「幸せな人というのは、明日目をさますのを楽しみにしながら眠りにつく人」という台詞を聞きました。なるほど、うまく言ったものですね。わくわくして眠れないくらい明日が待ち遠しい、というのは本当に素晴らしいことです。何か欲しいものがあること、やりたいことがあること、会いたい人がいること、つまり今日より明日のほうがいい日になるだろうと期待できることは若さの特権だと思います。そういう意味では、何もかも持っている若者はかわいそう。これ以上何も望むことがないとしたら、どうして明日を楽しみにできるでしょうか。
ずいぶん前のことですが、初めて翻訳の仕事を任せてもらえそうになり、その面接の前夜、期待と興奮で一睡もできなかったことがありました。そういう理由で夜眠れなかったのは、後にも先にもその時一度だけです。(心配事があって眠れない、というのは時々あるのですけれど。)
来年は、世界中で多くの人たちが明日を楽しみにしつつ穏やかな眠りにつけるような年になってもらいたいものです。
私は超自然現象とか心霊スポットとかを全く信じないほうですが、それでも時々不思議な気分になる場所があります。通勤途中にある坂道で、片側には神戸の町並みが海に向かってのびている眺めの素晴らしいところです。朝早くこの坂を上る時や、あるいはちょうどたそがれ時にそこを下ると、何だか時間を超越しているような、夢の中にいるような気になってしまうことがあるのです。以前読んだ小説に「昔の誰かが見た悪夢の中の出来事のようだ」という表現がありました。私の場合それとはかなり違いますが、この坂道をひとりで歩いていると、昔の誰かがここを歩く私のことを夢みたことがあったに違いないとか、未来の誰かが今の私を見ているような気がして、懐かしいような切ないような思いが湧いてきます。人間の生まれ変わりというのはあるのかもしれないと、ふと考えたりします。ここ以外の場所でふだん私がそんな気分になることはないので、この坂道には何かそういう思いを誘発するものがあるのかもしれません。ここからの眺めをたとえ写真に撮っても、単なるきれいな景色以外の何もうつらないと思いますが。
しばらく気分の沈んだ日が続いていました。昔からちょっとした気分の波(あるいはバイオリズムの一種?)のようなものがあって、以前はどうしていいかわからなかったのですが、近年は少しだけ対処法のようなものができています。「逆らわない」ということです。沈んだ気分が抜けない時や、特に大きな理由がないのに何もかもいやになってしまう時は、「どうしてもやらなくてはならない最低限のこと以外は何もしない」ということです。授業や(前から決まっていた)会議などはもちろんやりますが、それ以外のことは徹底的に手抜きして、ダイエットもジム通いも論文書きも掃除も洗濯も炊事も化粧も全部放り投げてひたすらぼうっとする、眠る、甘いものを食べる、享楽的な本を読む・・・。じっと嵐の過ぎるのを待つ動物みたいですね。その期間が長いか短いかは予想できないのですが、いずれ何かのきっかけで浮上して常態に戻ってきます。昨日はほとんど一日中ぐだぐだしていたのですが、今日は朝から元気になって、部屋のほこりを払い、壊れた掃除機の処分方法を問い合わせ、たまっていた事務仕事を矢継ぎ早に片付け、ブログを書く余裕もできました。今日から12月、朝から良い天気というのが再浮上のきっかけのようです。ほんのちょっとのことで「復活」できるものですね。