近況: 2010年5月:一覧

知らないほうが

 昔の友人が作家になりました。フランス人の女性で学生時代に親しくしていた人です。現在、結婚して子どもがあり、仕事をしながらすでに小説を3つ発表しています。彼女の4作目はとても情熱的な恋愛小説らしいのですが、私は本を手に取るのをためらっています。というのは、今度の作品は女主人公の一人称で書かれているらしいからです。私は作者がとても良い人であることを知っているのですが、彼女は運命の恋に命をかける情熱的なヒロインとはイメージがまったく違います。もちろん作者とヒロインは別人であることはわかっているのですが、現代社会を舞台にした一人称小説だとどうしても重ねてしまいそうになるのです。

 小説の読者が作者をまったく知らなければ、おそらくすんなりと物語の世界に入っていけるのでしょう。でも、現実の作者に関する知識が物語への没入をさまたげてしまう、そんな場合もあるのですね。あこがれのスターや英雄は遠くから眺めているほうがいい場合が多いようです。現実生活の苦さを味わってしまった元「夢見る乙女」の感想と言うべきでしょうか・・・。

オーウェル『1984年』

 ジョージ・オーウェルの『1984年』を読みました。1949年出版のこの本は、全体主義的な近未来のぞっとするような管理社会とそれに反抗して敗れ去る人たちの物語であり、本当に救いのない悲惨な結末の小説です。私の好みの作品ではまったくなかったのですが、 どうしても必要があって、しぶしぶ読みはじめました。ところが、物語の最後の3分の1あたりになると、ほとんど休むことを忘れて一気に読んでしまいました。ものすごく陰惨なストーリーであるにもかかわらず、作品世界があまりにもリアルなため登場人物たちの運命が気になってどうしても途中で止まることができなかったのです。読んでよかったと思います。読む前と読んだ後では世界が違って見えるような作品だと思いました。そういう意味ではやはり20世紀を代表する傑作小説のひとつなのでしょう。でも、2度読みたい本ではありません。
 第二次世界大戦中のユダヤ人などの強制収容所のひとつとして有名だったポーランドのアウシュヴィッツ収容所は、そこで何が行われたかを忘れさせないために保存され、毎年世界中から大勢の来場者があり、フランスからも見学ツアーがいくつかあるそうです。昨年フランスの友人がそんなアウシュヴィッツ詣でをしてきて「2回行く必要はないが、いちどは必ず行ってみるべきだ」と言っていたのをなぜか思い出してしまいました。

体育

 ゴールデンウィークですが、ひ弱な私はちょっと風邪気味でどこにも行けません。でも、先日までとうってかわった行楽日和で、自宅にいても少しそわそわしています。なぜなら、本日行われている武庫川マラソン(70キロ)に参加するため、田舎から親戚が来ているのです。

 体育系が不得意だった私には、小学・中学・高校時代のマラソン大会や水泳大会は悪夢以外のなにものでもありませんでした。長距離を苦しい思いをして走って何が楽しいのかわかりませんでした。水泳のほうは「溺れるかもしれない」という恐怖が常にあって、本当に不安でした。体育の時間が大嫌いで、大学にはいってまで必修だったのにうんざりしたのを覚えています。

 今の年齢になってみると、子供のころ、若者のころに体を鍛えておくこと、丈夫にしておくことがどんなに大事かとてもよくわかりますが、学校という大きな組織の中で、大勢が一緒になってやる体育の授業にはかなり問題があると思います。他の科目とちがって(?)即座にその場で「でき・ふでき」がはっきり目に見える形で出るため、プライドはあるが運動神経がついていかない子供、(昔の私のように)頭でっかちの子供はとてもつらい思いをするのです。水泳大会の日など体がほとんど登校拒否していたのを覚えています。

 おとなになって、健康や体形が気になる年齢になるとお金を払ってスポーツクラブに行き、ランニングマシンやプールを使うようになりました。「痩せなくては」「健康にならなくては」という今のこの熱意があれば、子供時代の体育の時間なんて本当に「へのかっぱ」なのですが・・・。タイムマシンに乗っていって昔の私を諭してやりたいものです。

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