「観光人類学の可能性ー新しい観光形態の考察」
一色美江子
要約
観光人類学の可能性〜新しい観光形態の考察〜
観光現象が世界産業となってきつつある現在、人類学においても観光は新たな研究領域として多くの人類学者の注目をあつめるものとなっている.その研究内容は様々ではあるが、観光産業を営むホスト社会にとって、観光とはいかなる現象であるのか、それを今後国を支える基盤として定着させるにはどうすればよいかといった問題を真剣に考えることが、研究者達にも迫られているといってよいだろう.この問題に対しての有力な解決方法は今のところ見つかってはいない.本論は、地元側の視点から観光を考えた議論として評価できる議論を検討することで、少しでも提案できるものがあればよいという考えに立ったものである.
地元側から評価できる観光を考えた論文として、第一章では太田好信の「文化の客体化」と、その主張の裏にある彼の観念を記した.彼の評価した観光形態というのは、地元住民が積極的に観光においてアイデンティティを形成するというものである。彼のとりあげた観光のあり方は「自己象を与える観光形態」と呼ぶことができるだろう.しかし太田の考えに対して私は二つの疑問を持った.それが第二章と第三章で述べた、地元民の主体性についての疑問と、アイデンティティと観光の関連性の疑問である.第二章では観光に潜む力関係についても述べた.観光客が観光地を訪れる際には、あらかじめメディアによって植え付けられたイメージを抱いていること、そしてそのメディアは観光客の生活する社会のもので、観光地である地元側が発信したものではないということを記した.この力関係に対抗する方法こそ、地元社会が今後観光という現象とうまく付き合うために必要なものであり、本論の考える問題である.第三章では太田は観光を通してアイデンティティが形成されると唱えたが、そもそも観光とアイデンティティ形成の場は別々のもので混同すべきでないということを記した.私がこのように考えるには文化に「真正さ」を設定しているからであり、その「真正さ」を考えた場合、観光文化は真正さと対極の位置にあるとみなしたからである.そしてここに太田との考えの違いがあることが分かった.太田は文化に真正さを設けることは研究者のすべきことではないし、それは文化は消滅するというようなエントロピックな語りにつながるという考えを持っている.一方、私は「臨機応変に存在するやわらかな本質」を考えることができるという考えを持っている.この考えは小田のいう、「生活の中の真正さ」に通づるものがあったので彼の意見を参考に真正さについて述べた.真正さを設定することで、太田の述べた「自己象を与える観光形態」は成立しないということになった。
続いて第四章で、新たな観光形態について考えることにした.ここで提案した「新たな観光形態」は「真正な生活文化」を取り入れた観光形態ではなく、「住民参加型の観光形態」である.しかしながら、この提案も住民にとって望ましいということはむずかしい.ただ、彼らが観光客とともに楽しむことが可能な観光形態が実現できるならばそれを取り入れる価値はあると思われる.考えられるものの一つとしてフィジーで行われているカーニバルを検討してみた.カーニバルが観光産業として大きな力になるには演出や、住民の意識の問題など超えていくべき問題がたくさんある.この提案が実際に成立するかについてはまだまだ先は遠い。しかし、このような提案がもっと出てくることによって、地元側が観光の力関係に少しでも太刀打ちできる方向が見つかるのではないだろうかと考えている.
*目次*
はじめに
第一章 アイデンティティを生む観光形態
(1) 「文化の客体化」論
(2) 太田の考える文化の真正さ
第二章 「主体性」の考察
(1) 観光の性質
(2) 主体性について
第三章 「観光文化とアイデンティティの関係」の考察
(1) 観光とアイデンティティについて
(2) 生活における文化の真正さ
第四章 新しい観光形態
(1) ホスト側から考える観光
(2) フィジーの観光の見方
(3) 新しい観光形態としてのカーニバル
おわりに
参考文献
はじめに
近代からの大量交通手段が発達したおかげで多くの人々が異郷の地を訪れることが容易になった現在において、観光は一つの大きな現象となっている.世界観光機構(WTO)によると、その大きさは2000年には世界中で国際観光を行う人は年間7億500万人に、観光のために使われる費用は7210億ドルにまで達するといわれているほどで、1995年の5億6384万人という観光者数と費用の3990億ドルという数字と比べても、この現象がまだまだ増大の傾向にあることが見て取れる。〔石森 1996:11〕。
そのような観光は人類学においても無視できないほど巨大な現象となり、たくさんの問題を内包しているものとして捉えられている.それは文化の商品化の問題であったり、誰に文化を語る権利があるかの問題であったり、観光開発における環境破壊の問題であったりと、実に様々である.現在の観光研究のなかでは、「持続可能な観光形態」を検討する必要性を唱えている人類学者も多い.観光業を重視する地元社会において、観光が将来的に持続して営めるものかを検討することは非常に重要な問題である.なぜなら観光には観光する側と観光客を受け入れる側の力関係が存在するからである.この関係の中で地元側の意志や要望を少しでも多く取り入れ、地元民にとって、望ましい観光形態をつくり上げることが、彼らの生きる道である.「持続可能な観光形態」の研究は、このようなながれで生まれてきたものである.残念ながら今の段階は、ようやく「新たな観光形態」を模索する動きが出てきたばかりで、観光を持続させる上で有効と思われる方法はない.本論ではそのような力関係に抵抗する方法として最近見られる、観光文化にアイデンティティを見出すという議論が成立するものであるかについて検討し、さらに私なりに考えた「新しい観光形態」についても提案してみることにする.
第一章 アイデンティティを生む観光形態
(1)「文化の客体化」論
観光研究が行われる際,これまではその研究課題は主に土着文化が観光という現象に直面することによってどのような文化変容を遂げているかといった内容のものが主な位置を占めていた。そのような研究においては観光はそれまでのよき伝統を破壊するものとしてネガティヴに捉えられてきたようだ.そのながれに逆らい最近では、観光を「自己のアイデンティティを形成できる新しい場」として肯定的な視点から見なおそうという立場の議論展開が進められているようである.たとえば太田好信の「文化の客体化」はそのような立場に立った議論の代表といえるであろう.この議論に従えば、観光は地元民にとって利用できる現象であると捉えることが可能であり、さらにそのような観光は地元住民には望ましいということができる.
