しばらく前から体が不調です。胃がもたれて食欲がなく(これは私にめったにないことです)、全身疲労でぐったりとしています。でも仕事がたくさんあるので、それが気になってしまい、日曜日にも大学に来ていました。だいたい1年のこの頃は体調が良くないのですが、今年は今まで以上にひどい感じです。でも、あと1か月はなんとかがんばらなければ(と言いながら、早朝からワールドカップを見ていました・・・)。
2014年6月:一覧
-「スタール夫人の『コリンヌあるいはイタリア』を二十一世紀に読む」『近代』110号、2014年、神戸大学近代発行会、pp.1-15.
この小説は刊行200年後の現代においてもさまざまな角度からの考察が可能な、文学的厚みを持ったテキストなので、本論ではこの作品における国籍の問題と異文化接触のとらえ方について考察している。
現代的な国籍の概念が生まれたのはフランス革命とその後のナポレオン戦争時代である。19世紀初頭のヨーロッパでは、パスポートに結晶する法的な整備はまだであったが、公的書類上でどの国に属するかのメリット・デメリットが大きくなっていた。それにともなってイタリア人、フランス人、イギリス人らの間の区別や差別が特に注目されだし、ロマン主義の特徴のひとつであるエキゾティズム趣味が生まれる理由のひとつとなった。『コリンヌ』にはその特徴がはっきりと読み取れる。
フランス文学史においてこの作品を最初期のフェミニスト文学と見なすことがあるが、フェミニストという言葉を、「女性の置かれた不当な状態を告発し、女性に男性と同等の権利を要求する者」と定義するなら、この小説はそれに必ずしも当てはまらない。ヒロインであるコリンヌの不幸の原因は、「女から愛される資質だけをそなえている」オズワルドに恋したこと、異質の文化に属し、そしてそこに留まるほうを選ぶことになる彼に惹きつけられたことであった。この小説は、女性性や女性の置かれた状況によって引き起こされた悲劇というより、異文化同士の接触と反発の悲劇と見る方が的を射ているのではないだろうか。
この前の土曜日に六甲山に登りました。今回のルートは阪急御影駅から歩き始め、石切道を通ってガーデンテラスに行くというもので、楽勝ハイキングのはずでした。いつも使うガイドブックによると2時間半ほどのお手軽ルートのはずです。ところがこれが大変でした。まず、本格的な暑さが始まった日だったので山のふもとに着く頃には汗がべっとり。そのあとひたすら山上を目指し、もう一息となってからが、えんえんと長い上り坂だったのです。この急坂を越えれば山上に着くはずと最後の力を振り絞って登ってみると、まだまだ別の道が続いている、ということを3回ほど繰り返し、出発から3時間以上かけて目的地に着いた時はヘロヘロでした。最初からこのくらいの時間がかかるとわかっていたらそれなりの覚悟をしていたと思うのですが、ガイドブックの所要時間の記述に間違いがあることに気づかなかったので、もうすぐ着くという期待をしてそれが裏切られるたびに疲労が増したのでした。誤った期待を持つのはとても危険だと、言葉通り身にしみて感じました・・・。