近況:一覧

忠義ではなく

先日、上京したおりに少し時間があったので、前から気になっていたハチ公像を見に行きました。渋谷駅前のハチ公は昔から有名で、私も東京に住んでいた頃は何度もそこで待ち合わせをしました。g2x2da0rlyny.jpegあまりに待ち合わせの人が多いので、「ハチ公のシッポのところ」とか「ハチ公の顔の前」とか指定しないと会うのが難しかったものでした。今回見に行ったのは渋谷ではなく、東京大学農学部キャンパスの中、正門のすぐ近くに建っているハチ公と主人(農学部教授だった)の再会シーンです。ふたりの嬉しそうな顔が本当に印象的で、「忠犬」ハチ公の像ではなく、愛する者同士の再会(?)の像であるのがわかって良かったです。

ドーデの風車小屋

 フランスに行ってきました。リヨンとアヴィニョン近くのサン・シフレという所に滞在しました。今回は19世紀フランス文学の専門家である知人の案内で、プロヴァンス地方のアルフォンス・ドーデの風車小屋にも行ってきました。ドーデは日本でも有名(だった?)で、私も子どもの頃『風車小屋便り』や『最後の授業』を読んでいたので、知人夫妻とドーデの作品の話でおおいに盛り上がりました。『最後の授業』は19世紀後半に普仏戦争に敗れたフランスが、北部のアルザス・ロレーヌをドイツに割譲せざるを得なくなり、「今日が最後のフランス語(つまり国語)の授業だ」という日の学校の先生と子どもたちの話です。フランスはもちろん日本でもかつては非常に有名でしたが、この物語の底にあるかなりあからさまな国家主義イデオロギーのせいで、今日ではあまり読まれなくなった作品です。南仏を舞台にした『風車小屋便り』のほうも今は昔ほど読まれていませんが、私にとっては懐かしい作品です。ついにそのドーデの風車小屋に行けたので、写真も撮ってきました。Huusha.jpg

ほんの少しの手間ひまで

 ほんのちょっと手を入れることでずいぶん良くなるものはたくさんあるのですが、今まであまりに忙しくてそれができなかったものがあります。たとえば、フランス語でメールを送るときに、メールソフトのどこをいじってもアクセント記号をつけることができず、アクセント記号なしの読みにくい文章になっていました。先日ついに耐えきれなくなって、物知りの人に尋ねました。彼の指導にしたがってコンピュータの設定をすると、ちゃんとカナダのフランス語のキーボード(フランスのものより使いやすい)に切り替えることができるようになりました。うれしかったです。ほんの少しの手間ひまだったのですが、それを惜しんで長いあいだ不便な思いをしていたのですね・・・。
 きのう大学近くの坂道を歩いていたら前方から上ってくる学生数人がいて、その後ろから宅配便の自動車がやってきました。道に広がっていた学生たちは片側によけたのですが、ひとりだけどうしてもどかない男子学生がいました。自動車が遠慮がちに警笛を鳴らしたのですが、そのまま歩いています。しばらくして道幅が広いところに出てやっと自動車が脇を通り抜けて行きました。そのときに私は彼と行き違ったのですが、なんと彼は耳にイヤホンをつけてスマホにつないでいたのです。多分警笛がきこえなかったのでしょう。本当に危険だなと思いました。
 このときに思い出した映画がありました。音楽をこよなく愛する殺し屋、「人生にはバックグランドミュージックが必要だ」と言って常にイヤホンで音楽を聴いている彼による凄惨な殺戮シーンで、まったく「場違いな」美しい音楽が流れていたのが強烈に印象に残っています。また、視覚と音楽の関わりでいうと、ずいぶん前ですが、冬のフランスの平野を突き切る列車の車窓から、延々と続く風景を眺めているとき、カセットテープから流れてきた石川さゆりの歌(ファンでもないのに、なぜそんなものを持っていたのか理由を忘れましたが)が意外に合うのに驚いたことを思い出しました。