彼は雑多な文化要素が混交し、文化の自己同一性が困難になった現代の社会において、観光は地元の人々が「主体的」に自己形成をはかる場であると議論展開している。この議論は、観光を地元の文化や社会の生活に大きな影響を与える現象として積極的に受け止めているものだと評価できる.しかしながら地元の人々の主体性をたたえる太田の議論に対して,「積極的に展開することが望ましいと思うがゆえに、その議論の基盤に疑義を差し挟むことをはばかられる雰囲気がある.そのためその種の議論が無批判に通用している観がある」〔橋本 1999:156〕というような声もある。私自身も観光が地元の人々のアイデンティティを見なおすきっかけとなりうるという考えは持っているが、観光の場がアイデンティ形成の場となっているとする考えには疑問を感じる.ここでは太田の議論を紹介し、それに対して検討をおこなうことにする.
太田は自己アイデンティティを構築する枠組みとして観光によってつくられた文化が利用されていることを主張する.〔太田 1993a:383〕つまり観光文化の中に自己を認識することが可能であると述べているのである.そして観光文化をアイデンティティ形成の場とすることを可能にする方法として文化の客体化の概念を提案している.
この文化の客体化というのは彼の説明によると,文化を操作できる対象として新たにつくり上げることであり、その過程として、民族の文化としてどの要素を他者に提示するかという選択性が働き,その結果選び取られた文化は、たとえ過去から継続して存在してきた要素であっても、それが客体化のために選択されたという事実から,もとの文脈と同じ意味を持ち得ない.つまり,いわゆる伝統的とみなされていた文化要素も新しい文化要素として解釈されるというわけである。そして構築された枠組みの中で自己を語ることにより観光の中に存在する力関係も中和されると述べている.〔太田 1993a:391〕。彼はその論文の中で実際に客体化を行っている事例に岩手県の遠野市の遠野物語,アイヌ観光,沖縄のウミンチュ体験観光を挙げている.ここで事例の一つであるウミンチュ体験観光についての彼の考えを紹介しておこう.
「ウミンチュ」とは漁民一般をさし、観光に携わるのは中でも潜水漁を行う「ウリヤー」の人々であり、その観光内容は次のようなものである.漁師はサバニという漁船に乗り込み、一緒に乗り合わせた観光客に対して、モリを手に、素潜りで海に潜りサザエやシャコガイなどを取る様子を披露する。そして観光客との質問のやり取りをしながら取ったばかりの海の幸を船上で調理するのである.食事後観光客はウミンチュと写真を取る時間をもうけられている.太田いわく,「私は観光客のためにカメラのシャッターを何度も押したが,ウミンチュ達の顔はいつも自身と誇りにあふれていたと記憶している」〔太田 1992:333−339〕。
以上がウミンチュ体験観光の素描として取り挙げられており,このような観光をきっかけに漁師の中には急にファッションに目覚めたり,仕事が終わってから観光客と飲食をする人が増えたという話である.彼は沖縄のリゾート観光において強調される文化要素は沖縄独自の文化ではなく,ワールドカルチャーではあるが,沖縄独自の文化要素や人々のふれあいを求めてやってくる人も多く、ウミンチュ観光体験はまさにそのような体験であるとし,海を沖縄独自の要素として捉えている.また沖縄観光においては海が商品化されてから,最近では海で生活をする漁民が脚光を浴び,海人祭りなどは漁民社会に限らず地域を活性化するイベントとしての役割を担っていると述べ,それはつまり,観光現象は漁民の祭りが沖縄文化の一つとして象徴されることを意味しており,沖縄の人が自らの文化を語るときには海や漁民をはずしては語れないのだと解釈している.そしてそれが漁民の相対的な地位の向上に結びついていると考え,今まで学歴などの枠組みでしか自己を語ることができず,その結果としてネガティブな自己形成をすることが多かった漁民達が観光客との相互行為において華やかで,勇壮な漁民文化を客体化し,肯定的な自己認識を行っているとしている.つまり彼はこれまで社会の周縁に生活していた人々が,観光を契機に主体性を獲得し,自分の文化を観光客に見せることに誇りを感じ,肯定的な自画像を形成し始めていると述べる.〔太田 1993a:398−399〕
私は先にも述べた通り,観光を通してできた文化が地元の人々が自己のアイデンティティを考えるきっかけをあたえているとする意見には基本的に賛成の立場に立っている.しかしながら、太田の議論の中で判然としない部分もある。以下からはこれらについて考えていこうと思う.まず、地元の人々が自分を表す文化(ここでは観光文化)や,アイデンティティを「主体的」につくるというところに疑問を感じる。彼が議論の中で採用しているのは、地元民が自己の文化のいくつかの要素を観光の場で主張することで観光という現象に潜む力関係を無意味にするという方式である。太田はそこに主体性を感じ取っているのだが、彼は何をもって主体的というのであろうか.動作の主体が地元民であるという意味で「主体的」なのか、あるいは地元民が自ら構想を練り,文化(ここでは観光文化)を形成したり,アイデンティティをつくるといった意味での「主体的」なのかである。彼のいう「主体性」はおそらく後者の方であろう.しかしながらそれは本当に主体的であるのか、また,力関係が中和されているといえるのだろうか。これについて考察する余地があるだろうと思われる.
そしてさらに地元の人々が観光文化を客体化することによりアイデンティティを獲得しているという主張にも十分な説得力があるとは思えない.この部分は彼の議論の中でも中核を占める部分であるが、私は彼のいうように文化を客体化し、改めて自分の文化を解釈することでアイデンティティを形成しうるという意見に異論を唱えているわけではない.私が疑問に思うことは、観光をきっかけに地元の人々が自己アイデンティティを考える際に、その枠組みとして選ばれているのは果たして観光文化なのであろうかということである.自分の文化に自己を見出すというというところは理解できるのであるが、太田がいうように地元の人々が観光文化にアイデンティティを求めているとはいえないのではなかろうか.これについても考察を深めたいと思うが,まず彼のいう主体性や、観光文化にアイデンティティを求めることが可能だという主張を支える観念を探る必要があると思われるのでそれについても検討を加えたい.
