阪神淡路大震災の3年後に、大学の教職員組合が震災手記を集めた小冊子を作りました。その時に私も自分の体験を書いたのですが、その一部がつい先日もう一度印刷されました。それで私も自分の書いたものを久しぶりに読みました。
時の経過とともに記憶があやふやになっていきます。それを少しでも防ぐため、手記の全文をここに載せておくことにしました。
阪神淡路大震災の3年後に、大学の教職員組合が震災手記を集めた小冊子を作りました。その時に私も自分の体験を書いたのですが、その一部がつい先日もう一度印刷されました。それで私も自分の書いたものを久しぶりに読みました。
時の経過とともに記憶があやふやになっていきます。それを少しでも防ぐため、手記の全文をここに載せておくことにしました。
大学時代の懐かしいクラスメートからメールがきました。それで、一気に大学生の頃の思い出がよみがえりました。
最初は胸躍らせて始めたフランス語でしたが、煩雑な文法や、少し退屈な授業にうんざりしていました。でも、なんとか流暢にしゃべれるようになりたい(大学の授業でいちばん欠けているのは会話訓練)と、語学学校にせっせと通いました。そちらのほうが面白くて、大学の授業がますますつまらなく感じられていた頃、そのクラスメートがぼそっと「フランス語がぺらぺらしゃべれるようになっても、言うことが何もないんじゃねえ・・・」。それで、私もはっと気付きました。そのとおりです、いくら外国語を流暢に話す訓練をしても、話す内容がないのでは問題外です。それからは語学以外の勉強も熱心にやるようになりました。
日本の大学を卒業後、フランスの大学に留学しました。今度は「いくら高尚なことをやっていても、普通の会話がまともにできないのでは、単なるバカと思われるだけ」という現実でありました。上記のクラスメートの意見とは正反対の体験でした。そこで私はもうプライドを捨てて、子どものようにつたない言葉ではあっても、ひたすら自分の意見を言い、相手の言葉を理解しようとしたものでした。
そして、現在。私の会話力も専門知識もどうも中途半端に思えます。すべてにおいて満足のいくようにやるというのは本当に難しいですね。人生の時間は無限にあるわけではないので、どこかで見極めをつけて、捨てるものと続けるものを決めていくべきなのでしょう。