マスメディアにおける「未開」の演出

ーフジテレビ「ワレワレハ地球人ダ」を巡ってー

(研究会「日本のマスメディアにおける文化表象」第1回目 2001年10月12日 民博にて)

1 ヴァヌアツと日本のテレビ

  ○ヴァヌアツ概要

●人口19万人、首都ポートヴィラ2万人、1980年独立
 ほとんどキリスト教徒、若干の非キリスト教徒:ブンラプ、タンナ、ビッグナンバス
●共通語としてのピジン語:ほぼどこでも通じる

  ○「裸」の人々を求めるテレビ

●「交換家族」、「ウルルン滞在記」

2 番組内のコーナー「ジャングルクエスト」の第1話から第3話

●番組では、ヴァヌアツ共和国のポートヴィラにあるコーディネーターの事務所から報告 を受け、宣教師を探すべくディレクターが現地に赴くという形で始まっている。
●事務所:South Pacific Tours 場所の提供だけ。South Pacific Tours であることが分らないようにするという条件で、貸す。
●スフィンクスという制作会社

(第1話)レパ島で、弓矢や槍を持った原住民と遭遇

●第1回目の放送は、ヴァヌアツのレパ島に宣教師の手がかりがあるのではないか、とい う情報に基づき、ディレクターとヴァヌアツ人案内人、それに日本人の通訳がその島に 向かうが、そこでは、槍と斧などをもった裸の原住民集団が忽然と現れ、ディレクター 一行を襲わんばかりに取り囲む場面が放映される。

着目点
1)各地の映像が混合されている。ニューギニアのものなど。
2)オランダ人の母への手紙が英語で書かれている。
3)「原住民」のペニス・ラッパーがまちまちである。
4)「原住民」は現地語で話しているのに、ヴァヌアツ人通訳はピジンで話している。

(第2話)レパ島におけるディレクターの試練、失敗

●第2回の放送では、原住民の村に入って宣教師の行方を聞こうと思うが、村に入るためには崖から飛び降りて勇気を示さねばならないと言われ、ディレクターはそれを断念するという話しが展開される。

着目点
1)日本人通訳は、ポートヴィラ在住の日本人(O氏)で、確か英語しか話せない。
2)ヴァヌアツ人通訳はピジンで、「原住民」は現地語で会話。

(第3話)マルベ島での襲撃

●弓と槍を持った裸の原住民達が彼らを襲い、弓がボートに飛んでくる場面が放送される。

着目点
1)コーディネーターは、新たな島の情報としてペンテコスト島を示しているが、デ ィレクター達の行動を示す地図では、全く別の方角になっている。
2)ヴァヌアツ人通訳も「原住民」も、現地語で会話する。
3)挿入されるニュースフィルムのいい加減さ。かつてこの島に来た、と明言してい る点の問題。

●次回の予告では、「つい最近まで首狩族だった」ネプ島の原住民のところに出かけ、裸 の原住民に囲まれる場面が映し出された。
●この段階で、フジテレビに抗議をすることになった。
●抗議の内容は以下のとおりである。

3 抗議内容と、担当プロデューサーとのやり取り

  ○抗議内容

  1.ヴァヌアツ共和国で、今時、「裸の原住民」が弓や槍をもって襲ってくることはありえない。
  2.ヴァヌアツでは12年前にオランダ人宣教師が行方不明になっていない。
  3.「最近まで首狩をしていた」ところはない。
  4.「やらせ」を現実であるかのように映し出すのは、やめるべきである。
  5.「これまでの放送はフィクションでした」という「断り」を入れるべきだ。

●このまま放送を続ければ、ヴァヌアツから文句が来て、国際問題になると指摘。
●フジテレビ側は、それに関する検討をする、ということで、第4回目の放送の2日前に担当プロデューサーから連絡があり、以下の4点が提案された。

  ○プロデューサーの回答

  1.とりあえず、放送は第4回目の放送でひとまず終わる。
  2,.今後継続してやっていくが、ヴァヌアツ共和国という特定の名称はやめ、南の島という言い方にする。
  3.原住民はやめて、先住民とする。
  4.ジャングルクエストのコーナーでは、「これはストーリーです」というナレーションなどを入れる。

○プロデューサー側の論理

●プロデューサー側は、もちろん、「ジャングルクエスト」の放送内容が現実のものではないことを認めており、それはいわゆる「やらせ」にあたることは承知している。
●「これまでの放送はフィクションでした」と断りを入れるべき、というこちら側の主張と、プロデユーサー側の「ストーリーです」ということを挿入するという主張が平行線 をたどったまま話し合いは終わった。