(2)太田の考える文化の真正さ
観光文化を語る際にも議論としてとりあげられるが、「文化の真正さ」という点から太田が持つ観念の一部分を明らかにしていくことにする.なぜなら真正ではない、つまりニセモノと分かっている枠組みの中で自己形成することはまずないであろうと思われ,私の中では観光文化とは「真正さ」には遠い存在であると位置付けており、そのような観光文化に自己を見出すと述べる太田との間には「真正さ」に対する観念の違いがあるのではないかと考えるからである。
文化を構成している諸要素にはその文化に固有の本質的な何かがあるという考えは、彼いわく、「民族誌的現在という人類学の改めて見直さねばならない概念構成の一つ」である〔太田 1993b:474〕。この文化に本質を見る考えは対象の文化が共時的な枠組みで把握され,外部の社会と連絡をもたない自己完結的な社会を想定することであり、過去の事象が、あたかも現在あるかのように,民族誌の中で再構成されてしまうと彼はいう.そして研究者の社会は日夜変化するわけであるが,対象社会はそれとは異なった時間の流れにあるという考えであると非難している〔太田 1993b:477〕。人類学者はこの概念を常々当たり前のものとして何ら疑問を持たずに、諸文化が植民地主義など外部の影響を受け原発的な形態が変化してしまう前にできるだけ純粋な文化を記録しようと奔走した.このような文化の語りを太田は「エントロピックな語り口」と名づけており,この語り口では,古い文化は真正であるが,現在ある文化は非真正であることになり,つまりは対象社会に住む人々の文化を継承する主体的な努力を否定することであり、社会的な差別に短絡しかねないと警告する.そして今後採用しなくてはならない語り口は外部の文化要素を貪欲に取り込み新しい文化が発生しているという視点にたった「発生の語り口」であると提案している〔太田 1993a:387−388〕。
「真正な文化」が存在するかどうかの結論としては「真正な文化」という解釈は存在するが、「真正な文化」としての実体は存在しないのであるというのが彼の意見で,その決定権は現在を生きる文化の担い手であると述べている.彼は「真正な文化」としての実体がない例として,次のように記述している.「たとえば,本質的な文化は変化しないと研究者が判断したとしよう.そうすれば、そのような語りの対象となる民族が自己の文化運動を展開するとき,民族的なアイデンティティーを,現在の生活とはきわめて釣り合わないかたちで表現することを強いられる。もしわれわれが自己のアイデンティティーを主張するために,毎日着物の着用が義務付けられたとしたら,現代社会での生活とは,あまりにも釣り合いがとれないはずだ」〔太田 1993b:478〕
以上が太田の「文化の真正さ」に対する考えの粗描である。どうやらこの「真正さ」に対する考えの違いが観光文化とアイデンティティーの関係に対する認識の違いに結びついているようである.今後私の抱く「文化の真正さ」とあわせて考えることにする.
私が太田論に対して感じた違和感はこのようなものである.これら二つの疑問に対して以後の章で検討していく.第二章では主体性の問題、第三章では観光とアイデンティティの関係について検討を深めることにする.
第二章 「主体性」の考察
(1)観光の性質
第二章では第一章で述べた太田の議論に対して私が持った、地元民が主体的に観光文化をつくりだし,自己認識を行っているかどうかという疑問を考察したい.太田が地元民を主体的だと評価するのはどういう根拠においてであろうか.この場合二つ考えられる.
一つは,彼は観光における力関係が意味をなさなくなっていると述べているが,地元民が外部の力を借りずに観光文化をつくり出しているという認識をしたため地元民の主体性を評価しているということである.
そしてもう一つは客体化という視点にある.客体化を行う当人はまさに地元民においてほかならず,地元民が積極的に客体化を行っていることに対して主体性を認めたということである.おそらく彼が主体性を読み取った根拠は後者にあるだろう.しかしながら考えられる一つ目の根拠についても考察を深めることは無駄ではないであろうと思われる.なぜなら,彼が述べているように、地元民が主体的に行動することで観光における力関係が中和されるといえるかどうかを検討することも可能だからである.またそのことによって観光という現象の特徴を改めて見直すことができる。
そのため最初に観光の持つ性質の一つをとりあげ、その側面から観光を見なおそうと思う.
まず観光とはどんな行為であるのか、人々は何を目的に観光を経験するのであるかを考えてみよう.観光客は訪れる土地で、いろいろなものや景色を見る.イギリスの社会学者である、ジョン・アーリは観光客が対象物に投げかける視線を「まなざし」という表現であらわす.彼の意見では、観光という経験は日常との二項対立からいえば非日常であるような愉快な体験を誘発する、あるいは好奇心を満足させるような何らかの要素を持っている〔アーリ 1995:21〕。言いかえるならば、そこに行けば愉快な体験ができると確信するからこそ、人々はわざわざ日常生活とは離れたところに出かけるのではないだろうか.そこでの愉快な経験としてアーリは、「無比なものを観る経験」、「特殊な記号を観る経験」、「もとは観なれていると思われていたものの観なれていなかった側面を観る経験」などを列挙している〔アーリ 1995:21−23〕。観光する上でどれを期待するかは人それぞれである.しかしながら観光客はみな、その愉快な体験を知っているのである.
例えば無比なものを観る楽しみとしてアーリは「エンパイヤーステートビルディング」を挙げている。現在において「エンパイヤーステートビルディング」よりも高い建物は山ほどあり、彼の言うようにすでに“アメリカで一番高い建造物”という名声の根拠を失っているかもしれない.しかしそれでも有名であるから観光客はそこを訪れるのである.そこが有名であるということを皆すでに知っているのだ.また特殊な記号を観る例として,「典型的なドイツのビヤガーデン」、「典型的な英国の村」,「典型的なアメリカの摩天楼」、「典型的なフランスのシャトー」が挙げられているがこの「典型的」というのが問題なのである。というのは観光客の中での「典型的」であり、観光客はビヤガーデンそのものを直接的に見ているのではなく、ビヤガーデンを通して自分があらかじめ考えていた何らかの意味を付与するからである。
このように経験の内容が何であれ、観光客はそこで自分が考えている楽しいことがある程度実践可能であると確信しているのである。もっと簡単にいうと、人は経験することを予測したうえで観光をするのだ。もちろん何がおきるかわからないというスリルを味わうために出かけるということもあるだろうが、その場合のスリルというのも予想外のスリルであり、予測もせず、当てもなく見知らぬ土地を訪れ、そこでまったく知らないことを経験するスリルということではないのではなかろうか.その様な経験は観光ではなく、むしろ旅の要素を持つものである.
