発表要旨



文化のグローバリゼーションーオセアニアは取り残された地域か?(公開講座 講義)
オセアニアにおける新しい宗教ーバハイ信教を中心に(民博研究会発表)
国民国家と民族国家(民博研究会発表要旨)
マスメディアにおける「未開」の演出(民博研究会発表要旨)



文化のグローバリゼーションーオセアニアは取り残された地域か?ー

(第4回神戸大学国際文化学部公開講座・ひょうご講座「グローバリゼーションを問う
 ー地域文化からのまなざしー」2003年11月1日 神戸大学にて)


1 オセアニアと秘境としてのメラネシア

  1−1 三つのネシア
      ○ポリネシア  :多くの島々  モンゴロイド系の人々
       ○ミクロネシア :小さな島々 モンゴロイド系の人々
      ○メラネシア  :黒い島々 ネグロイド系の人々

  1−2 秘境としてのメラネシア・イメージ
      ○フジテレビ『ワレワレハ地球人だ』より「ジャングル・クエスト」におけるヴァヌアツ共和国の扱い
      ○カニバリズムとメラネシア

  1−3 現実のメラネシア
      ○キリスト教徒、テレビ放送、インターネット・カフェ
      ○それでも続く、「世界から取り残された所」としてのメラネシアのイメージ
      ○グローバリゼーションとの関連

2 文化のグローバリゼーション

  2−1 グローバル文化:文化の地球的な規模での拡散

  2−2 マクドナルドについて      
      ○アメリカ文化は多様である、という議論との関連で

「・・・言い換えればアメリカという国の支配的な「ヴァージョン」とは、企業資本主義によって海外に輸出されている文化であると考えるのが妥当であろう。そのため、アメリカ以外の国民にはそれが純然たるアメリカ文化のように見えるのである。「ヤンキー・ゴー・ホーム」というスローガンがあるが、そこではアメリカ文化の微妙な多様性が全く認識されていない。認識されているとすれば、それは国内・国外で支配的な力をもつ文化的活動の担い手が何であるかということだろう。その担い手とはドル・パワー、およびそれを体現したマドンナやマクドナルドなどの文化的商品である。・・・その意味でマクドナルドはアメリカ文化なのであり、・・・ユダヤ人のデリカテッセンやチャプスイ(アメリカ風の中華料理)のレストランは決してアメリカ文化にはなれないのである。」(トムリンソン『文化帝国主義』)

3 文化のグローカリゼーション

  3−0 グローバリゼーションとローカリゼーション

  3−1 ワトソン編『マクドナルドはグローバルか』(新曜社)
      ○北京、香港、台北、ソウル、日本でのフィールドワークに基づく研究
      ○それぞれの地域文化を加味して、主体的に独自のマクドナルドを作っている

  3−2 二つのグローバリゼーション:マクドナルドとラスタファリ
      ○マクドナル
                 ・中核部分(商品の品質、作り方、衛生観念、食事のスタイルなど)が拡散していく
                 ・全体として受け入れられ、細部がローカル化される
                 ・世界中どこでも同じに見える「グローバル文化」の形成
      ○ラスタファリ
                 ・ローカルな部分に受け入れることが出来る部分だけ受け入れられ、全体が薄められる
                 ・細部がヴァリエーションをもって世界に拡散する

  3−3 発展途上国から見たグローバリゼーション
      ○文化のグローバリゼーション=西洋的価値観の全体的な流入と受け入れ
                         =支配の側にいる者の価値観の流入と受け入れ

4 文化帝国主義としてのグローバリゼーション

  4−1 グローバリゼーションと植民地主義:コロニアリズムとネオ・コロニアリズムとの関連
      ○グローバリゼーションは niufala kolonaizeisen(新しい植民地化) であるというヴァヌアツ人
       エリートの捉えかた

  4−2 トムリンソン著『文化帝国主義』(青土社)
      ○一般的な議論:世界の多くの場所で、正統的、伝統的な地域文化が、おもにアメリカ合衆国
       による商品やマス・メディアの産物の無差別な大量販売によって破壊され消滅しつつある
      ○帝国主義とグローバリゼーション

「・・・これまで出会ってきた文化帝国主義の諸言説はすべて、この「新時代」の特徴である地球上の権力の新しい配列という観点から解釈できるということだ。この新しい配列は、「帝国主義」として知られてきた地球上の権力の配分にとってかわるものである。「帝国主義」とは1960年代までの近代を特徴付けてきたものだが、その「帝国主義」にかわるのが「グローバリゼーション」なのである。」

  4−3 グローバリゼーションとメラネシア

      ○植民地支配が終了した後も、支配的な立場にある西洋世界の価値観が全体として流入してきて、
        それを受け入れざるをえない状況となる。
        → まさに、新しい植民地主義として捉えられることになる。

5 グローバリゼーションと植民地主義の背景

  5−1 西洋世界を頂点とした進化主義的見方
      ○西洋的視点と異なるもの = 未開 
      ○かつて「未開社会」、今「発展途上国」(未開 → 文明、発展途上国 → 先進国、
        つねに、西洋世界に向かって世界が発展してくると想定するこうした物の見方を問題にすべき)

5−2 自文化中心主義
      ○無意識のうちに、自分の文化的価値観というフィルターを通して異文化を見てしまうこと

5−3 メラネシアが秘境となるわけ
      ○西洋的価値観に反するメラネシアの伝統的生活(たとえば、豚を殺す儀礼)  
        → いくらキリスト教化してもテレビ放送を導入しても、インターネットカフェを作っても、
          伝統文化が西洋的価値観からすれば「未開」なもの
        → メラネシアは、いつまでも世界から取り残された地域としてのイメージを背負う
      ○西洋を中心とした自文化中心主義的な見方を批判する必要



オセアニアにおける新しい宗教ーバハイ信教を中心に

(研究会「キリスト教と「文明化」の人類学的研究」2003年3月1日 民博にて)

1 太平洋における新しい宗教(資料1

  ○資料1の統計は1997年、1998年のもの、参考程度の統計
  ○ポリネシアにおけるモルモン教の活動:トンガ、サモア、仏領ポリネシア
            バハイの存在
            エホバの証人は少数
  ○ミクロネシア:モルモンとバハイは互角。ポリネシアのバハイ並み
  ○メラネシアにおけるSDAの活動、モルモン、バハイの少なさ
            ペンテコステ(ヴァヌアツのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド)
            ホーリネス系の活動
  ○傾向として:
   ポリネシア、ミクロネシア:LMS、メソディスト
         モルモンとバハイの組
   メラネシア:アングリカン、カトリック、長老派など
         SDAとペンテコステ、ホーリネスの組

