05月01日

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えっと、今回、レスポンスは勘弁して下さいな。講義の最初にいくつか応答します。

まさ

文化が経済・政治に大きな影響を及ぼす、という点が非常に共感できた。文化の違いにより、現在さまざまな争いが世界中で起きており、文化の違いは争いの火種というイメージが強い。しかし、日韓関係が冷え切っている中で、日本でK-POPなどが流行っているように、政治的には難しい状況でも、異なる文化を受け入れ、交流することでもっと他国のことを知りたい、理解したいと思う気持ちが育まれることもあるのではないだろうか。そしてそれが多くの日本人が現在冷え切った関係にある中国や韓国などへ抱いているような、他国へのやみくもな嫌悪感情を多少でも和らげることができるのではないかと思う。簡単ではないけれど、文化の違いをもっとプラスに捉えることができればいいのにと思った。

ピエロ

戦後は東アジアのターニングポイントであり、その後一民族国民国家が形成・完成され、今日では、グローバリゼーションが進む中でその民族国民国家が揺らいでいるということでしたが、グローバリゼーションを必ずしもプラスの言葉としてのみ取らずに、マイナスの言葉としても使われているところに興味を感じた。グローバリゼーションが東アジアの経済はもちろん、政治にも影響を与え、交易が活発となっている一方で、国家間の緊張関係さえも生み出している。そんなグローバリゼーションに対する両義性を今回の授業で強く感じた。

ハンドルネーム書いてよね

昨今グローバル社会と言われ、人、物、さらには情報までもが飛び交う世の中となってきた。そしてそれはいろいろなレベルで交錯するようなっている。その中でも重要となってきているのが文化の移動であると感じた。他者との相互理解を充実させるためにも、文化から見る視点も大切であると考える。そこで自文化中心主義の考えを学んだ上で本当の多文化主義の理念を持ちたい。そこで、社会的、歴史的、文化的な想像力を養いたいと考える。

Bob Nozomu

今回のテーマは東アジアのグローバル化ということで身近なワードが多かった。特に印象的だったのは植民地化についてだ。1890年代に近代というものがヨーロッパから東アジアに流入しそれをいち早く取り入れた日本が東アジアの主導権を握ったというのはよくわかったのだが、中国や韓国も日本と同時期に近代に接触しているはずなのに、日本の取り入れるスピードに遅れたのはなぜだったのか。それら二国が近代化に素早く順応できないような何か日本とは異なるナショナリズムがあったのだろうか。そこをもう少し詳しく知りたい。

ダムダム

異文化をはじめから異なるものとして肯定的、否定的に関わらず自文化より劣っているという位置づけをする政治的自文化中心主義に対し、グローバル化が進む現代においてぴったりとも思える「人間はどこでも同じ」という考えで、かえって異文化に対して、無意識のうちに自文化の価値観を適応し誤解してしまう認識上の自文化中心主義では、やはり後者の方が乗り越えるのは難しそうだと感じた。講義では、わからないものや複雑なものをそのままにする寛容さが重要であるということだったが、果たしてそれは異文化を理解したといえるのか疑問に思った。

リョウチン

今回の講義において、先生はグローバリゼーションがローカリゼーションであるナショナリズムを生み出す矛盾性を指摘していましたが、逆にローカリゼーションがグローバリゼーションにもたらす影響となんらかの形で新たな変化は起こり得るのでしょうか。自分が思うところには、地域が発展することがグローバリゼーションに対して何等かの作用があるとは思えないのですが、先生はどのようにお考えでしょうか。また、自分が調べた範囲では、「国家と共同体との地域協力の発展は、無制限なグローバル競争の否定的影響を緩和するのに役立つ。」* とありましたが、否定的影響とはどのようなものがあるのでしょうか。
道化師
in the last lecture ethnocentric approach about globalization was really interesting issue
after falling of racism which is kinda like ethnocentrism (soviet russia,hitler german etc) countires started to act more peacefullly and after recognizing other nations culture and ilfestyle it is started to called 認識上のethnocentric
and with that mission people and companies started to think clobally and act ethnocentricaly and with that economical improvement started.

みどりまる

先週の民族学の講義を受け、東アジアがグローバリゼーションにうまく適応できたのは冷戦構造化で、単一民族国家だったために効率がよかったからであり、それゆえ社会制度の整備、文化的標準化、経済発展を遂げることができたというのは、理解できたものの、皮肉的だと思いました。また、自文化中心主義はよくないものだとばかり思ってましたが、政治的自文化中心主義は一見肯定的に見える見方も自文化中心主義なのだと知り、でもそれは批判に値するのではなく、ほかの文化を肯定的に受け入れようとした結果なのではないかと思い、それによって出た表現さえも自文化中心主義なのだとしたら、必ずしも悪いものではないのではないかと思いました。あと、これは講義には直接関係のないことなのですが、HPのURLはどこに書いてありますか?レジュメの有無で取るメモの内容も変わるので教えてほしいです。

Chamalex

講義の中で、「グローバル化」という言葉が多く登場し、またそのグローバル化は、単なる国と国との関係ではなくなってきているという点が印象に残っている。私が普段ネットサーフィンをしている中でも、ネット右翼と呼ばれる人々の言動は簡単に見ることができるし、例えばYouTubeのコメント欄に様々な言語でのコメントが見られるなど、政治的問題であろうと大衆文化であろうと、あらゆる情報は瞬時に世界を駆け巡ることが身近にも感じられる。
また、授業後半に紹介された「認識上の自文化中心主義」という言葉が気になった。政治的な自文化中心主義については聞いたことがあったが、無意識のうちに自分化の論理で理解してしまうというこの自文化中心主義は避ける事が難しいと感じた。

トーマス

「あたりまえ」の生活の中にひそむ問題として、政治的自文化中心主義と認識上の自文化中心主義を学んだ。人間はどこでも同じだと考えて、異文化を理解する際に自文化における考え方を無自覚に適用して異文化を誤解してしまうことは、自分の生活の中で至るところにひそんでいるように感じた。その中で、こういった自文化中心主義思考の形成と1940年代の一民族国民国家の完成が関係しているように思えた。その理由は、日本の中に文化が多数存在していない状況となると、他文化との交流が少なく自文化の正当性がよりましてくると考えたからである。また、日本の地理的要因も関連していると思う。この関係についても、今後の講義で考えていきたいと思う。

haruroll

今回の講義で非常に印象深かったことは「政治的自文化中心主義」と「認識上の自文化中心主義」という二つの言葉です。私がこれらの言葉の説明を聞いたとき前者はナチスのユダヤ人に対する政策で後者は西洋の啓蒙主義でした。ナチスの政策はホロコーストという悲劇を生み出したため、歴史的にも非難される結果となりましたが、西洋の啓蒙主義は明確な悪意を持った形ではなく、第三世界に西洋の思想と制度、技術を広めていく形となりました。このような史上の例から私たちが気をつけなければならないのは「認識上の自文化中心主義」ではないかと思います。自分が便利だったから相手にも教えてあげよう、という無垢な考えが相手の文化を否定してしまったり、壊してしまう可能性があることも心にと めておかなければならないと思いました。


