ニーダムを考える
(文化人類学会関東地区研究懇談会:於首都大学東京 2005,4,23)
吉岡政徳
1 規定的縁組論----------------------------------------------------------------
1−1 「循環婚」と全体的構造
○全体的構造の追求:社会的分類構造と象徴的分類構造の一致
○二つの構造の分離=別々に独立した形での研究のスタート
○象徴的分類については、象徴的二元論として→アフリカ社会研究
○社会的分類構造としては規定的交差イトコ婚の研究として。集団間での現実の
縁組と関係名称による分類との一致などを研究。
1−2 1962『構造と感情』
◎プルム社会の分析
○関係名称の各カテゴリーが図のように配列され、自己のラインを中心に、いく
つかのカテゴリーはWTのラインに、いくつかのカテゴリーはWGのラインに
対応するように配列される。
○実際に行われている縁組では、いくつかの集団は常に自己の集団に女性を妻と
して与え、幾つかの集団は、常に自己の集団から女性を妻としてもらっていく。
実際におこなわれる縁組でも、自己の集団を中心としてWTとWGにわかれる。
◎ホーマンズとシュナイダー「交差イトコ婚と系譜」に対して
○社会現象が心理学的現実によって直接説明されるときはいつでも、その説明は
間違っている・・・デュルケーム
◎レヴィ=ストロース『親族の基本構造』に対して
○レヴィ=ストロースの理論は、規定婚に対してだけ有効である。
○「規定=prescription」と「優先=preference」の厳格な違い
1−3 系譜とカテゴリー
○「規定的縁組研究の焦点はカテゴリー観念である」(1964)
○規定的縁組論 = 関係名称における人々の分類体系研究 = ライン、
symmetry, asymmetry などの基準によって組み立てられている。
○詳細な個別社会研究の実践と規定的縁組の比較研究
1−4 象徴的二元論
○人間精神のある傾向、つまり、一次的要因への関心(1973 Right and Left)
2 人類学的概念批判----------------------------------------------------
2−1 通文化的方法批判
○関係名称体系は内的な構造を持っている→ 関係名称を全体として理解される
体系である。
○「個別社会の関係名称は全体として理解されねばならないのに、イトコ名称・
・・だけを抽出する論理的必然性は何もない」(長島 1977)
○マードック流のタイポロジーへの批判
○安直な比較をするよりも、詳細な個別社会研究を。
○人類学的概念を適用するのではなく、個別社会の事例から考える。
→父系、母系など
→人類学的概念があるので、それを安易に適用することで比較を行う(通文化
的比較)のではなく、個別社会の独自のあり方を詳細に検証して、そこから
概念を構成することの必要性。
2−2 科学的定義への批判
○オマハ型の親族名称というのは、オマハ・インディアンにしか見出せない。
○人類学で当たり前のようにして用いられている概念、親族、婚姻、出自、など
は、共通のものを指すわけではない。
○ヴィットゲンシュタインの言う「家族的類似」への依拠
「一つの家族内では、構成員すべてに共通した特徴があるというより、彼らの
間で体つき、顔の特徴、眼の色、歩き方などの様々な類似性が互いに重なり
合い交差している」(『哲学的探求』70)
3 比較の視点--------------------------------------------------------------
3−1 単配列と多配列
(以下の左の数字は資料にあるニーダムの著作の出版年と資料にある引用文番号を指す→
資料)
1974-1 クラスに共通の特性があるという考えが最も大きな過ちである。
○ヴィットゲンシュタインの「家族的類似」概念
1975-1 Sokal and Sneath :単配列グループとは、共通の特徴を持つことで定義される。
多配列グループは最大多数の共有特性を持つ。
1975-2 Lockhart and Hartman: 多配列グループは相互に排他的ではない。
1975-3 Mayr:多配列グループは、大半の共有特性を持つ。
1979-2 アダンソンの考え方:共通の特性を持たない標本も、特性の多くを共有し
ていれば、そのクラスにまとめてかまわない。
○自然科学における単配列と多配列
二つの特徴 1 標本の特性は、研究者が決定する
2 共通する特性だけに着目するのではなく、特性の多数の共
有にも着目して分類することで、研究者が多配列クラスを
作り出す。
1979-1 単配列と特性の共有
1981-1 単配列クラスと最低ひとつの特性の共有
1981-2 単配列クラスでは置換の原理が適用される。
○自然科学における分類では
1 a,b,c,dという特性を持っているものを一つのクラスXとして分類したり、
e,f という特性を持っているものを一つのクラスYにまとめたり、g とい
う特性を持っているものをZとしてまとめたりする。
2 それゆえ、最低ひとつの特性を共有していることが必要。
Xの場合は ある標本はabcd という特性を持っており、Xとして分類さ
れる他の標本も同じ特性を全部持っている。
Zの場合は、ある標本はgという特性を持っており、同じZの他の標本もg
という特性を持っている。
1979-3 大多数の共有
1981-3 共通する基本特性がひとつもないクラスが多配列クラス。