2 なぜバハイなのか?という疑問

  2−1 バハイ信教(資料2

  スンナ派(イスラーム正当派)

  ○第3代カリフ・ウスマンの出身であるウマイヤ家と第4第カリフのアリーの対立
  ○アリーがハーリージー派によって暗殺。ウマイヤ家はカリフを世襲化しダマスカスを首都として
    シリアにウマイヤ朝を開く(661年)
  ○ウマイヤ朝はアッバース朝へ(750年)。アッバース朝正統カリフの支配下にあるのがスンナ派
  ○イスラーム法解釈をめぐる四法学派(ハナフィー学派、シャーフィイー学派、マーリキー学派、
    ハンバリー学派)が公認されている。
  ○ワッハーブ派:18世紀のスンナ派復古主義ーーイスラーム神秘主義や飲酒、喫煙などの
   堕落した生活に反対し、コーランとマホメットの伝承のみに指針を求めるべきと主張
    --------------------サウジアラビア

  シーア派

  ○第4代カリフのアリーとその家族がマホメットの後継者とする。
  ○アリーの後継者をイマームと呼ぶ。
  1)イスマイール派
     アリーの第2子フセインの曾孫の息子・イスマイール及びその息子や子孫に仕える派                      --------------------チュニジア
  2)ザイド派
     第5代イマームをザイド(アリーの曾孫)とする派-------イエメン
  3)12イマーム派(シーア派の中心)
     イマームの地位はアリー家の12人に継承されていると考える。9世紀に志望した
     第12代イマームは子どもがなく、ここでイマームが途絶えるが、イマームは死んだ
     のではなく「隠れイマーム」として存在していると解釈。最後の審判の日に救世主と
     して再臨。法学者がその代理を果たす。-----イラン

  バーブ教

  ○セイエド・アリー・ムハンマドが興す。
  ○カルバラーの神学者カージム・ラシュティーの弟子になり、シャイヒー派の教理を学ぶ。
  ○ラシュティーは、隠れイマームの再臨を予言。
  ○1844年、自らが隠れイマームへのバーブ(門)であると宣言。
  ○シーア派の改革、両性の平等、政治・社会の再編成の必要を訴える。
  ○イスラームおよびシャリーアから完全離脱し、積極的な布教をするため政府と戦う
  ○1848年から2年間、イラン各地で武装蜂起。イラン政府と抗戦。
   50年にバーブが処刑された後も続き、
   52年、2人のバーブ教徒が国王暗殺を企てる。これを機に、政府側の弾圧と迫害。
   4万人のバーブ教徒が犠牲になったとされる。
  ○基本教理:神は唯一にして、バーブは神が映し出される鏡であり、
   何人もバーブに神を見ることが出来る。

  バハイ信教

  ○1863年、バーブの弟子のバハオラが、自分こそがバーブの予言した使徒であると宣言。
  ○バーブとバハオラは、クリシュナ、仏陀、ゾロアスター、アブラハム、モーゼ、キリスト、
    そしてモハメットと同等の神の顕示者であると考える。
  ○すべての形の偏見を放棄すること。
   男女の平等。
   世界の偉大な宗教が同じ源から発し、本質的に同じであること。
   極度の貧困と富を除去すること。
   世界的に義務教育を施すこと。
   人間ひとりひとりが、独自に真理を捜し求める責任があること。
   集団的安全保障の原則に基づく世界の連邦制度を確立すること。
   宗教は論理や科学知識と調和するものであること
  ○万国正義院
   地方行政会、全国行政会、世界行政会(万国正義院)の三段階。
   それぞれ9人から構成。
   メンバーは大人のバハイ全員から選ばれる。
   地方行政会は市町村単位の活動を、全国行政会は国単位の活動を、万国正義院は
   全世界の活動を指導します。
   万国正義院は1963年にバハイ共同体の中心地イスラエルのハイファで設立。
   世界の200国と179の属領に拡大。

  2−2 太平洋におけるバハイ

  ○第一次大戦中:アブドル・バハがオセアニアへの布教を訴える
  ○1921年、オーストラリア、NZに布教。
  ○1953年、エフェンディが太平洋への布教を指令
   オーストラリア、NZ、フランス、パナマ、合衆国などから信者が太平洋の島々へ布教
   に出かける。(サモア、トンガ、ギルバート・アンド・エリス、ソロ モン、PNG、カロリン諸島、
   グアム、ツアモツ群島、ソサイエティ諸島、ロ イヤルティ諸島、東チモール、フィジー、
   マリアナ、マルケサス、ニューカレドニア)。
  ○布教活動は、改宗させようとする伝道団としてよりも、日常生活を通して自分たちを見て
    バハイを知ってもらおうという方向での布教。
  ○1959年に南太平洋の島々をカヴァーする(ソロモン諸島、マリアナ諸島、
    ギルバート・アンド・エリス、ニューカレドニア、ロイヤルティ諸島、ニューヘブリデス、
    フィジー、トンガ、サモア、クック諸島の計10地域)地域行政会設立。スヴァに本部。
  ○四年計画で、バハイ文書の翻訳、初等教育校の建設、会議とサマースクールの開設、
   地方行政会の増加などを目標
  ○太平洋における全国行政会

      1967年ギルバート・アンド・エリス
      1969年PNG
      1970年サモア、トンガ、フィジー
      1971年ソロモン諸島
      1977年マーシャル諸島、ヴァヌアツ、ニューカレドニア、ロイヤルティ諸島
      1978年マリアナ諸島
      1981年ツバル
      1985年クック諸島、西部カロリン諸島、東部カロリン諸島

3 C特性群とP特性群

  3−1 ゲルナーのC特性群とP特性群

  ○C特性群
      1)現世、来世におけるハイエラーキー志向
      2)司祭、儀礼的職能者、諸聖霊の活動
      3)知覚可能な象徴、イメージへの宗教の具象化
      4)儀礼、神秘的行為の盛況
      5)特定の個性への忠誠
  ○P特性
      1)厳格な一神教
      2)ピューリタニズム
      3)聖典と読み書き能力の強調
      4)平等主義
      5)霊的仲介者の欠如
      6)儀礼的放縦の制限、中庸と覚醒した態度
      7)情緒よりも規則遵守を強調

  3−2 イスラームと「近代」

  ○スンナ派内部におけるマフディー運動-----------土着主義運動として描かれている
  ○ファダメンタリズム--------------------------イスラム主義として捉えられている
      ○近代西洋なるものとの対立
      ○反動、復古、伝統主義などの特徴
      ○初期イスラームへの強い指向性
      ○原点指向性は、18世紀のワッハーブ主義、19世紀から20世紀にかけての
        サラフィー主義と同じ
  ○イスラームでは前近代においてはC特性が目立ったが、近代になってからはP特性が
    強調されるようになってきた、という議論
  ○バーブ教もバハイ信教もP特性を持つのか?
  ○これらを、「近代」か「反近代」で語ることの空しさ

