オセアニアの「売り」と人類学的姿勢
異文化との関わりをテーマとしてきた人類学は、異文化の独自性を強調することで自文化中心主義的なものの見方を批判してきた。しかし、異文化の独自性を強調することは、裏を返せば、異文化=他者を本質主義的に規定することであり、その独自性を権威づけられた民族誌を通して語ることは、まさに、物言わぬ人々の代弁者として行動するオリエンタリストの姿であると批判された。人類学内部からのこうした自己批判は、今や、人類学を考える上での常識とさえなっており、それを踏まえなければ新しい人類学を目指すことが出来ないという認識は、広く受け入れられている。しかし、多くの人類学者が旧来の人類学を「本質主義」や「オリエンタリスト」というレッテルを貼ることで批判すればするほど、レッテルが一人歩きしてしまう危険を孕んでいる。つまり、「本質主義」や「オリエンタリスト」というレッテルが問答無用の烙印として用いられ、その先の議論をむしろ封殺してしまう危険性を持っているということである。この「危険な状況」を生み出すほど、「本質主義は悪である」という言説が流布しているということになるが、本論では、こうした現在の人類学の状況を見据えた上で、敢えて、本質主義的と見なされるかも知れない人類学的な姿勢を問い直してみようと思う。題材として取り上げるのは、「オセアニアの売り」である。この題材は、オセアニアが世界市場においてどの様な商品価値を持っているのか、つまり、何を自らの「売り」としてアピール出来るのかという問題を扱ったものであり、ここではその「売り」をどの様に人類学は考えれば良いのかという点を議論の俎上に乗せる。
一 信託基金制度と「みそっかす」
人的資源も乏しく、また、地下資源も豊富とは言えないオセアニアの島嶼国・地域は、旧宗主国などからの援助金を頼りにせざるを得ない状況にある。しかし、経済開発のための援助を受けたとしても、オセアニア地域では、インフラストラクチャー整備、市場間の輸送などに費用がかさむなど不利な条件が多いため、近代産業化が思うように成し遂げられない現状がある。しかも、こうした近代産業化のための援助は、それまでサブシステンス社会で豊かな暮らしを営んできた人々の生活に犠牲を強いることになり、ひいては、これまで自立していた伝統部門の自立性を崩壊させる事態に陥りやすくさせてしまうと言われている(小林
1994:170,192)。
ところで、オセアニアにおけるサブシステンス経済の重要さは、たびたび指摘されてきた(小林
1994:第3章、佐藤 1998:51、宮内 1998)。このサブシステンス経済が、「飢え」のないオセアニアを作り出してきたことは良く認識されている。また、貨幣経済の流入の中にあっても、それと平行する形でサブシステンス経済を生活レベルで持続するという「二重戦略」をとってきているという現実は(宮内
1998:185)、サブシステンス経済がまさに世界システムに巻き込まれつつも自らの主体性を保持し、常に受け身だけではない生活を実現する武器でもあることを示しているとされる。しかし、確実に、サブシステンス経済は圧迫され、それを保証している環境は破壊されていく。援助の形態が従来型の経済開発であればあるほど、結果として、オセアニア世界の側でのセルトー的戦術は、無力化されていくのである。
こうした状況の中で小林は、最小限の政府維持を可能にし、サブシステンス経済において自立を成立させていた島嶼的富を維持するための当面の方策として、信託基金制度に注目する(小林
1994)。この制度を採用しているツバルを例にとると、信託基金制度とは以下の様なものである。つまり、ニュージーランド、オーストラリア、イギリス、ツバルという条約国が中心となって資金を拠出するが、それらの国から各1名の理事を送って理事会を構成し、ツバルの理事が議長を務める。そして、ファンドマネージャーに財産の運用を委託し、それを監督する監査人を置き、理事会に報告するようにする。運用益の中から元本繰り入れの再投資額を差し引いた配当額が、ツバル政府に拠出されることになり、理事会が承認した2名程度の委員が政府の資金使用にアドヴァイスを与えるが、ツバル政府はこれらの配当額を基本的に自由に使うことが出来るというものである。