時間規制があると

ゴールデンウィークが終わりました。前半は帰省、後半は自宅で仕事をしました。でも、自宅で仕事をすると、ついいろいろなものに眼が移り、そのうえ、際限なくインターネットのニュースなどを見たりしてしまいます。大学に来なければならない日は、駅から30分ほど坂道を歩き、仕事もチャイムに合わせてメリハリがつきます。時間の規制があるこのような職場環境は深く考えなければならない研究には向きませんが、ルーティーンワークをこなすには向いているとしみじみ思い、定年後はどうしようかと考えてしまいます。「毎日が日曜日」だと家から出ずにグダグダするだけかも・・・。

桜の新学期

 新学期がはじまります。桜が咲き始め、うららかな良い日です。希望に眼を輝かせて歩いている新入生を見ると私までうきうきして、ずいぶん昔、自分もそうだったことを思い出してしまいます。今の職場で迎える春がもう数回しかないことを考えると、なんだかこの時間が愛おしいような・・・。でもいったん授業が始まると、最初の週はめちゃくちゃ忙しくなることはわかっているのです。その前のつかの間の平穏?

自主的な缶詰?

 いろいろな事務的仕事に追われて、春休みだというのに研究がなかなかはかどりません。そこで、最後の手段ということで、お山の上のホテルに「自主缶詰」に行くことにしました。景色はきれいだけれど、周りに飲食店やお店などが何もないところで、部屋にはテレビはあるがインターネットはない(つながない)というところだと、他にすることがないので原稿が書けます。ここまでしないと研究に頭を切り替えられないというのも問題だとは思いますが、仕方がないのです。

年の初めに考えたこと

昨年の末から今年の初めにかけて家族の入院で、ばたばたしました。クリスマスもお正月もほとんど関係ない年でした。これから年齢を重ねていくにつれてこういう年末が増えていくのかもしれません。それでしみじみ思うのは、何にでもその「時」があるということ、その時その時を大事にして味わっていくべきだということです。今年はどんな年になるかわかりませんが、今生きているこの時は二度とないのだと考えて大切にしたいと思っています。

引っ越したい

 先日急に引っ越しをしたくなりました。17年以上住んでいる今のマンションが古くなってあちこちが痛んでいるうえ、モノがあふれているのに我慢できなくなったのです。経済的な点から、今払っている家賃以上に高い所は無理、そして今と同じくらい便利な所となると、現在のマンションよりも狭い所にならざるを得ません。というわけで、とにかく使わない物を捨てなくてはと考えたのですが、そこでつまずきました。大きな不要物が捨てられないのです。市にお金を払って粗大ゴミシールを買うのはいいのですが、マンションの外にある粗大ゴミ置き場に朝早くひとりで持っていくのは不可能です。次に、本。もうあまり読まないものはスペースのある実家に送ることにしました。でも、レコード(プレーヤーはもうないのですが)はどうしよう? 愛着があって、ゴミとして捨てることはできません。ネットで調べて、近くのレコード買い取り店に電話してみましたが、誰も出ません(連絡はメールのみということらしい)。そんな様々な小さな不都合が重なって、結局1週間ほどで引っ越し計画はしぼんでしまいました。今から数年後、定年になる前の夏休みぐらいに引っ越したいものです・・・。

パリでの観察

 先日フランスに行ってきました。パリではモンパルナス駅近くのホテルに1週間ほど滞在しました。今回もですが、街で見かける物乞いが気になりました。ホテル近くにはいつも同じ顔触れの数人がいて、縄張りがきまっているようでした。朝早く散歩していたとき、ロマ(?)の若い女性の物乞いが「出勤」してくるのを見ました。また、地下鉄出入り口の所の現金引き出し機のそばにいつもいて、通りすがりの人々にあわれっぽい声を出している青年が結構元気そうに小銭を数えている場面も目にしました。道行く人はほとんど知らんぷりですが、ある程度の定収入があるのでしょうか。そうかと思うと、高齢の男性が「空腹です(J'ai faim.)」と書いた紙を持って地下鉄駅に続く階段に座っているのにも出会いました。こちらにはお金を置いていく人も少し見かけました。日本ではほとんどありえない数の物乞いたち(日本ではおそらく警察などがすぐ来ると思います)と「普通の」市民が共存する社会、やはり日本とフランスの人々のメンタリティの違いが表れているのでしょうか。

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