KA:今日の講義で最も考えさせられたのは、異文化や異なる国の人々と出会った時に、相手を「自分たちと一緒」だとして、その視点で考えようとする自文化中心主義についてです。
私は、大学1,2年生の頃に東日本大震災で被害を受けた被災地で仮設のコミュニティ形成支援をしていたのですが、その時に感じた「相手の立場に立つことはほぼ不可能」ということを思い出しました。
ボランティア支援を始めたころの自分は、「同じ人間、同じ日本人として、彼らの手助けをすべきである」と少なからず思っていました。
しかし、被災地に通い続けて感じたことは、そもそも被災した方々がみんなそれぞれ違う考えを持っているということでした。
家族も家もなくし一人になってしまった人がいる一方で、家はなくしたが家族が助かった人がいるなど、それぞれが異なった背景をもち、そういった多種多様な要因が複雑に絡み合いそれぞれが異なる考えをもっている、ということでした。
さらに衝撃だったのが、「自分は被災経験をしていない」ということでした。
岩手県釜石市にある、今はもう取り壊された防災センターという建物を訪れ、そこから町の景色を見たときでした。案内してくれた人が一生懸命震災当時の話や以前の町の話をしてくれていたのですが、その言葉が心に届かず、「自分はなぜここにいるんだろうか?」と思いました。
 その時、自分は被災地に来ているが被災した経験は持っておらず、被災した方々と同じ気持ちや考えをもてることはないんだろうなという現実に気付きました。
その現実にぶつかったときの衝撃は今でも心に残っています。
ただ、そこで重要なことは、「違いを受け入れ、どう行動するか」ということだと思います。
私は「私は被災していない」という現実を受け入れたとき、逆に「被災していないからこそ」という考えをもち行動を心がけました。
学生という立場や、自分の陽気なキャラを使って、どうしたら被災した方々と仲良くなることができ、その結果被災地がよくなっていくことができるか考え行動しました。
私の経験は同じ日本という国の中において感じたものでしたが、これが国と国になるとなおさら難しく、頻繁に起こるだろうと思います。
ですが、そんな時も「違いをしっかりと受け止めたうえでどう行動するか」ということが大切なのではないかと思います。


pocky:今日の講義で一番印象に残ったことは、私たち世代にとっては第一次世界大戦が、歴史上の出来事だが、日本の最高齢の人は歴史ではなく、リアルなものであったということである。なんとなくわかっていたことではあったが、講義で聞いたときに改めて実感した。また、自文化中心主義を抜け出すことが重要と言っていたが、最初抜け出すことなんて簡単だろうと思っていた。しかし、政治的自文化中心主義の中の、田舎に対する肯定的な見方も自文化中心主義に入ることを今まで知らず、今日初めて知って、簡単なものではないと思った。


あんな:異文化理解における自文化中心主義についてとても興味を持った。普段意識していなくても私たちは自文化中心主義的な考え方をしてしまっていることが多いのではないかということに気付いた。政治的自文化中心主義的な考え方は意識しやすいが、特に認識上の自文化中心主義的な考え方は気付かないうちにしてしまっているかもしれない。途上国に対する国際協力でもこのような考え方は見られると思う。途上国を先進国が支援しようとするとき、先進国が途上国を見て、どのようなものが足りないか、どのような支援を行えばよいかということを自分たちの論理で決めつけてしまい、実際に現地の人々の意見を聞かずに支援を行った場合、本当に必要とされている支援ではなくなってしまうと いうことが考えられる。また、私たちはテレビなどで途上国の人々の生活を映像を通して見たり、また実際に行って見たりしたときに、この人たちはかわいそう、不幸だ、などと思ってしまいがちであるが、それは私たちが自文化の論理で考えたものであって、その人々は自分たちが不幸だなんて思っていないかもしれない。今回の講義のなかでこのようなことを考えたが、その他にも普段の生活のなかで自文中心主義的な考え方をしてしまっていることが多々あるだろう。普段から異文化を考えるときは些細なことであってもそのような見方をしていないか考えていきたいと思った。


なもん:自文化中心主義については、昨年異文化コミュニケーション概論やその他の講義で学んだことがあったが、それを二つのタイプに分けるという考え方は初めて知った。一つ目の政治的自文化中心主義については、国内でも起こっているということに最初は衝撃を受けたが、話を聞くうちに自分の経験と照らし合わせることで納得した。私自身農村の出身であるが、都会の人は冷たいなどといったステレオタイプを持ってしまうこともあり、また都会に住む人々が農村に対して肯定的であれ否定的であれ異常に近い見方をしていると感じることもある。自文化中心主義というと国や民族を対象にした見方だと思っていたが、身近にも自文化中心主義的視点が存在しているということがわかり、なぜそういった見方をしてしまうのか、異文化はどのように理解したらよいのかという問題にますます関心がわいた。


てっぱん:東アジアの緊張関係をめぐる議論の中で「国家と国家の問題と、地域レベル、市民レベル、さらには個人の問題が交錯する状況」だという説明があった。これには一定の説得力がある。現在、SNSやブログなどのネットの普及に伴い、個人の“つぶやき”がその域を超えてムーブメントとなり国家間問題にまで影響を及ぼすことは今ではよくあることだ。例えば、日本における選挙選などでは昨今twitterによって投票を促進するような投稿が多く見られ、実際それによって投票というアクションに結びつくケースも多い。個人の政治に対する思想が、個人の枠を超えて地域や国の政治・外交に影響を及ぼしつつある。そうして行政の行動がまた個人の思想を形成していく側面もある。
しかしながら「問題の交錯」がありながらも、問題を超越して良好な関係を築く例もある。例えば5月1日に行われた世界卓球の「韓国vs北朝鮮」では「朝鮮半島統一旗」が振られた。政治的には多くの問題を抱える両国だが、「卓球」という側面を切り取ると、両者からの歩み寄りを強く感じられる。
このように、国、地域、個人の境界が薄れ、それぞれが相互に影響しつつある。しかし、それは東アジアの緊張を高めるだけでなく、その影響は時にお互いの距離を縮める側面も一方で持っていることを、東アジアの関係を語る上で認識しておく必要性があるだろう。