4 太平洋における「近代」とキリスト教布教活動

  4−1 アングリカンの布教

   1842 最初のニュージーランド管区の司教セルウィン、NZに到着
   1843 St. John's College 設立
   1849 ロイヤルティ、ニューカレドニア、ヴァヌアツからこの学校へ入る者を連れてくる
   1850 初のソロモン人入学者が来る
   1855 パターソン、セルウィンの助手となる
   1861 メラネシア管区設立。パターソン初の司教となる。
   1867 ノーフォークにメラネシア管区の本部が移る。
   1871 パターソン、サンタクルズで殺される
   1873 サラウィア(バンクス)、メラネシア人初の司祭となる

   (1)メラネシアの各地からノーフォークに連れてきて教育してその出身の島に戻す
   (2)特にサンタクルズ地域からはほとんど来ないし、来ても海岸部の者だけ。
      かれらは内陸部で活動したがらなかった。
   (3)ソロモン諸島の離島はポリネシア人の島が多く、そこでメラネシア人が布教することは難しかった。
   (4)白人の宣教師は、内陸部のブッシュで布教することに一般には適さず、
      結婚している場合は、家庭を離れて長期布教活動に出かけることはいやがった。
   (5)白人宣教師の多くは、教育制度の維持、メラネシア人カテキストの監督などに
      忙殺されていた。

  ○以上のことから、ブラザーフッドが設立される

  4−2 メラネシアン・ブラザーフッド

  経緯

  ○未婚男子の集団で、数人で異教徒の地に入り、互いに支援と激励を行うという
    ルールのもとに集まった
  ○コプリアはサンクリストバルのパムアの学校で学んだ者の一人。かれは
    スチュアードが布教のベースとしていた 村(ガダルカナルで最初のキリスト教の村)出身
  ○コプリアはノーフォークで勉強を続ける
  ○人々は助祭になることを望んだが、彼はポリスとなった。
  ○病気で入院中、お告げを聞く。イエスが「私がお前にしてほしかったことをしていない」
    と告げる。
  ○当時メラネシア管区の司教であったスチュワードに相談
  ○ブラザーになることを望んでいると確信。1932年に神に誓いをたてる。
  ○パムアの学校やソロモン人やヴァヌアツ人が訓練を受けているウギの上級学校
    に仲間を求める。ウギの学校で校長をしていたのがフォックス。コプリアに協力する。
    後に、白人でただ一人のメラネシアン・ブラザーになる。

  活動

  ○ブラザーフッドは伝道の先鋒となり、司祭やカテキストなどの仕事の準備をする役割。
    しかし、マライタにおいてはこうした後陣の整備が遅れ、他のキリスト教に改宗する人々
    が多く出た。
  ○1年ごとに、ミーティングで更新するかどうかはかる。辞めた者の多くはカテキストになっていく。
  ○ブラザーフッドの活動:食事や宿は布教しに行った村で提供してもらう。
    それが出来ない場合は、野宿。ブッシュで自分で食料を探す。
  ○受け入れてくれた場合だけ村に入っていく。畑で村人と一緒に働いたり、もし土地を
    貸してくれると、出来るだけ早く自活する。
  ○無理強いをしない。
  ○一人ではなく二人でいく。しかも出来るだけ別の島出身者で組む。これは、「愛」の印。
    島単位の対立が多く見られるから。受け入れられるまでは、なんら説教じみたことはしない。

  組織

  ○tuaga(head Brother)が毎年ごとの全ブラザーの会合で選ばれ、Father of the Brotherhood
    つまりビショップ of Melanesia によって承認される。
  ○Church of the Province of Melanesia. 6つのダイオーシスを抱える。

  4−3 シロン・ダン

  ○1930年代初頭、それまでのアングリカンのやり方が変わった。
   セルウィンの方針は、出来るだけ伝統文化を温存する形での布教活動を行うということで
   あったが、1930年代初頭にやってきた宣教団は、それに反対した。
  ○シオタで宗教会議が行われ、二つの道の選択をメラネシアンに迫った。
  (1)カヴァ飲用とブタを殺す儀礼を続け、教会には行かない
  (2)二つをやめて、教会に従う
  ○意見は二分したが、大勢は結局伝統に戻っていくことになった。しかし
   (2)に従う人々は、カヴァ用のプレートなどを破壊していった。
  ○カヴァ飲用とブタを殺す儀礼は、ラガ社会に影響を与えることなく除去出来るというお告げを
    受けたと、タンボック村のダニエル・タンベが触れ回る。
  ○「ラガのキリスト教徒は、お祈りに十分な時間を割いていないし、聖書についての勉強もして
   いない。聞くだけで家に帰ったら教会で聞いたことを忘れている」と指摘。
  ○シロン・ダンに従った人々は、SDAに改宗。

  「伝統」と「近代」のせめぎ合いが、SDA布教に重なった
   伝統と共存するアングリカン/非伝統としてのSDA
  
   アングリカン     人々                シロン・ダン
   伝統許容      アングリカン許容
   伝統否定      アングリカン拒否     宗教的堕落指摘と伝統拒否
   伝統許容      アングリカン復帰     SDAに改宗

5 キリスト教における新セクトとイスラーム教の新しい動き

  5−1 リバイバル・ムーヴメント(資料3

  ○第1次(18世紀中頃)
   会衆派を中心とした布教団体・LMS(ロンドン伝道協会)の成立
   メソジスト
      ウェスレー:    アルミニアン・メソジスト
      ホイットフィールド:カルヴィニスト・メソジスト
   バプテスト
      一般バプテスト    アルミニアン
      特殊バプテスト カルヴィニスト
   アメリカにおける会衆派
      エドワーズ:     カルヴィニスト

  ○千年王国的視点は、17世紀に出現した特殊バプティストと結びついて
   いるという
  ○特殊バプティストは、一般バプティストがアルミニウス神学と結びつい
   たのに対し、カルヴァン神学と結びついている。そして、18世紀、イ
   ギリスで起こったエヴァンジェリカル・リヴァイヴァル、すなわち、メ
   ソジスト運動も、アルメニアン(ウェスレー派)とカルヴィニストに分
   かれる。そしてカルヴィニストたちは、超教派の伝導協会を組織してい
   く。これらの組織の創設者達は、「正確には、千年王国の熱に浮かさ
   れていたわけではないが」、現世の終わりとキリストの再来に向けての
   出発点として、世界の人々に布教しようとしていたという

