以下の論考は、『民族学研究』に掲載された同名の論考の草稿段階でのものですので、掲載論考とは異なるところがあります。あくまで参考としてください。
カストム論再考ー文化の政治学を超えて
カストム(kastom)というのは、メラネシア地域で用いられているピジン語で、伝統や慣習などを指す概念である。このピジン語による伝統概念は、植民地状況からの独立の動きが活発になるにつれて登場してきたと言われており、まさに、西洋と対立する伝統という政治的な性質を帯びた概念として検討されることになった。1982年にキージングとトンキンソン編になるマンカインド誌の特集号『伝統文化再創造:島嶼メラネシアにおけるカストムの政治学』が登場したが[Keesing
& Tonkinson 1982]、この論集が、カストムという概念を巡る議論、いわゆる、カストム論の先鞭をつけることになったのである。
この論集は、二つの特徴を持っていた。一つは、伝統は創造されるという認識を持っていたという点であり、この論集の翌年に出版され人類学全体により大きな影響を与えたホブズボウムとレンジャー編の『創られた伝統』と同じ視座を持っていたと言える。他の一つは、こうした創造された伝統、すなわち、カストムが、メラネシアの政治的な動きの中でどう用いられているのかを探るという姿勢である。これら二つの特徴は、主タイトルの「伝統文化再創造」と副題にある「カストムの政治学」によって明確に示されているが、伝統(カストム)が政治的文脈で再創造されるという捉え方の背後には、かつてあった「真正な伝統」と「新たに創造された政治的な文脈における伝統」を区別するという姿勢があったと言える[白川
1997:148-151]。
しかし、「真正な伝統」と「新たに創造された伝統」という区分は、島嶼のエリート達から大きな批判を受けることになった。その例としてあげられるのが、キージング[1989]の論文に対するハワイの先住民運動の活動家であるトラスク[1991]の反論である。キージングは、政治的アリーナで用いられている伝統概念はもとからあった村落などにおける真正な伝統に比べて非真正であると主張したが、トラスクは、キージングはまさしく「自分の帰属していない所へ侵入していく不作法な白人」であり、彼の議論は、ネイティヴは自分の生活に関してさえもあまりよく知らないという前提にたっている、と批判したのである。島嶼側から寄せられたこうした主張は、人類学に大きな問題を投げかけることになった。というのは、人類学者は「他者の文化」について語ってきたのに対して、彼らは「自己の文化」について語っていたからである。そして自文化を本質主義的に表象することの正当性をつきつけられて、文化を語る権利が誰にあるのか、という問題が生まれてくることになった。その問題をどのように扱うのかという点に関して、互いに類似する二つの概念が登場してきた。一つが「伝統の政治学」であり、他の一つが「文化の政治学」である。
「伝統の政治学」は、「カストムの政治学」の流れを受け継ぎながら、植民地統治や国民国家形成の過程における伝統や文化を巡る様々な言説を対象とし、その背後に潜む力関係を議論の焦点とするものであった。しかし、それはとりもなおさず「オセアニアの人々の自文化表象における本質論の正当性を問題とすることなく・・・文化をめぐる議論と内省という人類学者とオセアニアの人々が共有する創造的な知のあり方を強調する」方向の議論であったと言える[宮崎
1999:182]。そして、この人類学的な潮流の主翼を担ったのが、トーマスらの唱える歴史人類学であった。
トーマスは、従来の人類学は「真正で豊かな単一の伝統」と「西洋の影響によってもたらされた取るに足りないもの」という二分法に基づいた視点を持っていたと指摘し、西洋の影響を除いた形での伝統の提示を民族誌的記述としてきた人類学を批判した[Thomas
1989:11]。サイードの『オリエンタリズム』が登場して以降、この種の批判は様々な形で見いだせることは確かだが、トーマスは歴史人類学の立場から、「彼ら=非西洋」と「我々=西洋」の分離は植民地状況の中で実際に進行していた西洋と非西洋の複雑な歴史的もつれ合いを見過ごしてしまっている、という独自の指摘を行ったのである[Thomas