こうした援助のあり方は、確かに、すべてを近代化へと向かわせる開発とは一線を画し、サブシステンス経済の持続も含めた、被援助国側の主体的な国家づくりへの道を準備することは可能かもしれない。その意味で、どうしても援助が必要な国家に対する援助のあり方として、最もましな方法である、ということは納得できる。
しかし、被援助国側の主体的な国家づくりに貢献できるであろう援助方法であっても、近代化論の背景にあるものの見方を変えることは出来ないという点にも、注目する必要があろう。確かに、「すべての国・地域が、同じ様な近代化の道筋をたどって発展するはずで、遅れているところは特別の援助を得て発展させる」とする19世紀進化主義的な従来型のものの見方は変更されることになる。しかし、信託基金制度が適用されるのは、「近代化しないところ」に対してであり、「近代化しないところはしかたがない、世界の流れの中からはずして、自分たちなりになんとか生きていくための場所をつくってやらねばならない」というものの見方がその背景にあると言えよう。それは、近代経済システムに巻き込むことに失敗したため、こうした所は世界の動きから隔絶させるということであり、その意味で、信託基金制度は、世界経済の中でいわば一つの特区を設定することにつながり、それは保護区、ないしは「みそっかす」としての地位を与えるような動きと言うことが出来るだろう。
オセアニアの人々の側が、いかに主体的に戦術を用いてサブシステンス経済を温存した生活を持続させようと、研究者の側が、「二重戦略」の中に世界システムへの主体的な抵抗を読みとろうと、それを可能にする援助、つまり、新しい信託基金による援助は、援助する側から言えば、世界経済の中に「みそっかす区」を作ることを意味しているということになりかねないのだ。こうした「する側」と「される側」の間にあるズレは、オセアニアで唯一売りになるかもしれないと考えられている観光という現象においても見いだせることなのである。
二 持続可能な観光と「のぞき見」
オセアニアにおける観光を考えた場合、まずハワイやグァムが思い浮かぶ。アメリカ合衆国の一部となっているこれらの島々では、アメリカ軍の基地としての地位もあって、インフラストラクチャーや輸送力も完備されており、従来型のマス・ツーリズムに則った観光が可能となっている。つまりは、これらの島々は、いわば進化主義的近代化論の適用に耐えうるところなのである。従って、これらの島々での出来事は、他の島嶼地域で参考になるわけではない。しかし、観光といっても近代産業化を必要としない小規模な観光ならば、サブシステンス経済とともに自立への道を模索できるかも知れない。それが、「持続可能な観光」として登場してきたエコ・ツーリズムやヘリテージ・ツーリズムなどである。
自然を対象とするエコ・ツーリズムは、しかし、しばしばそうした自然環境を生きている人間をも対象とする。そうなると、エコ・ツーリズムはエスニック・ツーリズムと同じ位置に立つ(太田
1996)。そして、こうした意味でのエコ・ツーリズムも、スタディ・ツーリズムもエスニック・ツーリズムも、人間の生活文化を見たり学んだりするということである以上、「のぞき見」という性質を持つことを否定することは出来ない。そして、観光する側の今日の志向は、「見る」だけではなく、「聞く」「味わう」「嗅ぐ」「触れる」など、身体のあらゆる感覚を動員して、観光体験をいっそう豊かにすることである(高田
1996:227)とすれば、ますます観光者が参加する型の観光が求められる。それは、いわば動物園の檻の外から動物を見ていた者が、サファリ・パークで車内から生活している動物を見るというところへ、さらには、危害を加えない動物には接近して餌をやったり、頭をなでたりしながら、その生活を観察(勉強)したりするということと同じことになるという点は押さえておく必要があろう。
一方ヘリテージ・ツーリズムは、文化遺産を対象とした観光である。例えば中米ではマヤ文明という文化遺産をもとにしたヘリテージ・ツーリズムが行われている。こうした文化遺産は、近代文明の側にいる人々が「一目置く」ものでなければ意味がないのは言うまでもない。つまり、遺跡にしろ歴史的建造物にしろ、集落の景観にしろ、それらは、近代文明の論理から見て一目置くものでなければならないということなのである。その意味で、限られたところだけがこの種の観光対象になる。また、文化遺産を観光目的としているとはいえ、その文化遺産の担い手である人々、あるいは、担い手であった人々の末裔の生活を「のぞき見」することも重要な要素を占めていることも確かで、例えば、現在のマヤの末裔達は、素朴で自然とともに生きる人々としても観光の対象になっていると言われているのである。