ハンドルネーム付けてよね:今回の講義では、東アジアでの近代化、また、植民地化、グローバル化、そして一民族一国家ができるまでの歴史を学ぶことができたと思う。興味を持ったのは一民族一国家ができるまでの流れである。一民族一国家ができるまでの流れにおいて、単一民族国家が成立するのであると学んだ。そして、その単一民族国家とは国民の95%が単一民族による国家のことを示すことも学んだ。例を示すと、日本のような国家のことである。このような単一民族国家ができるまでには、それぞれの国において、色々な成立過程があることを学んだ。これからは、日本が単一民族国家であることを自覚して、どのようにして日本が単一民族国家になったのかを理解していこうと、この講義を通じて考えた。
ryu:文化人類学系の講義を受けるといつも自文化中心主義という言葉に出会うのですが、田舎の人は素朴であるという認識、またディンカの例はどちらも自分に当てはまり、また、別の講義でディンカが家畜を中心とした暮らしをしており家畜の尿を飲んだりする様子を見たときに不快感を感じたことを思い出し、改めて自文化中心主義的なものの見方をしていると実感しました。今日の捕鯨問題にしても自文化中心主義的な考えが深くかかわっているのではないでしょうか。インターネットが普及し、世論の力の増大した今、皆が自文化中心主義から抜け出さなければあらゆる問題は解決しないだろうと思いました。


R:今回の講義で特に興味をひいたのは、自文化中心主義についてのお話でした。自文化中心主義については国際文化学部に入って何度も習ったものでしたが、自分のなかで自文化中心主義=他文化を自文化を尺度に見下しているという認識でした。しかし 素朴な人々、自然に近い暮らしというような一見プラスイメージの発言でさえも、自文化中心的なものだということに初めて気付き、自文化中心主義の定義を見直しました。


あげぱん:今回の講義では、東アジアの国々は、単一民族国民国家という共通した特徴をもつという話が印象に残った。東アジアの急速な発展は、それらの国々が単一民族国民国家であるからこそ成し得たことが分かった。しかし、ここで「民族」の境界線を定めるのが難しいと感じた。「民族」を辞書で調べてみると、「言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団」とあった。日本は単一民族国民国家とみなされているが、大阪と東京では文化においても言語においても、完全に一致しているとは言えない。それにもかかわらず、「日本国民」としてひとまとめにして考えても良いのだろうか、との疑問をもった。この講義を通して、そもそも「民族」とは何か、というところから考えていきたい。


ピエロ:戦後は東アジアのターニングポイントであり、その後一民族国民国家が形成・完成され、今日では、グローバリゼーションが進む中でその民族国民国家が揺らいでいるということでしたが、グローバリゼーションを必ずしもプラスの言葉としてのみ取らずに、マイナスの言葉としても使われているところに興味を感じた。グローバリゼーションが東アジアの経済はもちろん、政治にも影響を与え、交易が活発となっている一方で、国家間の緊張関係さえも生み出している。そんなグローバリゼーションに対する両義性を今回の授業で強く感じた。


ライアン: 異文化理解つまり他者をどう理解するかということにおいて、これは最終的には相手(国、地域、市民、個人)と接する際に差別なくコミュニケーションを円滑に行っていくことを目的としていると考える。その相手とそれに対応するレベルの"自分"というものがなんなのかを理解する必要があると思った。異文化を考えるには自文化いうものも考えさせられることになる。20c以降、"自文化"がいつの間にか日本を指すようになったとあったが、この理由が気になる。日本はマイノリティが5%以下だから自文化=日本ととらえることにさほど抵抗がなかったからなのでは?他の国では自文化をどう捉えているのか。やはり、相応するレベルの自文化をイメージするのでは?


kakikaki : 一見すると矛盾しているように思われるグローバル化とローカル化が同時に進行するということは、実は当然のことであるといえる。グローバル化とは世界中が 経済面や情報面においてつながり合うことである。そこでは地域間での文化的な摩擦は避けられず、それぞれが自分の地域に目を向ける動きが強くな る。すなわち、ローカル化が起きるのである。また、企業が外国へ進出する際も、その地域について深く知り、理解する必要がある。このような形でもローカル化は進行するため、グローカル化の動きは必然であるといえる。


MOOMIN:あたりまえの中にひそむ問題、に非常に興味を感じます。自分の「あたりまえ」がうまれるきっかけは?そもそも、普通とは何か?常識とは何か?正しい・間違っている、の境界線は?倫理的・非倫理的(道徳的・非道徳的)の判断基準は?etc という疑問は、考え出すときりがありません。こういった疑問に対し、他の人がどういう意見を持っているのか、聞いてみたいところです。しかし、物事を考え評価する自らの視点というものは、無意識のうちに非常に固定化される場合が多く、柔軟性を失いがちです。このことを、今回の授業で取り上げた政治的自文化中心主義、認識上の自文化中心主義に関する問題点と合わせて、改めて気づかされました。また、政治的自文化中心主義の考え方として、観光客の例が非常に分かり易かったです。メディアの影響が個人の思考判断材料に大きく関係があることは周知ですが、メディアは嘘つきだ、メディアには自文化主義的考えある、と批判するその先に、自分に自文化主義的な考えがある、という考えまでは、自分では至りませんでした。


ころひだろく:「和食」が無形文化遺産に登録されて5か月が経つ。ここで言われる「和食」とは、寿司や天ぷらといった形のある「日本食」を指すのではない。農林水産省のホームページによると、これは「『自然を尊ぶ』という日本人の気質に基づいた『食』に関する『習わし』」だと言う。確かに無形である。だが、無形は捕えづらい。ここでは、有形(寿司)としてではなく、無形(「習わし」)としての「和食」が、人形浄瑠璃や能楽、アイヌ古式舞踊に並んで日本を代表する「わが国」の遺産として登録されたことに注目したい。というのも、「和食」を無形としてとらえることで、「日本人の気質に基づいた『食』に関する『習わし』」によって生み出された「和食」(料理)そのものには重きが置かれにくくなるからである。  
12月31日の夜、家族そろって食卓を囲みそばを食べる風景を思いうかべてみる。年越しそばである。だが、上の定義によれば、「これぞ日本」としてあげられるのは、年越しそばではなく、12月31日という大晦日にそばを食べるという習わしなのである。こうなると、別にその年越しそばの材料である小麦や海老がどこからきたものかは重要ではなくなる。「和食」を有形のものとして捕える時、その材料に注目せざるをえない。食糧を輸入に頼る日本において、自国の食材を使わず作ったものを「和食」料理と呼び得るのか。そこで、今回「和食」は無形という曖昧な形での習わしとしてしか捕えられなかったと感じる。だが、それでも「和食」を日本の無形文化遺産に登録した裏には、グローバル化に対するナショナリズムの対抗を感じたのである。


