ヴァヌアツ共和国

歴史

 ヴァヌアツ共和国は、太平洋のメラネシア地域にある島嶼国家。地理的にニューヘブリデス諸島と呼ばれていた島々は、1906年、イギリスとフランスの共同統治領となった。イギリスとフランスは、犬猿の仲とでも呼べるような状態で、共同統治は上手くいっていたとは言い難かった。共同統治政府は存在していたが、実質的にはイギリス官邸がイギリス人とその影響下にある地域を中心に、フランス官邸がフランス人とその影響下にある地域を中心にそれぞれ行政を行っていたと言える。そのため、英仏共同統治領ニューヘブリデスでは、様々なものがイギリス系とフランス系に二分されることになった。
 プロテスタントはイギリスからオーストラリアやニュージーランドを経由して、一方カトリックは、フランスからニューカレドニアを経由して、ニューヘブリデスに入ってきた。それぞれイギリス官邸とフランス官邸と関係を保ちつつ学校教育を普及させていったが、プロテスタント系の学校では英語教育が、カトリック系の学校ではフランス語教育が行われていったため、英語・プロテスタント・イギリス官邸=イギリス系、仏語・カトリック・フランス官邸=フランス系という二分法が進むことになった。その結果、メラネシア人自身も、イギリス系とフランス系に二分されることになってしまった。
 イギリス系とフランス系の二分法は、植民地統治期間を通じて存在しており、独立運動における政党でさえ、イギリス系(プロテスタントに改宗し、英語教育を受けたメラネシア人たち)とフランス系(カトリックに改宗し、仏語教育を受けたメラネシア人たち)に分裂して、互いに、拮抗しながら展開された。しかし、最終的にイギリス系政党が国民投票で多数を占め、1980年、ヴァヌアツ共和国として独立を果たした。独立直前に、エスピリトゥ・サント島を中心に活動を展開していたナグリアメルという団体が、分離独立の暴動を起こし、それにフランス系の政党が荷担するという騒ぎが起こった。この暴動は、イギリス系政党が独立宣言をし、パプアニューギニアに軍隊の派遣を要請することで解決された。独立後もしばらくはイギリス系とフランス系の対立が続いたが、現在はそうした二分法を巡る対立はなくなりつつある。

政府

 ヴァヌアツ共和国はイギリス連邦に加盟する独立国家である。国家元首として大統領をいただくが、実権は首相に与えられている。一院制の国会で多数を占めた政党が与党となり、通常はそこから首相が輩出される。ヴァヌアツ共和国の内政の大きな特徴の一つは、全国チーフ評議会(National Council of Chiefs)が設けられている点である。ヴァヌアツの各地では、それぞれ地域独自の伝統的な政治システムが存在しており、それぞれの地域には、こうした伝統的手続きを経た政治的リーダー(これをビスラマでチーフと呼ぶ)達がいる。全国チーフ評議会は、これらのチーフ達の中からそれぞれの地域で選出された代表が集まって、伝統文化に関することなどについて審議し、国会に進言するための機関である。

言語

 英仏共同統治を反映して、公用語は英語と仏語の二言語が用いられると共に、国語としてビスラマ語が指定されている。ビスラマというのは、ピジン語のことである。ヴァヌアツは他のメラネシア諸国と同様、多言語国家であり、19万人という人口ではあるが100を越える言語が話されている。従って、共通語としてピジン語が採用されたのである。
 ピジン語とは、かつてはピジン・イングリッシュと呼ばれていたものであるが、メラネシアのピジン語はそれを母語とする人々もおり、言語学的にはクレオールと位置づけが可能な言語である。この言語は、メラネシアのパプアニューギニア、ソロモン諸島、そしてヴァヌアツ共和国で話されているが、パプアニューギニアではトック・ピシン、ソロモンではピジンと呼ばれており、そうした呼び名から、一般にはクレオール語とは呼ばれないで、ピジン語と呼ばれている。なお、ヴァヌアツでは仏語の影響でビスラマ(仏語ではbiche-de-mer)と呼ばれている。

 ヴァヌアツ国歌の歌詞はビスラマ語で書かれているが以下のようなものである。                 


ヴァヌアツ国歌

Yumi, yumi, yumi i glad blong talem se 
yumi, yumi, yumi i man blong Vanuatu 
God i givim ples ia long yumi     
yumi glad tumas long hem      
yumi strong mo yumi fri long hem   
yumi brata evriwan
我々は、我々は、我々は喜んで言おう
我々は、我々は、我々はヴァヌアツ人だと
神が我々にこの地を与えた
我々は神がいて非常にうれしい
我々は神の前では強く自由だ
我々はみんな兄弟だ
Yumi, yumi, yumi i glad blong talem se 
yumi, yumi, yumi i man blong Vanuatu 
Plante fasin blong bifo i stap       
plante fasin blong tedei        
be yumi i olsem wan nomo      
hemia fasin blong yumi        
我々は、我々は、我々は喜んで言おう
我々は、我々は、我々はヴァヌアツ人だと
多くの伝統的なやり方がある
多くの今日のやり方もある
しかし我々はいわば一つにすぎない
それが我々のやり方だ
Yumi, yumi, yumi i glad blong talem se 
yumi, yumi, yumi i man blong Vanuatu 
Yumi save plante wok i satp      
long ol aelan blong yumi       
God i helpem yumi evriwan      
hemi papa blong yumi        
我々は、我々は、我々は喜んで言おう
我々は、我々は、我々はヴァヌアツ人だと
我々は多くの仕事があることを知ってい
我々全ての島で
神は我々みんなを助けてくれる
神は我々の父なのだ


島と州

最北のトレス諸島とバンクス諸島でトルバ州を構成している。エスピリトゥ・サント島はヴァヌアツ最大の島で、通常はサント島と呼ばれている。このサント島とマロ島などでサンマ州が構成されている。サント島の南西にはルガンヴィルという町があるが、人口の少ないヴァヌアツにあって首都とこの町だけが都市部を構成している。サントの東にアンバエ島、マエウォ島、ペンテコスト島があり、これらの島々で構成するのがペナマ州である。ペンテコスト島北部からはヴァヌアツの独立運動のリーダーで初代首相となった故ウォルター・リンギ氏(一般にはリニと呼ばれるが、正しくはリンギ)が輩出している。ペナマ州とサンマ州の南がマランパ州で、マレクラ島、アンブリュム島、そしてアンブリュム島のすぐ南にある小さな島・パーマ島からなっている。その南がヴァヌアツの中心部を構成するシェファ州である。この州はシェパード諸島(エピ島とエファテ島の間にある)とエピ島とエファテ島などの島々で構成されており、エファテ島には首都のポートヴィラがある。最も南の州がタフェア州で、タンナ島、フツナ島、エロマンゴ島、アネイチュム島、アニワ島など南部の島々からなっている。タンナ島には歩いて火口まで行けるヤスール活火山があり、観光の対象にもなっている。





関連ページ

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