橋本は、こうした「のぞき見」に関連して生活文化の提示方法が練り上げられ、シナリオに沿って演じる一種のパフォーマンスにまでなれば、突然の「のぞき見」されたときのような後味の悪さを感じずに済むであろうと述べている(橋本
1999:158)。確かにそうなのだが、練り上げられ、パフォーマンスにまでなった生活文化は、いわば劇場で行われる劇のようなものである。それらは、どう練り上げられているのかといえば、近代の論理からみて納得出来るやり方で練り上げられるのである。従って、こうした芸やパフォーマンスは、近代化を前提としたマス・ツーリズムの中において、観光する側から歓迎される。しかし、小規模で観光される側と密着型の持続可能な観光においては、マオリの観光村やインドネシアのタマン・ミニなどの「劇場」は歓迎されない。観劇はマス・ツーリズムで行われるのである。持続可能な観光では、「我社の経験豊富な現地スタッフとっておきの」というふれこみによるホンモノ性、あるいは、そこに居たという経験の排他的な満足感の特権性(落合
1996:60)、つまり、本場性の存在こそが重要な売りとなるのであり、それを触れる程の「のぞき見」することこそがその特徴なのである。
三 秘境ツアー
さて、オセアニアで売りになる持続可能な観光としてどういうものが想定出来るのだろうか。そこで手がかりとなるのが、かつてから語られてきたオセアニアのイメージである。オセアニアは楽園イメージを持つポリネシアと秘境イメージを持つメラネシアの対比として語られてきたのである。楽園と秘境は、「売り」になるかも知れない。この点を考えてみよう。
楽園と秘境は同じコインの裏表であり、ともに近代文明の残余カテゴリーであると言われている。しかしよく考えてみると楽園と秘境は異なっている。というのは、楽園は近代文明の条項があっても成立するイメージであるのに対して、秘境はそれが入り込んではイメージが成立しない。つまり、「楽園でグルメ、ショッピング、マリンスポーツ三昧」という旅行パンフレットのうたい文句に見られるように、楽園イメージには、近代的なホテルに滞在し、近代的な味付けの料理を食べ(エスニック料理というのは、本当のローカルではなくグローバル化された味付けがもてはやされることを思い出そう)、近代の仕組みに則った基準から見て「良い」とされるショッピングやスポーツが組み込まれる。一方秘境イメージは、たとえ観光する側が冷房付きの近代ホテルをベースキャンプにしても、される側が、あるいは秘境体験の出来るその場が、こうした近代文明の枠組みにはまっていてはいけないという条件から成り立っているのである。
近代化と歩調を合わせる楽園イメージは、マス・ツーリズムの中で演出されることで、多くの観光客を魅了する売りになる。しかし、オセアニアの大部分は、マス・ツーリズムの基盤が整備されていない。従って、楽園としての売りが弱くなってしまうのである。もちろん、持続可能な観光として小規模で環境を変えることのない楽園ツアーは可能であるかもしれない。しかし、その場合の楽園は、近代文明の残余カテゴリーとしての性格が強くなる。例えば、中米におけるマヤの末裔が自然とともに生きる素朴な人々というイメージで語られていると述べたが、それはいわば未開を生きるというイメージでもあるという。太田は、こうした未開性は、「<近代文明>の否定形態としての負の価値観ばかりを意味」せずに、「<近代文明>が進歩の代価として産出した矛盾を可視化させるユートピアとして」連想されていると述べている(太田
1996:216)。オセアニアが持続可能な観光の中で楽園として位置づけられるとすれば、こうした意味に置いてであろう。しかし、それは、オセアニアに特有のものでもないし、しかも否定形としての未開イメージと関連しているということであれば、秘境イメージの方がはるかに大きなインパクトをもっているのである。
楽園としてのポリネシアと秘境としてのメラネシアは、しばしばキリスト教徒と人食い人種という対比で語られてきた(中山
