「ミクロネシアにおける土地所有体系と出自集団の関係」
有道純子
〈本文要約〉
この論文は人と密接なつながりを持つ土地に着目し、ミクロネシアにおける土地所有体系と出自集団の構成との関わりを論じるものである。また、出自については母系制から父系制へと移行するという説が唱えられてきたが、これが正しいのかどうかを検証する。
まずミクロネシアのサタワル、ヤップ両社会を具体的事例としてとりあげ、土地所有のシステムがどのように機能しているかを分析する。サタワルは母系出自で構成された社会だが、父から子どもに贈られる「贈られた土地」については父系的に相続されているともとれる。またヤップではタビナウと呼ばれる夫方居住婚に基づく拡大家族が土地所有の単位であり、父系相続がとられているが、女性を通じた相続も存在する。また牛島は母−子関係の強調からbilineal
successionであると主張している。こうした母系・父系要素の混在は、元々母系社会だったものが父系社会へと移行する過程の段階であるためという説がある。しかしこの説が本当に正しいのかは疑問である。
そこで、母系制から父系制へと移行するという考えをもった説をメインに、4人の人類学者による代表的な説を取り上げ、検証する。マードックは居住規則の変化によって出自規定も変化するという説をとなえた。この居住規則を変化させる条件とは、父方居住・母方居住の場合、性による分業において男性あるいは女性の役割が重要であることだという。しかし仕事の性質上、女性よりも男性が移動する方がデメリットが大きいため、父方居住がとられやすいという。したがってマードックは、母系社会は父方居住によって父系社会に変化していくと考えた。シュレジアーは母系社会が内蔵する矛盾の自立的調整が、父系制への移行の要因であると考えた。特に妻方居住と母系相続をその矛盾点とし、それが夫方居住、父系相続に変化すると出自も父系に変わるというものである。石川の説はシュレジアーの説を踏襲するものだが、さらに矛盾を顕在化させる契機が必要であることを主張した。そして共同体論の視点から、生産力の上昇による生産主体としての家族の自立性の高まりがその契機になると考えた。グッドイナフは上記の3人と異なり、移行説を唱えていない。彼はマラヨ=ポリネシア社会では非単系出自集団が原初的形態であったが、婚後居住規則については夫方か妻方かを選択でき(両処居住)、それに合わせて子供の所属も決まると考えた。そしてこのような構造は、人口と土地のバランスを保つ必要性から生じたものだという。彼はこうして、マラヨ=ポリネシア社会に父系・母系・非単系と多様な出自集団が存在する理由を説明した。
しかしこれらの諸説には問題点がある。キージングは居住規則と出自が一致しない例が高い割合で存在することを指摘し、居住規則が出自を決定するとは言い切れないとマードックの説を批判した。この点はグッドイナフの説についても同様に批判できる。またグッドイナフの説に対しては、人口増大と土地不足に比例して非単系的帰属が増加していない例があるという批判もある。しかし、移行説は根強く残っている。そこで、サタワル、ヤップの事例に則して移行説が実証されるかを検証する。
サタワルでは「贈られた土地」は一見父系的に相続されているようにみえる。しかしこれは父系出自ではなく父と子の親子関係(filiatiom)に基づく相続である。したがってこれを根拠に父系制へと移行していると言うことはできない。須藤はこの相続様式を「母系のパズル」の打開策、また人口と土地のバランスを保つ制度と考えている。次にヤップについては牛島がタビナウの連続性は父子関係で、血筋は母子関係で受け継がれるのでbilineal
successionであると主張していた。しかし、この血筋の継承は母子の結びつきを表すイデオロギーにすぎず、bilinealの根拠とするには乏しい。この他に相続と地位継承について整理しても、やはりbilineal
successionとは言えない。また牛島はタビナウが萌芽的な父系リネージであるというが、タビナウは出自集団ではなく夫方居住婚に基づく拡大家族である。さらにこれが父系出自集団へと変化する可能性もない。したがって、ヤップ社会も母系制から父系制への移行段階とは言えない。
以上のように事例に照らし合わせて検討した結果、移行説はやはり否定された。よって、ミクロネシア社会を母系制から父系制への移行における中間形態と捉えるべきではない。さらに、「母系社会」「父系社会」という概念自体が曖昧であることや、非常に多様な社会が存在することを考えると、父系か母系かという枠組みで捉えることに無理があると考えられる。そこで、父系・母系という枠組みを排した捉え方として、父系的要素、母系的要素は元来混在しており、その割合の差が多様性を生み出すという考え方を提案する。このような捉え方が、親族集団の理解を推し進める足がかりになると信じるものである。
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目次
T.はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
U.土地所有システムの事例 ・・・・・・・・・・・・・・・・2
1.サタワル社会 2
2.ヤップ社会 4
V.母系社会をめぐる議論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
1.マードックの説 9
2.シュレジアーの説 11
3.石川栄吉の説 12
4.グッドイナフの説 14
5.諸説の問題点 16
W.ヤップ・サタワルにおける移行の可能性・・・・19
1.サタワルの場合 19
2.ヤップの場合 22
X.結論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
引用文献 28
本文要約 30
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.はじめに
土地は多くの人間にとって生活の基盤となるものである。そこに住居を設けたり、そこから食料を得たりと、生活の拠り所としての重要性は高い。それゆえ土地自体が財産とも言える。この論文ではミクロネシアのサタワル島とヤップ島を中心に、土地が人々にとってどのような意味を持ち、どのように結びついているのかを見ていきたい。特に、土地所有体系と出自集団の構成様式との関係を明らかにすることを一つ目の目的とする。なお、ここで取り上げる土地所有体系とは、土地の所有や使用そして相続に関するものである。
まず、何をもって土地所有権があると認められるのかを検証する。そのためには、土地所有のシステムが各社会においてどのように構築されているかを調べる必要がある。オセアニア諸社会では、土地を保有する基本単位は親族集団にある[須藤1984:211]。よって、ミクロネシアにおいても出自集団との関わりを軸に、土地の所有、使用、相続などを、細かく分析していく。
また、ミクロネシア社会ではギルバート諸島を除くほとんどの社会で、母系性の色あいが濃く見られる。しかし母系性の体系や機能の面に関しては、各社会ごとに異なり、多様性を示す[須藤1989b
