2009年5月アーカイブ

気がつくと、雅楽の研究を始めて、30年近くになります。これまで平安時代の古譜を解析して、昔の姿をよみがえらせる作業を中心的に行ってきました。最近は、これに加えて、明治、大正、昭和前期の、いわゆる「近代」という時代に焦点を当てて、この時代を生きた雅楽人たちの奇跡を追う研究をしています。特に興味を引かれるのは、東儀鐵笛と近衛直麿です。彼らの遺した記録や楽譜を見ると、戦前の人々が、今日よりも自由闊達な精神を持ち、伝統を柔軟にとらえていたことに驚かされます。


「〈境界〉の音楽〜近代日本における〈日本音楽〉」より

 東儀鐵笛と近衛直麿はともに雅楽と関わりを持つ活動を繰りひろげたが、そのアプローチの方向は、一見、逆の方向を指向しているように見える。鐵笛は、重代の楽家に生まれながら、雅楽の「境界」を越え、洋楽、演劇という他分野に進出し、一方、直麿ははじめ洋楽を志したが、後に雅楽に目覚め、その復興と普及に力を尽くした。しかし、そのような本人たちの思惑を越えたさらに深い部分で、両者の活動には、時代の必然性とも言うべき、超ジャンル的な思考が通底しているように思われる。鐵笛は新しい「日本音楽」の創成を目指して雅楽の旋律を取り入れたオペラを作曲した。直麿は「日本音楽」の普及・普遍化として、雅楽を五線譜化し、オーケストラ編曲を行った。前者については、本場ヨーロッパの音楽作品こそがオペラだとする現在の価値基準からすると、日本でもない西洋でもない「境界的」なものとして、必ずしも評価は高くない。後者についても、西洋楽器ではなく、伝統的な雅楽器による合奏こそが「正統な」雅楽である、とする見地から、同じく評価されない。しかしこれは、ジャンル、レパートリー、伝承の細分化、固定化が進んだ、現在の本質主義的傾向による判断に過ぎない。そもそも、鐵笛や直麿の時代にはたして今日のようなジャンルの細分化・固定は確立していたのかをまず疑う必要があろう。 

 鐡笛は、「日本音楽」をいわゆる「伝統」という狭隘な枠組みの中に閉じこめ、保存するだけでは新しいものは何も生まれない、と説いていたが、この教訓は、ややもすると本質主義に陥りがちな現代の私たちにいまだに重要な示唆を与えつづけている。おそらくは無数に行われ、忘れ去られたこうした近代の「境界的」な試みを、現在の視点や制度を脱構築した地平から今一度照らしてみると、それらは異なる輝きを放って私の前に立ち現れて来るに違いない。

『芸術・文化・社会(改訂版)』(放送大学テキスト)東京:放送大学教育振興会、2006.)

 


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