親切なクムジャ:日本は第二次世界大戦において朝鮮半島を初めとするアジア圏の国々を支配するようになった。この出来事の前後で、アジア圏とりわけ東アジアの国々では大きな変化が起こったといえよう。この変化は、国の内外どちらともに作用した。私は今回の授業で、国の内部の地域主義的思考が近年のグローバル化に置いていかれているという現状を知り、納得した。この事態は実際日本ではどのような問題として浮き彫りになっているのか知りたいとも思った。また、巷では朝鮮のことを悪くあげつらう人も多いが、自文化が絶対的に正当だという概念を取り除き、この講義を通して異文化理解に励んでいきたい。


やんぬ:私は、「日本文化」のように文化を国ごとに考えるのは問題だと先生がおっしゃったのは非常に同感で、「日本人は~」といった言い方には疑問を感じます。まず同じ日本という国の中でも北と南、東と西では全然文化が違います。それに居住地域にかかわらず、自分の周りの人が自分と違う文化を持っていることは多いと思います。(よく思うのはグループの分け方「ぐっとっぱ」の掛け声です。驚くほどバリエーションがあって、たとえ近い地域でも同じものを使っているとは限りません。)自分と全く同じ文化を持つ人なんてそんなにいないのに、国や民族という明確な括りに安心してその境目ですべてを分けて考えないようにしたいです。なので「自文化」「異文化」という言葉にも次の講義からは気を付けて聞いてみようと思います。


トムヤムクン:東アジアにおいて冷戦構造下であってもグローバル化に順応し、社会的整備・経済発展を成功させた重要な要素が「単一民族国家の効率性」であるという指摘を聞き、私が以前ゼミ内で題材として取り上げたサモアやオーストラリア国内での多民族国家だからこそ抱える国家政策施行における難航な局面といった歴史と比較することで、単一民族国家であったことが重要なキーポイントとなったという指摘の妥当性を実感することが出来ました。


ビタミンとなり:講義の中で最も気になった点は、東アジアにおいてナショナリズムとグローバル化のせめぎあいが起きているということだ。東アジアでは単一民族国家ということが幸いし、効率的に経済・文化発展が進んだというのは納得だった。しかし、21世紀になり東アジアもグローバル化の波に乗り始めたことで、単一民族国家に亀裂が入っている。「単一民族国家」は20世紀の国民国家の時代においては、完全なる国家の形態のように思えた。しかし、昨今の東アジア各国の情勢を見てみると、中国国内での少数民族による暴動など20世紀には無視されてきた東アジアのマイノリティーが動き始めていることがわかる。その一方で、日韓の竹島問題や日中の尖閣諸島問題など、ナショナリズムの台頭とも言えるような行動があることも確かである。とにもかくにも、ナショナリズムやグローバル化といった言葉では捉えきれない東アジアの動きがあることは確かである。だから国民国家という枠を一度取り払い、地域、民族といった新しい単位で東アジアを捉えなおすことが今求められているのだろう。そのためにも「エスノセントリズム」の克服が必要だという話があった。ナショナリズムの根本にもエスノセントリズム(政治的)があるし、グローバル化という考えにもある意味エスノセントリズム(認識上)が含まれると思う。また、エスノセントリズムが異文化を見るときだけに発動するものではなく、自文化に対しても起こり得るものであることも興味深い。例えば、自文化イコール日本の文化と思い込むことなど。これからの講義で、自分の中にある常識(と思い込んでいるもの)を乗り越え、東アジアのダイナミズムをつかみきれたらと思う。


gagaryu:日本と中国、韓国の話で、中韓問題の話になったときに、日中問題、日韓問題のことしか考えていなかった自分の視野の狭さを痛感しました。物事を考えるときの第三者の客観的な観点は非常や重要になってくるとおもいます。
社会問題となり、日本中で話題になっているPM2.5は国内全体で被害を生んでいるように見えますが、北海道などの中国から離れた地域ではほとんど影響がない。それなのに、北海道でもPM2.5は話題になると考えたときに、情報が一瞬で世界中を駆け巡るグローバリゼーションの影響を感じ、それと同時に国境という概念がものごとの対処に対して、ある種の障壁にもなりかねないのではないかとも思いました。


pipex:先生が講義のポイントであるとおっしゃっていた、東アジアにおけるグローバリゼーションとローカリゼーションの話に興味がある。長く民族国民国家であった東アジアは、今後世界の他の地域と同じように、国民国家の意義が薄れ地域統合などによって地球化していくのか、それとも周辺地域とまとまることなく国民国家という単位で動き、さらにその中の少数民族が独立していくことによってローカリゼーションが進むのか。日本のことで考えてみると、私は、領土問題や歴史認識の問題など政治的問題を多く抱える現状では東アジアの国同士で統合をはかることは難しいと考え、中国ではチベットやウイグルなどの独立運動も盛んなのでこれからそういった動きがますます強まるのではないかと考える。


ザキヤマ:現在のインターネットの発達により、反韓、反中などの考えがより多くの人に伝えることが可能になっている。そして、その一つの流れとして「まとめサイト」が挙げられる。このサイトは管理人が、そのまとめサイトの趣旨に合う記事を掲載しているものである。そのまとめサイトは最近非常に人気になっており、そのサイトを発端に人気が出たアイドルや、マスメディアがその記事からニュースを見つけることもある。今勢いのあるまとめサイトにはもちろん反韓反中に関するものもあり、それが記事ランキングの上位に登場することもある。これらの記事に関してはもちろん中韓の日本に対する行動を知る情報源としては有用であるが、それでも特定の思想に基づいた記事である限りにおいて、読者の見識を特定の方向に導く危険なものである。これらの記事の影響力によって、授業において取り扱った自文化中心主義が助長されることtとなる危険性があると私は考える。そのため、これらの記事に関しては冷静な視点が必要であり、それを取り扱うメディアも慎重に報道を行う必要がある。、