:141]。例えば、母系出自集団が土地を所有し、使用も相続も母系的に行われる社会もあれば、使用・相続に関しては父系的なラインでも行われる社会もある。さらには土地所有集団自体が父系的に構成されている社会も存在する。したがって、これらすべてを母系制社会と言い切ることには疑問が残る。こうした母系、父系の二つのラインの混在はなぜ起こったのだろうか。それについては人類学者が様々な説を挙げている。ここでは、土地所有に関わる出自観念を基にそれらの諸説を検証する。そして、母系、父系の混在ひいてはミクロネシア社会の多様性について、その理由を追求することを第二の目的とする。
U.土地所有システムの事例
この章では、ミクロネシアのサタワル島、ヤップ島の各社会について、事例を分析する。土地の所有主体、使用形態、相続様式を分析のポイントとして、土地所有体系と出自集団の構成との関連性を論じる。
1.サタワル社会
サタワル社会では、土地所有の基本的単位は母系出自集団である。 サタワル社会は8つのアイナンという母系クランで構成される。クランはさらにエウ・ラー(
yeew raa「木の一本の枝」)と呼ばれる分節集団(リネージ)に分かれる。エウ・ラーは7〜8世代前の女系祖先を共通にする子孫により構成された母系出自集団で、これが土地所有の単位となる。妻方居住様式をとるため、居住集団は母系的拡大家族となる。その成員は2〜3世代の母系出自集団の女性成員とその夫、彼らの子どもと養子達である。拡大家族の成員はプコスと呼ばれる屋敷地に、夫婦単位で家屋を建てて住む[須藤1989b
:145]。
各リネージが保有する土地は大きく二つのカテゴリーに分けられる。一つはラピンファヌ(rapinu
fanu)という、リネージが元来から所有してきた土地(「元来の土地」とする)である。もう一つは、ファンガトファヌー(fangetofanu)という、数世代前からリネージに贈られてきた土地(「贈られた土地」とする)である。土地がリネージ間で贈与されるのは、婚姻、子供の誕生そして養取の機会である[須藤1989b:146]。
まず「元来の土地」についてみてみる。元来の土地はリネージの全成員によって保有され相続される。その配分、利用、管理の権利はリネージの首長にあり、男性成員にはココヤシ林とパンノキ、女性成員にはタロイモ田が割り当てられ、自由に使用できる。しかし、現実には男性成員が自分のリネージの土地を利用することはなく、妻のリネージの共有地を使用して、妻や子ども達の食料を獲得するのである。そしてリネージの男性は、彼の女性キョウダイの夫達が土地を正当に利用しているかを監督する権利がある[須藤1989b:148]。つまり、男性は、婚入先の土地に対しては使用権のみを持つだけで処分する権限はないが、自分の所属するリネージの土地については、婚入してきた男性に対し監督権を持つ。
次に、「贈られた土地」についてみてみる。婚姻関係が成立したり子供が産まれたりすると、夫のリネージは彼の妻や子どもに土地を贈る。この土地は妻のリネージで生活する夫とその子どもに食料を提供するためのものと考えられている。父のリネージから贈与された土地は父親を同じくするキョウダイが共有し、さらに自分の子どもに贈与することができる。つまり、母系的リネージの中には、リネージの元来の土地を共有するのとは別に、同父キョウダイを核とする土地所有の単位が形成されているのである。そして子ども達は、土地を贈ってくれた父親のリネージに対し、特定の機会に食べ物を届けたり、労働力を提供する義務がある。その機会とは、父親のリネージ成員が病気になったり、死亡したり、またそのリネージがカヌー、集会所、家などを建造するときなどである。もし子ども達がこの義務を果たさなかったり、贈与された土地を十分に手入れしなかったりすれば、父親のリネージはその土地を取り返す権利を持っている。つまり、リネージは男性成員の子どもに贈与した土地に対し潜在的な所有権を持っている[須藤1989b:146-148]。
以上のように、サタワルにおいては土地所有の単位は母系出自集団であり、そこに所属することによって共有の土地所有権が与えられる。しかしながら妻方居住制のため婚出した男性は、自分のリネージの土地に所有権を保持していながらも使用せず、婚入してきた姉妹の夫が使用する。一方自身も婚出先、つまり妻のリネージの土地を使用し食物を確保する。これは義務的な要素が強い。また、父のリネージから土地を贈られた子ども達がそのリネージに対し義務を負う。そして、贈った側は土地に対し潜在的な所有権(残存権)を持つ。ここで言えることは、元々自分の所属外であるリネージの土地を使用または所有する場合には、なんらかの義務が付随することである。これは所属するリネージの土地所有権が無条件で与えられることと対照的であると言える。
また、須藤は「元来の土地」と「贈られた土地」に関して、以下のように述べている。これらの土地は、食物資源の利用に関して重要な機能を果たしている。「元来の土地」はリネージ成員の基本的な食物を支給する土地であり、「贈られた土地」はリネージ人口の増減に対応して食物資源を調整するための土地である。つまり、土地の贈与慣行はリネージ人口の増減に対応して土地を融通する制度であるとしている[須藤1989b:149]。
2.ヤップ社会
ヤップ社会における土地所有の単位は、タビナウと呼ばれる家屋敷集団である。タビナウという言葉は、状況によって、屋敷・家屋あるいは家屋敷を構成する人々を指し示す。タビナウは「一つの土地」を意味し、そこに住んでいる人「ギディ・エ・タビナウ=一つの土地の人」は、特定の土地と結びついている人という意味になる。ヤップ社会の基盤は土地であり、「土地に力がある」とされている。個人は屋敷地の相続を通じて、その土地に付与されている特定の特権と職能を受け継ぐ[牛島1987:124、1989a:193]。
タビナウは、夫方居住婚に基づく拡大家族で構成されている。男、その妻、既婚の息子達とその妻達、未婚の息子達と娘達、父系的な孫達がその成員である。そして、最年長の男が土地、動産の管財人であり、成員に土地を割り当てる[牛島1987:126]。タビナウの土地に住み、土地に対する権利を持つものが「一つの土地の人」なのである。これらの土地は一つのセットとして年長の男からその兄弟、ついで息子へと受け継がれる[牛島1989a:193]。
土地の中で、石積みの土台(ダイフ)のある屋敷地が重要である。この石積みの土台には祖霊(サギス)が住んでいると信じられ、可能な限りこの近くに家屋を再建しようとする。タビナウはこの土台の名前で呼ばれ、またこの土台に位階、職能および特権、義務が付属している。人は屋敷を相続・保有することによって、屋敷に付随している土地区画とランク(屋敷はランク付けされている)、職能を受け継ぐ[牛島1989a:193、1987:124-125]。
またタビナウは食料資源保有の単位でもある。土台(ダイフ)には屋敷地の他に、タロイモ田、ヤムイモ畑、漁場、ヤシ林、山の土地区画などが一つのセットとして付属している。この意味でタビナウは一つの財産単位を構成する[牛島1989a:193]。
タビナウへの成員権は、男性の場合、各屋敷に保留されている先祖の名前の一つを命名されることで得られる。各ダイフには特定の名前が所属しており、その名前を付けられることによって、そのダイフに所属している土地への権限が付与される。だが、土地相続はこれだけでは保証されない[牛島1987:129、1989a:193]。土地の相続に関しては、父と子の関係と母と子の関係が、それぞれ重要な役割を果たしているからである。