それでは観光する者に観光地の楽しい要素,好奇心を満たしてくれる要素を知らしめるものはいったい何であろうか.観光客が持つ楽しい予測は自律的に存在するものではなく、無意識のうちに外部の影響を受けて作られるものである.実際に観光地を訪れることによってその場所に対する新しい意味付けをおこなうこともあるだろうが、そこに至るまでの観光地に対するイメージは主に日常生活の領域での広告やパンフレット、テレビなどのメディアによって規制されているのではないか.ダニエル・J・ブーアスティンも彼の著書である『幻影の時代』で次のように述べている.「われわれの興味の大部分はわれわれの印象が新聞、映画、テレビに出てくるイメジに似ているかどうかを知りたいという好奇心から生まれる.ローマのトレビ噴水は、本当に『愛の泉』という映画の中で描かれたようなものなのであろうか?香港は本当に『慕情』のようなのであろうか?そこは、スージー・ウオンでいっぱいなのであろうか?われわれは現実によってイメジを確かめるのではなく、イメジによって現実を確かめるために旅行する」〔ブーアスティン 1962:126〕
また、アーリも、「いろいろな場が、まなざしを向けるところとして選ばれるが、選ばれる理由はとくに夢想とか空想とかを通して自分が習慣的に取り囲まれているものとは異なった尺度あるいは異なった意味を伴うようなものへの強烈な楽しみの期待なのである.このような期待は映画とかテレビとか文学とか雑誌とかレコードやビデオなどの非観光的な活動によって作り上げられ支えられているが、これこそこのまなざしを作り強化しているものである.」という。〔アーリ 1995:5〕このように観光産業とメディア産業はきっても切れない関係で、メディアの影響を受け、観光客はイメージをつくりあげ、観光地を訪れ、そこにある景観を見ることによってイメージを現実のものとして再認識するのである.アーリの言葉を用いるならば、「まなざしというのは記号を通して構築される」ことになる.つまり、ツーリストがパリでキスをしている人を観た場合、そのまなざしにとらえられたものは『永遠のロマンチックなパリ』となり、イギリスの小さな村の場合にはツーリストは『本物の古きイギリス』を観たことになるのである.〔アーリ 1995:6〕
以上から観光客に視覚的,聴覚的に,観光地に対する情報を与えるメディアの役割は非常に大きいものがあるということが分かる.そして観光客が影響されるメディアとはその観光客が住む社会のメディアであって,観光地が操作するものではないのである。このように観光客が観光をする上で期待するものを決定することにおいて観光地ではない力が関係していることがよく分かる.観光の特徴としてイメージの側面から考えても、観光現象にはメディアを行使する側とされる側の力関係があることを示すのに十分であろう。
このほかにも経済的な問題の視点からでも観光には新植民地主義とも呼べる力関係が潜在していることを示しておこう。「今日の観光の経済的問題は,観光者を送り出す国の企業が飛行機,ホテル,ショッピングセンター,地元でのツアーまでを独占し,観光者が支払う外貨をすべて、観光者産出社会に引き上げる点にある.…中略…(たとえばハワイでは)1975年には大ホテルの75パーセントを多国籍のホテルチェーンが持ち,部屋数の60パーセントを占めた.日本企業にはさらなる回収システムが整備されており…中略…日本人観光者の81パーセントが,4泊6日か6泊8日のパッケージ旅行で日本航空を使い,日本人オーナーのホテルに泊まり,近鉄インターナショナルでハワイツアーをしている.買い物も日本人オーナーの商店でする.このようにハワイで日本人観光者が落とす金を日本企業が回収するシステムができあがった」〔橋本 1999:193−194〕。以上のように観光現象とはあらゆる側面に力の不平等さを内包するものであることが明らかである.
(2)主体性について
さて,それではこの章の本題である「主体性」に対する疑問に帰ろう.観光客が自分の好奇心を満たすために実践するのが観光であると述べた。そこで観光客が体験すること,観光客を迎える地元側からいうと観光客に提示するものは、少なくとも観光から何らかの収入を得ようとする場合においては、観光客を想定してつくられたものでなくてはならないということになる。そして観光客が期待していること,楽しみにしていることが先に述べたようにメディアの行使というある種の力によってつくられたものであるならば,観光客に提示するものもその力の影響を多大に受けているということになろう.それはつまり、地元民が主体的に観光文化をつくっているとはいえないという結論になる.となると,太田が地元民の主体性を評価した理由はこの章の初めで考えた一つ目の「観光文化が地元民の力のみで作り上げられたものだから」という根拠にあった訳ではない,もしくはその根拠は成り立たないことが明らかとなる.
それでは「客体化をする主体として評価した」という根拠の方を考えてみよう。客体化というのは自分で自分の文化を解釈しなおすわけであるから,その主体というのはもちろん地元民でなくてはならないのは当然である.太田が客体化をおこなう地元民に評価すべき主体性を見出したのはそこに地元民の積極性を見たからであろう.しかしその積極性とは判断可能なものなのであろうか.ここに第一章で述べた太田の人類学に対する理念が存在するのである.太田は今後の人類学のあるべき姿として「生成の語り口」を使用すべきだと提案していることはすでに述べた.このような主張は彼が考える「開かれたディスコース」〔太田 1993b:485〕として人類学が採用すべきものであり、「開かれたディスコース」である人類学の姿について次のように記している.「人類学という学問を行っている研究者の集まりはファンクラブであり,われわれが研究対象としている社会の人々がパフォーマーであると考える.したがってファンクラブはパフォーマーなしでは自立できない.だが,ファンはパフォーマーに対しては絶大なる支持を送る.そのような支持はファンジン(ファンの人々の中で流通する雑誌)の中で表明される.ときとしてファンジンの内容にはパフォーマーらも自ら手を加える.ファンジンを介在させてファンとパフォーマーの境界は少しづつ透過可能になる。そう,ファンジンとは人類学における学会誌の隠喩であり,ファンクラブは学会の隠喩と考えてみたい」〔太田 1993b:486〕。
彼の考えるように、文化について記述する際、対象社会の人々にもその文化について語ることができるという彼の意見に反対するものは少ないであろう。しかし彼は人類学とは対象社会の人々の主張と連動する学問でければならないという立場に固執したため、地元民が力関係に絡められながらも積極的に客体化を行い,それにより力の不平等さが中和されているという平和的な解釈をおこなうはめになってしまった.しかしながらそれはむしろ力を行使する側からの視点であるとみなされかねない。積極性と力関係の中和を短絡的に結び付けてしまうと,積極性を主張することにより観光に潜む力の不平等さを隠蔽しようとしているのではないか等という彼にとっては不本意な批判をされる可能性も出てこよう.これまで述べてきたように観光は差異を強調する力関係の上に成り立つものである.つまり観光を語る上では,経済的,政治的な力関係を排除することは不可能である.彼の主張するように客体化をおこなう主体は地元民にあるわけだが,そこに積極性を見出し,直結的に力関係の解消と結び付けてしまうのは強引であるといえよう.