しょ:今回の講義では自文化中心主義についてとても考えさせられた。現在、一般的によく議論されているのは、政治的自文化中心主義である。その中で、他者を「劣った者」とする視線はたびたび批判されているが、一見肯定的に見える(いなかは素朴で空気がきれい、というような)他者への視線も、序列的に土地を捉える政治的自文化中心主義であることを考えると、とても多くの人々が、政治的自文化中心主義を無意識に持っているように思われる。また、そのように考えていくと、一般的にそのような見方があまりにされているため、「いなか」、また度々そうであるとされている「後進」と呼ばれる地域の側からのいわゆる「先進」とされる地域への見方も見直されなければならないだろうと思われた。自文化中心主義は、全ての人からすべての人に対して無意識に存在するものであり、その双方向の目線どちらもが問題である。また、認識上の自文化中心主義の話は、ハッとさせられるものだった。進化主義とヒューマニズムが合体した近代での人種差別の過ちが、ほぼ同じような形で私たちの無意識下にも存在するという事に気付かされた。「早く帰れ」という言葉を、それを発した人の文化的背景、考え方を理解することなく理解することは、決してできないのである。
まっちゃ:近代について考えたり、語るときは主に西洋に焦点をあてて考えることが多かったので、東アジア視点で考えるのは新鮮に思えました。講義を聞いていると東アジアは近代化せざるをえない状況におかれていたのだとしり、今では普通に思える国民国家制度が近代化に伴いできた制度だときき、わたしが常識だと思っているものも実は違い、一旦その常識を取り払っていくことが大切だと思いました。


称月 澪: 東アジアにおいては、1890年代のヨーロピアンインパクトから始まり、植民地支配や独立・解散と分断国家の成立、冷戦構造化の紛争といった様々なターニングポイントが存在した。
その中で、私が一番興味を持ったのは、最初のターニングポイントはヨーロッパという近代が侵入したことで、起こったものであるが、その後、日本が朝鮮半島を植民地支配するといった、非欧米国家が非欧米国家を支配する状況が生じたことである。東アジアの近代化にともない、それぞれの国が変化していく中で、支配国、被支配国が発生する原因はどこにあったのか気になりました。


カーキ:日本、中国、朝鮮半島などの東アジア諸社会が急速に近代化、そして経済成長を迎えた理由の一つとして、先生はこれらの国が単一民族国民国家であったということを例に挙げていました。しかし、このことについて私は疑問があります。例えば中国はチベット、ウイグル、内モンゴルなどの地域に民族問題を抱えており、単一民族というよりは漢民族と多くの少数民族によって構成された国という印象を受けます。これは、一つの民族が他の民族を圧倒するほどに権力を持っていたため、急速な成長を迎えたという理解でよろしいのでしょうか。また、こうした中国の民族問題が噴出しはじめた理由や背景をグローバル化や近代化に求めることができるのか知りたいです。


JAM:多文化への視点の中に意識しない所で自文化中心主義的な考え方の要素が入り込んでしまうという話の中で、自文化って何なのか?どこまでの範囲なのか?という点が面白かった。例えば自分と一人の中国人留学生がお互いの生活について話していると必然的に自文化とは日本ということになるであろう。しかしそこにケニア人留学生が会話に入ってきた途端に自文化とはアジア圏に広がってしまうだろう。また自分と標準語を話す東京の学生なら自文化とは関西弁である。関西弁の中国人は?阪神ファンのケニア人は?例を挙げるとキリがないが自文化の境界線上とは、周囲や環境によって何度となく引き直されるモノであると考える。そういったズレをきちんと相手によって、集団によってそれぞれで理解せず、固定化してしまうからこそヘイトスピーチのようなものが生まれてしまうのだと考えた。


なつ:先日の授業で自文化中心主義を学んだとき、そういうことって本当にあるなと感じた。というのも私はこの春休みに、割と長い間台湾に滞在していたのだが、そのときに「あぁ、こういうところ不便だなあ。」とか「この人たち日本に来たらきっと喜ぶだろうに。」とか思ったからである。多分これも自文化中心主義であって、どうしても自分の文化を基準にしてここが劣っているとか思ってしまうものだ。また、私たちがメディアに操作されていることを知って、じゃあどうやったら本当の情報を得られるんだろうとすごく疑心的になってしまった。


Htkz:認識上の自文化中心主義があることによって、完全に自文化の眼差しを捨てて異文化を捉えるのは、難しいというより不可能であるということが分かった。しかし、グローバル化が進むことによって、「自文化」という枠組みが失われてゆき、将来的には自文化を「理解する、受け入れる」という考え方自体が消滅するのではないか、とも考えた。つまり、世界の人々の交流がより活発になるにつれて、自文化と異文化の壁が作られる機会が無くなり、一体化が進んでいくのではないか、ということである。


ライム:異文化を理解しようとするとき自文化中心主義はしばしば問題にされますが、自文化中心主義には2つのタイプがあるということを学び非常に興味深かったです。「認識上の自文化中心主義」はそうしているとは知らずに自文化の論理でものごとを理解することであり、「政治的自文化中心主義」よりも気づきにくく、私たちも陥らないように注意する必要があります。テレビ番組で、海外の少数民族が暮らしている地域を芸能人が訪れ現地の人々と交流する、という内容のものをよく見かけますが、その中で現地の人々や彼らの暮らしが「人間本来のあたたかさ、素朴さ」という言葉を使って表象されることが多々あります。これは一見プラスの評価のようにも思われますが、この言葉の裏には私たちよりも発達が遅れている、未開の社会であるというマイナスの評価が潜んでいるのではないでしょうか。それぞれの文化にはそれぞれの論理があるということを念頭に置き、異文化を理解したつもりにならずにわからないものとして捉える姿勢が大切だと考えます。


まさ:文化が経済・政治に大きな影響を及ぼす、という点が非常に共感できた。文化の違いにより、現在さまざまな争いが世界中で起きており、文化の違いは争いの火種というイメージが強い。しかし、日韓関係が冷え切っている中で、日本でK-POPなどが流行っているように、政治的には難しい状況でも、異なる文化を受け入れ、交流することでもっと他国のことを知りたい、理解したいと思う気持ちが育まれることもあるのではないだろうか。そしてそれが多くの日本人が現在冷え切った関係にある中国や韓国などへ抱いているような、他国へのやみくもな嫌悪感情を多少でも和らげることができるのではないかと思う。簡単ではないけれど、文化の違いをもっとプラスに捉えることができればいいのにと思った。