1991:309]。
こうしたトーマスの歴史人類学的視座が、1992年、オセアニア誌上でのジョリとの共編による『太平洋における伝統の政治学』という特集号を生み出すことになった[Jolly
& Thomas 1992]。そこでは、既に述べたように、伝統に関する様々な言説とそれが孕む政治力学が議論の対象となったが、トーマスの議論に即して言えば、「彼ら」と「我々」、及び「真正」と「非真正」の二分法を批判し、歴史的もつれ合いに視点をあわせた形でカストム概念を議論の対象とすることが問題となった論集であったと言うことが出きる。
この論集が発表された直後の1993年、ホワイトとリンドストローム共編でアンソロポロジカル・フォーラム誌上に『今日のカスタム』が登場した[White
& Lindstrom 1993]。編者達の意図は、ポストコロニアルという状況を十分意識しながら、「彼ら」と「我々」、「西洋」と「非西洋」という二分法的に処理されるやり方を批判することから出発し、最終的に、両者の混交した姿を問題にする方向に議論を向けることにあった。つまり、「彼ら」と「我々」という二分法を批判するという点ではトーマスらの論点を共有するが、トーマスが、こうした二分法を批判して、歴史的もつれ合いという視点を導入することで、結局は植民地化という歴史過程がすべてを創ってきたという議論へと向かうのに対して、彼らの場合は、土着の人々は、西洋からの影響を自らの内部に取り込み、伝統と近代、あるいは土着と西洋という二分法的な対比ではない連続した状況を創り出しているのだと捉えるのである。
その結果、メラネシアにおけるカストムを反西洋的なものとして設定する見方を批判し、カストムと西洋的なものはシンクレティックに混交しているのだという議論へと向かうことになる。この視点は、彼らの編集になるその後の論集、1994年の『文化、カストム、伝統:メラネシアにおける展開する文化政策』[Lindstrom
& White 1994]、及び1997年の『今日のチーフ:伝統的な太平洋のリーダーシップとポストコロニアル国家』[White
& Lindstrom 1997]においても一貫しており、カストム論の現在的な一つの到達点ということが出来よう。
ホワイトとリンドストロームは、「伝統の政治学」の流れの中に位置し、島嶼のエリート達が如何にして伝統概念を用いながら政治を展開していったかという点を議論の対象にした。そして、文化を語る権利が誰にあるのかという問題をすり抜けながら、ある意味で、島嶼のエリート達の批判をかわすことに成功したといえる。この問題は、既に述べたように、「カストムの政治学」の中で、真正なカストムと政治エリートたちによる作られた非真正なカストムという対比を論じたことから生まれてきた。しかし、ホワイトとリンドストロームの議論では、両者は混交しており、その混交した状態にこそ意味があるという視点が表明されたのである。つまり、伝統と近代というボーダーを越えて島嶼のエリート達が今現在問題としている「伝統概念」こそが、重要なものであるという主張であるため、もはや、島嶼のエリートたちは自分たちの言っているカストムが真正なものであると、ことさら主張する必要がなくなったのである。
さて、文化を語る権利の所在を巡って生まれたもう一つの概念、つまり「文化の政治学」というのは、当初、リネキンが「伝統の政治学」と同じ様な意味合いで用いた概念である[Linnekin
1990]。彼女はジョリとトーマス編の『太平洋における伝統の政治学』にも論文を寄稿しており、大きくは伝統の政治学の流れに立っていると考えることも可能である。しかし、ここで敢えて別の概念としたのは、彼女は、他者の文化を表象する人類学者の政治性を視野に入れて、文化を語る権利が誰にあるのか、という問題を正面から捉える議論を展開したからである。リネキンは、伝統が創造されるという視点を出発点として、それをさらに追求することにより、文化は本質的なものとして存在するのではなく創られ構築されていると考えた。その結果、彼女は文化の真正さを脱構築するという立場に立つことになった[Linekin
