている。そして、鏡の中からの自分の目線に対して、「言い難い羞恥心やら当惑感から、すぐに眼を逸らせてしまう」かあるいは、「じっと見ていることに耐えきれなくて、表情を取り繕って鏡像と戯れはじめる」[岡田20007576]。鏡の中の「目」をただまっすぐに見ていっても“果て”がない、やがて無理だと悟り諦める。この時、鏡の中の自分の「目」の奥を追っていくことは、穴に底があるのかないのかを知りたくなること、境界が在るのか無いのかわからないもの=未知のものへの感情と同じ、好奇心と不安が作用していると考えられる。鏡を介して目の奥を追い続けると、その“果て”を探そうとする好奇心と“境界線”“「自己」の輪郭線”を探そうとする焦燥感が有る。後者については、鏡をはさんで確実に在ったはずの鏡の前の自分と、鏡の中の自分との間の境界が、目の奥を見つづけているうちに見出せなくなったことによる不安が起こすものだと私は考えている。“果て”、つまり“限界”を欲するのは何か他のものから区別するということ[エッシャー1994142]であり、分類することへの欲求である。このような分類への欲求を携えた「見る」という行為は「力をもった行為」[岡田200074]なのである。人が未知のものや分類しがたいもの、異質なものなど、それが何であるのか判別つかないものを凝視するその視線は「力をもった行為」であることは容易に想像できる。逆に自分が誰かに見られている気がする、とか何かしらの圧迫感である“視線”を感じて気づく、という日常的経験からも、視覚の効力については一般的にも親しいものとなっている。このようなことから、視覚の持つ効力は、私たちの社会生活に大きな影響を与えていると言いうる。

 こうした事情が、社会における視覚を介した機器の発展に関与しているのではないか。TVやインターネットなど、視覚に作用する機器が聴覚に作用する機器の発展に比類して発展したことは顕著な現象である。それら機器を介して、遠くの他者との間接的な対面が可能になった。この発展の様態に対し、危機感を訴えているのは精神科医である足立博である。彼は、直立位をとるようになって嗅覚を退化させた人間は、視聴覚優位となり、それで文化は発展したが、においがむすんでいた人と人との繋がりやその感覚的なものが失われたのではないかと言う。「嗅覚にくらべて、視覚は物に対して距離をとり、物をより対象化しようとする。すべてを物理学的、数学的理念の衣で蔽おうとする近代自然科学において、この視覚優位の傾向は極端なものになっている」[足立1982204205]。視覚優位の社会では「人々はますます対象と「自分」との間に距離を置くようになる」という見解は一つの要点である。

 TVやインターネットの発展と伴に他者との対面の事情はより間接的な場面が増えてきているのではないか、これは隣人や同じ地区域内の人など身近な他者でさえ、身体性を欠いた他者、親近性を感じない他者になっている事情に指摘できる。私たちにとっての「他者」は良くも悪くもより理想的な「他者」となった。良い隣人のイメージ、あるいは良くない隣人のイメージは、ともにTVドラマなどの影響を受けてステレオタイプ的になっている。実際に対面することなく対象を把握している、身体性を欠いた想定上の「他者」が私たちの意識の中にある。TVやインターネットなどの情報機器を介し「より早く正確に」豊富で多彩な情報量の提供が可能になった。日常のコミュニケーションの過程で、現実は切断され記号によって伝達されやすいように地ならしされた。現実は個人的経験の場から切り離されていく[山口1975148]。情報機器の発展が、私たちの他者認識に大きく作用しているのである。

 吉野耕作が現在の異文化間コミュニケーション論の問題点として、高度に理想化された差異の「対照」に終始する傾向であると指摘しているのは興味深い。この例に現れるように、現代の「他者」は自文化あるいは自分を肯定するのに非情に好都合な「他者」である[吉野1997253]。‘情報’が実際のそのモノより商品価値を持つ時代。吉野は「消費社会における文化ナショナリズム」(注1を「市場」との関係で述べている。文化の差異に関する出版物(例えば観光雑誌)、あるいはその理論そのもの(例えば日本人論)が生産、再生産、消費される「市場」過程の中で、必ずしも「意図」が存在しない状況で、文化ナショナリズムが成立する。吉野は文化生産・再生産の機関としてテレビ、新聞、雑誌、旅行代理店、広告代理店等を挙げる。TVやインターネットの報機器を介して流れてくる情報は一度機械の中を通り抜けて私たちに届く“記号”である。それは直接対面して解るという状況とは違って、対象と自分との間接的な対面である。現代社会ではその間接を可能にしている‘記号’が価値を持つ、‘記号’の方がむしろ重要視される状況がある[吉野1997256]。その問題とは以下のようなものが挙げられる

 例えば、遺伝子診断である。遺伝子検査の結果をもとに人の優劣が判断されるという事態は、既に先進国において実際にスポーツ選手や有名大学卒業者等の‘優良な遺伝子’として精子、卵子が高額で売り買いされている事象に指摘できる。こうした「生命の選別」[朝日新聞 2001.10.30]は、倫理上の問題として議論されている。だが遺伝子診断による優劣判断の傾向は止まることなく発展している。米プリンストン大のリー・シルバー教授(分子生物学)は「望む人がいる限り技術の使用は避けられない。政府や科学者がコントロールしようとしても、世界中の市場が技術を推し進めてしまう」[朝日新聞 2001.11.0111.02]と述べている。遺伝子を操作するクローン技術の発展は代替可能な他者を創り出した。市場社会における特異性の要請、例えば、資格や能力によって極めて専門化された特別な技術を持っていることが社会において求人されている。ところが一方資格や条件によって厳密に求人され雇われた個人は、同じ専門能力をもち同じ分野に振り分けられた人にいくらでも取って代わることができなければならないという代替可能性を求められる。現代社会におけるこうした一見矛盾する二つの要請、専門家の進行(特異性)と没個性化の進行(代替可能性)は切り離しては考えられないのである[出口2003253]

3−3.「見る」ことによって抽出されるイメージ

 間接的に‘情報’から作り上げた「他者」のイメージ、それを固く信じるあまり、実際に対面していない、接触したこともないその対象をやたらに怖れたり、あるいは逆に、ただひたすら崇拝したりといった傾向も問題視されるようになった。未知なものの接近に対する回避行動は、確かに「生存可能性を高めるが故に合目的、本能的であるといえる」[大橋1982164]。だが現代人の極端な、過剰な美意識や浄/不浄観は、間接的な情報から創り上げた「他者」イメージの一形態であると考え得る。そうして先に得た情報によって直接の対面、対話を恐れ、拒否する傾向は実際に起こる様々な現象に対応できる精神的強さの減退を招いているのではないか。劇作家の平田オリザが、全国各地でのそのワークショップでの経験から、他者との対話が苦手な若い世代の人達が増加している様相を見て取り、「現代人は身体性を失う傾向にある」と危惧する。近代以降、特に現代社会に特徴的な犯罪事件の数々、また、近年増えている小学生・中学生の関わる事件など犯罪の低年齢化には上述のような認識に関わる問題、‘他者観’が大きく関わっているように思われる。実際の対面の場面より先に得ている情報で対象となるその相手像を規定してそれ以上の相手の情報を必要としない。個々人が持つそれぞれの育ってきた背景、言い換えれば個々人の文化のコンテクストを摺り寄せるという経験がなされないまま、成長していくことになる。