2000)。つまり、メラネシアにおける秘境イメージは、素朴な人々、自然と共生する人々というイメージとは異なったものを持っているのである。人食い人種は、人間としてすべきではないことをする人々でもある。それは、単に近代文明の否定形態としての負の価値観で出来上がっているというよりも、人間の否定形態としての負の価値観が設定されることになるのである。これぞ「売り」としては大きな価値をもつものであろう。
「カンニバル・ツアーズ」という映画はパプアニューギニアにおけるこの種の観光を取り上げている。その映画では、冷房の効いた遊覧船に乗って河を上り、食人慣行を持っていた人々の村を訪れ、そこで人々と一緒に記念撮影をし、土産物を買って帰るという観光客の姿が映し出されている。観光客は、現在食人が行われていないことは良く知っている。しかし、それでもこの村の人々は観光客にとっては「ホンモノの人食い人種」であり、それを「のぞき見」することが観光の目的となるのである。
観光する側とされる側の間に存在する落差が、こうした食人観光を支えているように思えるのだが、観光においてはする側とされる側の間に落差はないとする立場がある。永渕は、ベリーズにおけるエコ・ツーリズムに関して、「アメリカ側のエコ・ツーリズムを支えるイデオロギーをヘゲモニーとみて、現地の側がそれを演出しているという発想があるからこそ、現地の側が従属的になっている、という考え方が出てくる」と指摘し、アメリカ人はエコロジーのイデオロギーを身につけることにより中産階級になる一方、現地の側は何らかの経済的利潤や社会的地位を得るのだから、「そこにあるのは、イデオロギーの共有であって、ヘゲモニーを行使する側それを演出する側ではない」と論じている(石森
1996:291)。
エコロジー意識という点を問題にすれば、イデオロギーの共有はあり得るかも知れないが、食人観光については、こうした見方はあまりにもロマンチストに過ぎると言わざるを得ない。観光される側が、「うまく未開人を演じることが出来たね」と言って舌を出せばそれで観光する側とされる側の落差が解消されるわけではない。依然として、「あんな未開人が今でもいるのだ」という観光する側のものの見方は継続するのだ。そしてこの進化主義的な言説こそが、両者の落差、あるいは観光する側のヘゲモニーから生まれているのである。
山下は食人観光に関して、「こうして今日、人類学者が「未開」という概念を疑問視しているときに・・観光客はカメラのファインダーのなかで「未開人」を再生産し続けるのだ」(山下
1996b:145, 1999:204)と述べ、ヘゲモニーのある観光する側の未開イメージの再生産を批判している。しかし、この批判は中断されてしまう。というのは、山下自身は、観光が創り出す文化は本物性を欠いた模造品であるという言説に対して、「こうした現象のなかに私たちが見るべきことは、現代において「伝統文化」が消滅していくという物語ではない。そうではなくて、文化が境界を越えて享受され、古い伝統が新しい時代に適応し、そこに新しい文化が生成してくるという事実である」(山下
1996a:10, cf.1999:第1章)と考えているからである。その立場にたてば、パプアニューギニアの食人観光によって作り出される観光文化も、新しい文化ということになるのだろう。それはむしろ、未開イメージの再生産を肯定的に評価することになり、それを批判する視点と矛盾することになるのである。
一方栗田はこの種の観光に言及し、「慣習的食人の存在にお墨付きを与え、土着観光開発の推進に寄与し、経済発展を促進するという立場をとることが一見「政治的に正しい」ように見えるとしても、既に述べたように、それが逆にパプアニューギニアという周縁の西欧世界という中央への依存を固定化してしまう危険がある」と述べ、落差を十分に認識する。しかし、最後に次の様に結んでいるのである。「それでもなお現在の状況を考えると、パプアニューギニアに関わりを持つ者としては、「取りあえず」土着観光を推進する以外にうまい方法はないと判断せざるを得ない。ここは一番、目をつぶって大声で叫ぶことにしよう。「皆でパプアニューギニアへ食人族を見に行こう」と」(栗田
1999:148)。
山下の矛盾、栗田の苦渋の選択は避けられないのだろうか。再生産される未開人像に対して人類学は何も言えないのだろうか?「未開イメージのために観光が成立しているのだから、それに対して何も言うな」と観光される側が言えば、人類学は黙るしかないのだろうか?
