自己紹介

自己紹介


1962年岐阜県高山市生、神戸市灘区在住

神戸大学大学院 国際文化学研究科 教授 博士(文学)

神戸大学異文化研究交流センター(IREC)
多文化共生地域連携部 部長

神戸大学 国際文化学部担当科目
韓国・朝鮮社会文化論、外国語講読(韓国語)、演習B、卒論指導

神戸大学大学院 国際文化学研究科担当科目

2009年度担当科目
(前期課程)
「高度専門演習」「異文化関係論」
「フォリオ・論文指導演習Ⅰ・Ⅱ」
「民族誌論民族誌論特殊講義」

(後期課程)
民族誌論演習
博士後期課程
特別教育プログラム「グローバル化時代における「多文化共生」の再検討と文化のダイナミズムに関する研究」(project leader)

文化人類学者として、ちょっと詳しい自己紹介

文化人類学者として、ちょっと詳しい自己紹介


 これまで私は、東アジア諸社会、日本や韓国(朝鮮)における近代以降の社会変動と文化の再編成の問題について、文化人類学の視点から関心をもってきました。

あくまでも、自分の身の回りの延長上に対象社会の様子を考えたいという点で、「異文化研究」という人類学の王道から、外れてしまっています。今の問題意識は、今日東アジアにおける「伝統」を植民地支配、国民国家の成立、産業化といった近代の緊張の中から構築されてきた文化的現象について、再検討を試みることにあります。
 この問題意識に関連する多様なテーマに取り組んでいますが、私の生まれた故郷(飛騨高山)から神戸、日本、そして、韓国、東アジア、在外コリアンという「地続きの人類学」の中で考えていこうという姿勢です。ですから、私は朝鮮半島に関連すること全てに関心がある「地域研究者」ではありませんし、厳密な意味で「韓国朝鮮の専門家」ではありません。むしろ朝鮮半島を含む東アジアの社会と文化の今日的状況は、地域研究を越えた大きな問題を考える上で、非常に刺激的なフィールドであり、現代の世界、一般理論を考える上で重要であると思っています。
 はて、どうして、このようなテーマをやるようになったのでしょうか?
 もしかしたら、私が飛騨高山という、日本の近代化、高度成長にとり残されたという、たまたまの僥倖で「日本のふるさと」、観光地になってしまった土地で生まれ育ったためかもしれません。あるいは、子どもの頃の我が家が祖母の友人、近所の老女たちが集まる「ばばサロン」であり、地方の明治生まれの老婆たちにもみくちゃにされて育ってきたせいかもしれません。失われてしまった過去の凡庸な生活の複雑な襞に惹かれています。そして「国民国家」、「近代都市」、「近代化」、「市民」という言葉にどうしても違和感があるのです。いわば、「失郷者」感覚が原点なのではないか、と。
 具体的な研究方法は、先行研究を踏まえながら文化人類学のフィールドワーク(定質調査)による資料収集とちょっぴりの定量調査。対象とするタイムスパンは、同時代を生きている人が営なんできた時代、つまり植民地支配期(20世紀初頭)から現在まで。
 研究の目的は、日本、韓国などの「近代」と、そこで形成されてきた「単一民族国民国家」を相対化すること。これは私が文化人類学者を志した出発点にある思いです。ですから、韓国朝鮮だけが関心があるというより、広い意味での近代社会・文化、グローバル化の問題に関心があります。
 最近は朝鮮半島、日本から一歩踏み出し、中国東北部の朝鮮族、カナダ、オーストラリアなど海外在住のコリアンの問題、在日外国人の問題、さらには移民と「多文化共生」をめぐる諸課題に取りくみつつあります。
「人生いたる所に青山あるのか」という問題を考えています。

韓国・朝鮮半島に関心のある方への自己紹介


 春、大都市ソウルは中国からの黄砂にすっぽりと包まれます。この黄砂の一部は日本にも飛来し、春霞となります。一衣帯水の距離にある朝鮮半島は、歴史的に日本と深い関係をもってきました。特に近代以降はますます互いに生活に深く関わるようになってきています。この両者の関係は「合わせ鏡」のような関係と言えるかもしれません。朝鮮半島の人々の社会、文化、歴史を知ることは現在のわたし、わたしたち、日本人を考えることになります。また中国東北部を中心に200万の朝鮮族、日本に70万の在日韓国朝鮮人の存在を考えると、東北アジアの将来を検討する上でも朝鮮半島の過去と現在を知ることは意義があります。日本の近代と現代の問題を念頭におきながら、朝鮮半島を中心に、それぞれの人々の営み、社会、文化などについて一緒に考えていきたいと思います。