直接の対面が日常である場合の他者との相互関係を“密な”関係と表現するとすれば、それと比べて現代の他者との間接的な、実際の接触という経験を伴わない関係は、‘空虚な’関係と表現できるだろう。そしてこの関係は、間接的であるがゆえに自己と他者の二者以外のものからの影響を受けやすい。この二者の間に入るもの、それはメディア−映像、記号などである。記号としての語も映像、画像同様に視覚に訴える。

語は、人間の最も内的な思想や感情を表現する内在的な経験である[吉野199786]。そして言語の性質を挙げるとすれば、ある場面では一義的であり、また別の場面では非常に多義的な意味を含む、という特徴を挙げることができる。上野千鶴子は言語の機能を次のように表現する。「言語は経験のすべてを表現するには常に「不足」であること、そして第二に、それと同じくらい、言語は経験に対して常に「過剰」であること」[上野199762-63]。 前者は語が一義的な作用をする場合、標示記号的に扱われる場合である。後者は語が多義的な作用をする場合であり、これは語の持つ象徴作用のために起こる。

 語のもつ象徴的な力について、リクールは「変化し得る次元の表現の一つが、自らの意味作用を犠牲にしないで、他のものを意味するような記号の効果作用である」と述べ、山口はそれを語の比喩的機能と表現する。こうした語の性質は「静的な構造と動的な出来事の間の仲介者的役割」であるとリクールは言う[山口197552]。語は名づけるという作用をもち、文の中に位置を占めることによって初めてその効果は有効になる。このような意味合いにおいては文は構造より現実の側に位置し、語はシステムの差異性を表現する記号として構造の側に位置する。文の現実性は一時的で消え去るものであるが、語は文より永続性を持つ。文は毎回生じては姿を消すが、現実の出来事は語によって名を与えられ、文の中に組み込まれ、物語として語られることで意味をもち、人に影響を与え得るのである。山口によれば、どの一つの主観性も「現実」の決定版を提供するわけではなく、各々がそれぞれの現実の特定の像を持っている。各々は自らの体験に存在論的意味と解釈を付与し、こうして全体主観的相対性の世界が作り出されていくのである[山口1975154]

人は、実際は様々な偶然事の連続こそ現実であるその中に一続きの意味、一貫した論理を偶然性を必然性に結び付け個別性を普遍性に超克させることで見出す。その“日常”の繰り返しによって人の世界観は形成されていると竹沢は述べる。そうして見出す物語とは「経験の流れを理解可能にするための認識のある仕方」であり、人は出来事のあいだに脈絡をつけ、それによって出来事と人生を理解しうるものにするのである[竹沢19926]。意識とは生起する事象の中から意味ある部分を関係付けて組織する網の目である。そこで抽象度の高い説明能力と共に情感に訴え、個人の生活史と離反することなく訴えることのできる象徴の力[山口1975::201,212]は、この物語的認識の「正当化」の究極の拠り所として欠くことのできないなのものである。

象徴の宇宙はまた、様々の格を様々の現象に割り当てることによって、ヒエラルヒーを定義づける効果を持っている。こうした格付けの中で普通と異なる人間に人間外、或いは人間以下という規格化を行う。「内側」の秩序を確認するために「人間以下」が強調されるということになる[山口:201-202]。「始まりの神話、秩序と無秩序、混沌と宇宙の相剋の説話」[山口197536]と考えられてきた闘争神話の研究において、その最も単純化された形態においては神話の語られる順序は無秩序から秩序へという形で進行する。二つの論理的反対物の概念は相互規定的であって、対を成して初めてその存在が確かなものになる。K.バークの分析によればそれら両者の対立は、「非時間的」である。互いが「極性」の言葉である限り、互いに他を潜在的に意味するだけである。しかしそれらが神話的叙述の形式に当てはめられるとき、対立は二つの事項間の“順時間的”「闘争」になり、一方の事項がもう一方を“打ち破る”ものとして描かれる可能性を導き出す[Burke1966387]。意味の単位は特定の記号そのものに内在するのではなく、それが対を成すほかの記号との関係に求められる。「徴あり」の“異人”は通常は意識の表層に現れてこない「徴なし」である“我々普通の人間” [Bauman1973103]での正当性を確定付ける作用をもっている。A・マルティネによれば「情報は、メッセージそのものによってではなく、それが相対立するメッセージとの関係によって伝わる」のである[山口19756164]

文化の中に生きる人間は円心となる「私」と、これに対する「彼ら」−自己以外の他者−と彼らの世界を円周に置く形で世界の像を描く。この円周は流動的であり、拡大したり縮小したりするという性質をもつ。それ故に、「内」と「外」の概念は決して固定的なものではない。ここには「彼ら」は「我ら」の一部であるという論理が働いていると山口は言う。「彼方」は人の意識の下層のある状態の投影物である限り、もし「彼ら」が存在しなければ「彼ら」を創出しなければならない。「我ら」のアイデンティティが確認されるために「彼ら」は必要なのであり、「彼ら」の概念はそういった意味で有用なのである[山口19758182]。こうした事情は文化の制度化に媒介され、社会の枠組みの中に当てはめられて時に科学的、論理的根拠を有した正当な区別化として存在してきたが、これは「存在の不安」に由来した「自然的態度」であると山口は言う。秩序を確認するために境界を設定することが必須の前提であり、また、境界のイメージを生き生きと、想像力に働きかけるように浮かび上がらせるためには「内」の空間に出没する魔性の者を創り上げるのがもっとも有効な近道である。そしてこの魔性の者は、人間のまともな形と言う形で表される「秩序」の骨格と、動物的部分を備えていることが望ましいのである。中心的部分は境界を、時と場所を定めて視覚化、強調し飾り立てることによって中心を構成する秩序に対する「逆定言」を行っているのである[山口19758485]


3−4.第三の領域を提供する場−芸術

 視覚化することによって物事の形、形象(注2)を把握することとは、平面と内部要素との区別を可能にすることにおいて現れ、定まるコントラスト現象による把握である。平面の限界において部分と全体とを関連付けるという相互作用は、目の働きがなければ成立しない。眼は、平面を行ったり来たりする中で、平面上に様々な差異を知覚する[2000253]。芸術とは「視覚作用による独自な認識」である[フィードラー197957]

“把握”の意識とは、その対象を「“所有”すること」でもある。私たちの不在の輪郭線に対する不安は、所有することによってやっと安心感を得る。それを示唆する事象として、飯田のあげる画家特有の愛し方についてみてみたい。画家はモデルを描く時、実際のモデルから得た理想の結晶を作品の中に“所有する”。つまり現実のモデルより、作品の中に結集された理想の方を愛すること、そしてその愛を作品の中で(あるいは作品として)「形」にした時、“所有感”を味わうのだという[飯田1983219221]。絵筆で私がカンヴァスに触れる、すると絵筆を握る私の手はカンヴァスからも触れ返される、と言ったのはB.ニューマンである[岡田2000133]。ティツィアーノは愛撫するかのように肌にタッチする絵筆の色斑によって、その女神を生きたものにする[岡田2000158]。こういった画家流対象の愛し方は、内と外、自分と自分以外のものである「他人」という枠組み、分類し秩序立てる“境界”の感覚から離れたものである。岡田によれば「画家は、排泄物をいとおしむ幼児さながらに、あたかも内と外の境界線を取り払った「潜在的空間」の中で仕事をしているかのようだ」と述べ、こうした境界の無い領域を「第三の領域」と名付ける[岡田2000171]。この第三の領域における内と外の感覚を取り払った領域、秩序を生む分類や区別の意識を取り払った領域はターナーの言うリミナリティの領域に等しく、カーニヴァルの発生しうる領域であると言える。両義性が存在するリミナリティの領域にはカーニヴァルが発生し得る可能性がある。こうした意味で「芸術」にカーニヴァル性が存在することについては多くの研究者が認めるところである。