  1.宣教師は、ヴァヌアツではなくパプアニューギニアにいる。
  2.話は、心温まる方向へと展開していくのであり、その後の話の展開とのギャップを作るために、ああいう演出をした。確かにやりすぎだった。
3.槍をもって襲ってくるという今までの日本人の未開人イメージを、今までの放送 でやったのだ。
4.決して南太平洋やヴァヌアツを愚弄する意図はなく、基本的に、南太平洋の人々を主役にしたような放送をしたい。放送はこれから変わっていくので、そのへんを 見てほしい。
5.あれは物語として受け取ってほしかった。専門家の方にも、ばかなことをやっていると笑ってもらえることを想定していた。
6.ドキュメンタリーではなくバラエティとしてみてもらいたかった。
7.ニカウ主演のブッシュマンという映画は、それだけ見ると彼らを侮辱したような映画だが、映画としてとおっている。そうしたものを作りたい。

●プロデューサーが『ブッシュマン』の例を出したため、「心温まる」というのは、もっ とメッセージ性を持ったものになるのだろうと私は考えていた。
●そこで、話し合いの中で、『今までの放送は、日本人が一般に持っている未開というイメージにもとづいて作成したものですが、事実はことなります。それはこれからの放送 を見てください』というナレーションを入れたらどうか、という提案をした。
●そのまま話し合いが終わる。
●しかし、第4回の放送を見て、この提案が無意味だったことが分かった。

4 話し合い後の番組:第4話〜6話の中身

  ○以前との変更点

  1.ヴァヌアツ共和国の地図を用いる点は変わりなかったが、そこから国名と地名は削除されていた。また、ナレーションでもヴァヌアツという名前は出てこなかった。
2.原住民は先住民に変更。
3.コーナーの始まる前には、「これは少年の心を持った大人に送るドリームストーリーです」というテロップとナレーションが入ることになった。

○以前からの継続点

第1回目の放送からのダイジェストは放送された。つまり、「裸のメラネシア人が弓と槍で襲う」という場面は繰り返し放送されることになった。

(第4話) 少女の恋にお節介を焼くディレクター

●「元首狩族」の村落の人々と仲良くなったディレクターが、村の少女の恋の仲立ちをするという、内容の物語。

着目点
1)首狩り族ということで、挿入される映像は、デタラメ。太平洋ではないモノも用いられている。
2)ヴァヌアツ人通訳と「先住民」の会話は現地語で。
3)少女は、バナナの葉で作った上着を身につけている。
4)少女が投げキスをする。

●メッセージ性も何もなく、また、南太平洋の人を主人公とするわけでもなく、日本人ディレクターを「いい者」に仕立てる内容。
●「ドリームストーリー」というテロップが入っても、司会やスタジオにいる観客の反応などから、やはり、「真実らしく」伝えようとする局側の姿勢は変わっていないことが 分かる。
●「番組がバラエティである」という点を以前より強調するような場面も見られた。
●さらに、これでこのコーナーが打ち切りになると思ったので、一応収束の方向でいいだろうと考えた。
●フジテレビ内部では、太平洋関係の団体、国から文句がないか徹底的に調べた。
●その結果、なにもないということが判明した。
●しばらくの空白を置いて、「ジャングルクエスト」が再び2週連続で放映されたのである。

(第5話)先住民が盗みを働く。その後ヴァヌアツ人通訳の父を訪ねる。

●再開された第5回目の放送では、第1回目からのダイジェストが長々と繰り返し放送され、「裸の未開人」「文明人を弓や槍で襲う未開人」というイメージをもたらす映像が、 相変わらず登場した。
●そして、今回話しの中心は、裸の未開人がディレクター達の持ってきた荷物を闇にまぎれて盗み取るというものであった。
●しかし、先住民の親が子供に食料を与えている姿を見て、ヴァヌアツ人通訳(この場合、 ヴァヌアツ共和国ポートヴィラ出身と明言されていた)が幼い頃に分かれた父親を恋し く思い、思い悩んでいるのを、ディレクターが人肌脱いで、会いにいくということで放 送が終わった。

着目点
1)ヴァヌアツ人通訳の父の島では、ピジンでの会話
2)プロデューサー側の「心温まる話とのギャップのために未開を演出する映像を出    した」という主張と、「文明人の荷物を盗む未開人」イメージを描くことのギャ    ップ。
  3)「心温まる話」というのも、結局は、「野蛮人を許す日本人ディレクター」という    構図から出来上がっていること。

●「太平洋の人を主人公にした物語を作りたい」というプロデューサーの主張とはほど遠 い内容の放送が、再開された
●悪く取れば、国名を特定していないから、ストーリーだと断りを入れているから、たとえ「やらせ」を「本当らしく」放送しても、抗議や苦情は来ないだろうと思っているか のように思えてしまう。

  (第6話)「立ち入り禁止」を破ったディレクターの処罰をある先住民が助ける

  着目点
  1)「ジャングルに一歩足を踏み入れればそこは戦場!」「元首狩族の襲撃」「弓矢の総攻撃」というテロップとナレーションが出た後、「生きて帰れるのか?」と問いかけ、第1回目からの「未開人の演出」映像がダイジェストで流れる。
  2)ディレクターが悪者になり、先住民が「救済者」となる。
  3)最後に、宣教師の手がかりはパプアニューギニアにあることを告げて、終わる。

