2019年3月13日、南あわじ市福良の煙島にお参りしました。一の谷で戦死した平敦盛の遺骸を荼毘に付したと言われる場所です。この島は普段は禁足地で、特別に淡路人形座の方のお参りに同行させていただきました。敦盛さんの御魂をお慰めし、3月に行う人形芝居「一谷嫩軍記」の公演成功を祈願するためのお参りです。
淡路人形座は毎年、3月の敦盛さんの命日前後の時期に「一谷嫩軍記」を上演しています。2019年は3月21〜24日です。敦盛さんゆかりの場所で浄瑠璃を楽しむのもいいですね。
階段上から福良湾を見る
急峻な階段を登ると頂上部分に平地があり、中央に厳島神社(宗像社)、左側に敦盛塚、右側に経塚があります。厳島神社に参拝したあと、福良神社の祢宜さんにより敦盛塚で祝詞が奉上されました。
敦盛塚でのお祀り
境内にはその他、「奉寄附 石灯籠 富講中 元禄十一年戊寅年(1698) 正月七日」と銘のある石灯籠二基と明治廿年(1887)に「七人組」が奉納した石の手水鉢があります。現在の厳島社の手前(北側)に、石の基壇があり、古くは、ここにも建物があったと推測されます。
元禄十一年の石灯籠
江戸時代末に出版された『淡路國名所図会』(1851)には煙島に関して、以下のような記述があります。
嶋の頂き平地五間ばかり。宗像社あり。此南に石小祠あり。里人これを無官太夫敦盛の古墳なりと言い伝ふ。一説に、元暦元年春二月、摂州一の谷の合戦に熊谷治郎直実、平家の公達無官太夫敦盛を撃とり、其遺体を父経盛の陣に送る。其時、此島に於て荼毘し煙となす。是よりして煙島と号く。爾後、菩提所を営み、摩尼山紅蓮寺と号く。則、摩尼ハ島の宝珠をかたとり、紅蓮は敦盛の法号なりといふ。又云、紅蓮寺後荒廃して、本尊観世音の尊体ハ今神宮寺に安する所、是也とぞ。
これによると、江戸時代末には、現在、宗像社がある位置(南側)に石小祠があり、現在、基壇だけが残る場所(北側)に宗像社があったのかもしれません。が、詳しいことはわかりません。
島から帰って、漁港の近くの平松食堂でサクラマスの定食をいただきました。サクラマス、刺身もあんかけも絶品でした。さすが、御食つ国です。普通の食堂のご飯のレベルが異常に高い。
このボリュームで1680円!
この日は風が強く、明石海峡も白波がたっていました。