太田の述べる「主体性」について考えられることは以上のようである.続いて第三章で、観光文化が自己アイデンティティの対象となるかという太田議論に対する二つ目の疑問を考察する.
第三章 「観光文化とアイデンティティの関係」の考察
(1)観光とアイデンティティの関係について
この章では太田の議論に対する二つ目の疑問について検討していく.私が抱いた二つ目の疑問とは観光文化が地元民のアイデンティティの枠組みになっているといえるかどうかである.ここでは二つの視点から述べてみることにする.太田の論文の中で使われている事例が太田の主張を説明するのに不十分であることと、太田の主張自体に分けて考えていくことにする.
それではまず太田の示した事例が彼の主張を強化するものであるかどうかというレベルから検討する.というのも,太田が示したウミンチュ体験観光の事例に対して次のような意見があるからだ.「観光の場における民族的アイデンティティや民族の誇りが語られる場合でも,観光者に地元の文化を見せ,説明し,それで収入を得ている自分を誇りにしていたわけではない。沖縄の漁民の場合も,観光化を機会に,自分が今まで育ってきた漁民の文化が語るにふさわしい,他人に興味を持ってもらえるものであったことを再確認した誇りであった.彼の誇りとは観光とは別の文脈にある.観光研究と銘打つ以上は,自文化が誇りの対象とはなっても観光がなぜ誇りの対象とならぬのか,という重要な問題を考察せずには済まされないはずである」〔橋本 1999:157〕。橋本の指摘には確かに的を射るものがあると思われる。
それではウミンチュ体験観光の内容については第一章ですでに述べたので、観光文化に自己認識をおこなう地元民について彼が述べた部分に焦点をしぼり、もう一度見直すことにしよう.
太田の解釈とは「ウミンチュ体験観光は漁民と観光客との交渉を不可避なものにした.そしてそこにおいて発生する観光客との具体的な相互行為を通して,彼らはより肯定的な自画像を形成していくのである.」〔太田 1993a:399〕というものである.そして「漁民の会話の中にもその証拠を発見できる」と述べ,「今年から観光に携わったHさんは,急にファッションに目覚め,自分の着るものにも注意するようになったと評判である。」とか,「独身のTさんは、仕事が終わってからも,観光客と一緒によく飲食している.」という会話をその認識の根拠としている.また観光客と漁師が記念写真をとる時間が設けられており,その時に見せた漁師の笑顔が誇りと自信に満ちていたこともまた、観光という枠組みの中で地元民が肯定的なアイデンティティを獲得している証拠だとしている〔太田 1993a:397〕.
しかしこれについては、太田の解釈以外の捉え方もできる.橋本のいうように、観光客とふれあっている自分に誇りを持っているわけではなく,観光客に見せることのできる文化要素を持っている自分に誇りを持っていると捉えることも可能であろう。さらに太田が「観光は肯定的な自己認識を生み出す可能性を十分にはらんでいる.以上のことから観光は必ずしもアイデンティティ形成にネガティヴな影響を与えるとは限らないことが判明した.観光の持つ負の側面ばかりを強調し,純粋な文化を貶める観光というイメージに呪縛され,漁民の人々の狡知をわれわれは見失ってはならないと思う.」〔太田 1993a:399〕と締めくくっているところに橋本は論点のすり替えが存在すると指摘する.つまり、観光の現場で地元民が自己認識を行っているという論点から観光が自己認識を生み出す可能性を持つという論点にすり替わっているというのだ.このように見てみると,太田の挙げたウミンチュ体験観光の事例は,観光という現象をきっかけに再度自分の持つ文化について考える機会を得,改めて自己を見出している例であって,観光の現場,つまり観光文化に自己アイデンティティを形成している過程だと断言できる例ではないと思われる.
それでは次に観光文化が地元民のアイデンティティ形成の場となりうるという太田の主張そのものについて考えてみる.まず,観光文化とはどんなものかについて記す必要があるだろう.観光文化は観光客と,観光客を迎える地元の人々の間に存在するものであるが、この性質について記しているものがあるもでそれを参考にしておく.そこでは観光文化について「(観光において)観光者は観光地での振る舞い方をまったく知らないわけではないが,いつもとは勝手が違い戸惑うことも多い.その体験は観光者が自社会にいるのと同じように振舞えるような文化コードがなく,地元なりの精一杯の接待をしても観光者には受け入れられない,観光地の文化コードが強く出てしまう場合においての体験である.そのようなずれを埋めるために第三者が両方の文化コードを知り,調整を行い,その空間に成立した新たな文化コードに基づいて創出されたものが観光文化である.」〔橋本 1999:5−6〕とされており、そのように創出された観光文化には,「地元の人々が異なる文化的文脈を持つ観光者をいかに迎えるか考案した方法や,観光者が自ら行う観光を満足させるために観光地に要求するさまざまな内容も含まれる」〔152−155〕ということだ.