1991,1992]。それは必然的に、真正なものと非真正なものの二分法を批判するという議論であったが、こうした立場さえ、文化を語る権利が誰にあるのかという問題の前では、「政治的に正しくない」ということになった。というのは、文化の真正さを脱構築すれば、島嶼エリート達の主張するカストム(伝統)も、真正という概念で捉えられないという結果になったからである。
「政治的正しさ」の追求は、結局、自文化の語りに軍配を揚げる方向に進んだが、それでも、様々な立場にいる人々が自文化を多様に語るとき、どこに政治的正しさという札を貼ることができるのか、という新たな問題が浮上する。そこでリネキンは、サバルタンに着目する。インドの歴史研究で練り上げられてきたサバルタン概念は、反植民地的であるだけではなく反エリートであるという点で、政治的に正しいというのである[Linnekin
1992:260-261]。この時点で、真正性を否定してきたリネキンと真正性にこだわったキージングは奇妙な一致を見ることになる。というのは、キージングは、真正な文化はまさしくリネキンがたどり着いたサバルタンにあると考えていたからである[Keesing
1990:299]。
もっとも、キージングは脱構築という概念を念頭に置いていなかったのに対し、リネキンはそれを全面に打ち出していた。そしてサバルタン研究は、まさしく脱構築の徹底化の方向に向かったのである。つまり、当初、サバルタンを抑圧された非エリートと捉え、その主体性に着目するという方向性を持っていたサバルタン研究は、やがて、サバルタンとは完全には表象出来ない他者であり、そこにおける断片性や挿話性に着目するという方向へとその視座をシフトさせていったのである[福井
2001:121-123]。ここにおける断片性への着目は、ある意味で、脱構築論の口火をきった『文化を書く』が提起した民族史的権威の問題への、一つの回答でもあったのである。
1980年代から始まったカストム論、あるいは、伝統概念を巡る一連の研究は、サイードのオリエンタリズム批判以降活発に展開されてくるようになった人類学批判と歩調を合わせていた。そして本質主義を批判し、真正性と非真正性という二分法に対する批判、さらには西洋と非西洋、あるいは伝統と近代という二分法に対する批判へに向かい、それはボーダレス論や異種混交論へと到達すると同時に、脱構築と断片化、あるいは断片の探索という方向へ移ってきたといえる。こうした状況を概括したファインバーグは、その間行われてきた議論、つまり伝統の発明や人類学とコロニアリズムの関係や民族誌的権威の問題などに関する一連の議論を、「文化の政治学」と呼んでいる[Feinberg
1995:92]。彼は、「伝統の政治学」とリネキンの言う「文化の政治学」を包括する形で、広く「文化の政治学」と呼んでいると言えるが、本特集で問題としようとするのも、この広い意味での「文化の政治学」なのである。
広義の「文化の政治学」は、しかし、現在の時点でさらなる進展を遂げているとは言い難いのである。議論の中心を担った西洋の人類学においては、そこで議論されてきた人類学のあり方を巡る様々な議論が、解決を見ないまま、言い換えれば、乗り越えられないまま放置され、それらがあたかも過去の事と言わんばかりに別の新たな議論に向かおうとしているように見える。一方日本の人類学では、「文化の政治学」は現在も生き続けているように思えるが、それは、進展と言うよりある意味で閉塞した状況を創り出していると言える。つまり、「オリエンタリスト」や「本質主義者」というレッテルが烙印の様に用いられ、その結果、自文化中心主義を批判しようとするその姿勢までもが批判の対象となっている。そして文化の差異性を問うような姿勢は一括して批判され、それ以降の議論が封殺されてしまうという危険な状況を創り出しているとさえ言えるのである。