まず、父と子の関係について、牛島は以下のように説明している。父と息子の関係は「世話の交換」といわれている。子供は父に対して尊敬と従順を示し、奉仕し、老後の世話をする。父親は幼い子供を世話し、指導し、教授する。これが「世話の交換」である。慣習を守り、父親を世話した息子には土地が与えられる。逆に子供が父に対して不従順で慣習を守らない場合は、土地に対する権利は与えられず、時にはタビナウから追放される。たとえ屋敷を相続しても、屋敷に付属している権限や土地に関わる知識などはなく、年長者になってもその発言や行動は尊重されない。このような性質から、牛島は、父と子の関係は絶対的なものではなく、互酬的な関係であると述べている[牛島1989a:193-194、1989b:159-161]。
次に、母と子の関係については以下のように述べられている。各人はタビナウとは別に母系シブ(ガノン)に帰属する。これは母−子関係を基本としている。女性は原則としてはタビナウの土地を相続しない。タビナウへの女性の成員権は居住で決定される。つまり、彼女が生まれたタビナウに居住している間はそこの成員であり、結婚したあとは婚出先のタビナウの成員となる。婚入してきた女性は土地を割り当てられ、その使用権を獲得することになる。このように、男性の土地が自分の生まれたタビナウにあるのに対して、女性の土地は婚出していったタビナウにある。これを「足の処に土地がある」という。さらに女性は行った先で「土地を釣る」ともいう。この表現は、婚出先のタビナウでの土地の使用権を得るだけではなく、最終的に土地を自分の子供のものにすることが女性にとって肝要であることを示している。さて、ヤップでは人が働いて出来たものには「骨」があるという観念がある。労働に対しては労働で報いなければならないとされ、これを「骨を切る」という。タビナウの土地も先祖達が労働して開拓してきたものである。よって、母は子供に土地を獲得させるために、「土地の骨を切ら」ねばならない。具体的には、性的奉仕と土地の耕作、調理などの労働を通じた、夫とそのタビナウへの貢献である。また、子供には、父を尊敬し、従順で、老後の世話をするように教えなければならない[牛島1987:138-140、1989a:194、1989b:164]。
女性は婚出時に、わずかな土地を与えられる。これは娘と実家との結びつきの象徴程度のものである。この土地はいずれ女性の子供、それも息子の財産になる。また女性は婚出後も「母の乳房の土地」と呼ばれる自分の生まれたタビナウとつながりを持っている(なお、牛島は「母の乳房の土地」を「女性のもう一つの土地」と記述しているが、実質的な土地所有権があるわけではない)。ここは彼女の兄弟ないしは兄弟の息子が居住し、守っている。彼女は兄弟の息子から見てマフェンと呼ばれ、マフェンは兄弟の土地を受け継いだ兄弟の子供及びその母に対し、監督者であり保護者でもある。この地位は、彼女の子供、さらに娘の子供へと女系的に継承される。子供達はマフェンを尊敬し、従順でなければならない。もしそうでなければ、マフェンは彼らをそのタビナウから追放することができる。また、儀礼的交換におけるマフェンの役割は重要である。マフェンは、儀礼的交換の際に兄弟の子供達に最も大量に物資を調達してくれ、タビナウの祖霊はマフェンの言うことなら聞いてくれると信じられている。[牛島1989a:194-195、1987:134-136,149]。
女性とタビナウとの関係をまとめると、女性は婚出して、子供を産み、夫の土地を自分の子供のものにする。しかし、そこには夫の姉妹がマフェンとして自己や子供を監督している。他方、自己の生まれたタビナウでは、マフェンとなって他から婚入した女性とその子供を監督する。しかし、土地のことでは干渉しない[牛島1987:150-151]。
土地の相続について、もう少し細かく見ていく。ヤップにおける土地相続は原則的に、父から長男へという様式で行われている。牛島はこの相続原理を「長子制と父系相続のメカニズム」としている[牛島1987:128]。しかしこの原則以外の例もみられ、以下にその例を二、三あげる。一つめは、極端な人口減少の結果生じた事態である。人口減少により、財産が少数の残存者に集中するようになり、親族関係者、あるいは関係のないものへの贈与、女性を通じての相続などのプロセスが用いられるようになった。それによって、元々のタビナウには様々な財産が混入されていて、二つ以上のダイフやその他の土地を所有することはまれではなくなった。これらは一つの単位として、年下の兄弟や年長の息子に相続されたり、あるいは息子達に分与されたりしている[牛島1987:56,129]。二つめは、長男が父の世話を怠ったために土地の相続ができなくなり、別の者に移行した場合である。この者は他の息子でも、関係のない者でも良い。日頃から老人に対して、個人的に食物や日用品を与えて世話をしていた人は、老人の死後その財産の全部または一部を要求する権利がある。この例について牛島は、土地相続では父−息子の関係に重点が置かれてはいるが、この関係は絶対的ではなく、あくまで互酬的なものであることが強調されると述べている[牛島1987:133]。三つめは、男の兄弟がいない場合である。この場合年長の姉妹が生家の土地を相続することがあり、この土地は彼女の息子に受け継がれる。この相続様式は、一つめに取り上げた人口減少の過程ではまれではない。女性は相続はするが、管財人にはなれないので、夫が管財人となりそのダイフの責任を果たす。つまりタビナウに付属している特権と義務を遂行する。しかし夫はこの土地を自由に処理することはできず、息子に継承される。多くの場合、息子に女性の父の名前を付け、慣習に従ってその土地に対する権限は、父→娘→娘の息子と相続されるのである[牛島1987:134-135]。
以上、ヤップ社会の土地の相続様式をまとめて牛島は以下のように述べている。「父から屋敷筋を、母から血筋を継承するので、この様式はbilineal
succession といってよいかも知れない。なお、この点は、ヤップ島周辺のカロリン群島に広く見られる母系クランの残存形態と、夫方居住・父系相続様式による屋敷を基底とする萌芽的な父系リネージとの妥協であると見ることもできよう。」[牛島1987:152]。しかし、ヤップ社会の相続様式をbilineal
succession と位置づけるのはいささか安直なように思われる。また、上記の記述は母系社会が解体し、父系社会へと移行する段階にあるという考えがもとになっている。これに対しここでは、本当に母系社会が父系社会へと変わりつつあるのかということに疑問を呈したい。これらについてはW章で再び取り上げる。
V.母系社会をめぐる議論
U章で述べてきたように、ミクロネシアの諸社会においては、土地所有体系の中に母系と父系の流れが混在しているようにみえる。その説明として、元来ミクロネシア社会は母系出自の体系を基礎としていたものが、父系制へと移行し、その解体過程の形態であるためとする説がある。この章では、その内の代表的な説として、マードック、シュレジアー、石川栄吉の説を紹介する。またグッドイナフの説は母系制から父系制への移行を唱えたものではないが、異なる視点として取り上げる。最後に、それらの説の問題点を指摘することにする。
1.マードックの説