○第2次(1830〜1840年代)-------------- アメリカにおいて
   会衆派から、布教団体としてのABCFM(アメリカン・ボード)の成立
   ホーリネス派からペンテコステ派へ、ミラー派からSDAあるいはエホバの証人へ
       ○1820年代の移民の急激な流入。独立後の領土の拡大
        旧来の教会拠点制などではついていけなくなる
       ○一方、バプテストのファーマー・プリーチャー方式、メソジストの
        俗人プリーチャーの協力方式
       ○自分探しという特徴
       ○「新しいイスラエル」=実現した千年王国=アメリカの喩え

  5−2 CでもPでもない新セクトの特性

  ○キリスト教新セクトもバハイもともに第2次リバイバル以降の特徴を持つ
○出発点は、改革。救世主の到来予言

  ○モルモン、バハイ系----------------「約束された地」の前向きな建設
      モルモン------スミスの予言と戦い→ヤングの組織確立
            新しい経典
            約束の地・アメリカ アメリカ・白人至上主義
      バハイ---------バーブの予言と戦い→バハオラの組織確立
            新しい経典
            約束の地・世界、国連  グローバル主義
   ペンテコステ、SDA系------------救済や到来を待つ

  5−3 オセアニアと新しい宗教
  
  ○ポリネシアとミクロネシア
      第1次リバイバル・ムーヴメントの流れ(LMS、メソディスト)
     →かすかな千年王国的色彩を持った布教(千年王国運動起こらず)
     →約束された地の建設
   メラネシア
      第1次リバイバル・ムーヴメント後の格宗派(アングリカン、カトリック、長老派)
     →千年王国的色彩を持たない確立した宗教(千年王国運動の勃発)
     →救済や王国の到来を待望する
○ポリネシアとミクロネシア
      伝統と近代の連続ーーキリスト教やバハイは我々の伝統
                旧宗教から新宗教への連続
 メラネシア
      伝統と近代の二分ーーアングリカンからSDAへの改宗
                アングリカンからモルモンへの改宗   
                旧宗教と新宗教の間にある伝統と近代の二分

5−4 西洋近代との出逢い

○ピューリタニズム出現 と 資本主義精神出現
   第1次リバイバル出現 と ナショナリズム、コロニアリズムの出現
未開概念の出現
○イスラームと近代の出会い
      オリエントとしてのイスラーム(←未開としてのオセアニア)
○マフディー運動→反オリエンタリズムとしてのリバイバル性
オセアニアの土着主義運動→反未開でリバイバル性を持たない
  ○リバイバル運動としてのバーブ教→バハイ信教

参考文献

小池正行     1993  『英国分離諸派の運命』
井門富二夫    1997  『カルトの諸相』
ウィルソン     1991 『宗教セクト』
エッセルモント  1978 『バハオラと新時代』
大塚和夫     1995  『テクストのマフディズム』
           2000  『近代・イスラームの人類学』
           2000 『イスラーム的』
サイード     1993   『オリエンタリズム』平凡社
バリッジ      1997  『個のアイデンティティ』
半田・今野    1977  『キリスト教史U』
ホブズボウム  1971  『反抗の原初形態』
Ah Koy et al.   1989  Religious Cooperation in the Pacific Islands.
Baker,J. (ed.)   1990  Christianity in Oceania.
Cruttwell et al.  1985  New Religious Movements in Melanesia.
Garrett,J.     1982  To Live among the Stars. Christian Origins in Oceania.
           1992  Footsteps in the Sea. Christianity in Oceania to World
Gellner       1969 “A Pendulum Swing Theory of Islam”
Lambert,F.     ?    One Hundred Years of Mission 1887-1987.
                The Catholic Church in New Hebrides Vanautu.
Lindstrom     1992  Cargo Cult.

Welcome to the Japan Baha'i Network.htm
Adherents_com.htm


国民国家と民族国家

(研究会「オセアニアにおける国家統合と地域主義に関する研究」2001年10月6日 民博にて)

問題設定

 植民地化を経て独立した諸国家において、ナショナリズムとは何だったのか?独立に向けて行われた様々な活動は、ナショナリズムという言葉で表現されることが多いが、それは、国民主義と訳せばよいのか民族主義と訳せば良いのか?また、ナショナリズムは統合をもたらすと同時に分裂をももたらしたと言われるとき、そのナショナリズムは何と訳せばよいのか?日本語訳を考えることを通して、その性質を考える。

結論:これらの諸国家における独立運動に見られたナショナリズムは、民族主義と訳すのが適切であると同時に、「民族」の中身は「植民地人民族」であり、それは独立国家が成立してから、なお、その内部で分離活動を展開している人々の「民族」とは異なる。

1 Nation-State と nationalism の訳

○Nation-State : 国民国家? 民族国家?、nationalism 国民主義? 民族主義?

●Nationalism を民族主義と訳すのならば、Nation-State は民族国家
●Nationalism を国民主義と訳すことと、Nation-State を国民国家と訳すことは同じ
●Nationalism は、国民意識の高揚を目指したのか?
●国民は国家が成立した後に問題となる。独立に向けては、民族意識の高揚。

2 エトノス=民族1

(「民族1ー国民ー民族2」については、中川敏『モノ語りとしてのナショナリズム』参照)

2−1 民族イメージ・エトノス

(「エトノス」については内堀基光編『民族の生成と論理』参照)

○「同じ言葉をしゃべり、風俗習慣を共有し、しかも(あまり根拠なく)同じような風貌をもつ人間の集団がいる」というイメージにもとづいて「言語=習俗=精神共同体としてのエトノスが生まれてきたのである」(内堀:民族の意味論、16)

2−2 エッセンシャリズム、単配列、多配列

(単配列、多配列については、吉岡政コ「認識人類学の地平線」、及び本ホームページの「人類学メモ」参照)

○エッセンシャリズムに基づいたエトノス概念?