ハンドルネーム書いてよね:グローバル時代における文化の違いを理解することいわゆる異文化理解という言葉は今日では珍しくもないです。今回の授業で一番共感できたのは、「わからない」と言うことを恥ずかしくも怖くも思わないことです。日本人だけではなく、多くの人々はわからないと言うことをすごい恥ずかしいと思ってます。でも、そこで勇気出してわからなかったらわからないというふうに言う習慣も大事だなと思いした。

05月08日

ライム:1895年にフランスで映像(フィルム)の技術が発明され、そのわずか2,3年後には日本が映像に映されるようになったという事実は、私にとって興味深いものでした。なぜ欧米諸国はそれほどまで日本に興味・関心を抱いたのでしょうか。そして日本はそれをどのように受け止めたのでしょうか。授業で「エキゾチシズム(異国趣味)」というキーワードが挙げられていましたが、この言葉は異文化と接触したときにそれをどのようにとらえるかという価値判断と結びついていると思います。もちろん異国の目新しいものへの憧れ、好奇心という意味もありますが、私たちが「エキゾチック」という言葉を使うときには、それだけでなく私たちよりも野蛮で劣っているという意味を含んでいるのではないかと考えます。日本の近代化、国民国家化は、欧米の文化と接触しそれを部分的には受容しつつも欧米に劣らない日本固有の「文化」を「作り上げる」動きであり、それが現在の私たちがイメージする「日本文化」のもとになっているのではないでしょうか。

ビタミンとなり:今回の講義では、近代国民国家という概念自体がかなり逆説的なものであるということがわかった。近代という「運動」は、国民国家を形成すると同時にそれを解体する動きであったという。市場経済の発達がその例である。近代国民国家では中央によって内部の標準化がはかられるという話があったが、日本にとってそれは明治維新・文明開化といった言葉で表される運動であったといえる。明治になり、江戸時代の200年余り鎖国体制を終わらせ、西洋の列強とよばれた国々と対面した当時の日本・日本人はどのような思いで「近代」を見ていたのだろう。「映像の世紀」では、諸外国にとって未知の国だった日本がたいそう珍しく、人々の日常を撮影したフィルムや日本人の勤勉さなどを讃えるような文書まで残されていることを伝えていた。しかし、そのような諸外国からの視線を集めることは、日本にとって誇りでもあると同時に屈辱でもあったのではないだろうか。だからこそ、政治経済面での「近代化」を急ピッチで進めたし、それができない文化面において日本的「国民文化」形成していったのだろう。とくに後者を強調することは、アジアのなかで最初に「近代化」を果たした証として大きな誇りともなったのである。ここに、日本の近代化のもつ、対アジアという側面でのパラドックスがうかがえる。この日本の立場が現在までの東アジア問題にどのようにつながるのか、興味深いところである。

リョウチン:先生は今回の講義の中で、オーストラリアでは日本で通例なものとは逆の地図が用いられているという話で、北よりも南のほうが優勢という考えを示していましたが、南北の力関係を示す議論は多い気がするのですが、東と西の勢力図はどうなっているのでしょうか?やはり、西にEU諸国が存在しているため東の地位は低いのでしょうか?自分の考えでは東西冷戦を例にとれば、東西の力は均衡していたようにも感じるのですが、この考えには先生はどのようにお考えでしょうか?

→南北関係と東西関係は、その区分する基準が違います。考えて見て下さい。

Bob Nozomu:前回の講義の、なぜ日本が東アジアにおいて植民地化を優位に行えたのかという私の疑問は今回の講義で解消された。それは日本の柔軟性によるものだということがわかったからだ。何百年も続いた武士の時代からたった数十年で近代化に移行できるのは、ペリー来航以来の一種の危機感を持ち、柔軟に対応できたからこその出来事だ。ヨーロッパ列強にとってこの事実はとても興味深かったのはよく理解できる。さらに、その後の日露戦争での日本の勝利は、当時ヨーロッパ列強に支配されていた他の東アジアの国々には日本にできるのなら自国も、という民族意識を強く抱かせたのだと思う。

ken76:今回の講義でみた、映像にすごく衝撃を覚えた。そして少し腹立だしさも覚えた。そこには国民文化が成立した場合、異質な文化を排除するという動きをみたように感じた。私の中ではどうしても、ヨーロッパによる文化的差異の植え付けが大きく感じる。日本というヨーロッパ圏からすると、異質である文化を映像に残しそして、また日本でも特殊な部分を映していたというところはその顕著なところである。ここにいわゆる自文化中心主義の考えがあるのであろう。

はにかみ工場長:ウェストファリア条約以降、ヨーロッパを中心に形成された国民国家のモデルがポスト冷戦期以降変わりつつあるように思える。国家の枠組みでは捉えきれない民族紛争や、国家の境界をボーダーレスにしてしまったグローバル化によって自分が国家に帰属しているという感覚が薄れているように思える。そして、国家への帰属意識の欠如はそのまま国政への無関心につながるのではないかと思う。特に若者における政治離れは以前より危惧されていることであり、国民が政治に無関心であることは政治腐敗を引き起こす可能性もあり、なんらかの対処を講じる必要があると思われる。

Htkz:資料「映像の世紀」を視聴して、西洋諸国の文明開化直後の日本の捉え方、またその捉え方の変容が表れているのが興味深いと思った。はじめは、西洋は、ジャポニズムに代表される日本の奇妙な文化に対して、ものめずらしい視線を送っていたように感じたが、日露戦争後は、日本の驚異的な進歩のスピードに、尊敬と恐怖といった印象を受けていたように思った。このことから、西洋は、当初、東洋は支配の対象であることを前提としていたということが分かるし、また、そのある種軽蔑に近い眼差しが、日本の文化に対する見せ物小屋的な興味を誘ったのではないかと考えた。