自己と他者、主体と客体を区別している各々の領域を一つの同じ領域のなかに入れた「第三の領域」では、何らかの「移行対象」を媒体として、自己と他者、主体と客体とのあいだの潜在的な空間の中で、自己/主体は自己を自己でないもの/「他者」に移行する。この「移行対象」とは、一部は自己に、一部は外界に属しているとされる対象のことで、たとえば、眠る前に幼児が無心でまさぐるシーツや毛布の端は、ぬいぐるみや人形たちとならんで、もっとも典型的な移行対象である。私たちと「もの」との関わりにおけるこうした移行対象は、お守りなどの慣習に明らかである。この時、これらの「もの」は自己(の皮膚)の一部なのである[岡田200080]。ラカンは私たちの欲望は本質的に置き換えによって、つまりメトノミーによって構成されているとした[ボルク=ヤコブセン1999151,191,228,277]

内と外の境界がない状態、そのような感覚は幼児の頃の感覚と同じであると岡田は考察する。幼児にとってその「身体の一部」である排泄物は、決められた場所で、ほぼ決められた間隔をおいて、この排泄物を内から外へ出すように教えられた後、それは忌まわしい物に変貌する。それは「汚してはいけない」という禁止=法が介入することでもある。幼児ばかりでなく、私たちにとってもまた、どろんこ遊びが無常に楽しい−いわゆる童心に帰る−のはおそらく、体についた泥が排泄物の代償にほかならず、しかもそれによって抑圧的な禁止=法を犯しているからということによる[岡田2000167]。つまり、境界を超えること=禁止を破るときの感覚、抑圧からの開放というアノミー的状況における快感を味わうカーニヴァルの空間である。

 カーニヴァルを発生させる境界性は、仮定話法的な時空として社会に存在する。ターナーの考察では、それは単純な社会には儀礼、あるいは聖なるお祭り騒ぎ、前封建社会ならびに封建社会にはカーニヴァルと祝祭であり、前期近代社会においてはカーニヴァルと演劇が見られ、電化の進んだ現代社会には映画とテレビの存在であるとする[ターナー1981309]。彼は、このような「社会劇」の概念は国家から家庭まで、あらゆる次元で見られると言う[ギアーツ199146]。ギアーツは、中途のもつ性格、つまり“不完全さ”にこそ革命や儀礼の中で魔術が効果を発するその力の源泉が存在し、またその力は超日常的なものとみなされる傾向にあると述べる[ギアーツ199146]

先述したように、人の精神の安全にとって内側と外側の違いを混同させないことが重要であった。だが人間の文化は、意図的に仮定話法的な時空を創り出し、その中で抑圧からの開放というアノミー的状況における快感を味わう空間を維持してきた。山口によれば、カーニヴァルは日常生活の秩序を構成する正の徴しのついた記号に、それが依拠している負の、そして陰の意味作用を重ね、そうした対立項のつき合わせによる齟齬感を遊戯性によって揚棄する場である。カーニヴァルは市の中に潜在的に組み込まれているものなのである。「安定は現実を虚偽化することによって確保される」[山口:172]

そしてこのカーニヴァルという特殊なアノミー状態には、ターナーの言う「コムニタス」、つまり構造と対立し構造の中に未だ具体化も固定化もされていない人類が未経験な飛躍の可能性のきらめきを感じさせる概念、も存在すると考えられているのである。それは、私たちに危険を生じさせる要因の一つである汚物や不浄がコムニタスが発生すると考えられている‘中心’から差別される‘周辺’に関連付けられているからである。そこには「生命の力」が生ずると考えられていて、象徴や比喩を発生させる。芸術や宗教もその所産であるとされ、構造によって監視され安全を保障される日常とは相対的に捉えられる魅惑的な領域でもある[ターナー1976175]。認識的には不条理やパラドクスほど規則性を強調するものはない、情緒的には常軌を逸した、その場限りに許される無法の行動ほど満足を与えてくれるものはない。身分逆転の儀礼とはこの二つの側面を満たし、身分低きものを高くし、身分高きものを低くすることで階級組織の原理を再確認させる[ターナー1976250251]

芸術に人が魅惑されそこに惹かれる理由は、こうしたカーニヴァルが許容される第三の領域が発生することを構造の中で認められているからであると考えられる。第三の領域を味わうのは作者だけではない。それを鑑賞する立場の者も、作者とは違う捉え方で味わうことができるのである。飯田によれば絵にすること、しかもより平面化することは現実からそれだけ遠ざかることを意味する。写真かあるいは写真のように現実をなぞった絵は現実に似ているが、似ているというだけである。一方平面に分解した絵は現実に似ていない。似ていない分だけ、鑑賞者である我々の想像力は強く刺激される。絵の題名と絵の内容との距離が遠ければ遠いと感じられるほど見る人は想像力を駆使しなければならず、こうした意識の運動を起こす作用を絵の中における詩的原理の働きと捉える「詩」はこの意識の運動の幅が大きいほど良い出来上がりとなる[飯田198390]。また後期キュビズムの絵画においては、絵画の中にさらに文字を入れる手法が登場した。文字は抽象的な記号であり、同時に現実の具体的な事物を示すという二重の性格をもっていることで、これが絵画の中に入ることによってある種の「緊張」を生み出すきっかけとなった。文字がその象徴的機能を発揮するとき、それが意識の中に提供する具体的イメージと背景にある絵とのせめぎあいが生じ、「場違い」という矛盾が緊張を起こす[飯田1983127131]。この緊張は詩的原理において感興を生み出すための大きな役割を果たす。鑑賞者はたとえどんな混沌がその絵画の中に存在し、混乱した状態で分類しがたいものであったとしても、想像力を駆使していつも自分なりの解釈をつけて安心を得ようとする。緊張した不安定な状態を安定した状態へと組み入れるのは、ターナーの言う人間の社会的欲求と同義である。

鑑賞者の視点についての考察はさらに追求される。萱の書の作品における考察によれば、観照者は(注3)、作品の線的な展開を最初から最後まで一貫した速度で追っていくとは限らない。「ある瞬間の筆遣いに視線を留めること」もできるしその逆もできる[2000245]は他の造形芸術に比べて書はより運筆の時間性を示し得るという特徴をもつことを認めた上で、だがそうした書の作品を見るときでさえ鑑賞者の視覚の運動は必ずしも一貫して運筆の順序に従って進行するわけではなく、ある特定の部分と部分が連続的に捉えられたりする、と指摘している。視覚は、常に作品の中を運動することによって活性化され、こうした諸部分と部分、部分と全体との有機的な関連付けが生まれる、という。さらに視覚の運動は、他の要素によって一つの安定を得ると、ついで異なった要素の関連付けによって新たな運動が呼び起こされる。つまり諸部分と全体との関係はそのつど変容し、異なった関係が新たに産出される[2000244247]。見ることによる作品の産出は、見ると言う行為と作品の構造との双方から決定される。作品の価値は客体にのみ存するものではなく、主観に還元されるものでもない。両者のかかわり方のプロセスにこそ現れてくるのだと言える。創作と鑑賞は、ここで分断されるのではなくむしろ結びつく[2000261]