●内堀はこれをエッセンシャリズムと呼んでる。
●しかし、彼は、民族カテゴリーに共通する特徴から民族を見るという点でエッセンシャリズムであると捉えている。
●確かに、特徴を共有するものだけを一つのカテゴリーの枠でくくることはエッセンシャリズムであるといえる。しかしそれは単配列の問題である。

○多配列的なエトノス概念

●エトノス概念は、しかし、多配列的である。
●エトノス概念は、「ある時にはAという特徴を用いて同一性を強調し、別の時にはBという特徴を用いて同一性を強調するというやり方」をとる。
●ユダヤ人というイメージを考えてみよう。ユダヤ人の特徴としてやはり宗教だと言う人がいる。しかし、キリスト教徒であってもユダヤ人と分類される人々は、宗教的要素を持たないにもかかわらず別の要素を持ってきてそのように分類されてしまうのである。
●民族イメージは流動的である。

2−3 ヴァヌアツにおけるエトノス

○エトノスの規定

エトノス=ほぼ共通の言語と生活習慣を持ち、こうした共通性を根拠に「他者(彼ら)」から「われわれ」を分かつ主観的意識を持っている(と想定される)人間集団」(内堀:民族の意味論;10)

○ヴァヌアツ>ペンテコスト島>北部ラガ

●ヴァヌアツにおけるエトノス=民族1とは何だろうか?
●それは個々の言語圏のことか?ペンテコストという島に、少なくとも三つの言語圏があり、それぞれは内堀の定義にあう。
●北部ラガ=エトノスということになる。

○「名乗り」と「名付け」

社会的交通の場には、「名乗り」をする者の「名」をもたない、つまりそれとは別の「名」を「名乗る」他者が存在し、ここで互いに「名乗り」あうことが「名」に実質を与えることになるのだ。いいかえれば、「民族」の「水平的」分化とは「名乗り」の実践の場における「名」の分化であり、自己と他者の双方が認め合うゆえに結果として生成する「名」の一定の固定化に発するのである」(内堀「民族論メモランダム:35)

○マン・プレス概念(man ples = man Pentecost, man Santo, man Malekula etc.)

man Pentecost----- 「ペンテコスト人」:中核には同一言語圏、周縁まで広がって島全体
gida ata Raga ----- 「我々ラガ人」  :北部ラガで使うときは北部ラガ(ペンテコスト島北部)人を意味する。アイデンテティの所在
                         :しかし単配列的ではなく多配列的な用い方。
                         :都市部で使うときは、ペンテコスト人となる。

gida ata Raga la nos, gida ata Raga la saos:都市部における言語圏の特定

○ man Pentecost の二重性

名乗りとして用いられる:名乗りとして用いるときの中核には、gida ata Raga 概念がある。
           :それは「民族1」概念を中核に持つことでもある。
           :Pentecost 全体に共通する特徴を問題とするわけではない。
            :しかし、他者に対する名乗りとして gida ata Raga が用いられることはない。gida は「you and me」
名付けとして用いられる:全体に共通する特徴を問題とする。単配列的になりうる。
           :そこには「民族1」のコアはない。
           :単配列的なカテゴリー形成 ------ むしろ「民族2」
           :都市部における島単位の抗争
●ソロモンの事例もそれに該当するかもしれない。つまり、島単位の枠組みは、民族2かも知れない。

2−4 民族1と国民

○民族と国民の混同?

日本語では国民と民族は意味論的にほとんど重複するところのない別概念である。・・・それに対して、ヨーロッパ語のネーション概念はまさしくこの論理的混同にもとづく概念である。あるいはより正確にいえば、ネーションのイデオロギーーつまりナショナリズムーは、この混同を押しつけることにその本領がある。それは、ヨーロッパの諸地域のように、外延的に国民と民族が一致することが自明ではないところ、それどころか一致しないことが自明なところにおいてこそ、本来の力を発揮するイデオロギーである。逆に、ナショナリティの概念もフォルク=エトノスの概念も、こうしたネーションに対する対抗概念として必要とされたものであった。その現代版がアメリカ的な意味でのエスニック・グループの概念である(内堀、民族の意味論、9)

●論理的混同、だろうか?
●ヨーロッパにおけるネーション概念発生はともかくとして、太平洋における独立国家のもつ国民国家概念は、国民概念と民族概念を混同しているとは言えないように思える。
●むしろ、国民概念をそれまでのエトノス的な民族概念とはことなる民族概念を適用することで、成立させていると考えることができる。

3 民族主義としてのナショナリズム

3−1 「一つの民族」の追求

○インドネシア独立におけるナショナリズム

「ただ一つの祖国、ただ一つの民族、ただ一つの言語」というモットーをナショナリズムのモットーとして戦いが続けられた(中川「モノ語り」p126)

「インドネシア・ナショナリズム」が解決すべき問題として浮上する。それは、繰り返すが、ヨーロッパのゲームであるが、生きのびるためにはプレイしなければならないゲームなのだ(中川「モノ語り」p140)

○ヴァヌアツ独立におけるナショナリズム

●「国民国家」ゲームをプレイしているのだろうか?
●また、せねば生き延びられないのだろうか?
●ヴァヌアツでは、「一つの祖国」「一つの言語」というスローガンはなかった。
●独立後10年の回顧の中で、「ビスラマは役だった」と概括しているが、それを目指して何らかの手をうったわけではない。
●「一つの民族」というスローガンはあったと言うべきだろう。
●表現形は、マン・ニューヘブリデス

エリート達が名乗りとして用いた「マン・ニューヘブリデス」
    :マン・ペンテコストの延長のようでいて異質なもの。
    :中核をもたない。中心から周縁へ広がらない。
    :共通の特性による外枠の設定。

3−2 我々は一つだ:我々とは何?

○「一つ」の強調

ヴァヌアツ憲法前文:「我々は様々な膚の色、様々な言葉、様々なカストムを持っているがそのファッシンを堅持する。しかし、将来我々はみんなたった一つ の道を歩むことをよく知っている」
ヴァヌアツの国歌 :「様々な昔のファッシンがある。今も様々なファッシンがある。しか し我々は一つなのだ。これこそが我々のファッシンだ」
リンギの演説   :「我々の国に一つのアイデンティティを与えるために、全てのカストム、カルチャー、そして伝統を発展させ保存せねばならない」

●エリート達は、外枠は固めたが内的な共有要素を明確に仕上げることができなかった。
●共有要素として提出されたのは、伝統:カストムであった。
●しかし多様なカストムは、「我々」を内部から規定することができずに、再び、その外枠だけが問題となった。
●その意味で、全ての特性を共有する単配列が完成したわけではなかった。
●しかし、マン・ニューヘブリデスの持つ多配列的なカテゴリー化とは異なったカテゴリー化が成立したことは確かである。

○一つの民族

●ナショナリズムで追求されたのは、単一の民族である。
●国民は、国家が出来れば成立する。
●国民意識が形成されないということはある。しかし、それは独立国家成立後の課題。
●独立運動のさなかには、まだ国家は成立しない故、国民意識を問題にできない。
●そこで追求されたのは、単一の民族、まとまることの出来る民族である。

4 「一つの民族」の中身

4−1 エリートの独立運動

○首都巡礼(アンダーソン『想像の共同体』参照)

●小学校で優秀な成績を収める。
●首都にある最高レベルのセカンダリースクールへ進学。
●中学校の段階から、村落をはなれ、寄宿生活。
●エリート達の生活の基盤は、自分の生まれた言語集団ではなく、植民地各地から人々が集まる植民地の首都。

