近況: 2010年2月:一覧

服装について

 オリンピックの某選手の「服装の乱れ」が問題になりました。日本選手団の制服をだらしなく着ているということで非難されていましたね。ところで、中学・高 校生時代の私は制服というものが気に入っていて、大学生になった時には制服がないため毎日着るものに頭を悩ませなくてはならないのが、時間とお金のむだだ と思っていたものでした。ところが、今は随分違う考えを持っています。就職活動をする学生さんたちが皆申し合わせたように黒い「リクルートスーツ」を着て いるのを見ると、なんだか悲しくなってしまうのです。もうちょっと明るくて楽しい服装にできないだろうかと思ってしまいます。以下は、最近読んだスタール 夫人の文章です。

 文明の技術は、あらゆる人々を見かけも実際も均一化する。(・・・)人間たちは気取ったり、計算したりして互いに似せているだけだ。本来のもの は多彩なのである。だから衣裳が多彩であるのは、とにかく目にはちょっとした保養なのである。衣裳が様々あるということは、感じたり判断したりするのに新 規なやり方もあるということを感じさせてくれる。(『コリンナ』佐藤夏生訳)

 天才スタール夫人は美人ではありませんでしたが、その奇抜な(というか独創的な)ファッションで18世紀末から19世紀初頭の人々を驚かせたようです。

フランス語の本領

 スタール夫人の『ドイツ論』(1810年刊)にとても興味深い一節を見つけました。

 思想に立ち向かうにはドイツ語を、人と力を競うにはフランス語を使わなければならない。ドイツ語の力を借りて深く掘り下げ、フランス語を話して 目的に到達しなければならない。ドイツ語は自然描写にフランス語は社会描写に使うべきである。ゲーテは『ヴィルヘルム・マイスター』の中であるドイツ人の 女性に、恋人がフランス語で手紙をくれたので、彼が彼女から離れたがっていることに気づいたと言わせている。事実フランス語には、言外の言葉やあることを 言わないための言葉、約束することなく期待させたり、拘束することさえないのに約束するためなどの多くの言い回しがある。ドイツ語にはそんな柔軟性がな い。そしてそのままでよいのだ。(スタール夫人『ドイツ論1』梶谷・中村・大竹訳、第1部第12章)

 パリに生まれ育ったスタール夫人のこの言葉には重みがありますね。4月から大学で選択する第2外国語についてまだ迷っている学生さんにはぜひフランス語を履修するようおすすめします!

快楽の代償

 本当にひさしぶりに、食事の時間を忘れるほど熱中して一気に読んでしまいました。山岸凉子のまんが『日出処(ひいづるところ)の天子』全11巻です。これは1980年から84年にかけて雑誌に連載されたのですが、私は切れ切れにしか読んだことがなく、今回初めて最初から最後まで通して読みました。厩戸王子(うまやどのおうじ、聖徳太子)と曽我毛人(そがのえみし)を主人公にしたこのまんがは83年度の講談社漫画賞(少女部門)を受賞した作品です。厩戸王子が超能力者だというのはともかくとして、彼と毛人の同性愛的絆を描いたことで右翼が騒いだり、「法隆寺から苦情が出た」(という新聞記事があったが、のちに記者による捏造であったことが発覚したとか)りして、結局かなり唐突な形で物語が終わっています。それでも、古代日本の宮廷の権力闘争、神道と仏教のせめぎあい、朝鮮半島や中国大陸との関係などスケールの大きな枠組みと、その異能のために孤立する王子やそれを取り巻く人々の物語は圧倒的な迫力です。昼食を取る間もおしんで夜まで読んだ私は、そのあとインターネットで、このまんがのモデルとなった人たち・事件の歴史的背景や、他の「聖徳太子」を主人公にしたまんがとの比較などを読み、気づいたら真夜中になっていました。
 翌日は悲惨なことに・・・。本とインターネットで目を酷使したため、首と肩と腰がひどくこってしまい、マッサージ師さんのお世話になってしまいました。もちろんこれは前日に予想できたことですが、どうしても途中で本やコンピュータから離れることができなかったのです。本やインターネットに夢中になるのも、度が過ぎると本当に体に悪いのだとつくづく思い知らされました。

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