こうした鑑賞の過程に対する考察は、意味作用の方向転換としてファン・ヘネップが提唱した通過儀礼やターナーの儀礼研究に通ずるものとみることができる[岡田2000223]。 両者に通ずる定理は、人は常に不安定な状態を安定な状態へ再生させたいという願望を抱いているということである。その方法として混沌とした区別のない状態に、秩序が、区別可能な指標があてがわれた。だが、不安定な混沌とした状態に原始や源泉、生まれる前といったイメージを重ねあわせ、そこに魅力を感じそこに近づきたいという欲望を同時に抱いていることも明らかにした。人はこの矛盾する欲望の発生を自己の意識の中で統合し、自分の「物語」を創造しているのだが、こうした物語の創造行為を円滑なものにする術として芸術が効果を発揮する。この欲望を社会生活の中で如何に解消するか、カーニヴァル的要素を許される芸術は、その欲望のはけ口の一つとして構造の中に存在するのである。

終章

4−1.まとめ−芸術の役割

 ものごとを捉える/把握するとはどういうことか、第一章は認識行為について過去の研究を振り返り、分類するという行為そのものを再考するかたちで展開した。そして私たちの思考様式に対する議論を整理し、その思考において形態論を基準とした構造分析を行うことに対しては注意が必要であるが、二項対立的な理論を硬直化させず、その二項対立の図式を中間の曖昧なカテゴリーの議論へと発展させることができるという点で本論に適用できることを確認した。C.ギアーツは構造主義的分析に見られる科学=論理「万能」主義的な思考を批判している[梶原1991416]。これまでの社会分析のような、科学という名のもつ冷静さや一般性や経験的基礎付けを特徴とするような論理的分析は、社会現象を因果関係の巨大な織物として組み立てたいとする美徳を求めた決定論的アプローチである。それに比べて、確かに通用の議論の展開からは逸脱するような、あまりはっきりしない歯切れの悪い議論になるであろうけれども、固有(ローカル)の意識の枠組みの中に社会現象を位置付けることによって現象を説明することで記述する側とされる側の区別に橋を架けようとする、解釈学的アプローチの必要性を主張している[ギアーツ199167]

ギアーツが儀礼理論提唱者として第一に挙げるべき人としたターナーの理論は、「社会劇」という概念を展開し、明瞭で強力な解釈学派を形成することになった[ギアーツ199146]。私は本論で、標準、いわゆる“普通”にそぐわないものを社会がより異化させる傾向、標準に値しないものを目立たせるその傾向は、概念の軸を揺るがされることを怖れた、感覚・感情・直観による作用が反映しているのではないかと仮定し、その事情を明確にした。その論証にはターナーの儀礼理論を参考とし、二項対立論をその立場を絶対化せず、二項対立の図式からその中間のあいまいなものへの議論へと進み、ターナーらの解釈学的アプローチによって論理的分析においては無視されがちである感覚・感情・直観による作用に着目した。

 第二章では、リミナリティ“境界”に位置する中間的性質を有すると考えられた人やもの、中でも‘障害者’概念におけるイメージや意識を起点とし、「他者」認識について過去と現在を比較したり、そのイメージの連関性を見たり、またそれがどうして関連付けられるのかなどの考察を行った。特に「穴」の概念、“闇”という捉えられないものを、捉え得るものにしたものとして、物事の入り口と出口を象徴し人の人生観を表す「穴」の概念に対する考察は、今後も研究の余地を感じさせる魅力的な議論となった。そして第三章では、「見ること」それ自体の根本的な意味を追求し、視覚で捉える差異によって分類された物事が私たちの社会生活の中の大部分を占めていることを確認した。多くの人にとって、視覚による認識は物事を把握するためのその大部分の要素を占める。人は、本来的に持っている自己のコントロール喪失に対する不安や恐怖を追い払うために、その不安の根源を指定し「科学」や「芸術」という確固たる形式を用いて絵や語、記号として表現していることを確認した。さらにそこで浮かび上がってきた視覚による認識と芸術という領域との関連についても言及した。

人は不安や恐怖を生じさせる未知のもののイメージを、文化的に受け入れられた表象のカテゴリーにあてはめることによって、つまり「科学」や「芸術」の内部に位置づけることによって、それらのイメージを社会的現実として提出してきた[ギルマン199614]。第一章からここに至るまで、具体的には“障害者”に対する私たちの意識について焦点を当てながら、一貫してその現実に起こる多様な現象を、文化的表象にあてはめる歴史的事情を見てきた。現実の社会の中では混沌やあいまいなものは拒否される、それ故に物事は二項対立的に構成されてきたのである。

 こうした社会の事情を確認した上で、「自己」にとってのステレオタイプ的な「他者」認識を乗り越えるには何が必要であるのかを考えたとき、「芸術」の領域の持つカーニヴァル性、両義性や多義性が関連するこの領域の効力が浮かび上がってきた。その効力とは、次のようなものである。人はそのカーニヴァルの時間・空間の中で自分がコントロールを喪失する可能性について想像をめぐらし、恐らくそのことが自分のなかにもたらす恐怖に酔いさえする[ギルマン199615]。この恐怖が自分とは離れて存在するのだということを大前提にカーニヴァルの時空間に身を浸し、それを味わう。そうした大前提は差異化の意識であるが、しかしカーニヴァルの時空間の中では、人は能動的、積極的に境界を越えることができる。そうすること、境界を越える行為がカーニヴァルの時空間に限っては社会によって認められているからである。この時空間の中で人は分類しがたいもの、あいまいなものとも混在することを受け入れる。この作用を肯定することは「他者」と共存する空間を受け入れるきっかけを生み出せるのではないかというのが私の考えである。カーニヴァルの時空間はカオスや混乱や不安といったいわゆる感情に起因する物事を視覚化するなどして構造の中に表出させ、それ自身構造の中に確固たる位置付けを持つ特別な領域である。ターナーは、どのような文化にもこうした空間が創造され、保持されていることを指摘した[ターナー1981309]。この領域がもつ独特な効力をもって対象を見ることで、その見る側の意識を変化させることが可能になるのではないか。カーニヴァル性を持つ「芸術」の領域は少なくともその可能性を持っていると期待される。

人間において、今現在マジョリティの側にいて、‘正常’な人間として確実な存在を保証されていると意識しているのが自己認識であるが、見られる側である「彼ら」のその立場に、見る側の「自分」がならないという確実なものは誰にも、永遠に存在しない。そういった境界の危うさに対する恐怖の感情が人間にあって、その恐怖や不安が他者認識に反映している。社会の中に差別問題の類が一貫して維持されていく要因は、そこにあるのではないだろうか。ミルナーの見解に既にみてきたように、人間の「分離する境界線の感覚を失うという恐れ」[Milner 195017]が「他者」を想像している。人は「他者」を創造することで「自己」意識を創造している、という側面を自ら認知しておく必要がある。人間はいつでも「私(我々)の領域」と「彼らの領域」を作り出している、それは世代を超えて社会に常に作用し得る人間の性質である。そしてこの性質がなければ、人間は文化的人間ではなくなる。その意味で人間は「他界を中に抱え込んでいく必要がある」と小松は言う[小松1984133]