マードックは世界各地にわたる250の社会の事例を統計的に用い、社会構成と変化の法則性を把握しようとした。彼は社会組織の変化の根源は外的因子にあるのではなく、社会構造そのものにあると考えた。その構造上の因子の特徴としては、外部の影響に敏感であり、内部的な再調整を引き起こすものでなければならないとしている。こうした特徴から彼が絞り込んだ社会構造の一側面は居住規則であった。マードックは「外部の影響をとくに受けやすい社会構造のひとつは、居住規則である」と述べているし、また、居住規則の変化は個人の生活環境を著しく変化させるものであり、大がかりな内部的再調整を促すとしている[マードック1986:242-244]。
マードックは親族集団の形態が変化する順序を以下のように説明した。社会が変化し始める時、ふつう必ず居住規則が何らかの環境条件によって変化することから始まる。これによって親族の地域的な配列が変化し、出自規定が変化する。これが社会組織の変化の大まかなプロセスである[マードック1986:39,264]。
それでは、居住規則の変化を促す条件とは何かということであるが、マードックは個々の居住様式についてそれを促した条件を検討している。ここではその中から父方居住と母方居住を取り上げる。父方居住は男性の地位・重要性・影響力を著しく高めるような変化、特に基礎経済の変化によって促されたという。例えば遊牧経済の導入、家畜を使った土地耕作、獲物の豊富な地域での狩猟などである。これらは性的分業において男性の役割を高めるものである。次に考えられるのは男性が動産を蓄積した場合で、これを花嫁代償として妻を引き取ることができるようになるし、また相続は母系から父系へと移行するようになってくるという。他にも戦争、奴隷制、政治的統合も父方居住を促すものとして挙げられている[マードック1986:247-249]。母方居住もまた、性的分業において女性の活動が重要である場合に起こるとされている。ほとんどは狩猟と採集に依存していた社会に農業が導入された場合で、農業はふつう女性の仕事とされているので、女性の経済的貢献度を男性より引き上げることになるという。したがって低次の農耕民族では、母方居住と母系出自が一般化していく。またその他の条件として、先の父方居住の条件の裏返しになるが、動産を持っていないこと、平和だったこと、政治的統合が低水準にあったことが挙げられている[マードック1986:246-247]。
このように父方居住と母方居住についてみる限り、性による分業がそれを促す重要な条件とされている。これに関してマードックは、結婚によって地域社会を変えることが男性女性それぞれにとってどのように違うかについて言及し、母系制から父系制への移行の可能性について説明した。彼は世界中の224部族について両性間の経済活動の配分を調査した。その結果、女性に割り当てられる仕事はほとんどが家の中、もしくは近くでなされ、地域についての詳しい知識を必要としないのに対し、男性の仕事は放牧、漁労、猟など、地域社会とその周辺にある資源の所在について、完全な知識が必要とされる傾向があることが分かった。したがって、結婚による居住の変更によって地域社会を移動しなければならない場合、女性よりも男性にずっと大きなハンディキャップがかかってくるという。なぜなら、今までの知識は無駄になり、新しい環境で知識を蓄えていかねばならないからである。マードックはこの事実から、男性が地域社会を変わるのは好ましくないとし、このため母方居住は制限されると考えている。以上のことからマードックは「地域社会の全体がパトリ・クランへと転向するということが、容易でまたふつうだということである」と結論づけている[マードック1986:255-256]。 したがってマードックは、母系社会は父系社会に移行する傾向があると考えている。しかし、すぐに父方居住・父系出自社会に移行する場合もあるが、オジ方居住を採用して出自は母系のままである場合や、父方居住だが母系は維持され双系出自や二重出自になる場合もあるとしている[マードック1986:252-255]。反対に父系社会から母系社会への移行については、マードックは否定的な見方をしている。というのは、上で述べた性的分業の面から考えると、父系社会に母方居住を導入するのは男性にとってデメリットが大きいからである。よって「父系社会は、その組織までが直接、母系形態に移行することはできない」が、ただし双系という媒介形態を経て母系制になることはあるという考えを示している[マードック1986:259-261]。また彼は二重出自を持つ社会も母系から進化したものと考えている。しかしながらマードックは、すべての経過において母系が先行すると主張しているわけではない。個別的経過における最終の移行が、母系出自から父系または双系の出自への移行であったとしているのである[マードック1986:261]。
2.シュレジアーの説
シュレジアーは、母系社会が内蔵する矛盾の自立的調整が、父系制への移行の要因であると説明した。母系制の体系の中で最も変化しやすい部分は、居住様式と相続権であるとし、この二つの変化が母系制から父系制への移行を引き起こすと仮定した[石川1970:113−114]。
まず居住様式についての説明を取り上げる。母系制社会において、男性は、結婚後といえども自己の出自集団において政治や宗教的儀礼を執行する義務がある。そのため、妻方居住だと故郷と婚入先の間を頻繁に往復せねばならず、それに耐えかねて夫方居住に変わっていくと考えた。これが妻方居住における矛盾とその克服である。 次に相続権についてである。彼は母系相続は人間性に背離すると述べている。というのは、母系相続下では、男の財産は姉妹の息子に相続され、実の息子には相続させることができないからである。シュレジアーはこれを「父の愛とオジの義務」の相克とし、母系相続における矛盾と考えた。母系相続の矛盾は妻方居住の場合にも既に存在するが、夫方居住の傾向が強まると、ますます激化する。夫方居住の場合、子供らは出自をともにし財産を相続すべき母系親族に関心を失い、父の財産に対して利害をともにするようになる。すると規範に反して父系相続が行われ、父が姉妹の息子にではなく、息子に土地を相続させるという事態が起こる[石川1970:114-116]。
またシュレジアーは、居住様式と相続権の変化を相互規定的に捉え、相続権の変化は夫方居住への移行によって刺激され、逆に父系相続が夫方居住のための重要な物質的基礎をなすとしている[石川1970:120]。
シュレジアーは以上のように、妻方居住と母系相続の矛盾を解消しようと居住様式と相続権が変化し、それに基づいて最後に出自の変化が行われ、父系制への移行が遂げられると考えている。
3.石川栄吉の説
石川は以上で述べたシュレジアーの説とほぼ同じ立場であるが、さらに一歩進めた説を展開させている。シュレジアーは母系社会が内包する矛盾を、母系社会から父系社会への移行の要因とした。これに対し石川は、ただその矛盾が存在するだけで調整もしくは克服へと動き始めるのではないと主張している。潜在的な矛盾を顕在化し、激化させるきっかけが必要だというのである。そしてこの矛盾を顕在化・激化させる契機、すなわち父系相続・夫方居住へ踏み切らせる契機を、生産力の上昇による生産主体としての家族の自立性の高まりにあると考えた。つまり、母系出自から父系出自への移行には、夫方居住と父系相続の両者が必要条件で、さらに家族の自立性の高まりが、母系制社会における母系相続・妻方居住婚を父系相続・夫方居住婚に踏み切らせる契機であるという[石川1970:120、牛島1987:23]。ただし、「生産力の上昇による生産主体としての家族の自立性の高まり」がどのように作用するかについては、ここで参考にした『原始共同体』では明らかに説明されていない。よって、これを予想の範囲で以下のように解釈しておく。まず何らかの要因で生産力が上昇すると、それまで出自集団という大人数の労働力が必要だったものが、少人数の労働力でまかなえるようになる。これはすなわち母系出自集団の結びつきを弱め、家族の自立性を高めることになる。これによって父系相続、夫方居住への志向は高まり、母系相続、妻方居住の矛盾が顕在化するということであろう。