1981-4 多配列クラスにおける特性は、個別的特性であり、クラスの本質的なものでは
ない。
1981-5 多配列クラスでは置換の原理が適用できない。
○自然科学における分類で考えれば
1 図の多配列クラスでは、各標本はABCDという4つの特性の大多数であ
る3つの特性をそれぞれ持っているが、これらの標本に共通する特性はな
2 それぞれの特性は、クラスの本質的なものではない。
3 標本1が分かったからといって、標本2と置き換えることは出来ない。
1975-4 ラベルは単配列なのに現実は多配列。
1981-6 人類学的用語は単配列的。社会的事実は多配列的。それゆえ、人類学的概念は
価値がない。
○人類学における単配列と多配列
1 研究者の側が特性を決めるのでもないし、
2 研究者の側がクラスを作り出すのでもない。
○科学的概念、ラベル=単配列 これらは研究者の側が作り出す。
○現実社会=多配列 これらは研究者の側が作り出さない。
◎自然科学における多配列概念とヴィットゲンシュタインの家族的類似概念のズレ
1 特性
○自然科学では多配列クラスの特性を研究者の側が決めるが、人類学では現実社
会から抽出してくるかのように論じられる。
○その結果、図に描かれている多配列クラスでは、現実社会で何を指すのか明確
なイメージを描くことが難しくなる。
○人類学で用いる多配列クラス:日常で用いられる言語ラベルによってまとめら
れるクラスに含まれる個体の特性を数え上げ、共通のものはないからこのクラ
スは多配列であると論じる。
○そのように特性を数え上げていくと、「醜いアヒルの子の定理」=特性の数が
増えれば増えるほど、どんなに異なった二つの個体も類似していく=が適用さ
れることになる。
○自然科学的な「特性」を人類学に適用することの間違い。また、大多数の特性
を共有する、という説明も無意味なものとなる。
2 類似
○現実における多配列クラスを図のように理解するのは難しい。
○それぞれの個体が「共通の規定」によってまとまるのではなく「類似」によっ
てまとまる、という点だけがニーダムにとっては問題。
・参考:(The Blue and Brown Books ,p25,27)「我々は、自分が使用する諸概念を
明確に定義でいないのである。それは、我々がそれらの真の定義を知らないから
ではなく、それらには真の「定義」がないから、なのである」。「要するに、多
くの語は本来漠然としているのである」
・参考:(Zettel 節438)「科学においては、精密な測定を許す現象を或る表現
の定義基準とするのが、通例である。そして人はその時、今や本来の意味が発見
せられたのだ、と思いがちである。こうして、無数の混乱が生じているのであ
る」
・参考:(『論理哲学論考』節69)「それでは、ゲームとは何であるかを誰かに
説明するにはどうするか。思うに、われわれはかれにいろいろなゲームを記述し
てみせ、その記述につけ加えて「こうしたもの、および、これに似たものを、ひ
とは<ゲーム>と呼んでいるのだ」と言うことができるだろう。」
○多配列クラス=家族的類似に基づいてできあがるクラス
○その結果、研究方向は、実証的でなくなる
○ニーダムが議論の対象としているのは、一貫して、言語ラベルの曖昧性。
1979-4 象徴的二元論によって生じる左右の欄によるクラスは、対比的類似によって出
来る。
1980-1 象徴的二元論によって生じる左右の欄は、対比的類似によって出来る。
○ニーダムが例にあげているメル族では、「左」「女」「黒」「南」という「左
クラス」に配列されているものが、果たして単一のクラスを構成しているとし
て認識されているのだろうか。
○ここで問題なのは、単一のクラスとして認識されているものにおける構成原理
である。人類学者が創り出したものについてではない。また、もしそれがメル
において認識されているクラスであるとしても、「左」と「女」は似ていて、
「女」と「黒」は似ていて、「黒」と「南」は似ているという、チェーンの輪
を繋ぐ式の連想による連鎖があると考えることも不可能ではない。
1975-4 ラベルは単配列なのに現実は多配列。この問題を解決するのは、形式的概念に
よる比較である。
○ヴィットゲンシュタイン→言語ラベルは曖昧なもの
○単配列的に定義されたラベルではあるが、それによってラベリングされる現実
は多配列的であり、ラベルは曖昧になる。
◎多配列クラスを考え直す必要性
1 「家族的類似」のあり方を実証的に考えていく概念として再考
2 クラスの構成のされ方、あるいは、類似のあり方を示す概念として捉えなおす。
3−2 比較研究のために重要な formality
1972-1 一次的要因を用いると比較研究が出来る。
一次的要因は形式的で直感的なものである。
1974-1 規定的縁組は諸ラインや諸カテゴリーをつなぐ規則性によって見ることが出来
る。比較はそれらによって行われるのであり、具象的なリネージや制度などによ
ってではない。
1974-2 具象化したタイポロジーをあきらめて、抽象化されたものによる比較をする。
1975-5 多配列的概念の存在を気にせずにおけるのは、形式的な用語法においてである。
○形式的概念、formality の重要性
○多配列な現実とは、「家族的類似」に基づくカテゴリー化が行われている現実
実体ではない形式的基準 = 一次的要因
3−3 primary factor 一次的要因
