近況: 2009年3月:一覧

神がかり

 WBCの決勝戦で最後の決定打を決めたイチローは「最後の打席では神が降りた」と言っていますが、「神がかり」になったということでしょうか。自分がまるで自分ではなくなるような感じがして普段では思いもかけないような力を発揮してしまう、という経験は私の場合2回ほど思い浮かべることができます。1回目は中学校の弁論大会の時でした。よく覚えていないのですが、しゃべり始めると何かがついたような気がして夢中になりました。後で人に聞くとたいへん感動的な話をしたそうで、非常にほめてもらいました。2回目は故郷のある祭で踊った時のこと。大人数で歌に合わせて踊ったのですが、長時間やってくたくたになってしまい、もうだめだと思い始めた頃、最後の最後になってなぜか皆一種のトランス状態になりました。ものすごくうまく踊ったようです。(自分では見ていないのでわかりませんが。)これは集団的神がかり状態だったのでしょうね。こういう状態を自分の思うままに作り出せたら無敵になるはずと、受験生時代にいろいろ試してみましたが、だめでした。やろうと思ってもだめなのですね。まさに「神頼み」するしかないわけです。
 神がかりではありませんが、それでも1回だけ特別な体験をしたことがあります。20代半ばの頃、ある試験を受けました。それは比較的単純な試験で、かなりの量の年号や固有名詞を丸暗記しておけばいいというものでした。その前日、夜遅くまでがんばったのですが、丸暗記はけっこうたいへんでなかなかうまくいかず、そのまま途中で寝てしまいました。ところが、翌朝起きて机に向かうと、なんと昨晩あれほど苦労したことが全部頭に入っているのです! もちろん試験問題にもすらすら答えることができました。その時私は「もしかして自分は天才ではないか」と思った(笑)のですが、そういう経験はそれ1度だけです。その時覚えたはずのことは、今何一つ思い出すことができません。記憶力という点では、毎週顔を合わせる学生さんたちの顔と名前さえちゃんと覚えられずに顰蹙をかっています。受験勉強をしていた時期にはあれこれたくさんの方法を試してみましたが、やはり地道にこつこつと努力する以外に実力をつける方法はないというのが私の出した結論です。

もうすぐ新学期

 桜の便りもちらほら聞かれるようになりました。もうすぐキャンパスには新しい学生たちがやってきます。毎年新しい若い顔が入ってくるのにたいして、教員のほうは自分がどんどん年とっていくのを感じてしまいます。大学院には中国からの留学生、それも女子学生が本当に多くなりました。これは今から20年前には予想もできなかったことだと思います。
 10年ほど前、必要があって、学部の情報論の授業でデータベースの作り方の授業に参加させてもらったことがありました。予備知識があまりない私の隣にひとりの学生が座って、コンピュータ操作の分からない時に補助してくれることになりました。それは当時学部在学中の中国人の女子学生でした。担当の教員は本学部の教授(男性)でしたが、その下で授業の補助や困っている学生の手助けをするティーチングアシスタントがいて、それも中国人の女子学生(修士課程在学中)でした。他の人と比べて理解が遅く、またコンピュータ画面上の見慣れぬ英単語に戸惑う私を隣の学生はやさしく手助けしてくれ、自分でも分からない時はティーチングアシスタントに尋ねてくれました。彼女たちは中国語で会話し、私とはもちろん日本語。3人でコンピュータ画面上の英語を見ながら操作しました。この時以来、「女性」「中国人」「英語」「コンピュータ」というのは、私たちの学部・大学院の未来と切っても切れない関係になるだろうということが私にも実感として分かるようになったものでした。その授業の後に作ったデータベースは、深い知識がないため自分で改良することができず、使い勝手があまり良くないまま現在に至っているのですが。

目次