今、カストム論を特集し、「文化の政治学」を越える試みを行おうとすることの意味は、こうした人類学的状況から生じている。「文化の政治学」が過去の地平にしまい込まれ風化する前に、それを正面から再度見据える必要があろうし、本質主義批判が伝家の宝刀として闇雲に用いられる事態を避けるためにも、「文化の政治学」に至ったカストム論が再考されねばならないのである。
本特集の4人の著者達は、それぞれ自らのフィールドでの事例、体験、他者とのかかわりを見つめることにより、それぞれに「文化の政治学」を乗り越えるための試みを行っている。まず川崎は、パプアニューギニアのセピック地方を取り上げ、西洋世界との接触の歴史が異なる三つの社会におけるカストム概念を比較する。この比較において川崎が留意するのは、エリートではない人々のカストム観である。彼は、西洋的知を共有した国家エリートの言説にのみ焦点を合わせてきた従来のカストム論を批判し、西洋とは根本的に異なるメラネシアの知のあり方を、人々の日常におけるカストム概念の中に探っていく。そして、セピックの人々の「生き方としてのカストム」に見られる徹底した相対化の思考を見据えることにより、川崎は、「文化の政治学」が批判してきた「自文化中心主義を批判する姿勢」を、再度、肯定的に問い直すのである。
白川は、ヴァヌアツ共和国トンゴア島を対象に、カストム概念を再考している。彼はまず、カストムというピジン語概念をとりまく状況を概観し、カストムをそれと重なりながらズレを持つアエラン・スタエルというピジン語概念、さらには現地語概念と比較しながら論を進める。そして、カストムの持つ独自性を抽出すると同時に、それが持つ保有物としての側面を問題とする。白川は、「文化の政治学」の中で議論されてきた、文化を語る権利が誰にあるのか、という問いを念頭に置きながら、その議論の基盤にあった表象としての文化という捉え方を批判する。そして「人類学者とトンゴア島民の間に生じ得るカストムにまつわる葛藤は、文化を語る権利をめぐるものとして捉えるだけでは不十分であり、むしろまずカストムという語で指示される対象の保有にまつわる問題として理解する必要がある」と論じるのである。
石森は、ソロモン諸島西部州のヴァングヌ島を対象にカストム概念を検証し、「伝統」と「近代」を巡る人々の認識を論じている。石森は「文化の政治学」において展開されてきたボーダレス論、異種混交論を問題とし、ヴァングヌの現実における「伝統」と「近代」を見据えることで、両者が混交されないことを論証していく。しかし、ヴァングヌでは、こうした伝統と近代の二分法を堅持すると同時に、それとは別の次元で現在を把握する仕組みが存在しているという。それがファッシンという概念であり、そこでは変わりつつある現在の姿が問題とされる。こうして人々は伝統と近代を融合することなく、変わりつつある現在を表現する手段を持っているのであり、メラネシア社会独自の状況から、まさに、異種混交論の安易な設定を批判するのである。
宮崎は、フィジーにおける全体と部分を巡る思考のあり方を題材として議論を進めている。彼は直接にカストム論を取り上げている訳ではないが、「文化の政治学」における根元的な思考を問題とすることで、本特集への理論的貢献を図っている。彼によれば、西洋的な知のあり方は、部分を集合して全体をつくりだすという操作であり、「文化の政治学」は、そうした全体性を脱構築することで部分や断片の強調を行ってきたという。しかし、両者は逆の関係になっているだけであり同じコインの裏表であるという。宮崎は、フィジーにおける分割を前提とした全体という概念を検討することにより、「根源的な意味における部分性、すなわち不確定性を分析の最終到達点とする最近の民族誌記述の傾向を相対化することを目指」そうとするのである。
人類学批判を体験せずに異文化を語っていた人類学と、人類学批判を経た後の人類学とは、必然的に異なる。我々はそろそろ「常套文句」から解放されて、新しい人類学を探らねばならない。そのためには、文化の政治学を越える試みを模索せねばならないのである。
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