○海外留学

●リンギの回想録:ニュージーランドの神学校で哲学、神学の勉強。しかし、自分の生まれ故郷であるメラネシアについて、言及されているものは何もないことを見いだす。
●「我々」は「彼ら」と違う、という認識。帰国後、仲間と独立運動を開始する。

4−2 「植民地人民族」の発見

○植民地人:言語的、文化的になんら結びつきを持たないが、(恣意的に境界線の引かれた)一つの植民地に居住しているというだけでまとめられる人々
           :複数の民族1から成立。

(植民地人に関してはNeuberger,B National Self-Determination in Postcolonial Africa. 参照)

○「我々」=「植民地人」

●エリート達の生活の基盤にあった植民地の首都は、植民地人の場。
●エリート達にとっての「我々」は同一の言語圏の人々ではない。
●彼らにとっての「我々」は gida ata Raga ではなくマン・ニューヘブリデス。エリート達のアイデンティティの所在。
●植民地人を単一のまとまりとみて、「彼ら」と対峙させる。

○植民地人民族:エリート達は、植民地人を、あたかも単一の民族であるかのように見なして、「西洋」「白人」との対峙を試みる。
       :それは複数の民族1から成るのではなく、単一の「民族」

5 独立運動と分離運動

5−1 ナショナリズムに基づく植民地からの独立は、結局、同じナショナリズムによって分裂の危機に陥るのか?

○分離をもたらすナショナリズム?

「事実、ときにエスノナショナリズムと呼ばれる少数者エスニック・グループによる運動、とくに現存国家からの分離を求める強いバージョンのそれは、18世紀以来のヨーロッパにおけるナショナリズムの論理を、小型化したかたちであるがほぼ忠実になぞっているかに見える」(内堀「民族の意味論」、11−12)

5−2 独立運動(ネーション・リズム)と分離運動(エトノス・リズム)

○ネーション・リズム:植民地人民族(ネーション)という一つの単位による独立国家の達成=一民族一国家
○エトノス・リズム :ただしこの場合のエトノスは民族2------- エトノス2という概念

○エトノス1(民族1)=多配列的、エトノス2(民族2)=単配列的
○エトノス2:多配列的なエトノス1の中核にあるイメージを、単配列的に整理。
      :あるいは、国家によって付与された新たな単配列的民族
      :メラネシアにおける島単位の紛争はエトノス2の例である。

5−3 換喩関係で出来上がっていた民族概念が、提喩関係で国民となるのか?

(換諭、提喩に関しては、清水昭俊「歴史、民族、親族、そして呪術」参照)

エトノス1 換諭関係(多配列)で出来上がった複数の民族(独立運動のリーダー以外)
ネーション 提喩関係(単配列)で出来がった単一の植民地人民族(運動のリーダー)
エトノス2 提喩関係(単配列)で出来上がった複数の民族(独立運動のリーダー以外)

○ネーションとエトノス1

●ネーションは多くの人々にとっては、エトノス1の集まり。
●しかし、エリート達(独立運動の指導者たち)にとってはそうではない。というのは、ネーションはそれ自体が一つの単位だから。
●ネーションが提喩関係であるのは、運動の指導者達にとってであり、多くの人々にとってはそれは提喩関係にならない。

○ネーションとエトノス2

●エリート達の目指したネーションは、エトノス2の集まりではない。
●ネーション(植民地人民族)は、エリート達のアイデンティティの基盤となる重要な特性(同じ植民地に居住する)に基づいているが、多くの人々にとってはアイデンティティの基盤となる特性ではない。

●エトノス1をベースとし、そのエトノスに帰属していると考えている多くの人々にとってもアイデンティティの基盤となる特性を共有するとされることで成立している。それらの特性とは、同一の言語、同一の慣習、同一の風貌、など。エトノス2における提喩関係は、多くの人々を巻き込んで成立する。

5−4 分離運動と独立

○エトノス2(民族2)はネーション(国民)になるのが難しい。

●独立時点での分離独立と、独立国家における分離独立は異なる。
●独立国家における分離活動、民族紛争で、エトノス2によるものは多い。
●独立国家内部での分離活動は、押さえ込まれる。国際的支援を受けることも難しいため、分離独立が達成されることはまれである。
●問題は、独立国家の側が、ある場合には力で分離活動を押さえつけるのに、別の場合には分離独立を容認せざるをえなくなるということがあるという点である。経済的な問題だけでは解決が付かない。というのは、後者の場合には、独立国家の側が自らに分離独立を納得させる「いいわけ」を見いだして初めて「容認」となるからだ。
●後者の分離独立が達成される場合は、分離活動をしている側がエトノス2を基盤とした論点でではなく新たなネーション概念を基盤とした活動をして初めて、国家の側に「いいわけ」を与える余地を創り出す。
●「〜民族」というものが新たに形成される。ex.「仏教民族」など。それは、エトノス2の枠を越えて成立する。
●ネーションはエトノス2を押さえ込めるが、新たなネーションは押さえるのが難しい。
理由 ネーションと同じ論理だから。つまり、外枠を規定する特性を持つ(〜民族)。


マスメディアにおける「未開」の演出

ーフジテレビ「ワレワレハ地球人ダ」を巡ってー

(研究会「日本のマスメディアにおける文化表象」第1回目 2001年10月12日 民博にて)

1 ヴァヌアツと日本のテレビ

  ○ヴァヌアツ概要

●人口19万人、首都ポートヴィラ2万人、1980年独立
 ほとんどキリスト教徒、若干の非キリスト教徒:ブンラプ、タンナ、ビッグナンバス
●共通語としてのピジン語:ほぼどこでも通じる

  ○「裸」の人々を求めるテレビ

●「交換家族」、「ウルルン滞在記」

2 番組内のコーナー「ジャングルクエスト」の第1話から第3話

●番組では、ヴァヌアツ共和国のポートヴィラにあるコーディネーターの事務所から報告 を受け、宣教師を探すべくディレクターが現地に赴くという形で始まっている。
●事務所:South Pacific Tours 場所の提供だけ。South Pacific Tours であることが分らないようにするという条件で、貸す。
●スフィンクスという制作会社

(第1話)レパ島で、弓矢や槍を持った原住民と遭遇

●第1回目の放送は、ヴァヌアツのレパ島に宣教師の手がかりがあるのではないか、とい う情報に基づき、ディレクターとヴァヌアツ人案内人、それに日本人の通訳がその島に 向かうが、そこでは、槍と斧などをもった裸の原住民集団が忽然と現れ、ディレクター 一行を襲わんばかりに取り囲む場面が放映される。

