スタール夫人の『コリンヌあるいはイタリア』を二十一世紀に読む

-「スタール夫人の『コリンヌあるいはイタリア』を二十一世紀に読む」『近代』110号、2014年、神戸大学近代発行会、pp.1-15.

 この小説は刊行200年後の現代においてもさまざまな角度からの考察が可能な、文学的厚みを持ったテキストなので、本論ではこの作品における国籍の問題と異文化接触のとらえ方について考察している。

 現代的な国籍の概念が生まれたのはフランス革命とその後のナポレオン戦争時代である。19世紀初頭のヨーロッパでは、パスポートに結晶する法的な整備はまだであったが、公的書類上でどの国に属するかのメリット・デメリットが大きくなっていた。それにともなってイタリア人、フランス人、イギリス人らの間の区別や差別が特に注目されだし、ロマン主義の特徴のひとつであるエキゾティズム趣味が生まれる理由のひとつとなった。『コリンヌ』にはその特徴がはっきりと読み取れる。

 フランス文学史においてこの作品を最初期のフェミニスト文学と見なすことがあるが、フェミニストという言葉を、「女性の置かれた不当な状態を告発し、女性に男性と同等の権利を要求する者」と定義するなら、この小説はそれに必ずしも当てはまらない。ヒロインであるコリンヌの不幸の原因は、「女から愛される資質だけをそなえている」オズワルドに恋したこと、異質の文化に属し、そしてそこに留まるほうを選ぶことになる彼に惹きつけられたことであった。この小説は、女性性や女性の置かれた状況によって引き起こされた悲劇というより、異文化同士の接触と反発の悲劇と見る方が的を射ているのではないだろうか。

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