ー「ナリシキン邸のスタール夫人」『近代』118号、2018年、神戸大学近代発行会、pp.19-33.
スタール夫人の『追放十年』Dix Années d'exilは彼女の没後に発表された作品で、皇帝ナポレオンにパリから追放された彼女が数々のいやがらせや迫害を受けたのち、1812年に当局の目をかいくぐってスイスのコペにある屋敷から脱出し、オーストリア、ロシアをとおってスウェーデンに到着するまでが語られている。夫人最晩年のこの未完の作品は、1797年から1804年までの前半部分と1810年から1812年までの後半部分に分かれている。後半部分には彼女の亡命の旅の様子やその際に見聞したこと、それらにたいする彼女の見解などが記されており、スタール夫人という当時のヨーロッパでも第一級の知識人の旅の記録としても、またナポレオン戦争時代の歴史的証言としても知られている。とりわけ1812年のロシアの旅と滞在の記録は、一方でナポレオン軍がロシアに侵攻しており、彼のモスクワ入城直前のロシア貴族たちの様子をつぶさに観察したものである。本稿では作品の終わり近く、ロシアの大貴族ナリシキンの屋敷をスタール夫人が訪問する短いエピソードに特に注目し、そこに見られる彼女の「ロシア論」「ナポレオンのイメージ」「カルムイク人への言及」「音楽をめぐる考察」について検討している。