1972-1 すべての文化には一次的要因が見出せるが、belief は一時的要因ではない。
1979-1 一次的要因の存在を指摘(象徴を示すために共通のものが用いられる)
1979-2 〃 (象徴分類において共通のものを用いる)
1981-1 〃 (様々な関係が簡潔にまとまる)
1985-1 〃 (右と火の連関が著しく適切とみなされる)
○きわめて多様な可能性があるにもかかわらず、制度が似ていたり、同じ象徴が
用いられたりすることへの疑問。
○primary factor (一次的要因)への探求は、1960年代から始まっていた。
1974-1 人類意識に本質的な特性、つまり、一次的要因を探る研究方向への提案
1974-2 〃 (親族研究の背後にある人類の心理的特性への洞察)
1978-1 〃 (人類意識に本質的な特性)
1978-2 人間の本質的な特質が何であるのかを当然のこととして吟味してこなかった
1978-4 比較研究における一次的要因の重要性(half man を題材に)
○人類には、何か本質的で普遍的なものがあるという前提で多くの議論が行われ
てきたが、それが難であるのかということをきちんと吟味はしてこなかった。
1978-5 原型の存在の指摘
1980-1 原型と一次的要因
1980-2 原型としての片側人間
1980-3 原型としての片側人間
○archetype はformal で primary
◎原型としての片側人間、多配列クラスとしての片側人間
1 原型として
○ニーダムは「二分割の方法には様々なやり方があるにもかかわらず、片側人間と
いう明確な分割は他の分割形態よりも圧倒的に多く、しかもそれは、単一の原理
から生まれる可能性の一つというよりそれ自体独自の意味をもつ独立した形態で
あると考えられる」(Needham 1980:27)
2 多配列クラスとして
○片側人間は、本来あるべき身体の形の多様な形式(多配列的クラス)での「欠
損」ないし「過剰」として把握し直されるべきである。( 小松『異界を覗く』
p.234-235)
○本来あるべき人間身体の持つ多様な形式の欠損 = 人間身体の持っている様々
な特性のうちの一部の欠損
↓
片側の欠損、上部の欠損、下部の欠損、一部の欠損 → 異常性のあるものすべ
てを含むカテゴリーとなる
↓
しかしそれは、人間というクラスと常に特性を共有している。つまり、こうした
広い意味で設定された片側人間イメージは、人間というクラスの一つの側面に過
ぎないということになる →これは多配列クラス?
○特性の欠損や過剰という考え方は、多様性を生み出すが多配列性を生み出さない。
1978-3 一次的要因とは何か(人類の特質を普遍的に作り上げている力、特質、制約
1981-2 一次的要因とは何か(類似を生み出す要素:relations, forms, classification,
psychology, reason)
1981-3 一次的要因は大脳皮質の属性
1981-4 一次的要因は、必ずしも生理的機能に帰すことは出来ない。
1985-2 一次的要因の5つの特性(mark and character)
◎一次的要因は、共通の特性?
○規定的縁組という概念は単配列クラス。それに基づく比較研究が実施された。
○規定的縁組の比較研究は、明らかに単配列分類に基づくものの比較研究である。
関係名称というものは、単配列的に出来ている数少ないものとして捉えている
と思えるからである。
○規定的縁組論の比較研究によって導き出された一次的要因(親族論の場合は
formal な基準というほうが適切かも)は、しかし、それがあるからと言って規
定的縁組として位置づけることができるような性質のものではない。
↓
symmetry, asymmetry などは規定的縁組の「共通の特性」とはならない。
○こうした formal な基準の組み合わせで、事象を比較することは可能。
○チェーンの輪をつなぐようにして多配列クラスが出来るというのであれば、そ
のつながりを、こうした formal な基準のあり方、組み合わせ方によって考え
ることが出来るかもしれない。
3−4 formal で primary であると想定された概念の吟味
1983-1 opposition は形式的概念、形式的概念をさらに吟味する必要性を強調
1983-2 〃
1983-3 reversal や inversion は単配列クラスではない。→一次的要因ではない
1983-4 当初一次的要因と考えられた alternation は一次的要因ではない。
1987-1 opposition は一次的要因と考えられてきたが、そうではない。
1987-2 belief は明瞭な実態がないが、opposition は逆にそれがありすぎて、曖昧になる。
1987-3 symmetry, asymmetry などは本当の形式的概念だが、opposition は多配列クラス。
○人類に普遍的な概念とは何か、ということの探索。
○ニーダムの研究は、一次的要因とされるものの比較研究をとおして、それを一
次的要因=人類に普遍的に見出せる性向 と認定する作業。
○ニーダムの関心は、あくまでも、formal な基準となる概念の中身、概念を成立
させている何か。
○しかし、比較研究は、それとは別に、formal な基準の組み合わせ方、類似の仕
方を探る方向もある。
→多配列クラスがいかにして成立しているのかを探る。
→「家族的類似」の実証的研究 (ニーダムがやっていない)