近況: 2009年6月:一覧

依存症

 石川県が条例で小中学生に携帯電話を持たせないようにすることを決めたそうです。その是非はともかくとしても、私は携帯電話というものは自分にとってかなり危険なものになるという確信があります。職場でも自宅でも机の前に座っていることが非常に多い(授業の時、寝ている時間、通勤時間以外はほとんど全部)のですが、最近はパソコンでインターネットをいじっている時間がとても長くなっています。ちょっとでも疑問に思うことがあるとすぐにネットで調べる癖がつきました(最近の例:「煮物に適しているのは男爵芋かメークイーンか?」「サトイモとタイモはどう違うのか?」「温泉宿では必ず心付けを渡すものなのか?」「ゴルゴ13は今何巻まで出ているのか?」)。それだけならいいのですが、そのあとずるずると他のサイトを読んでいて、はっと気づくと何時間もコンピュータの前にいたりするのです。机の上でないと見られないパソコンでさえそうなのですから携帯電話を持っていつでもインターネットが使えるとなると、ほとんどいつもそれをいじることになりそうです。あっという間に依存症になることは眼に見えています。「君子は危うきに近寄らず」だと思う今日この頃です。

完全な幸福

 スタンダールの『恋愛論』の最初のほうに次のような言葉があります。
 「魂はすべて単調なものに、完全な幸福にさえ飽きる。」
 だからこそ、実際の恋愛や人生にいわゆる「ハッピーエンド」というのはありえず、永遠を追い求める者たちにとっては、ある場合は「死」が救いとなったり、「愛」と「死」が緊密に結びつくことになるのだろうと思います。美しい恋物語に釣り合う結末をつけるためには、主人公の死まで描くか「その後ふたりはいつまでも幸せに暮らしました」という決まり文句で終わるしかないのですね。実際の人間はスタンダールの言うように「幸福にさえ飽きる」ものですから、次々と新しい刺激や挑戦を求めるわけです。「地獄」(毎日が悲惨で辛い試練ばかりが起きる)よりも「天国」や「極楽」(終わりのない幸福?)のほうが想像しにくいのは、たぶん我々の魂の根本的な構造と関係があるのではないかと思います。
 今日になって兵庫県知事が「兵庫安全宣言」を出されたようですが、私の周りでは「今さら・・・」という感じです。スーパーマーケットやチェーン店形式の喫茶店で働いている人たち以外ではもうほとんどマスクをしている人は見かけません。新型インフルエンザのことはあっと言う間に忘れ去られてしまいました。あの騒ぎは何だったのだろうといささか割り切れない思いがあります。
 6月12日から8月31日まで横浜美術館で開催される「フランス絵画の19世紀」展に関連して「ドラクロワ・ショパン ・サンド」という短いエッセイを書きましたので、興味のある方はこちらをお読み下さい。

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