四 本質主義者?あるいは人類学者
観光される側に視点を合わせることこそが、持続可能な観光の主眼でもあった。それまでのマス・ツーリズムは観光する側の外からの開発であったのに対して、持続する観光では、観光される側の内から開発が問題となる(石森
2001:10)。それ故、される側の主体的な観光への位置づけが議論の対象となる。太田は沖縄のウミンチュ観光を取り上げ、この観光は沖縄の漁師の肯定的な自己認識を形成し、主体性を作り出していると言う(太田
1993:399)。また、山極はエコ・ツーリズムのおかげで、世界の経済機構から見放されてきた発展途上国の人々は、自らの伝統社会とそれをはぐくんできた故郷の自然を誇りを持って振り返ることができるようになった、と述べている(山極
1996:203)。言うまでもないが、これらの見方は、世界システムに巻き込まれながらもサブシステンス経済を戦術としてそれに主体的に対処するという読みと同じ視点からできあがっているのである。
援助・開発・観光における共通のキーワードである「持続可能」は、近代化の押しつけではなく、援助・開発・観光される側の人々の主体的な参加、人々の意志の尊重、小規模、最小限の変革、などを目指す。従って、持続可能な観光の議論の中で出てくるこうした「される側」の主体的な自己の位置づけという読みと、持続可能な開発・援助の議論の中に出てくる「される側」の世界システムへの主体的な抵抗戦術などの議論とが重なるのは当然であろう。そして、後者の議論において「される側」の思惑とは関係なく「する側」は「みそっかす区」を設定することになるというのと同じように、観光においても、観光される側の自己認識いかんにかかわらず、する側は、自らのイメージに沿った未開という「みそっかす区」を設定するのである。つまり、観光される側がいかに主体的に振る舞おうと、何をしようと、観光する側の観光地に対する位置づけは変わらず、観光する側が求めるイメージをされる側が現地で再現するような演出をする以上、観光する側のもつ未開のイメージはそのまま温存されるのである。
例えばメラネシアの場合は、食人という人間ならざる者がする行為をしていた未開の人々という特別区を構成し、それをそのまま近代から隔離して温存するところに観光の醍醐味を見いだすのだから、まさしく観光する側にとっては世界の「みそっかす区」となるのである。持続可能な観光は、こうした「みそっかす区」を、「みそっかす」であるが故に出来るだけ手に取れる形で「のぞき見」したいということから出来上がっているとも言えるのである。もっとも、「する側」のイメージと「される側」の演出の間にズレがあるという議論は成立する。しかしズレが大きくなれば「ホンモノ」性が薄れ、のぞき見の醍醐味はなくなり観光の対象からはずれる一方、観光を持続させるためにズレを小さくしておくと、観光する側のイメージは持続していくのである。
近代による未開言説は、「彼らは人間ではなく動物の一種だ」から、「彼らは人間だがわけのわからない野蛮で未開な人間だ」へ、そしてついには、「自然とともに生きている彼らは、我々が失ってしまった人間性を、むしろ、今も持っていると言える」という言説へと移り変わってきた。しかし注意する必要があるのは、これらはすべて近代化論を支えてきた論理に基づいているということであり、巧妙にあからさまな進化の優劣は隠蔽されているが、その背後にあるのは、あいも変わらない進化主義的なものの見方であり、自文化中心主義的な視点なのである。「発展途上国」という一般に受け入れられている言葉にさえも、見事な進化主義的な近代化論が隠れていることを見逃してはならない。人類学が批判的精神を持っているなら、こうした世界を覆っているものの見方にたいする異議申し立てをするべきであろう。
