近況: 2009年2月:一覧

東京のこと

 人は何を記憶にとどめ、何を忘れてしまうのでしょうか。昨日、大学時代の恩師の最終講義を聴講するため上京しました。東京には年に何度か行くのですが、大学近くに宿をとって周辺を歩くのは本当に久しぶりでした。学生時代に大学の正門近くのアパートに1年ほど住んでいたので、さっそく尋ねてみようとしたのですが、正確な場所を思い出すことができないのです。だいたいこのあたりという見当はつくのですが、もとの住居はもちろん、見覚えのあるものは何一つありません。界隈の建物が随分変わったせいもあるのでしょうが、何より私の記憶に当時のことがほとんど残っていないのです。
 18歳で上京して以来、2度の中断をはさんで通算10年ほどの間に5カ所で暮らしました。最後の2年半以外は学生という身分でした。20年以上たって当時の生活を思い浮かべようとすると、大学や語学学校(アテネ・フランセなど)のことは比較的記憶がはっきりしているのに対して、他のことは住んでいた場所を含め実にあいまいなのです。しかしながら、その中でもよく思い出すのは、上京直後2年暮らした板橋区のアパート近くの**銀座という商店街(長いアーケードが続き、夜遅くまで店があいていました)にあった数件の小さな古本屋を夜な夜な梯子したことです。大志を抱いて(?)都に出て来たのに、コンプレックスといらだちと日々の生活に対する不満の多い毎日でした。現在に満足できないので、未来に夢を持つか、本の中へと逃避するしかなかったのだろうと思います。狭くほこりっぽいけれど、わりあい整然と並んだ本の間で、いろいろなものを拾い読みして時を忘れた夜、夜、夜。何もないアパートに帰るのが嫌で、でもそうかと言って繁華街に出て行く気にもなれず、結局いつもそこに足が向いたものでした。もはやセピア色に近くなったほろ苦い学生時代の記憶です。

フランス流?

 1週間ほどフランスに行ってきました。予想したほど寒くはなく、順調に日程をこなしたのですが、最後の最後に大変な思いをしました。
 最後の晩はパリに泊まり、モンパルナス駅近くのエールフランス・バス乗り場からシャルル・ド・ゴール空港行きのバスに乗ることにしました。9:30発のバスに乗るため、9:15分頃にバス停に行くとすでにバスが来ていて、まもなく乗車がはじまりました。大きな荷物をバスのトランクに入れたあと、ひとりひとりが運転手に運賃(16.50ユーロ、2000円弱)を払うのですが、これにたいへんな時間がかかるのです。お札を出しておつりをもらう人だけでなく、小切手で払う人、カードで払おうとして断られる人もいて、どんどん時間がたち、バス停にはものすごい人数の列ができました。最初のうちは冗談を言ったりして愛想の良かった運転手も9:30の出発予定時刻を越えてしまうと焦りはじめ、「もう一杯だから出発する。次のバスがすぐ来るから。」といいかげんなことを言ってバスを出そうとします。すると、すでに荷物をトランクに入れて並んでいた人たちが騒ぎ始め、一度閉めたトランクを開けて自分の荷物を取り出し始める。中には「このバスでないと間に合わない。」と言って強引に乗り込んできて運転手と口論になる人や、取り残された人が怒るやらたいへんなことになりました。結局大勢の人をバス停に残したままバスは10分遅れで発車し、途中で寄るはずだったリヨン駅のバス停を通らずに(!)そのまま空港に向かいました。
 こういったことはおそらく今日が初めてではなく、しょっちゅう起こっているはずです。日本でごく普通にやっているように、なぜバス停近くにチケット売り場を作るか券売機を置いて乗車をスムーズにしたり、一定数以上の人の荷物を積み込まずに次のバスに回すよう手配する人を置かないのでしょうか。いろんな所で非常に合理主義的で機能的な仕事ぶりを見せるフランス人たちなのにととても不思議に思いました。ちなみに、このバスに乗った私は飛行機出発予定時刻の3時間以上前に空港に着いて、搭乗までの長い待ち時間を持て余し、そのうえ飛行機は悪天候のため、滑走路の上で離陸までさらに3時間以上待機。まさに疲労困憊で関空に帰り着きました。

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