社会生活を営むことは他者との交流を余儀なくされることであるが、このような私たちの他者認識の事情を知っておくことは「他者」との交流に効果的に作用すると私は考える。例えばアパートの新しい隣人に対する感情について、その感情は興味と何となく嫌な感じと、その両方が存在する。外側から来るものは自分たちの共同体の秩序を破壊もするし、秩序を活性化もしてくれる、だがどっちに転ぶかは判らない。つまり、外からくる自己以外のものである「他者」を怖がっていると同時に怖がっていないのだと小松は言う。どちらであるにせよ重要なことは、「他者」「他界」の存在が、自己である「中」の秩序を壊しうる可能性を残したものの存在が社会の維持には必要である、ということである。そうした脅威は不安が一切なければ人間は働かなくなる。人間の「分離する境界線の感覚を失うという恐れ」がなくなれば、秩序は保たれなくなり社会体制は崩壊する。こうした傾向は、中性化が進み、分類がなくなり、区別があいまいになってきているという現在の社会現象にもみてとれる、一つの傾向であると小松は指摘している [小松1984133140150160]

 山口によれば、この世界の中で事物(存在者)は、異なる角度から観られるとき、様々の相貌を示す。また存在する事物ばかりでなく、我々は、異なった瞬間に、同じ事物を異なった様式で把握している。文化そのものが提供する相関関係の構図も、絶えず変形を蒙っていて、存在する事物との相関関係において各人の主観性は変化していく[山口1975151152]。芸術を視覚作用による独自な世界の認識であると表現したフィードラーは、その独自性はあらかじめ外の世界に存するものを受容するのではなく、たえまなく生成する点に認められるとする。視覚作用は形式と内容の未だ分化していない領域に成立し、そこで現実を形成するのである。芸術の表現的現実とは、作品にすでに備った価値を受容することではなく、視覚作用によるそのつどの生産と捉えられている[フィードラー197957169]。芸術の領域においては、形象とは、常に一定の姿を保って静止しているのではなく、われわれの眼の働きによって、多義的に変容する[2000256]ことを経験できる。「芸術」の領域はそれが許されるカーニヴァル的空間だからである。境界を越えられる領域が「芸術」として社会の中に用意されている。

 私が「他者」との‘親近性’を生むその媒体として芸術活動を挙げたいとするのは、そのような芸術の領域の持つ効力、またそれが社会に認められているということから、「芸術」の領域は両義性や多義性といった性質を持ち、それ故に境界のあいまい性を容認する余地を維持しているので、その性質の中で私たちは「自己」と「他者」の親近性を擬似体感できるということが期待できるからである。私たちの全感覚をもって相手を把握する直接の対面と、視覚や聴覚など外観的要素のみで判断する他者との間接的対面ではその「他者」に対して抱くイメージや感じに大きな差があるだろう。「他者」を自己からは遠い「他者」のままにしておかないためには直接対面による“対話”が必要である。対話し、同じ時空間の中で共生する場が必要である。そうしてステレオタイプを越えた「他者」を認識することができる。「芸術」活動はその一つのきっかけとなる可能性をもっている。まずは異界のものとしての「他者」と安心して交われる起点としての空間が必要であり、それが「芸術」の領域であると考えるのである。

自己から遠い距離をおいた「他者」の認識、アウトサイダーとして認知すること、負のイメージをもつ「他者」概念に当てはめて見ることで他者との間に距離を置いてしまう。こうした様子は、ある危険な事象の発端へと繋がるものだと考えられる。豊富な“情報”がTVやインターネットなど多様な情報機器を通して「より早く正確に、より多量に」送り届けられるように、‘情報’自体が今後ますます単純化、画一化、記号化の一途をたどると予想される。直接対面して認識する「他者」よりも、第三章で示した身体性を欠いたような理想的な他者、想定上の他者が、私たちの意識の中で優位を示すようになるのではないか。そうなれば、ますますステレオタイプ的な見方で物事は判断され「自己」と「他者」の距離は遠のくばかりである。自己と他者との間の距離が遠ければ遠いほど、実際に対面した時の差異に愕然とすることになる。時に非常に強い心理的ショックを受けることも有りかねない。そうした理想と現実の差異に対するショックによって傷ついた人間が精神的な病を被ったりする事象は,現代社会ではめずらしくないと言っても過言ではないだろう。

物事に対する私たちの“理想”はさらに高まっているというのも傾向として言える事象であるだろう。遺伝子を操作するクローン技術は代替可能な他者を創り出した。一方市場社会においては、対象の個別性、独創性という意味での差異が価値を持ち、特異性の要請は増すばかりである。特異性と代替可能性の要請[出口2003253]という二つの要請は意味的には矛盾しているが、どちらも理想の人間像を追い求める人間の欲望の賜物である。こうした理想主義の傾向は現実に起こる事象に対する対応、その応用力や柔軟性を弱体化させている一要因ではないだろうか。そうした意味でこの傾向の行き過ぎも危険な事象の発端に繋がるものと言い得る。

グローバリゼーションのもとで急速に進む都市化や市場化や情報化は人と人との繋がりを断ち切り、人と人との間の格差を広げる。こうした中で、分断や格差を生み出す構造を解消するために生まれたのが「ソーシャル・インクルージョン」(注1)という概念で、フランスやイギリスを始めヨーロッパの国々では公共政策を進める上でのキーワードになっている。しかし実際に直接対話するきっかけさえあれば、一様なステレオタイプ的イメージとの差を多少なりとも感じるはずである。この対話を触発する物事の一つとして、芸術の効力を述べ、推進しようというのである。最近、雑誌Pen8/1号[阪急コミュニケーションズ2005]で、今ニューヨークで「アウトサイダー・アート」が注目されていることが取り上げられたばかりであるが、この報告はこれまでヨーロッパを中心に盛んであった精神・身体障害者やアウトサイダーの芸術活動への取り組みとその効果への期待が、アメリカ、ニューヨークにまで拡大してきたことを意味していると言える。

障害者やアウトサイダーに対する芸術療法に対しては、今までにも様々な表現方法を是正する芸術において“患者”の心の病を治療するという意味で大きな期待が寄せられてきた。人間のその欲求や感動、気持ちを伝える術としての表現方法は言葉だけに限らない、抽象画であったり立体的な創作芸術であったり演劇や演舞等等多種多様であるとされ、社会生活において一般の方法ではうまく表現することができない人々の感情や意志を表すものであるという意味で期待されてきた。だが実際の芸術活動による治療法の現場では、一般に期待されているような効果を得ることは容易ではないようである。現代美術家で精神科造形講師である佐々恭子が問題視するのは次の点である。すなはち、多様な表現方法が認められる自由な場が創造される事によって健常者と障害者の交流の場ができる、という主張は理論上の理想である事が多い。実際のアート治療の現場では“患者”は監視されその作品は必ず分析される、このような様態ははたして「自由」なアートの場であるのか。医者と患者は明確に二分されており、医者は患者に強制と制御を与え患者は服従を求められるという図式は維持されているというのが現状である。(注2)今求められるべきは見る側の意識、「他者」をアウトサイダー視し、「私たち」の意識に固執している鑑賞者の意識を変えることなのである。タイのチュラロンコン大学(ChulalongkornUniversity)では、“Art for All”という障害者のための視覚芸術セミナーや自由なアートの場を設けたりして障害のある人とない人の橋渡しを目的に活動している。その彼によれば、アートを強制するのではなくまずはアートを鑑賞する眼をそだてる必要があるということである(注3)