この説明を採用すると,観光文化はおよそ観光客を想定してつくられなければならないことになる.まして観光は地元にとっても収入を得ることができる場であるから,そのビジネス的な性質から考えてみてもこの点は重要であろう.そして観光客というのが第二章でも述べたように、メディアがつくるイメージの影響を多大に受けているため,観光文化も結局はメディアによるイメージにそってつくられた文化ということになるだろう。このように他者の描くイメージにあわせて選び取られた、あるいは手を加えられた文化要素から成り立つ観光文化を、地元の人々はアイデンティティの拠り所にしているのだろうか.観光文化は地元の人々が持つ文化と同じように扱うことはできないというのが私の考えであり地元の人々が実際にすごす枠組みとなる文化とは違ったものであると認識している.太田の持つ観念は文化を「つくられたもの・偽者の文化」と,「真正なもの・本当の文化」に区別すべきではないというものであり、すでに述べたようにこの観念の違いが観光文化と自己アイデンティティとの関係の捉え方の違いに結びついているようである.それでは文化の真正さに対する私の考えを記すことにする.
(2)生活における文化の真正さ
太田は文化を「真正なもの」と「そうではないもの」に分けることは不適切だと述べ,真正さはその文化の担い手が解釈として決定することであり,実体としては存在しないと考えている.しかし,私は「真正さが存在する文化」と、「そうではない文化」があると想定することは不可能ではないと考える.ここで私が設定する真正さとは,太田を初めとする大勢の人が批難するような本質主義者が考える真正さとは異なったものである.近代の本質主義者が唱える文化の本質とは「固い本質」であり,私の考える本質は「柔軟な本質」という風に説明しておく.「真正な文化」は、外部とはかかわりを持つことのなかった近代以前の時代に存在するという本質主義者の語りのなかで想定されている「固い本質」は、外部の影響を受けたところで,変化しないか,そうでなければ破壊されてしまうことになり,近代以前の文化のみにしか見ることができないというものである.そのような昔からある,変わらない本質とは違い、その時,その場に順応できる本質があるのではないかと思っている.太田が真正さと非真正さの区別を批難するには文化を消え行くものとして捉えることになるからということであったが、柔軟な真正さを語ることは、そのような「エントロピックな語り口」には当てはまらない.私の設定する本質に対する考えは小田のいう生活の場における真正さの考えと結びつくものがあるので彼の意見を参考にしてみる.
小田は,「生活における真正さ」こそ注目すべきだと主張している.「生活の場における文化の真正さ」はオリエンタリスト達が表象してきた,全体化された視点、つまり一つのまとまったかたまりとしての真正さがあるという考えに存在する文化の真正さとも、植民地的状況にある諸社会のエリートである民族主義者達が外部の研究者達の「伝統の発明論」に反発して唱える伝統の真正さとも違う.「生活の場の真正」さということは,その時々の便宜によって作り出したり替えたりしていく融通性のあるものである。小田の意見では、「発明された伝統」と「真正な文化」という二元論の否定は、一見、近代の知の枠組みを否定しているように見えるが、その近代の知の枠組みから生まれた意見であるという。
つまり「真正な文化」と「そうでない文化」を分けることに対して批判する理由は次の二つの考えがあるからである.「文化の真正さ」はその文化の担い手が決めることであって研究者という立場のものが決めるべきでないという、研究対象の文化を持つ人々の主体性を尊重すべきだという考えと、そのように区別することは「エントロピックな語り口」でしか文化を語れないという考えである.しかしこのような考えこそ、実は、“本質とはある一貫した固い本質だ”と考える近代本質主義者の考えの枠組みにとらわれた考えなのだということである。それゆえ、生活の中の「柔軟な真正さ」を見落としているのである.
そしてこのような「生活空間の真正さ」という考えを可能にするものとして、小田はブリコラージュという戦術が使えると主張する.ブリコラージュとは、状況に応じて臨機応変にもっとも最適と思われるものを選んでその場をしのぐ方法といえるものである.彼によると、そのようなブリコラージュ的な戦術は生活知として人々の生活では当たり前に存在するものだという.そして誰もが一貫したアイデンティティの形成などなしに,自己を肯定的にかたちづくる生活の場を注目すべきだと述べている.つまり,ブリコラージュ的戦術という視点に立てば、生活レベルの真正さを論じることができるというのが彼の意見である.彼は太田のいう客体論についても、一見ブリコラージュ的な戦術を強調しているように思われるが,人々の主体性にこだわってしまい,その主体性を否定しないようにするために、一貫した意識,自覚をもつ主体が客体化,あるいは抵抗を実践していると考えるゆえに、かえって人々のもつブリコラージュ的戦術の非一貫性や断片性を無視していると述べている〔小田 1996:847,855−856〕。
生活というレベルにおいて「真正な文化」が存在し、その中で人々は臨機応変に自己アイデンティティを組み立てるという小田の意見をとりいれると、生活の場における自文化と観光の場の自文化を同じように取り扱うことはやはり不可能である.つまり、観光文化に真正さを求めることは不可能だということになる。
とすれば観光文化が自己を語る機会を与えることはあっても,自己形成を行う場としては成立しないと述べることもできる.なぜなら、観光文化とは観光客に見せるためにつくられた文化であって,地元民の生活文化を提示したものではないからだ.たとえその観光文化が生活の場における何らかの文化要素を選び取ってできたものであったとしても選ばれた要素は観光の文脈のものとなっている、つまりすでに生活の場という文脈からそれたものである。これは、生活の場において文化を客体化することにより、アイデンティティを形成することを否定している意見ではない.観光の場で客体化を行っても、客体化を行う文化要素は生活の場における真正さをもっていないために自己形成の方法とはならないと考えているのである.観光文化が本当の文化ではないとすると、本当の文化でないものを観光の場でもう一度客体化しても、そこで自己形成を行うことはないと考えることができる.観光文化が地元の人々の拠り所となっているという太田の意見に疑問を持った背景には以上のような考えがあったからである.この視点から観光文化とアイデンティティの関係について述べると、自己形成は観光文化の中で行われているのではなく,別の枠組みの中で行われているのだといえる.
第四章 新しい観光形態
(1)ホスト側から考える観光
観光においてはその性質上,力関係は無視できるものではない.そこにおいては観光者を迎える側は常に力を行使される立場に立っていることになる.しかしながらそれに抗する可能性を否定することはできない。むしろそのような抵抗の手段は今後の観光においては有用である.観光に経済的に重きを置いている国々にとって観光の力の構造に関与することは避けられないことである.この構造からの負担の度合いは、ホスト社会の住民が観光業務をいかに捉えるかにも影響を与えるであろう.そして、ホスト社会の住民が満足して観光業に携わることができるかどうかは、観光産業を持続するうえでも重要である.力関係の圧力を軽減する観光形態が,地元民の満足できる形態であるとまでは言えないが,それでもそのような力関係が弱まることは、地元民にとって望ましいといえるだろう.