●これが心温まる物語?
●この設定とのギャップをつくるために「未開人像」を演出していたのであろうか?
●また、最後に「次はパプアニューギニアだ」となぜ実名を入れたのだろう。これが「ストーリー」であるならば、実在する国名、地名を入れることは出来ない。

5 バラエティ番組における「ドラマ」と「やらせ」

  ○タレントを使った「やらせ」と素人を使った「やらせ」

●普通のドラマでは最後に「これはフィクションです」という断り書きが入るが、バラエティ番組で演じられるドラマの場合は、そうした断り書きが入らない。
●バラエティ番組は、最初から「バラエティだから嘘だ」という目で見てもらえるという前提があるのだろうか。
●視聴者に良く知られたタレント達が、「いかもに本当らしく演技して、それが現実に起こっている出来事であるかのように見せる」場面はしばしば登場する。それは、どうや ら許されているようだ。
●では、素人がそれをやった場合はどうだろうか?
●ここが微妙なところなのだろうが、視聴者は「やらせだろう」と思いながらそれを見ることもしばしばある。しかし、もしそれが正式に「やらせ」であることが発覚した場合 は、いかにバラエティでも、正当性を主張できないのが現在の状況だろう。 

○メラネシア人を使った「やらせ」 

●ヴァヌアツの人々は、ダンスの合間に寸劇を入れて楽しむという伝統を持っている。
●その寸劇の内容は多様で、場合によっては寸劇の域を越えた長いものもある。
●彼らの演技は迫真の演技であり、ヴァヌアツの人々を知っている者が「ジャングルクエスト」を見れば、「いい演技をしている」ということが非常に良く分かる。
●彼らの演技に支えられて、番組は、それがいかにも現実に起こっているかのように描いてきたわけだ。
●「ジャングルクエスト」で問題となるのは、「やらせ」で演技をしているのはヴァヌアツ人(メラネシア人)であるということである。
●ヴァヌアツの人々は、西洋世界から「未開人」というレッテルを貼られてきた人々なのである。日本でも、そのイメージは根強い。
●第1回目の放送は、衝撃的だった。、一人の「未開人」が石斧を振りかざして現れ、それに続いて、大勢の「未開人」が茂みから姿を現したのだ。この場面で、「未開人」の 登場が衝撃的だったわけではない。
●私にとって衝撃だったのは、その場面を見た司会者や会場の観客が、恐怖の声を上げ、本当に驚いているありさまだったのだ。この「やらせ」が「現実」に写ってしまうとい う点が、衝撃だったのだ。
●本当のように見える「素 人」の演技は、「ありそうな現実の覗き見」という錯覚を与える。
●本当のように見える「未開人」の演技→「今だにあんな未開人がいた」という、虚構に満ちた現実を創り出す。
●つまり、うその情報を与えて、一面的な思い込みを「やっぱり本当だったのだ」と思わせるということなのである。マスメディアだからこそ出来ることであるが、だからこそ、 罪悪でもあるのである。
●「まさか」という疑いと「ひょっとして」という気持ちの揺れを巧みに利用したバラエティ番組の中で、「未開」が演出されている。
●現在の日本人の素人に、江戸時代の格好と、その当時の生活を再現させて、「異人を攻撃し」「異人の荷物を盗ませる」演技をさせ、それをいかにも現在の日本で起こってい る出来事であるかのようにヴァヌアツのテレビ局が放送したら、どうだろうか?

6 「未開」と「発展途上」:共通の論理

  ○進化主義的発展論

●いずれは「文明」「先進国」になるが、今は、「未開」「発展途上」の段階にとどまっている。
●「未開」「発展途上」は、我々が過去に通ってきた道筋。

○「ニューギニアの奥地で裸で暮らす人々は、自然と共生し、我々が失ってしまった人間らしさを、むしろ持っている」という言説のまやかし。

●これは、「彼ら」は「未開人」と言っていることと同じだということの指摘の必要。
●「未開」を「やらせ」で作りだし、それをバカにしたようなメッセージ VS 「未開」を逆に「楽園」のように仕上げるメッセージ

  ○「文明」の対極としての「未開」
     未開は、文明の恩恵に浴さないと考えられると、「おぞましさ」「馬鹿さ」「滑稽さ」が強調して描かれる。
     未開は、文明の害毒にそまっていないと考えられた場合、「純粋」「人間らしさ」などが強調して描かれる。
  ○自文化中心主義:無意識のうちに自分の文化的フィルターを通して見てしまう。

●自文化中心主義的ではない描き方の模索
●「秘境観光」との関連で
     ●「ジャングルクエスト」ではヴァヌアツの人々は恐らくお金をもらって演技をしている。
     ●秘境観光においても、人々の側の「未開」の演出が収入源となる。
     ●そうした状況を踏まえた上でも、「未開」の演出を容認することは、進化主義的な未開観をほっておくことになる。
     ●人類学は、その世界の見方を突き崩さねばならない。
     ●自文化中心主義批判が批判されている現在、もう一度自文化中心主義批判を叫ぶ必要がある。
 
●ホームページ上での公開