芸術活動と障害者との関わりにおいて、「芸術」の効力は“患者”とみなされた人の治療にのみ限定されるのではない、間接的にステレオタイプ的に捉えていた「他者」の先見を溶かし、その境界を越えて対話を実現させる媒体としての効力、私たち見る側の意識変える、あるいは多少なりとも影響を与えることにも期待される。例えば奈良HIV情報センターで理事長を務める稲葉美代子はHIVを病む人たちにとっては病気そのもの以上に偏見による精神的ダメージも大きいという(注4)。同じように障害者に対しても、気持ちが悪い、理解できないなどとして拒否し忌避する考え方がある。そのような思考の根底には負のイメージ的な“障害者”に対する恐れ、例えばかつての“妖怪”のイメージを維持しているための恐怖感や、健全である「自己」がアウトサイダーである「彼ら」と交わることに対して何となく不安であることなどが根強くあるという要因が考えられる。そうした「自己」に固執した考えを緩和し、「自己」と「他者」がその違いを超えて親近性をもつためには、何よりも先ず見る側の関心を寄せる必要があるということである。そのきっかけとして芸術、例えばアート活動が期待される、見る者のステレオタイプ的見方を治療するという意味でも「芸術」の効力に期待できると言うのである。

芸術活動による見る側の意識の治療改善とは、アートやミュージカルを通してまずは見る側の関心をさそうことである。その切り口は一つではない、一見全く関係ない物事に思えるようなものも意外な交流の窓口となることもある。アート治療と銘打って依然病院やその関係者の域内の医者と患者、どちらかしかない世界を飛び出し、障害者がその活動を地域との結びつきに始めたことで社会の“中”における両者の交流を生むきっかけができた。それは例えば多様なワークショップ、一緒に演奏したり歌を歌ったりといった音楽活動や、一緒に創作活動をして作品を創り上げたりするアート活動をするなど、「芸術」の領域の有する両義性や多義性という特性によって創造活動を通じた他方面との多様な出会いの可能性がひろがることである。学習障害や情緒障害を持つ子どもたちへの指導法研究や、教材の開発を行っているライナスの会の理事長栗島岳史は、「アートやミュージカルや芸術を通すことによって、学校の先生や保護者なども含めた人々の(学習障害や情緒障害を持つ)子どもたちに対する対応の仕方がやさしくなった」(注5)と述べている。

ほんの少し見方を変えるだけで物事はまた違った様相を見せてくる。その新たな一面から遠くに感じ忌避していた「他者」と自己の予想していなかった接点を見つけられるという可能性が開かれる。レヴィ=ストロースはトーテミズムに対する分析者の西洋中心主義的な固執した見方について、ある民族の病気治療の例を出し、「真の問題は、キツツキの嘴に触れれば歯痛がなおるかどうかではなくて、なんらかの観点からキツツキの嘴と人間の歯を『いっしょにする』ことができるかどうか」であると、つまりそのようにして「物と人間をまとめることによって世界に一つの秩序を導入するきっかけができるかどうかを知ること」であると述べている[レヴィ=ストロース197613]建築史・都市文化論の工学博士をもつ橋爪紳也は芸術家岡本太郎の提唱する「対極主義」(注6)を取り上げ、この概念から「人は自分の中に内なる異を持つことができるか」という疑問を提示した。つまり「自己」の中に「異」を持つことができれば、「他者」を受け入れることはより容易になる、境界を超えた親近性がその両者の間に生まれるのではないかという提案である。(注7)「芸術」はそのような物事の見方の転換におけるきっかけとなると私は提案したい。

第一章

1大辞林 国語辞典 infoseekマルチ辞書 三省堂 2005

http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?qt=%BB%D7%C1%DB&sm=1&pg=result_k.html&col=KO&sv=DC) 

注2:大辞林 国語辞典 (前掲)

注3:大辞林 国語辞典 (前掲)

注4:トーテミズムとは、北米五大湖地方の北部に住むアルゴンキン族のことばオジブワ語のトーテムということばから作られた、未開人の宗教体系を意味する用語である。だが実際アルゴンキン族の文化にトーテミズムと表現できるような宗教的要素の入った分類体系が存在したわけではなく、彼らの文化にあった集団的命名法と、この土地の信仰−動物が個人の守護精霊になるという−とが混同されているとして1962年にC.レヴィ=ストロースによって否定されている。[レヴィ=ストロース19703334]


第二章

注1:バッグレディとは「全財産をショッピングバッグに入れて持ち歩く女性のホームレスのこと」を言う。

参照:・http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/2229/ny10.htm

http://www.geocities.jp/dmrdsb/essay/package/bag_jp.html

注2:大辞林 国語辞典 (前掲)

注3:「トイレ」と「便所」という語に関して、その二つの語のうちでもイメージの差異は多少なりともあるだろうが、それについてはまた別の機会に検討することにして、ここでは単純に便器のある場所を指す用語として扱っている。


第三章

注1:吉野は「ナショナリズム」という用語を次のような定義で使用している。

 (=「我々」は他者とは異なる独自な歴史的、文化的特徴を持つ独自の共同体であるという集合的な信仰、さらにはそうした独自感と信仰を自治的な国家の枠組みの中で実現、推進する意志、感情、活動の総称である。

 そして「文化ナショナリズム」であるが、この用語は次のように定義している。

 (=ネーション(*)の文化的アイデンティティが欠如していたり、不安定であったり、脅威にさらされている時に、その創造、維持、強化を通してナショナルな共同体の再生を目指す活動である。

 (*ネーション=歴史的な領土、共通の神話と歴史的記憶、大衆的・公的な文化、(領土内に)共通の経済、すべてのメンバーに共通の法的権利と義務を共有する名前を持った人間の集まり。[Anthony D. Smith, National Identity, Harmondsworth:Penguin 199143] その特徴として吉野は特定の領土の保有、各社会階層を越えて共有される文化の存在、領土内で自由に移動可能な労働人口および共通の経済の存在、ネーションのすべての成員に共通の法律を適用する国家の存在を挙げている。

注2:形象:@かたち。外に表れているすがた。 A〔哲〕観照を介して我々の心に成り立つ事物の像。イメージ。 (大辞林 国語辞典 (前掲))

注3:観照とは、(1)主観を交えず、対象のあるがままの姿を眺めること。静かな心で対象に向かい、その本質をとらえること。 (2)美学で、美を受容すること。自然観照と芸術観照とがある。(大辞林 国語辞典 (前掲)) 本論では、特に美学的特別な意味としてではない、作品を“見る立場にある人”として鑑賞者の意味で扱う。引用先の文意からしてもこの扱い方に問題はないと推測できる。よってこれ以降は“鑑賞者”と記す。