太田が取り上げたような「アイデンティティの形成をもたらしてくれる観光」はホスト側にとっても望ましいものとして評価できる.しかし「真正さ」を考慮すれば、アイデンティティ形成の場と観光の場は別の文脈の話であることは前の章で述べた通りである.それでは「真正な生活文化」を観光に取り入れればよいということになるが、それは可能だろうか.確かに生活基盤にある真正さをもとにした観光があれば、地元の人々もアイデンティティを強化しつつ観光業に携わることができるし、その文化が本物であるがゆえに、観光客のイメージに合わせたものを強制的に行わされるという奴隷的屈辱を経験する機会も少なくなるであろう.けれどもやはり「柔軟な真正さ」は人々が生活の中で築くものであって、観光用の生活文化となると、それはすでに生活とは文脈を異にした観光文化となってしまう.また、たとえ「生活文化に基づく観光」が可能だとしても、生活を覗かれるような観光形態が果たして地元民にとっての「望ましい観光」といえるだろうか.さらに観光客の視点に立っても、観光客が求めているものは真正なものよりはむしろ有名なもの、自分たちのイメージに合ったものである.このように考えると、「持続可能な観光」には必ずしも真正さを取り入れる必要はないと思われる.それでは地元の人々が力の圧力に負けないような観光の形、つまり「新しい観光の形態」としてどんなものが提案できるだろうか.
例えば、観光業に携わる自分は、生活空間にいる自分とは違うと意識し、観光客のイメージに合わせることを「労働」として割り切る方法がある.観光の場はあくまで外貨獲得の場でしかないと考えることによって,生活の場にある「本当の自分たち」が力関係にさらされることを防ぐ。しかしながらこの方法は支配と被支配の構造が強化される傾向が強く、また観光が地元民にとって受身なものでしかなくなってしまうだろう.
観光客のイメージに合わせながらも、より,地元側が楽しんで参加できるような観光文化を提供する方法はどうだろうか.この形態は、地元民も楽しめるということによって,観光業に携わる姿勢に積極さが生じるという期待も持てる.また観光客にとっても、自分たちのイメージ通りのものを義務的に提供する地元民と触れ合うより,地元民が積極的に働きかけてできた観光文化を見るほうが,満足のいくサービスを受けたという実感を味わうことができるだろう.「新しい観光形態」の提案として第四章では橋本がフィジーの観光研究で扱っているハイビスカス・カーニバルをとりあげてみる。観光が持つ力関係に対抗する手段の一つとして、「住民も楽しめる観光形態」は有効だろうか.フィジーの観光への取り組みを紹介することによって,このような観光形態がどのような課題をもち,どのような展望に開けているのかを検討することにしてみる.
(2)フィジーの観光の見方
まず,フィジーの観光に対する考え方の移り変わりを見てみよう.この変遷を見ることで、フィジー側が観光の特徴である力関係をいかに認識しているかが分かるだろう.観光に対する初期の考えは、イギリスからの独立を前にした頃のものである.観光がまだ経済的に主要な位置を占めていないこの時期においては、フィジーの伝統的な接待精神が観光者にも受け入れられるという考えがあったようである.1968年に開催された観光会議の中で、初代首相となるマラは「われわれの儀礼は昔から訪問者を歓迎,接待することに結びついている.」と述べ,観光における接待と,儀礼における接待を混同して考えていた傾向がある.〔橋本 1999:234〕この段階では力関係を楽観視していたと思われる.
そしてこの考えは、観光客との相対的な関係を求めるものへと変わっていく.1979年のマラの「新しいルールを来訪者に守らせたい.金を支払っているかもしれないが,ゲストであることに変わりはない.礼儀正しければ誤りも許されるが,慣習や言語を知らないからといって,尊大な態度が許されるものではない。」という強気の発言からも観光の見方が変わったことが伺える.
このような段階を経て現在では新しい観光形態を模索しようという考えが出てきた.ここでもマラの主張を引用しておく.彼は「イギリスやスイス,リヴィエラや、マジョルカには,空港などで観光者を歓迎するバンド演奏も,地元民による儀礼などの観光者向けのパフォーマンスもないが人々はそこを訪問しつづけている.西洋文化は苦もなく観光を取り入れ,そこから利益を得ている。あるホテルの経営者が『観光者向けのアトラクションはわれわれ自身のために,われわれが作り上げたものに転換すべきである.それを観光者もともに楽しむべきである』といった」と述べ地元民と観光者が相互に楽しめる形態を模索すべきだとの意見を打ち出している.
1970年代の終わりから、ホスト社会であるフィジーにおいて、観光の持つ力構造を改めて認識していることが分かる。さらに観光客に対しても,収入のためにはもてなすべき存在ではあるが,その不当な力の行使は許されるものではないという見方が出てきたことが読み取れる.これらはつまり,今後の自分たちにとってのよりよい観光を、積極的に検討し始めている姿勢だということができる.
次に「新たな観光形態」としてハイビスカス・カーニバルについてとりあげるが,ここで、フィジーの観光への取り組みに対する私の見解を少し述べておこう.観光における力関係の構造を認め、その中でホスト社会であるわれわれができることはないかと考えるようになったことは観光の将来を考える上でも非常に評価できると思われる.しかしながらこれは国家レベルでの考えであり,実際に観光客を接待する役目を担っている地元住民の意識レベルとはどのようなものか考えねばならない.マラが考えるように,地元民が観光客と一緒に楽しめる観光形態ができあがるためには,まず住民レベルでの観光に対する意識化が必要である.観光客に「サー(sir)」と応え笑顔を振りまき、チップをもらう住民の現状に、今の観光のあり方をかえていこうという意思が見られるかといえば疑問である.住民達の意識が変わらないまま官僚レベルの考えを押し付けるだけでは,「住民参加型」の観光形態とはならない.観光業に携わるなかで、住民達が力構造の中に自分がいるという事実に気づくことから始めねばならないと思われる.