まさ:今回の講義では、世界地図をひっくり返した図が印象に残った。私たちは、普段日本が中心にクローズアップされている世界地図を見慣れているが、日本を含む東アジアは、長い歴史の中でもずっと極東(far

east)という位置づけで捉えられており、実際回転された世界地図を見たとき、日本がどこにあるか、よく探さないと分からないほど小さい島国であることに驚いた。世界地図をとってみても、日本が真ん中にある地図に慣れている自分の価値観は自文化中心主義に陥っているような気がした。そして、そんな長い間未知であった遠く離れた小さな島国を、欧米の人たちが珍しがって興味をもつのも分かる気がした。また、近代文明に遭遇し、西洋のエキゾチシズムの流れの中で、日本も、日本という国としてのアイデンティティを異文化との接触を通じて確立して行ったのだなと思った。

spirit:今回一番面白いと感じたのは、エキゾチシズムに関する話でした。講義で見た『JAPAN』の映像には、西洋の日本に対する異国趣味が映し出されていました。
 なかでも、相撲の例にみるように、近代の国民国家を形成していく中で、西洋が日本に対して感じた異国らしさが、「他と区別される日本」としての役割を果たすようになったという点が興味深いと感じました。他の視線の中に見つけた‘自分らしさ’を演じるという手法は、現代の個人が常日頃から行っていることのような気もしました。他をみているようで、自分を見ているというのは自文化中心主義なのか自文化周辺主義なのかどっちなのだろうと思いました。
 また、他がもっている異質性をまじまじとみる映像の視点は、私自身に異国の異国らしさに出会ったときに感じる不思議な感覚を想起させました。その不思議な感覚がエキゾチシズムだったのだなと、一つ言葉を覚えた気がしました。異国らしさに人が惹かれるのは、それが得体の知れないものへの恐怖と興味が混ざったワクワク感を内包しているからなのかもしれないとも思いました。恐怖って根元的で面白い感情だなと再認識しました。

easywood:現在の主権国家が近代化の際に、いわゆる「グローバル化」に対応するため、余り意識されずに自然と、単独のユニークな文化を作ろうとしていたことが大変興味深かった。例:相撲、芸者、歌舞伎等。外からの影響に「応える」という形で、主権国家の領土内で統一の文化がつくられるという現象は、日本ではなおさら強いものと思える。なぜなら近大~現在の日本国内のマイノリティの影響力は、ヨーロッパ各国や南米各国に比べて比較的小さいものだったと言えるからだ。

トムヤムクン:「JAPAN」というビデオでは戦後の日本がいかに急激に、そして高度に復興を遂げてきたかに焦点を当てられていたが、ビデオを観て第一に「敗戦した日本が欧米化を取り入れ“真似”をしようと奮闘している」と考える記者を含む欧米人の上から目線の観点が垣間見えとても不快に感じました。「ゲイシャ・ガールズ」や日本を題材に取り上げたフランス映画も紹介されていましたが、登場する日本人の言動や表情はちょけたようなふざけた印象を抱かせる演出であって、日本人=小柄な有色人種という固定概念を植え付けるような作品に感じました。

なもん:日本、韓国、中国では、近代、内部の標準化と外部に対する差異化が図られた。これは三国ともに同一国家民族であり世界の他地域に比べ統制しやすかったためであろう。また外部との差異化によって独自の文化を作り上げることで自民族のアイデンティティーを構築していったのだと考える。また、都市と田舎については、田舎から都市への人々の移動により、都市が中央、田舎が地方という優劣関係のような関係ができあがり、中央の文化が国民文化、公定文化であるという認識がなされてしまう。しかし、韓国、中国についてはわからないが、日本では地方の文化もその地域で根強く残っている。同一民族でありながら住む地域によって様々な文化が存在するということは非常に興味深いことだと改めて感じた。

kakikaki: 本講義で、「近代化の流れにおいて、国民国家が形成され国家を一つの単位としてみる動きが強まる一方で、市場システムが発達し国境を越えた動きが活発化し ていくというパラドックスがある」とあった。しかし、それはもともと存在していた通商ネットワークの上に国境がひかれただけではないのだろうか。 国家形成による市場の発達があったとしても、その市場が一国家内でとどまることがないのは当然のことではないのだろうか。

pocky:近代東アジアにおける「世界」認識という話があったが、さかさまの世界の地図を見たとき、いつも見ている地図と違うため、その地図に対して違和感を抱いた。そこに、北半球が南半球よりも優れているという序列関係が存在していることを初めて知った。このことを知るまで一切そんなこと気にしていなかったが、その隠れた序列関係を知った時、納得してしまった。これも近代が作った自文化中心主義の一種なのだろうと思った。自文化中心主義を捨てるには思ったよりも難しいだろう。

gagaryu:公定化した自文化中心主義とありましたが、国家が中心となって国民を統合し作り出した国民文化、公定文化には、すべて自文化中心主義的な思想が加わっているのでしょうか?だとすれば、すべての国が固有の文化を持つ昨今の社会では自文化中心主義というのは逃れようにも逃れられないものなのではないかと思います。文化が自文化中心主義の考え方から生じたものであるならば、文化は人類学的に否定されるべきものなのでしょうか?その点が少し疑問として残りました。

pipex:今回ポイントであると言われていた、近代は国民国家を形成しつつも解体していくという矛盾についてですが、国家を単位とする市場システムが導入されたことで国民国家が形成され、その後のグローバル化によって市場が国家を単位としなくなることで国民国家が解体されていくというプロセスには納得がいきましたが、その形成と解体のプロセスが同時に進行するというところが少し腑に落ちない感じがしました。文化的植民地化と国民文化の生成というパラドックスは、造られた日本文化のイメージがあるように、現代にも存在すると思いました。


ザキヤマ:近代市場システムによって国家が単位として機能しだし、その広まりとともに国家がその役割を強めていったが、近年はグローバル化にともなう市場システムのさらなる深化により国家が機能しなくなっているというのは非常に納得した。市場システムに参戦するためには国家の仲介が必要であったが、近年は国家を介せずとも市場システムには参戦できるというもので、多国籍企業がその最たる例であると考える。近代に入り、西洋の政治制度や先進的科学技術の導入などによって近代化を果たした日本であるが、日本は近代に入るまでは各地方が独立しており、藩が国そのものであった。農村と都市の構図に関しても、農村で長男が土地を受け継ぎ、その他兄弟や土地がもらえないものは都市に出ていく、この構造は近代市場システムが導入されるまでは成立していた。このような構図をとっていた日本がアジアでは最も早く近代化を成し遂げ、一つの成果が日露戦争での勝利であった。近代化にあたっては中央集権が重要であるが、当時の中国や韓国は日本よりも中央集権が進んでいた。sかしながら近代化に関しては日本が先に達成した。この理由として考えるのは、やはり明治維新である。近代化に関しても、旧態な考えを持つ中央が実行するよりも、急進的な明治維新政府によって実行されたことにより、日本では急速な近代化が達成できたと考えられる。近代化にあたっては西洋の真似であったため、ある種のアイデンティティを保つために、日本の固有文化を強調していくのが近代以降の文化である。映像で見たように、日本の文化が海外で興味を持って受け止められたのは、日本の存在感をしめしている。当時は日露戦争などを通してアジアでのトップとして日本の立ち位置は確立していたが、第二次世界大戦、そして近年のグローバル化を迎えて、日本の東アジア、そしてアジア全体での立ち位置が揺らいでいると考える。