終章

注1: アートとソーシャルインクルージョンフォーラム−「ちがい」と「ちがい」をつなぐ社会− 2004320日−21日   奈良県新公会堂にて 

主催:財団法人タンポポの家 共催:エイブル・アートジャパン/芸術とヘルスケア協会 助成:大和日英基金 後援 奈良県/奈良県教育委員会/奈良市/奈良市教育委員会/[特活]奈良NPOセンター

注2:前掲「アートとソーシャルインクルージョンフォーラム」にて

注3: 

注4: 〃

注5: 〃

注6:「対極主義」とは岡本太郎が1947年頃から提唱しはじめたもので、芸術家の基本的な姿勢とは、対立する二つの要素をそのまま共存させることであるとする主張である。たとえば「無機的な要素と有機的な要素、抽象・具象、静・動、反発・吸引、愛憎、美醜、等の対極が調和をとらず、引き裂かれた形で、猛烈な不協和音を発しながら一つの画面に共生する」(『アヴァンギャルド芸術』美術出版社、1950)ということ。

注7:前掲「アートとソーシャルインクルージョンフォーラム」にて

参考・引用

G.アガンベン 『スタンツェ−西洋文化における言葉とイメージ』岡田温司訳 1998ありな書房

B.アンダーソン 『増補 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』 白石さや・白石隆訳 1997 NTT出版 

Mikhail Bakhtin ,Rabelais and His world, trans.Helene Iswolsky Cambridge, Mass.:M.I.T. press,1965

M.バフチン 「美的活動における作者と主人公(19201924)」 ミハイル・バフチン全著作第一巻 佐々木寛訳   1999 水声社

  〃   「ことば 対話 テキスト」ミハイル・バフチン著作集8 新谷敬三郎他訳 1988 新時代社

ジュディス・バトラー 『ジェンダー・トラブル フェミニズムとアイデンティティの撹乱』竹村和子訳 1999 青土社

Zygmunt Bauman,Culture as Praxis,London,1973

E.Bleuler, Dementia Praecox; or the Group of Schizophrenias, trans. Joseph Zinkin New York: International University Press, 1950

F.Boas, The Origin of Totemism, American Anthropologist, vol.18, 1916

M.ボルク=ヤコブセン『ラカンの思想』 池田清訳 1999 法政大学出版局

H.Brengelmann, “Expressive Movements an Abnormal Behavior,” in Handbook of Abnormal Psychology, ed. H.J.Eysenk  New York : Basic Book,1961  

K.Burke,”Myth,Poetry and Philosophy”, Language as Symbolic Action, Univ.of California Press 1966

フリオ・カロ・バロッハ『カーニバル : その歴史的・文化的考察』  佐々木孝訳 法政大学出版局 1987

Ernst Cassirer, The Philosophy of Symbolic Forms, Vol U:Mythical Thought, tr. By Ralph Manheim, New Haven and London 1955

John Conolly, “The Physiognomy of Insanity,” Medical Times and Gasette,n.s., 16, 1858 

Charles Darwin, The Expression of the Emotions in Man and Animals , London:Murray,1872

メアリー・ダグラス 『汚穢と禁忌』 塚本利明訳 1985 思潮社

       〃    『象徴としての身体―コスモロジーとしての探求―』江河徹・塚本利明・木下卓訳1983 紀伊国屋書店 

Mary Douglas, Purity and Danger : An analysis of concepts of pollution and taboo(London : Routledge & Kegan Paul. 1966)

P.ダルモン 『医者と殺人者−ロンブローゾと生来性犯罪者伝説』 鈴木秀治訳 新評論 1992

エミール・デュルケーム 『宗教生活の原初形態』 古野清人訳 1941 岩波書店

       〃      『分類の未開形態』 小関藤一郎訳 1980 法政大学出版局

     〃      『社会分業論 上・下』 井伊玄太郎訳 1989 講談社

E.デュルケーム,M.モース 『人類と論理』 山内貴美男訳 1969 せりか書房

M.C.エッシャー 『無限を求めて』坂根巌夫訳 朝日選書 1994

エヴァンズ=プリチャードE.E. 2001 (ロベール.エルツの『死と右手』への序文)

ロベール・エルツ『右手の優越』吉田禎吾・内藤莞爾・板橋作美訳 2001 筑摩書房

H.T. Engelhardt,Jr.,”The Concepts of Health and Disease”,in H.T. Engelhardt,Jr., and S.F.Spicker, eds.,Evaluation and Explanation in the Biomedical Sciences,Dordrecht:Reidel,1975

K.A.フィードラー 「芸術活動の根源」 『近代の芸術論』 山崎正和、物部晃二訳1979 中央公論社 

R.Firth, Totemism in Polynesia, Oseania, vol.I, n cs 3 et 4, 1930-1931

M.Fortes, The Dynamics of Clanship among the Tallensi, Oxford, 1945

M.フーコー 『臨床医学の誕生』 神谷美恵子訳 1970 みすず書房

  〃   『狂気の歴史』 田村俶訳 1975 新潮社

S.フロイト「脅迫国威と宗教的礼拝」フロイト著作集5 山本巌夫訳 1969

  〃  「不気味なもの」 フロイト著作集3 高橋義孝訳 1969

  〃  『ヒステリー研究』 懸田克躬他訳 1971 日本教文社

  〃  「性欲論三篇」   フロイト著作集 『性欲論症例研究』 懸田克躬他訳 人文書院 1972

クリフォード・ギアーツ『ローカル・ノレッジ 解釈人類学論集』梶原景昭 小泉潤二 山下晋司 山下淑美訳 1991 岩波書店

サンダー・L・ギルマン 『病気と表象』 本橋哲也訳 1996 ありな書房

Gilman, Sander L.,Difference and Pathology: Stereotypes of Sexuality, Race, and  Madness : Ithaca,N.Y.:Cornell University Press,1985

Gilman, Sander L.,Seeing the Insane New York:wiley,1982; paperback,1985 

Jhon Graham, Lavater’s Essays on Physiognomy: A Study in the History of Ideas, Frankfurt: Lang,1979 

Jules Henry, Pathways to Madness,N.Y.1973

エドワード・ホール 『かくれた次元』 日高敏隆・佐藤信行訳 1970 みすず書房

Lois Boe Hyslop and Francis E. Hyslop,Jr., trans.,Baudelaire as a Literary Critic, University Park: Pennsylvania State University Press,1964

ジャン=ピエール・クライン 『芸術療法入門』 阿部恵一郎 高江洲義英訳 2004白水社

ラドクリフ=ブラウン『未開社会における構造と機能』青柳まちこ訳 1975 新泉社

エドマンド・リーチ 「言語の人類学的側面-動物のカテゴリと侮蔑語について」諏訪部 仁訳 『現代思想 3 vol.4-3』 1976 青土社

    〃     『文化とコミュニケーション:構造人類学入門』青木保・宮坂敬造訳 1981 紀伊国屋書店

E.R.Leach,”Anthoropological Aspects of Language:Animal Categories and Verbal Abuse”, E.H.Lenneberg(ed.), New Directions in the Study of Language, M.I.T.Press 1966