石川は共同体論の視点から、土地の相続権と出自規定とは本来一体化したものであると言っている。つまり、父系相続が確立するときには必ず父系出自へ移行すると考えている。というのは、共同体(ここでは単系血縁集団)は生産関係であり、そこでは生産手段、つまり土地の共同体的所有が行われているので、土地はその集団内部で相続されなければならないとの考えからである。このメカニズムは具体的に以下のように説明されている。母系血縁集団では、土地は母系相続される。この母系相続が父系相続に変わることは、母系集団が土地を共有するという共同体的生産関係を崩壊させることになるという。しかしそれは、共同体的生産関係自体の崩壊を意味するわけではなく、生産力が幼弱な場合には、共同体が新しく再編成されるという。この新しい共同体では、土地は父系相続される。したがって、共同体のメンバーシップは、父系出自によって規定されなければならないと石川は考えている[石川1970:123]。
また居住様式については、共同体が機能する上できわめて重要な役割を果たすとしている。仮に父系相続が確立したとしても、妻方居住が持続する限り、共同体としての機能を果たす父系集団は形成されないという。したがって、共同体が機能するためには夫方居住をとらなければならないと石川は述べている。メカニズムとしては、夫方居住を媒介として父系出自が形成されるようでも、本質的には、父系出自の共同体を形成する必要があって、これを実現するために夫方居住が行われるという順序である。このようにして、父系制社会が形成されると考えた[石川1970:123-124]。
以上のように、出自・相続・居住の三規定を共同体論の視点から統一的に把握することによって、母系制から父系制への移行を説明できるというのが、石川の仮説である[石川1970:124]。
4.グッドイナフの説
グッドイナフは上で述べてきた3人の人類学者とは異なり、母系制から父系制への移行を軸に据えていない点で注目できる。彼は太平洋島嶼部のマラヨ=ポリネシア系言語をもつ諸民族(メラネシア人、ミクロネシア人、ポリネシア人)の事例を根拠に、いかにして父系的、母系的、非単系的出自体系が発達してきたかについての解釈を示した。それによると、マラヨ=ポリネシア社会では非単系出自集団が原初的形態であったが、婚後居住規則については夫方か妻方かを選択でき(両処居住)、それに合わせて子供の所属も決まる、つまり成員権は親の性というより親の居住によって決まるとした[グッドイナフ1981:144,150]。この場合、多数の可能性が生じることになる。父方居住に移行した社会では、その集団は自動的に父系となり、カロリン諸島のように母方居住が規則となったところでは、集団は自動的に母系になったとしている。そしてこれらの変化は意識しないほど徐々に生じたという。また彼は、両処居住が続いたか、あるいは単処居住にあまり傾かなかったところでは、親族集団は非単系のままにとどまったとしている[グッドイナフ1981:150]。
ところで、マラヨ=ポリネシア社会はなぜそもそも非単系的で両処居住であったのかという疑問がでてくる。これについてグッドイナフは、人口と土地のバランスを保つ必要性からだとして、以下のように説明している。
彼は、マラヨ=ポリネシア諸社会では、特に親族集団に土地所有権があると述べている。それゆえ、親族集団のサイズ、つまり成員数の変化に応じて、彼らは土地分配の問題に取り組まなければならなかったと想定した。人口の割に土地が少なく、単系親族集団の成員が土地に対する権利をもっているコミュニティでは、深刻な問題がただちに生じるという。単系集団の成員数は必然的にかなり変動する。たとえば、トラック諸島の母系リネージは、一、二世代のうちにメンバーが簡単に二倍になったり半分になったりするという。そうなると、あるリネージでは土地が不足して成員が必要とする量に満たない一方で、別のリネージでは必要な分の二倍も土地があるという事態が起こりうる。これを受けてグッドイナフは、「土地権を所有集団外の人々に分配する装置が発達しなければ、コミュニティ内に紛争が必然的に生じる」と述べている[グッドイナフ1981:154]。
そしてグッドイナフは、その問題を解決する装置の一つが、非単系の親族集団(土地所有集団)であると主張した。この場合、人は複数の集団に帰属することになるので、人員過剰の集団にはあまり期待できないが、現存メンバーの少ない集団からは多くの土地を期待できるという。両処居住はこうした土地と人口のバランス維持に柔軟に対応できる。例えば、もし夫方・妻方の一方の集団に土地が不足し、他方がたくさん持っているならば、夫婦はより多く土地の得られる方を選び、その場合子供は土地の多い方の集団に属すこととなると説明した[グッドイナフ1981:154-155、キージング1982:230]。 グッドイナフは、このような集団の構造は土地分配の諸問題を解決するのに役立ったと述べている。キージングも、「最適資源利用の可能なように、一種の自動制御的なプロセスによる人口再配分が行われているのである」と言っている[キージング1982:230-231]。また、たとえ居住が父方か母方になり、出自集団が父系か母系に変容したとしても、養取を取り入れたり、土地所有体系を調整したり、再び非単系に戻したりすることによって、土地分配の問題を解決してきたと考えた*1。以上のようなメカニズムの変化を経て、「インドネシアやミクロネシアの諸地域に現存するような、複雑で多様性に富んだ社会体系が現出されるに到ったのである」とグッドイナフは述べている[グッドイナフ1981:156-157]。
5.諸説の問題点
ここまで、母系社会を中心にどのようにして出自の体系が確立されるかについて、4人の人類学者による代表的な説を取り上げた。これらの説に対しては、いくつかの問題点が指摘できる。
マードックの解釈は、居住パターンが出自集団を決定することを前提としている。つまり、妻方居住なら母系、夫方居住なら父系の出自集団というようにである。彼によると、単系の出自を生み出す条件は単処居住だけであるという[マードック1986:251]。これについては議論の余地があると言えよう。例えばキージングは以下のように指摘している。夫方居住は世界的に圧倒的な割合を占め、またほとんどの父系出自集団には夫方居住が伴っている。よって、以上の解釈は十分に支持できると考えている。しかし、母系出自集団のうち妻方居住を採用しているのは半数以下であるという(右の表参照)。
表 母系出自体系のもとでの居住規則*2
居住規則 頻度 %
妻方居住、および妻方居住が優勢 41 49
夫方−オジ方居住、および夫方−オジ方居住が優勢
22 27
分処居住が優勢 3 4
夫方−父方居住が優勢 15 18
新居居住が優勢、および両処居住 3 4
計 84 102