Carpediem: 江華島事件を日本側ではなく朝鮮側から見るとしたら、76年の日朝修好条規は近代に入り朝鮮が外国と結んだ最初の条約で朝鮮の多くの人は日本との交流を反対していました。しかし、一方で不平等条約でありながら日本との交流により西洋の優秀な文物を取り入れるべきだと主張する人もいました。朝鮮の植民地化だけではなく、欧米への対抗としての大アジア主義と近代のエーゼェントという二面性を持つ日本とは異なる両面性を当時の朝鮮では持っていたではないかと思います。

ころひだろく:映像におさめるとはどういうことかを考えた。それは特に"reality"を切り取るという意味で、「生き」証人を保存することだと思う。人から語り継がれた話や、本に記載された出来事よりもなぜか映像でとられた"reality"において、真実だと感じる。いや、真実かどうかを疑う余地がほとんど残っていないとも言える。それだけに想像と実際に見るということの間には大きな影響力の違いがある。だが、気を付けないといけないのは、映像のもつ"reality" が、真実なのかどうかを吟味する余地をほとんど残さないほど映像には、それが"reality"だと自然に思ってしまう作用があることだ。映像を見る側は撮る側の存在を時に忘れてしまう。まるで、映像の被写体が主体であるかのような錯覚に陥ってしまうのである。『JAPAN』に映された、子どもから大人まで、さて彼、彼女たちは、はたしてみな「日本人」だったのであろうか。「JAPAN」という名の映像に収められたというだけで、まるで日本人のように自然と思ってしまったが、撮る側の存在を意識するとき、彼、彼女たちも映像によって作られた一種の「日本人」のように感じた。いや、撮る側は何も「映像に移る者たちは日本人だ。」などとは言っていない。「JAPAN」とくくられる映像のタイトルから私(見る側)が彼、彼女たちを「日本人」とくくったのである。こうして「生き」証人は生き生きとある意図通り動き出す。

ごまプリン:明治時代の日本の様子の映像や、それに対する欧米の反応が非常に印象的だった。未知の途上国だとみなされていた当時、日本の独特な文化や急速な欧米化がいかに注目されていたかを理解することができた。日本をモチーフにした映画のような、ステレオタイプな日本の捉え方が当時の世界で広まっていったのは仕方が無いことだろう。しかし、ステレオタイプな文化の捉え方が批判されている現代になっても、外国から見た日本のイメージには実際とかけ離れたところがあるように感じる。それは、やはり昔の欧米の人々の間で広まったイメージに起因しているのではないだろうか。

やんぬ: 映像の世紀JAPAN」のVTRで映像メディアが発明された頃の日本を映した映像に興味を持ったので、今後も講義内で映像が見れたらなと思います。当時の映像は皆欧米のカメラマンが珍しい光景だと思ったから撮ったのだと聞き、今まで漠然と見ていた映像が急に意味を持って見え始めました。 私は、昔の日本の風俗や街並みについては教科書の記述や写真くらいでしか知りませんが、これは当時の欧米の人たちが日本という異文化について、特別に特徴的な数枚の写真や映像を通してしか知らなかったのと同じ境遇だと言えるのでしょうか。

ピエロ:東アジアはこれまで、欧米諸国の植民地となって以来、独立・解放運動や分断国家の成立など、その民族国家形成において、西洋諸国による影響を受け、複数のターニングポイントを経てき、近年になってその国家形成はほぼ安定したように思われる。しかし、現在において、グローバリゼーションに伴い、新たなターニングポイントにあると述べられていたように、中国や韓国などの経済成長にあげられるように、東アジア諸国と欧米の相関関係は大きく変化しているだろう。今後、東アジアと欧米との関係はより複雑となり、今後の自国の体制においても大きな変革期を迎えるだろうと感じた。

acid: 日本は、事実的には少数民族がいるものの、政策的には単一国民国家という形をとっている、あるいはその形が主流であるという旨を授業できいた。そこで、単一国民国家を形成しようとしている例を探してみると、皇民化政策というものをみつけた。皇民化政策は日本が占領した朝鮮や台湾において現地の住民を強制的に日本化させるために教化することであるが、その中には創氏改名という、朝鮮本来の姓名を奪い、日本式の名前にしてしまうなど、民族性を強制的に覆す恐ろしい政策もあった。他国の住民を戦力にしてしまおうという戦争時の政策ではあるが、このような強引な同化政策を行っているあたり、国内で同様の同化政策が行われていてもなんら不思議はないと思った。

あいり:今回の授業で、日本の国民文化形成に非常に興味を持った。いわゆる、現代でイメージする日本的なものには19世紀末にできた日本のイメージが色濃く残っていると思った。このイメージというのが、日本の歴史の中で自然に培われて日本的な文化へとなったわけではなく、国外からの日本のイメージの影響を受け、当時の世界の流れの中、国内から意図的に日本文化へと作り上げたものであった。これが現代ではあたかも昔からある日本の伝統的な、崇高なものであるという無意識の認識に陥ってしまっているのが、恐ろしいことであると思った。

あんな:メルカトル図法で描かれた世界地図で、地域ごとの「世界」の認識がみられるということが印象的であった。子供の頃から見てきた日本を中心に描かれた世界地図をいつも当たり前のように見ていたが、それは世界では当たり前のものではなかったのだと感じた。特にオーストラリアで使われている地図が普段私たちが見ている地図と上下が逆になっているということに驚いた。日本中心に描かれた世界地図に見慣れている私たちにとって、上下逆になったオーストラリアの世界地図はとても違和感があるように感じるが、逆にオーストラリアの人々にとっては日本の世界地図に違和感を感じるだろう。日本の世界地図が当たり前になっている私たちが日本が極東に描かれたヨーロッ パ中心の世界地図やオーストラリアの世界地図を見たときに「この地図はおかしい」と思ってしまうことも、無意識的に自文化の論理で理解してしまっており、認識上の自文化中心主義的な考え方と言えると思うと、自文化中心主義的な考え方は日常のなかのあらゆる場面で起こっているのではないかと改めて考えた。

まっちゃ:「映像の世紀」を見て、今まで遠いものだと思っていた明治が映像に取られる時代であり、案外近い時代であったのだなと驚きました。また、日本という小さな島国が文明開化、日露戦争などから、ヨーロッパ、アジアから注目されていたのを見るときに、果たして他国が全く日本と同じ立場に立ったときにどういう行動を取ったのだろうか、日本と同様に戦争を起こしたのではないのだろうかと思ったりしました。

8月21日

工事中