着目点
1)各地の映像が混合されている。ニューギニアのものなど。
2)オランダ人の母への手紙が英語で書かれている。
3)「原住民」のペニス・ラッパーがまちまちである。
4)「原住民」は現地語で話しているのに、ヴァヌアツ人通訳はピジンで話している。

(第2話)レパ島におけるディレクターの試練、失敗

●第2回の放送では、原住民の村に入って宣教師の行方を聞こうと思うが、村に入るためには崖から飛び降りて勇気を示さねばならないと言われ、ディレクターはそれを断念するという話しが展開される。

着目点
1)日本人通訳は、ポートヴィラ在住の日本人(O氏)で、確か英語しか話せない。
2)ヴァヌアツ人通訳はピジンで、「原住民」は現地語で会話。

(第3話)マルベ島での襲撃

●弓と槍を持った裸の原住民達が彼らを襲い、弓がボートに飛んでくる場面が放送される。

着目点
1)コーディネーターは、新たな島の情報としてペンテコスト島を示しているが、デ ィレクター達の行動を示す地図では、全く別の方角になっている。
2)ヴァヌアツ人通訳も「原住民」も、現地語で会話する。
3)挿入されるニュースフィルムのいい加減さ。かつてこの島に来た、と明言してい る点の問題。

●次回の予告では、「つい最近まで首狩族だった」ネプ島の原住民のところに出かけ、裸 の原住民に囲まれる場面が映し出された。
●この段階で、フジテレビに抗議をすることになった。
●抗議の内容は以下のとおりである。

3 抗議内容と、担当プロデューサーとのやり取り

  ○抗議内容

  1.ヴァヌアツ共和国で、今時、「裸の原住民」が弓や槍をもって襲ってくることはありえない。
  2.ヴァヌアツでは12年前にオランダ人宣教師が行方不明になっていない。
  3.「最近まで首狩をしていた」ところはない。
  4.「やらせ」を現実であるかのように映し出すのは、やめるべきである。
  5.「これまでの放送はフィクションでした」という「断り」を入れるべきだ。

●このまま放送を続ければ、ヴァヌアツから文句が来て、国際問題になると指摘。
●フジテレビ側は、それに関する検討をする、ということで、第4回目の放送の2日前に担当プロデューサーから連絡があり、以下の4点が提案された。

  ○プロデューサーの回答

  1.とりあえず、放送は第4回目の放送でひとまず終わる。
  2,.今後継続してやっていくが、ヴァヌアツ共和国という特定の名称はやめ、南の島という言い方にする。
  3.原住民はやめて、先住民とする。
  4.ジャングルクエストのコーナーでは、「これはストーリーです」というナレーションなどを入れる。

○プロデューサー側の論理

●プロデューサー側は、もちろん、「ジャングルクエスト」の放送内容が現実のものではないことを認めており、それはいわゆる「やらせ」にあたることは承知している。
●「これまでの放送はフィクションでした」と断りを入れるべき、というこちら側の主張と、プロデユーサー側の「ストーリーです」ということを挿入するという主張が平行線 をたどったまま話し合いは終わった。

  1.宣教師は、ヴァヌアツではなくパプアニューギニアにいる。
  2.話は、心温まる方向へと展開していくのであり、その後の話の展開とのギャップを作るために、ああいう演出をした。確かにやりすぎだった。
3.槍をもって襲ってくるという今までの日本人の未開人イメージを、今までの放送 でやったのだ。
4.決して南太平洋やヴァヌアツを愚弄する意図はなく、基本的に、南太平洋の人々を主役にしたような放送をしたい。放送はこれから変わっていくので、そのへんを 見てほしい。
5.あれは物語として受け取ってほしかった。専門家の方にも、ばかなことをやっていると笑ってもらえることを想定していた。
6.ドキュメンタリーではなくバラエティとしてみてもらいたかった。
7.ニカウ主演のブッシュマンという映画は、それだけ見ると彼らを侮辱したような映画だが、映画としてとおっている。そうしたものを作りたい。

●プロデューサーが『ブッシュマン』の例を出したため、「心温まる」というのは、もっ とメッセージ性を持ったものになるのだろうと私は考えていた。
●そこで、話し合いの中で、『今までの放送は、日本人が一般に持っている未開というイメージにもとづいて作成したものですが、事実はことなります。それはこれからの放送 を見てください』というナレーションを入れたらどうか、という提案をした。
●そのまま話し合いが終わる。
●しかし、第4回の放送を見て、この提案が無意味だったことが分かった。

4 話し合い後の番組:第4話〜6話の中身

  ○以前との変更点

  1.ヴァヌアツ共和国の地図を用いる点は変わりなかったが、そこから国名と地名は削除されていた。また、ナレーションでもヴァヌアツという名前は出てこなかった。
2.原住民は先住民に変更。
3.コーナーの始まる前には、「これは少年の心を持った大人に送るドリームストーリーです」というテロップとナレーションが入ることになった。

○以前からの継続点

第1回目の放送からのダイジェストは放送された。つまり、「裸のメラネシア人が弓と槍で襲う」という場面は繰り返し放送されることになった。

(第4話) 少女の恋にお節介を焼くディレクター

●「元首狩族」の村落の人々と仲良くなったディレクターが、村の少女の恋の仲立ちをするという、内容の物語。

着目点
1)首狩り族ということで、挿入される映像は、デタラメ。太平洋ではないモノも用いられている。
2)ヴァヌアツ人通訳と「先住民」の会話は現地語で。
3)少女は、バナナの葉で作った上着を身につけている。
4)少女が投げキスをする。

●メッセージ性も何もなく、また、南太平洋の人を主人公とするわけでもなく、日本人ディレクターを「いい者」に仕立てる内容。
●「ドリームストーリー」というテロップが入っても、司会やスタジオにいる観客の反応などから、やはり、「真実らしく」伝えようとする局側の姿勢は変わっていないことが 分かる。
●「番組がバラエティである」という点を以前より強調するような場面も見られた。
●さらに、これでこのコーナーが打ち切りになると思ったので、一応収束の方向でいいだろうと考えた。
●フジテレビ内部では、太平洋関係の団体、国から文句がないか徹底的に調べた。
●その結果、なにもないということが判明した。
●しばらくの空白を置いて、「ジャングルクエスト」が再び2週連続で放映されたのである。

(第5話)先住民が盗みを働く。その後ヴァヌアツ人通訳の父を訪ねる。

●再開された第5回目の放送では、第1回目からのダイジェストが長々と繰り返し放送され、「裸の未開人」「文明人を弓や槍で襲う未開人」というイメージをもたらす映像が、 相変わらず登場した。
●そして、今回話しの中心は、裸の未開人がディレクター達の持ってきた荷物を闇にまぎれて盗み取るというものであった。
●しかし、先住民の親が子供に食料を与えている姿を見て、ヴァヌアツ人通訳(この場合、 ヴァヌアツ共和国ポートヴィラ出身と明言されていた)が幼い頃に分かれた父親を恋し く思い、思い悩んでいるのを、ディレクターが人肌脱いで、会いにいくということで放 送が終わった。