この事実を受けてキージングは次のように述べている。「トロブリアンドの場合のように、母系出自集団が強固なまま、夫方−オジ方居住へとずれていくこともありえよう。しかし、分業に関して男性優位へと推移する強力な動きが、夫方−父方居住へのずれをもたらすこともありそうであり、その場合には母系リネージはもはや地域的ではなくなり、重要性も減少する。結局、母系出自集団は消滅し、地域集団の変化した構成に対応しつつ父系出自集団が代わりに発達しそうである」[キージング1982:226-227]。キージングが言うように、居住パターンと出自が一致しない例が高い割合で存在するのに、居住パターンが出自構成を決定づけると言い切れるのだろうか。しかしながらマードック自身もこれらの点について指摘している。キージングの指摘するとおり、母系出自集団であってもオジ方居住を採用している所もある。母系リネージの重要性の減少によって、結局母系出自集団が消滅し、父系や双系の出自集団が発達した例もマードックはあげている[マードック1986:252-253]。ということは、これらの事態はどのように説明されるであろうか。キージングは、上記のような「不適合な」居住パターンを伴う出自体系の存在は、変化した状況にあわせて社会構造が再構成される上での「遅滞」ゆえであるとの説明を紹介している。つまり、これらの事態は、長期的にみれば統合的で一貫性のある社会構造を生む、調整過程における遅延と考えられているのだという[キージング1982:227-228]。マードックもまた、これと同じような立場に立っているものと思われる。彼は、出自規則は居住規則と平行して、または少し遅れて変化していくとしている。よって母系の規則を放棄して父系の規則を採用するまでに、推移期間として双系出自の期間があるのが普通のようだと述べている[マードック1986:254]。しかし、本当に双系出自が父系出自へと変化するかどうかは不明である。つまり「遅滞」あるいは「推移期間」と解釈するには不十分であると言える。したがってキージングが指摘する出自と居住様式が伴なわない事態は、マードックの説によってはっきり説明することはできない。
また、グッドイナフの説は、居住規則が出自を決定するとしたマードックの説にのっとっているように思われる。それは、「父方居住に移行した社会では、その集団は自動的に父系となり」[グッドイナフ1981:150]という表現からも明白である。このマードックの理論の問題点については、先に述べたとおりであり、したがってグッドイナフの説もこの点でつまづくことになる。
シュレジアーおよび石川は、居住、相続、出自の様式がそろっていることを、父系あるいは母系社会の前提としている。つまり、妻方居住、母系相続、母系出自ならば母系社会というようにである。では、なぜこれらの条件を満たせば、母系社会や父系社会と言えるのか。逆に、条件を満たしていない社会は全て、母系から父系への移行段階と片づけてしまっていいのだろうか。このように考えると、母系か父系かという概念で捉えるのでは不十分なように思われる。
また、グッドイナフの説は多数のニューギニア高地の研究者から批判を受けたとキージングは紹介している。例えば、人口増大と土地不足に比例して非単系的帰属*3が増加せず、逆に単系的原理が強固になる例があることが指摘された。これらを受けてキージングは、「メラネシアに見いだされる多様性、しかし同時に、繰り返し類似形態が出現する事実を前にすると、人類学的説明につきつけられた難問の所在と、われわれの現在の説明の不十分さがまざまざと見えてくる」と、グッドイナフの説の限界を認めている[キージング1982:231]。
グッドイナフ以外の諸説では母系制が父系制へと移行するという考えが支持されていた。この移行という考えは、上記のマードック説のように批判されてきたにもかかわらず、根強く残っている。そこで次章では、U章であげたサタワル島とヤップ島の事例に照らし合わせた上で、この母系から父系への移行説が実証されるかどうかを検証する。
(注釈)
*1グッドイナフは、ヤップ島も親族集団は母系になったが、土地 分配の問題に迫られて母系にとどまれず、二重出自になったの かもしれないと言っている[グッドイナフ1981:156]。
*2エイバール1961年、マードックの1957年サンプルに基づくも ので、キージングが転載したものを掲載[キージング1982:227]
*3キージングの著書[キージング1982:231]では「双系」と訳 されていたが、これはグッドイナフの言う非単系(non-unilineal [Goodenough
1955])を指しているので、統一して「非単系」と いう語を用いた。
W.ヤップ・サタワルにおける移行の可能性
1.サタワルの場合
まず、サタワル社会の場合である。サタワルは母系出自で構成された社会だが、「贈られた土地」の相続については母系的ではなく、一見父系的になされているようにみえる。この現象を母系制が父系制に移行するという説に当てはめてみれば、父系社会への移行のある段階として捉えられるだろう。そこで、果たしてこの考えが正当かどうかを、さらに詳しく事例を検証しながら突きとめたい。
U章でみたように「贈られた土地」は婚姻成立や子供の誕生の際に夫(父)のリネージから贈られる。そしてこの土地は父の生存中は父が保有し、父の死後は父親を同じくするキョウダイによって保有される。具体的には、男性キョウダイがココヤシ林とパンノキを、女性キョウダイがタロイモ田をそれぞれ共有する。そして、それらの財は、男性キョウダイの婚出の際に婚出先の集団に贈与される。また、「元来からの」財が祖先からの財として集団内に保有するものと考えられているのに対し、この「贈与された」財は集団外への贈与財として優先的に贈られる(したがって、この「贈られた土地(財)」は原則として、世代を経るにつれ男性の移動とともに集団間を循環する性質がある。)つまり、この「贈られた土地」は父から彼の子どもたちへと継承されるが、婚出する男性に優先的に移譲され、さらに次世代においてはその男性の子どもへと優先的に移譲される。したがってこの方式は父系のラインにそって継承されているように見える[須藤1984
:269-270,322]。
しかしながら、須藤も指摘しているように、これは出自によるものではなく、父と子の関係つまり親子間系(filiation)にもとづく方法である。そして、この2世代間の父−子関係が1セットとなり、これが数世代にわたって連続し、累積していく。須藤はこれを「累積的な父方filiation」の形態であるとしている[須藤1984:322]。したがって、「贈られた土地」の相続様式を父系相続と見ることはできず、これを根拠に父系制へと移行していると言うことはできない。それでは、この「贈られた土地」独特の相続様式が存在する理由について、もっと違う解釈ができないだろうか。
