外国人の友だちに日本からちょっとしたプレゼント(1000円前後)をしたいという時はいつも頭を悩ませます。日本のことをぜんぜん知らない人や一度も来たことがない人には何でも良いのですが、日本をある程度知っている人、または古い付き合いなので日本のお土産のネタがつきてしまった人に何をあげようかという時です。こんな場合、最近は近所の神社のお守りを買ってプレゼントしています。もっとも、キリスト教やイスラム教の熱心な信者にはちょっと迷惑なプレゼントになるかもしれませんが。信心深く十字架を肌身離さずつけていた(私はそのことを知らなかったのです)ある青年は、私があげたお守りをじっと見て「おそらく害はないでしょう」と言って笑って受け取ってくれました。別の女性はお守りを袋から出して中に何が入っているかを見ようとしたので、「そんなことをするとご利益がなくなる」と言って私があわてて止めなければ中身をすべて出して検査しそうでした。
「交通安全」や「合格」など効能(?)のはっきりしたお守りのほうが贈りやすいので、ちょっと奮発して見栄えのいいものを買っています。去年パリで再会した若い友人(イタリア人の女性)が近いうちに大事な試験を受けるというので「合格祈願」のお守りを送ってあげたら非常に喜ばれました。今年は「縁結び」のお札を送ってあげたいと考えています。よけいなお世話かもしれませんが・・・。
Le Théâtre fantastique au château d'Ionis dans Les Dames vertes (résumé)
George Sand écrivit en 1857, à Nohant, plusieurs oeuvres dont Les Légendes rustiques, recueil de contes berrichons avec revenants et bêtes fantastiques, ainsi que Les Dames vertes, publié en épisode dans Le Monde illustré de la même année. Ce roman traite, lui aussi, de revenants, mais à travers une légende se déroulant dans un château angevin.
Nous voudrions, dans cet article, d'abord montrer l'une des possibilités d'interprétation des épisodes où l'on retrouve des fantômes, en tant que "représentation d'une pièce de théâtre". Ensuite, nous examinerons certains thèmes principaux de cette pièce, en la comparant avec Spiridion et Consuelo, autres ouvrages fantastiques sandiens. Ainsi nous essaierons d'éclairer la fonction de ce "théâtre" dans le roman.
Les Dames vertes est un exemple typique de réduction de la dimension d'utopie sandienne après 1848. Du rêve de construire une nouvelle société idéale, on passe au bonheur dans une communauté beaucoup plus petite et plus intime, comme la famille. Dans ce roman, le théâtre du château d'Ionis fonctionne en tant que lieu rappelant quelques fragments d'idées de Pierre Leroux ainsi que des idéaux romantiques, que Sand ne peut et, probablement, ne veut plus traiter de front, comme elle l'a fait avant la révolution de février.
ー「Le Théâtre fantastique au château d'Ionis dans Les Dames vertes」(仏語論文)『国際文化学研究』33号、2009年、神戸大学大学院国際文化学研究科、pp.1-10
邦題は「『緑の貴婦人たち』のヨニス城における幻想劇」。サンドの小説『緑の貴婦人たち』を詳しく検討することにより、まず、物語の中心となるヨニス城での幽霊出現のエピソードを、語り手をも含む登場人物たちの演ずる「幻想劇の上演」として読むことができることを示す。そして、この劇の中心テーマ2つがどのように演出されているかを検討し、最後にこの劇が小説全体でどのような機能を果たしているかを明らかにする。
先日2泊3日で韓国の釜山に行ってきました。いちおう団体観光旅行(フライトとホテルのみですが)なので、市内にある有名な豪華ホテルに泊まることができました。部屋も立派、レストランやブティックも高級、スタッフはほとんど皆日本語が流暢でとても快適でした。実はこのホテルには3年ほど前にも滞在したのですが、その時ちょっと気になったことがありました。ホテルの人たちの日本語で「・・・してあげます」という言い方です。ホテルの土産物コーナーで買い物をすると店員さんがにっこり笑って「ありがとうございます、これも付けてあげます」と言ってきれいな札入れをおまけしてくれました。また、ホテルの人に何か尋ねると「地図を見せてあげます」と言って、詳しく教えてくれました。この「・・・してあげます」という丁寧語の使い方が少しおかしいのでは、とその時思ったのですが、こんなに日本人客がいるのだからそのうち訂正されるのではないかと考えたものでした。ところが、今回もまったく同じ表現が使われているので驚きました。誰も注意する人がいないのでしょうか。「これもつけてあげます」「地図を見せてあげます」も確かに日本語として間違いではないのですが、やはり「これもお付けします」「地図をお見せします」のほうが日本語として自然です。「正しい日本語」と「自然な日本語」は違いますね。これはすべての言語に関して言えることだと思いますが。