では、異議申し立てをすることによって生まれた矛盾や苦渋の選択を、どのように処理すれば良いのだろうか。山下は、この異議申し立てと生成された観光文化はそれとして受け入れるという立場との間で矛盾を起こしたが、もし、生成された観光文化が、未開を売りにするものではないのであれば矛盾を解消出来るだろう。また、栗田の場合も、未開を売りにしない持続可能な観光が成立するならば、苦渋の選択をしなくても済むのだ。
未開の変わりになる売り。それは、観光する側が常に求めている「ホンモノ」性の強調以外にはないだろう。つまり、近代文明にとって遅れた「みそっかす」性を売りにするという姿勢を変更させて、近代の論理とは異なる異文化の論理の「ホンモノ」性を売りにするということである。手に取れる形で「のぞき見」したいのは、観光する側とのホンモノの差異性であろう。その差異性を、進化の線上に並べた「未開」で表現するのではなく、論理の違いとして別の線上にある「異文化」を売りにするのである。食人観光について言えば、食人は人間とはいえないような「未開人」がするという言説を否定し、違う価値観では起こりうることであるという点を強調し、そのホンモノの異文化がそこにあるという論法をとるということである。「される側」のこうした売り方を可能にするようなものの見方は、しかし、従来から本質主義的だとして批判されてきた見方なのである。
ここで考えてみよう。人類学は、本質主義的な差異性の強調を批判し、「近代」と「伝統」の連続性あるいは異種混交性を主張してきた。その結果生まれてきたのが、「近代に巻き込まれながらも主体的に対応する姿勢」であるとか、「近代を利用する伝統の戦術」などであり、それは既に述べたように「みそっかす区」を設定し、ひいては、「する側」と「される側」を同じ線上に並ばせ、従来から継続して続いている近代化論、その背後にある自文化中心主義的な未開観を温存する役割を演じてきたのだ。それは、自文化中心主義を批判し異文化の多様性を訴えてきた人類学を、本質主義的というレッテルを貼ることにより全て否定し、全く「逆」の道を歩もうとした結果なのだ。
もう一度考えてみよう。我々は、既にオリエンタリズム批判によって、従来の異文化研究の犯してきた本質主義的な思いこみを知っているのである。本質主義的な規定の何たるかを気づきもしなかった時とは、異なった状況にいるのだ。「ホンモノ」性を強調する方法は、「戦略的本質主義」でもないし、「される側」の政治家の本質主義的言説とも異なる。それは、差異性を強調しながら、あるいは異文化性を認め文化の多様性を強調しながら、文化の境界を確定的に捉えない方法である。つまり、二つのカテゴリーがあってその境界が曖昧だからと言って、ボーダレス論でのように二つのカテゴリーの融合と捉えるのではなく、周縁部が曖昧になっていても典型の部分では二つのカテゴリーの差異はあり得るという立場である(吉岡
2000:28-31)。差異性の強調を本質主義のレッテルを貼ることで封殺してはいけない。そろそろ、従来の人類学の「逆」ではなく、その線に沿いながらも「別の角度」からのアプローチに切り替える必要があるのだ。我々は、「文化の政治学」を乗り越える道を探らねばならないのである。
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