これについて須藤は「母系のパズル」への打開策とする解釈を示している[須藤1989a:48]。「母系のパズル」とは、Richardsが母系制社会に特徴的な集団構成上の矛盾を指して言ったものである。妻方居住婚をとる母系社会では、集団の統率および政治的局面で権威を持つ成人男性成員は、集団外の女性と結婚し、そのもとで居住することになる。したがって、異なる集団から婚入した男性たちより構成される居住集団は、出自集団の統合や集団への帰属意識の同一化という面で構造的な不安定さ、矛盾をかかえることになる[須藤1989a:48]。これを婚入した男性の立場からみると、男性は婚入した集団に対するのと同様に、自己の集団に対し様々な業務を担っている。男性の財産は姉妹の息子によって相続されるが、自分の息子には財産を与えられない。これは、子どもに対する父の愛とオイに対するオジとしての義務の相剋を生み出す[牛島1987:2]。須藤は「トラック語圏およびマーシャルの両社会においては、そのような矛盾を機能的に調整するための方法の一つとして、母系集団の男性が、彼の子どもに彼の集団財にたいする権利を譲渡させる制度がある」[須藤1989a:48]と述べている。この制度はサタワルにおける父−子関係を通じた財の継承と同じと見て良いであろう。したがって、サタワルのこの制度は、「自分の子どもにも自己の出自集団の財産をできるだけ残したい」という父の願望を、実現させたものと考えることができる。
また須藤は、この他にも興味深い解釈を示している。U章でも記したように、彼は土地の贈与慣行を土地資源に恵まれない島社会において、土地を効率よく利用し、資源を開発する制度であると考えている。出自原理で獲得される「元来の土地」はリネージ成員の基本的な生活資源であり、父−子関係によって得られる「贈られた土地」はリネージ人口の増減に対応した生活資源であるというのである[須藤1984:339-340、1989b:149]。こうした、出自原理とは別の親−子関係を通しても土地に対する権利を獲得できるという制度は、非常に効率のよい制度というわけである。
ところで、須藤はサタワル以外のミクロネシア社会においても、こうした食料資源と人口規模との均衡を保つ機能という観点から、土地所有制度をみている。ミクロネシア社会は元来母系制であったという前提にたち、須藤は以下のように分析した。サタワルやモートロックなどの土地資源が限定された社会では、父−子関係に基づく土地の部分的譲渡様式をつくり出した。パラオ・ポナペのように土地資源の豊富な社会では、居住様式および集団への帰属権に選択性をもたせるようにした。また、1世紀前に大規模な人口の増加を経験したヤップ・ファイス社会では、それらの方式では対応しきれず、多収穫性の作物の導入という農耕形態の変化によって対応した。その結果、土地所有集団が母系的体系から父系的体系に移行したという。他方、ここ30年間に急激な人口増加を経験した社会の中には、土地所有集団の規模が縮小し、母系出自集団から双系的家族に変わる傾向がみられるという[須藤1989b:171-172]。
このように須藤の考えでは、土地資源や人口といった条件に応じて、土地所有体系は多様な形態に変化してきたと説明できる(ただし、白人との接触後については貨幣経済や統治国の土地政策という要因も指摘しているが、ここでは接触以前について取り扱う)。
しかしながら須藤はそのようには解釈していない。彼は上記のことから、母系の出自原理が土地所有を規定する方式から「外される」過程が明らかになったと述べている。他方、これらの社会では、母系出自の観念や原理は個人の社会的地位、酋長位ないし称号の継承、宗教的・儀礼的領域、婚姻規制などの面において機能していると指摘している。したがって、ミクロネシアにおいては土地所有制度および土地の相続方式が母系体系から父系体系に移行しても、社会集団は全面的には再編成されず母系体系も依然として持続すると述べている[須藤1989b:171]。この記述から明らかなように、須藤はミクロネシア社会に母系から父系への移行説をあてはめようとしている。彼が移行説を支持していることは、「社会集団の組織原理が母系制から父系制へ変動するメカニズムを考察すること」は「重要な課題である」[須藤1984:341]との記述からも明らかである。しかしここでは、母系出自原理が残存していることから完全に父系に移行しているとは言えず、移行説は十分に通用しないという結論に至っている。
それならば移行説を用いる必要はないのではないか。むしろ元々母系だったという前提や、それが父系に移行したという考えを除いた方が、この須藤の分析は有効であると言えよう。土地と人口とのバランスを保つために土地所有様式が変化してきたという説として考えれば、ミクロネシアに多様な出自集団が存在する理由を説明できるからである。
2.ヤップの場合
牛島はヤップ社会ではbilineal succession(両系継承)とでも言える様式をとると述べている[牛島1987:114]。しかしヤップ社会で行われている相続・継承様式を厳密にbilinealであるとは言い難い。その理由を以下に述べていく。
牛島はヤップ社会においては母と子の関係が強調されているとたびたび述べている。例えば、土地相続における母−子関係の場合。土地は父→息子、父→娘→息子と相続されるが、これを女性の立場から見たら、母→息子、母→娘→息子という関係になるという。女性は夫に対しては性的奉仕と労働奉仕、子どもに対しては父親に従順であるように教育することを通じて、子どもに土地を持たせようとする。つまり、男性は生まれたタビナウに留まり、そしてその土地を自分のものにするのに対して、女性は婚出して夫のタビナウの土地を釣る。この考え方の中にはヤップ人の基本的イデオロギーが表れているという。それは、タビナウの連続性は父−子関係の線で継承されているが、その中身においては母−子関係が血筋のラインとして強調されるということである[牛島1987:137-144]。つまり牛島は、土地相続において女性が重要な役割を果たしていることを強調している。またこの他にも、妊娠、親族名称などの点においても血筋としての母子関係が強調されていると述べている[牛島1987:144-146]。しかし、この「血筋」とは母と子の結びつきを表したイデオロギーではあるが、実際に何かが継承されているわけではない。よってこの「血筋の継承」を相続・継承様式として認めることはできず、bilineal
successionと言うこともできない。
では、牛島が根拠としているもの以外に、もっと実態のある形でbilineal
successionと言いうる可能性はあるだろうか。そこで、改めてヤップ社会の相続・継承様式について整理し直してみる。なお、普通successionは「地位の継承」を意味するが、牛島は「財産の相続」という意味も含めて用いているようなので、二つの意味を指すものとしそれぞれ区別して考える。
ヤップでは原則的に長子制と父系相続のメカニズムを通じてタビナウの財産が受け継がれるという[牛島1987:128-129]。しかしながら人口減少の結果、これ以外の様式も用いられるようになったことは先に述べたとおりである。その中で注目すべきなのが、女性による相続の場合である。男の兄弟がいない場合に女性が生家の土地を相続することがあり、この場合の相続の流れは父→娘→息子となる。これは一見母系相続のように見える。しかし、女性が相続する場合「男になって土地にいる」と表現される[牛島1987:135]ことや、さらに息子に相続されることを考慮すれば、男性を軸とした相続と見なすことができる。つまり、一時的に女性を介すが、全体としてはタビナウにおける父系相続が保たれているのである。以上の点から、ヤップ社会においては相続は父系的であると言うことができる。
次に地位などの継承の面を検討する。土地には、位階、職能、特権、義務が付属しているという。つまり、土地を相続することによって、これらも継承することになる。よってこの継承は土地の場合と同じく父系的である[牛島1987:124-125]。また、マフェンの地位は女性から子どもへ、さらに娘の子どもへと、母系の子孫によって継承されていくという[牛島1987:149]。このように地位等の継承においては、父系・母系双方のパターンが存在する。