(3)新しい観光形態としてのカーニバル
それでは「新たな観光形態」になり得るものとして、ハイビスカス・カーニバルについての検討を進めることにする.このカーニバルは1970年代から年に一回行われているものである.1988年のハイビスカス・カーニバルはイギリスから独立を果たし,新国家が成立したことを海外に発信し,また国内には対立が見られるフィジー系住民とインド系住民に対して国民統合を促すために行われたものであった.
ハイビスカス・カーニバルの主な内容は三つある.一つはフロートのパレードである.フロートは動く広告であり,いくつかの企業や団体が参加し,自らの仕事内容などを紹介しながら行進する。フィジー盲人協会のように不揃いのTシャツを着て,趣旨を伝える横断幕を掲げて歩くだけの団体もいれば、ビルや、昆虫など様々な巨大模型を乗せた大企業のフロートも行進に参列する.
二つ目の内容は、フィジーに住む各民族による芸能の上演である.以前はフィジー系住民による,フィジアン・ナイト、インド系住民によるインディアン・ナイト、中国系住民によるチャイニーズ.ナイト、そして近隣諸島からの留学生が中心となったアイランド・ナイトが開催され各文化の担い手がダンスや音楽を上演していた.しかし1988年のカーニバルでは統合された「フィジー」を示そうとしたため各夜のイベント時間を四等分したため、それぞれの文化グループがいくつかの歌と踊りを披露しただけのものになった.橋本はこれを見て,まとまりがつかない「フィジー」という印象を受け,また上演内容にも薄さを感じたと述べている.
三つ目の内容でハイビスカス・カーニバルに欠かせないのが、ミス・ハイビスカスとミス・チャリティの選出である.ミス・ハイビスカスの候補者はカーニバルのすべてのイベントで紹介される.各スポンサーがチャリティ用の寄金を集める母体となって、それぞれの候補者を支援する.その中で最も寄金を集めることができた候補者がミス・チャリティとなり、最終日に、候補者全員の中から審査員によって選ばれた女性がミス・ハイビスカスとなる.この催しは、地元においてカーニバルを盛り上げる最大のものとなっている.ちなみに1988年のミス・ハイビスカスに選ばれた女性は、海外の教育を身につけながら、フィジーの伝統を尊重していると評価されている.ミス・ハイビスカスはまさにフィジーの理想の女性像を示すものであり、フィジーの全体としての一つのイメージを表す存在として位置付けられている.
さて、ハイビスカス・カーニバルは新たな観光形態として定着するであろうか.このカーニバルは8月に入り一週間かけて行われるもので、地元の人々にとって,日常を過ごす生活に一時的に区切りを入れる役目を果たしている。住民に生活の場と異なった文脈を提供しながら、文化表象の場を与えており、その上で住民も楽しむことができる.このカーニバルは住民が楽しめるという点では問題ないであろう.ただこれが観光として成り立つか、つまり、観光客に受け入れられるかといえば簡単な話ではなくなる.
観光客をわざわざ海外から訪れさせ、もう一度観にきたいと思わせるためには、他の観光に引けを取らない、あるいはそれ以上の観光文化を提供せねばならない.それにはやはり、ある程度の文化コードの変換、つまり観光客を惹き付けるような演出を行わねばならない.おそらくこの演出の問題が重要であると思われる.そしてこの演出の必要性は、前に挙げたカーニバルに含まれる三つの内容のすべてに当てはまるだろう.フロートの行進においてはその広告が海外から訪れた人にも理解可能な広告でなくてはならないし、国内のみに向けた、単なる宣伝という要素以上に見た目の華やかさや、参加団体の数など、パレードの規模にも気を配ることが必要であろう.芸能のステージでは、橋本の感じたような演技のまとまりのなさや、内容のうすさを解消せねばならないだろうし、近隣諸国のダンスや演奏にひけをとらないような熟練度が要求されるであろう.また、ミス・ハイビスカスの選考においては、「南国の女性は性に奔放である」といったようなステレオタイプを打破するチャンスでもある.その機会を生かしながら選出方法や候補者の紹介など、観光客を想定した見せ方を考えなければならない.そして、そのように観光用にカーニバルをァレンジする過程には、やはり地元民がカーニバルを観光用のものであると意識しなくてはならない.自分たちも一緒になって楽しむとはいえ、観光はビジネスであり、観光者は客である。その場においては、観光客に喜んでもらうという意識は持っておかねばならない.
カーニバルが「新たな観光形態」となるには演出という課題以外にも様々な問題を克服せねばならないだろう.カーニバルは集客力が強いため、期間中は大量の観光客が訪れることが予想できる.しかしすでに観光業が1億4000万ドルで、1億2000万ドルという砂糖の輸出業を上回り、外貨獲得産業の一位を占めるフィジーにおいては、カーニバルが行われない間の観光をどのように支えるかについても考えなければならないことなどがそうである。
このようにみてみるとハイビスカス・カーニバルが「新しい観光のあり方」として成立するには、先が長いと思われる.観光用の演出とはいかなるものか、地元民が観光の性質を意識するようになるにはどうすればいいかについても考えていかねばならないものだからである.また、現時点において、これが本当に地元社会にとって、「望ましい観光形態」になると断言することは難しい.しかしながら、この提案によって、観光と付き合おうとしている地元社会が、観光の支配―被支配の構造に取り組む可能性があるということ、そしてその可能性を考える必要があることを示すことができたのではないかと考える.
おわりに
第四章で挙げたフィジーに限らず、経済を支える基盤として観光を位置付けることをめざす国や自治体にとって、観光の特徴である、支配―被支配という力関係にどのように抵抗するかは大きな課題である.太田の、観光においてアイデンティティを形成し得るという主張も、力関係の中で地元の人々が上手くやっていく道の一つとして提案されたものであった.しかしこの議論は、生活の場に真正さを設定し観光の文脈と生活の文脈を分けることによって見直す部分があるという結論に達した。また、本論で私が提案した「住民参加型」の観光形態も、たくさんの問題を抱えており、即使用可能な提案とはいいづらい.しかし、新たな観光のあり方について考えることは非常に重要であろう.観光研究を行う者にとっても、観光を考える上でこの問題は無視できないものなのである.解決には困難な道のりであるが、このように検討を重ねることによって、何らかの有効な結論が出てくるものと考えているのである.
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