C.レヴィ=ストロース『今日のトーテミスム』 中沢紀雄訳 1970 みすず書房

      〃    『構造人類学』 荒川幾男訳 1972 みすず書房

       〃    『野生の思考』 大橋保夫訳 1976 みすず書房

       〃    『はるかなる視線 T』三保元訳1986 みすず書房

       〃    『はるかなる視線 U』三保元訳1988 みすず書房

       〃    『やきもち焼きの土器つくり』渡辺公三訳 1990 みすず書房

L.レヴィ=ブリュル『未開社会の思惟』 山田吉彦訳 1953岩波文庫

Lillian Feder, Madness in Literature , Princeton,N.Y.: Princeton University Press,1980

マリノウスキー『呪術・科学・宗教・神話』 宮武公夫 高橋巌根訳1997 人文書院 

M.Milner,On not being able to paint, London,1950

ロドニー・ニーダム『構造と感情』 江口暁子訳 1977 弘文堂

    〃    『人類学随想』 江河徹訳 1986 岩波現代選書

    〃    『象徴的分類』 吉田禎吾・白川琢磨訳 1993 みすず書房

エドモン・オルティグ『言語表現と象徴』宇波彰訳 1972 せりか書房

R.レッドフィールド 『未開世界の変貌』 染谷臣道, 宮本勝共訳 1978 みすず書房

R.ポーター 『狂気の社会史』 目羅公和訳 法政大学出版局 1993

Miriam Siegler and Humphry Osmond, Models of Madness,Models of Medicine, New York:Macmillan,1974

Robertson Smith,W. The Religion of the Semites. 1889

ヴィクター・ターナー『儀礼の過程』 富倉光雄訳  1976 思索社

     〃    『文化人類学叢書 象徴と社会』梶原景昭訳1981 紀伊国屋書店

Turner V.W, The Forest of Symbols. London: Cornell University Press. 1967

イーフー・トゥアン 『恐怖の博物誌』 金利光訳 1991 工作舎

    〃     『空間の経験』 山本浩訳 1993 ちくま学芸文庫

ファン・ヘネップ.A 『通過儀礼』 綾部恒雄, 綾部裕子訳 1977 弘文堂

E.W.サイード 『文化と帝国主義 1』 大橋洋一 訳 1998 みすず書房

P.ヴァレリー 『ドガ・ダンス・デッサン』ヴァレリー全集10 吉田健一訳 筑摩書房 1967

R・ワーグナー 『文化のインベンション』山崎美恵・谷口圭子訳 2000 玉川大学出版部

ホワイトヘッド 『理性の機能・象徴作用 ホワイトヘッド著作集 第8巻 』藤川吉美・市井三郎訳 1981 松籟社

バジル・ウィリー『ダーウィンとバトラー : 進化論と近代西欧思想 松本啓訳 1979 みすず書房

D.W.ウィニコット 『遊ぶことと現実』 橋本雅雄訳 岩崎学術出版 1979

D.W.Winnicott, Though Paediatrics to  Psycho-Analystic  London: Hogarth,1958

         〃     , The Maturational Process and the Facilitating Envionment  New York : International Universities Press, 1965

青木恵理子 「ジェンダー−文化批判の一視点 」 『文化人類学を学ぶ人のために』米山俊直、谷泰編 1991 世界思想社 

朝日新聞 2001.11.01 東京朝刊

綾部恒雄 編集  『文化人類学最新述語100』 2002 弘文堂

飯田義国 『ピカソ』1983 岩波書店 

上杉富之 「生殖革命と新生殖技術―出産及び生命感に及ぼす社会・文化的影響―」『日本民俗学』 第232号 2002.11

 〃   「新生殖技術時代の人類学―親族研究の転換と新たな展開―」『日本民俗学研究』664号別冊 2002.3

上野千鶴子 「<わたし>のメタ社会学」『現代社会の社会学』岩波講座・現代社会学1 井上俊(他)編集 1997 岩波書店 

内村祐之 『天才と狂気』 1952 創元社

岡田温司 『ミメーシスを超えて ―美術史の無意識を問う―』2000 勁草書房 

小田 亮 『性』 1996 三省堂

 〃  「二元論とその批判が隠蔽すること:あるいは『抵抗』という概念について」『社会人類学年報』291-26 2003

 〃  「越境から、境界の再領土化へ-生活の場での<顔>のみえる想像」 杉島敬志編『人類学的実践の再構築』 世界思想社:297321 2001

 〃  「ポストモダン人類学の代価」『国立民族学博物館研究報告』214807875  1996

春日直樹「経済 I ――世界システムの中の文化」世界思想社 100-118. 1995

萱のり子 『書芸術の地平 その歴史と解釈』 2000 大阪大学出版会

合田 濤 編集『現代社会人類学』1988 弘文堂

小松和彦 『悪霊論』 1989 青土社

     〃 『異人論−民族社会の心性』 1985 青土社 

     〃 『妖怪学新考―妖怪からみる日本人の心―』 1994 小学館

   〃 『神になった人びと』 2001 淡交社

   〃 『他界をワープする』1984 朝日出版社

瀬戸賢一 『認識のレトリック』 海鳴社 1997

竹沢尚一郎 『宗教という技法――物語論的アプローチ』(単著)勁草書房 1992

谷崎潤一郎 『陰翳礼賛』 1975 中公文庫 

常光 徹 『学校の怪談』 1993 ミネルヴァ書房

出口 顯 『レヴィ=ストロース斜め読み』 2003 青弓社

中川 敏 「オリエンタリズムと数学の直感主義」『社会人類学年報』VOL22 121 1996

西尾 実・岩淵悦太郎・水谷静夫 編 『岩波国語辞典第四版』 1992 岩波書店

新田義弘・宇野昌人 編集 『他者の現象学』 北斗出版 1982 

平田オリザ 『芸術立国論』 2001 集英社

藤田省三 『藤田精神史的考察 : いくつかの断面に即して』1982 平凡社

前川啓治 「文化の構築−接合と操作」『民俗学研究』61/4 1997.3

槇文 彦 『記憶の形象』1992 筑摩書房

松田 凡 「経済形式?実在論争とモラル・エコノミー論争」米山俊直編 『現代人類学を学ぶ人のために』世界思想社 35-54 1995

松田素二「民族再考−近代の人間文節の魔法」『インパクション』752335 1992

村瀬 学 『子ども体験』1984 大和書房

柳田国男『柳田国男集』19621971 筑摩書房 

1 〃 第11巻 P16

2 〃 第15巻 P569571

山口昌男 『アフリカの神話的世界』 岩波新書 1971

   〃  『文化と両義性』 岩波書店 1975 

   〃  『道化の民俗学』 筑摩書房 1985

吉岡政徳 「歴史と関わる人類学」『国立民族学博物館研究報告別冊』21 334 2000

吉田禎吾  1993 (ロドニー・ニーダム『象徴的分類』の解説より) 

吉野耕作 『文化ナショナリズムの社会学』1997 名古屋大学出版会

渡辺公三 『レヴィ=ストロース 構造』 1996 講談社

財団法人たんぽぽの家主催 エイブル・アート・ジャパン、芸術とヘルスケア共催 「アートとソーシャル・インクルージョン」 −「ちがい」と「ちがい」をつなぐ社会− フォーラム 資料集 2004.3.2021