このように、相続・継承においては形としては父系・母系どちらのラインも確認できた。しかし、数、社会的重要度からして父系の比重が高いと判断していいだろう。母系的要素と認められるのはマフェンの継承のみなのである。したがって、ヤップ社会の相続・継承様式はbilineal
successionとして片づけられるべきではない。
最後に出自について検討してみる。牛島はヤップ社会の状況を、「母系クランの残存形態と、夫方居住・父系相続様式による屋敷を基底とする萌芽的な父系リネージとの妥協であると見ることもできよう」と述べている[牛島1987:152]。ヤップ社会における母系クランとはガノンのことである。そして、牛島の言う父系リネージとはタビナウのことを指している。しかし、タビナウは父系リネージではない。なぜなら、タビナウは特定の祖先から系譜をたどって結びつく人々で構成されていないし、女性の成員権は婚姻によって変わるからである。正確には、タビナウは夫方居住婚に基づく拡大家族なのである。
牛島は「萌芽的な父系リネージ」[牛島1987:152]と表現しているように、タビナウが父系リネージへと発展する可能性を示している。しかし、タビナウは父系出自集団には変わりえない。その理由は二つある。まず、夫方居住を採用したからといって、父系出自になるわけではないことは、既にマードック説への反論として指摘した通りである。また、もう一つの理由は、タビナウと出自集団とでは構成原理が全く違うということにある。牛島によれば、タビナウの土地に居住し、土地に対する権限を持つ者が「一つのタビナウの人」なのだという[牛島1987:127]。またヤップには、土地が人に所属しているのではなく、人が土地に所属するという観念がある[牛島1989b:156]。これらのことから、土地を軸にして人々が結びつくという原理が浮かび上がる。これは、系譜的関係に基づくという出自の原理とは根本的に異なる。したがって、タビナウが出自原理によって再構成されるとは考えられない。なおこのことは、夫方居住と父系相続の確立によって父系出自へ変化するというシュレジアーと石川の説にも反している。
以上で検証してきたように、ヤップ社会ではbilineal
successionも父系リネージも存在しない。したがって、ヤップ社会が母系制から父系制へ移行していると言うこともできない。ヤップの特徴をまとめると、父系出自はないが、相続・継承は父系的で夫方居住、母系出自はあるが母系的相続はない。こうした諸側面を見ると、父系とも母系とも、またそのどちらかに向かいつつあるとも判断しかねる。そもそも、父系か母系かという枠組みに押し込めようとしたことに無理があったのではないだろうか。
X.結論
母系制から父系制への移行説では、父系にも母系にも当てはまらない社会は全て、その移行途中の中間形態として片づけられてきた。その場合、父系出自・父系相続・夫方居住という条件がそろった社会が「父系社会」であるかのように扱われてきた。母系社会の場合も同じである。V章のシュレジアー、石川に対する批判点としても述べたが、これらの条件がそろわなければ、父系もしくは母系の社会ではないのであろうか。なぜ、そうした条件があれば父系・母系社会であるのか。このように考えてくると、「母系社会」「父系社会」とは何なのかが分からなくなってくる。このように父系・母系という概念自体が揺らげば、母系制から父系制へと移行するという説も成立しえない。つまり、「父系」か「母系」か、そうでなければその中間形態か、という枠組みに当てはめることが問題なのである。本論文で取り上げてきたサタワル、ヤップをはじめ、マーシャル、パラオ、ポナペ、ファイスなどのミクロネシア各社会は出自集団の構成や土地所有体系においてそれぞれに異なっており、非常に多様な形態を見せる[須藤1989b、牛島1989a]。それにもかかわらず、移行説においては、これらの社会は中間形態の社会としてひとまとめに片づけられてきた感がある。しかしサタワル、ヤップで検証したように、移行過程の中間形態としてこれら社会の特徴を説明することはできなかった。
それでは、母系か父系かという枠をはずして、多様な社会をどう捉えればよいだろうか。ここで以下のような捉え方を提案したい。各社会には父系的・母系的双方の要素が同時に存在し、その比率がそれぞれの社会によって異なる。この要素としては出自、相続様式、居住様式を設定する。そして、この比率の違いが多種多様な社会の形態を生み出すという捉え方である。この捉え方では、どこからどこまでが母系というような境界線はない。従来言われてきた「母系社会」であれば、ただ母系的要素しかない社会として位置づけられるだけである。また、中間形態としてひとまとめにされてきた社会も、それぞれの父系的・母系的要素の比率の違いにより、個別に位置づけることができる。
このように捉えると、父系・母系的要素が入り混じったヤップ社会は非常に理解しやすくなる。ではサタワル社会はどうであろうか。サタワルでは母系制が支配的な中で、父子関係を通じた相続が行われることが注目された。これは、母系的要素が大きな割合を占めるがやや父系的要素も含まれる社会、と捉えることができる。同様に、ミクロネシアにみられる多様な社会も無理なく説明できるであろう。つまり、社会集団の構成が多様で柔軟なのがミクロネシアの特徴ということになる。
本論文では、サタワルとヤップを中心に、ミクロネシアにおいて社会集団の構成が多様である理由を、土地との関わりという観点から追求してきた。この理由としては、もともと母系制だったものが父系制へ移行しつつあり、過程の諸段階であるためとする説が支配的であった。しかしこの説を検討した結果、様々な理由から否定された。よって、ミクロネシア社会を母系制から父系制、つまりは母系か父系かという枠組みで捉えるべきではない、というのが最も主張したい点である。そして父系・母系という枠組みを排した捉え方として、父系的要素、母系的要素は元来混在しており、その割合の差が多様性を生み出すという考え方を提案した。なお、母系制から父系制への移行をとりいれない説としては、清水が出自の三角形、吉岡がリニアリティとラテラリティの概念を用いた説を提唱している[清水1985:19-26、吉岡1998:125-153]。ここではこれらについて詳しく述べることはしない。ただ、本論文で提示した捉え方も含めこれらの説に共通して言える点をあげるとすれば、非単系の出自形式を単系出自を中軸とした単系の補集合として位置づけてはいないという点である。そこには単系・非単系の区分にこだわらず、それぞれの社会の偏差を説明しようという姿勢がみられる。このような姿勢は、社会集団の理解を推し進める足がかりになると信じるものである。
また、本論文では土地所有体系という側面からミクロネシア社会の集団構成についてみてきた。その中で、土地の所有や使用、相続の様式は親族集団の構造と密接に関連していることが分かった。このことから土地あるいはそれを含めた財産に焦点を当てることは、親族集団の構造を究明する上で非常に有効な方法だと言える。よって、さらにこうした研究が進められることを願って結びとしたい。
引用文献〉
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