着目点
1)ヴァヌアツ人通訳の父の島では、ピジンでの会話
2)プロデューサー側の「心温まる話とのギャップのために未開を演出する映像を出    した」という主張と、「文明人の荷物を盗む未開人」イメージを描くことのギャ    ップ。
  3)「心温まる話」というのも、結局は、「野蛮人を許す日本人ディレクター」という    構図から出来上がっていること。

●「太平洋の人を主人公にした物語を作りたい」というプロデューサーの主張とはほど遠 い内容の放送が、再開された
●悪く取れば、国名を特定していないから、ストーリーだと断りを入れているから、たとえ「やらせ」を「本当らしく」放送しても、抗議や苦情は来ないだろうと思っているか のように思えてしまう。

  (第6話)「立ち入り禁止」を破ったディレクターの処罰をある先住民が助ける

  着目点
  1)「ジャングルに一歩足を踏み入れればそこは戦場!」「元首狩族の襲撃」「弓矢の総攻撃」というテロップとナレーションが出た後、「生きて帰れるのか?」と問いかけ、第1回目からの「未開人の演出」映像がダイジェストで流れる。
  2)ディレクターが悪者になり、先住民が「救済者」となる。
  3)最後に、宣教師の手がかりはパプアニューギニアにあることを告げて、終わる。

●これが心温まる物語?
●この設定とのギャップをつくるために「未開人像」を演出していたのであろうか?
●また、最後に「次はパプアニューギニアだ」となぜ実名を入れたのだろう。これが「ストーリー」であるならば、実在する国名、地名を入れることは出来ない。

5 バラエティ番組における「ドラマ」と「やらせ」

  ○タレントを使った「やらせ」と素人を使った「やらせ」

●普通のドラマでは最後に「これはフィクションです」という断り書きが入るが、バラエティ番組で演じられるドラマの場合は、そうした断り書きが入らない。
●バラエティ番組は、最初から「バラエティだから嘘だ」という目で見てもらえるという前提があるのだろうか。
●視聴者に良く知られたタレント達が、「いかもに本当らしく演技して、それが現実に起こっている出来事であるかのように見せる」場面はしばしば登場する。それは、どうや ら許されているようだ。
●では、素人がそれをやった場合はどうだろうか?
●ここが微妙なところなのだろうが、視聴者は「やらせだろう」と思いながらそれを見ることもしばしばある。しかし、もしそれが正式に「やらせ」であることが発覚した場合 は、いかにバラエティでも、正当性を主張できないのが現在の状況だろう。 

○メラネシア人を使った「やらせ」 

●ヴァヌアツの人々は、ダンスの合間に寸劇を入れて楽しむという伝統を持っている。
●その寸劇の内容は多様で、場合によっては寸劇の域を越えた長いものもある。
●彼らの演技は迫真の演技であり、ヴァヌアツの人々を知っている者が「ジャングルクエスト」を見れば、「いい演技をしている」ということが非常に良く分かる。
●彼らの演技に支えられて、番組は、それがいかにも現実に起こっているかのように描いてきたわけだ。
●「ジャングルクエスト」で問題となるのは、「やらせ」で演技をしているのはヴァヌアツ人(メラネシア人)であるということである。
●ヴァヌアツの人々は、西洋世界から「未開人」というレッテルを貼られてきた人々なのである。日本でも、そのイメージは根強い。
●第1回目の放送は、衝撃的だった。、一人の「未開人」が石斧を振りかざして現れ、それに続いて、大勢の「未開人」が茂みから姿を現したのだ。この場面で、「未開人」の 登場が衝撃的だったわけではない。
●私にとって衝撃だったのは、その場面を見た司会者や会場の観客が、恐怖の声を上げ、本当に驚いているありさまだったのだ。この「やらせ」が「現実」に写ってしまうとい う点が、衝撃だったのだ。
●本当のように見える「素 人」の演技は、「ありそうな現実の覗き見」という錯覚を与える。
●本当のように見える「未開人」の演技→「今だにあんな未開人がいた」という、虚構に満ちた現実を創り出す。
●つまり、うその情報を与えて、一面的な思い込みを「やっぱり本当だったのだ」と思わせるということなのである。マスメディアだからこそ出来ることであるが、だからこそ、 罪悪でもあるのである。
●「まさか」という疑いと「ひょっとして」という気持ちの揺れを巧みに利用したバラエティ番組の中で、「未開」が演出されている。
●現在の日本人の素人に、江戸時代の格好と、その当時の生活を再現させて、「異人を攻撃し」「異人の荷物を盗ませる」演技をさせ、それをいかにも現在の日本で起こってい る出来事であるかのようにヴァヌアツのテレビ局が放送したら、どうだろうか?

6 「未開」と「発展途上」:共通の論理

  ○進化主義的発展論

●いずれは「文明」「先進国」になるが、今は、「未開」「発展途上」の段階にとどまっている。
●「未開」「発展途上」は、我々が過去に通ってきた道筋。

○「ニューギニアの奥地で裸で暮らす人々は、自然と共生し、我々が失ってしまった人間らしさを、むしろ持っている」という言説のまやかし。

●これは、「彼ら」は「未開人」と言っていることと同じだということの指摘の必要。
●「未開」を「やらせ」で作りだし、それをバカにしたようなメッセージ VS 「未開」を逆に「楽園」のように仕上げるメッセージ

  ○「文明」の対極としての「未開」
     未開は、文明の恩恵に浴さないと考えられると、「おぞましさ」「馬鹿さ」「滑稽さ」が強調して描かれる。
     未開は、文明の害毒にそまっていないと考えられた場合、「純粋」「人間らしさ」などが強調して描かれる。
  ○自文化中心主義:無意識のうちに自分の文化的フィルターを通して見てしまう。

●自文化中心主義的ではない描き方の模索
●「秘境観光」との関連で
     ●「ジャングルクエスト」ではヴァヌアツの人々は恐らくお金をもらって演技をしている。
     ●秘境観光においても、人々の側の「未開」の演出が収入源となる。
     ●そうした状況を踏まえた上でも、「未開」の演出を容認することは、進化主義的な未開観をほっておくことになる。
     ●人類学は、その世界の見方を突き崩さねばならない。
     ●自文化中心主義批判が批判されている現在、もう一度自文化中心主義批判を叫ぶ必要がある。
 
●ホームページ上での公開