テレビのニュースによると新型インフルエンザが猛威をふるっているようです。でも、町の様子にはほとんど変化がありません。マスクをしている人もほんのちらほらといったところです。これはいったいどういうことでしょうか。今年の5月に神戸・大阪で新型インフルエンザの患者が出た時の大騒ぎはいったい何だったのでしょうか。(あの時は三宮から六甲道までのJRの1車両でマスクをつけていないのは私ともうひとりの人だけだったという日もありました。私の自宅近くでは喫茶店やレストランもガラガラ、神戸駅付近の地下商店街は臨時休業にした日もありました。)10月最後の土曜日の今日、駅構内の喫茶店は満席でした。
5月の時は騒ぎ過ぎだと思ったのですが、今回は少しみんな鈍感すぎるのでは、と思ってしまいます。咳エチケットなどどこへやら、喫茶店やスーパーマーケット内で絶え間なく咳をする人(マスクなし)もときどき見かけます。薬局やスーパーマーケットには大量のマスクの在庫があるのか、マスクの安売りをしている所もあり、5月の騒ぎがまるで夢のようです。これからだんだん寒くなって本格的なインフルエンザシーズンに入りそうですが、町のにぎわいはこのまま維持できるのでしょうか。そうあってほしいのですが。
有名なミュージシャンの自殺のニュースが飛び込んできました。ネットの記事によると鬱病だったとのことです。鬱病は私にとってもけっこう身近な病気だったので、亡くなった彼がお気の毒でなりません。
身近でその病気に苦しむ人を見ていました。最初は本人も周りの人も「病気」だとは気づかず、その人が「怠惰」だとか「いいかげん」だとかという理由で(自己)非難していました。やがてそれが病気であることがわかった時には、病状がかなり進んでいました。幸いにして最悪の結果には至りませんでしたが、なぜもう少し早く気づいて適切な治療ができなかったのだろうと長い間悔やむことになりました。(周りでそんなことがあったので私は過敏になってしまい、ほんのちょっとの不調でも心療内科などに駆け込んで薬をもらったりするようになり、それはそれで問題かもと思います。)
鬱病の原因はいろいろあるのでしょうが、ストレスも大きな要因だろうと思います。ストレスのない社会というのは昔も今も存在しないと思うのですが、そのストレスをうまく解消あるいは回避することのできる環境かどうかというのが重要なのでしょう。なぜか、昔のオーストラリア映画『クロコダイル・ダンディ』を思い出しました。大自然の中で生きる「男の中の男」ダンディでさえ、自分の悩みを聞いてくれる友人を必要とするのです・・・。
古い友人が外国から来日したので、東京まで会いに行きました。彼らの泊まっているのは、皇居近くにある超高級ホテルで、私はそこにはもちろん泊まれないけれど、すぐ近くの中級ホテルに宿泊しました。その界隈は大きな劇場や高級ホテルがいくつかあり、ロールスロイスが走っていたり、裕福そうな観光客が多いのですが、近くの大きな公園に入るとホームレスの人がいます。今回私がショックを受けたのは、超高級ホテル脇の路上で女性のホームレスの人を見かけたからです。台車のようなものにバッグをいくつか積んで押して歩いていました。服は何枚もの重ね着で、ぱっと見ただけではホームレスとはわかりませんでしたが、異様な感じがしたのです。なぜだろうと一瞬考えたのですが、彼女の顔にまったく表情がないことに気づきました。歳はわかりません。50代ぐらいに見えましたが、本当はもっと若いのかもしれません。でも、感情を一切表さないうつろな目をして台車を押していく姿を見ると、いったいどんな事情を抱えているのだろうと心が痛みました。そして、次の日もほぼ同じ場所でその女性を見かけました。過剰なほどの富・贅沢と、大きな貧困がほとんど同じ場所に同時に存在している(それも日本の首都東京で)ということは、ニュースなどでもちろん知っていましたが、それが自分の目の前に現実のワンシーンとして立ち現れてくるとやはり大きな衝撃を受けてしまいました。