追悼 芝祐靖氏

復元という創造〜芝祐靖氏の遺したもの

        (国立劇場 第85回雅楽公演「雅楽 アジアの響き」(2019.11.9)原稿)


 「復元」とは失われたもの、あるいは変化したものを「元の形に復する」行為、あるいはその結果のことである。発せられた瞬間に消える時間芸術である音楽において、録音技術が生まれる以前は、厳密な意味で、過去の音楽を保存・再生することは不可能であった。しかしだからこそ好奇心は刺激される。その音楽は昔どんなふうに響いていたのか。たとえば、奈良時代や平安時代の雅楽は、しばしば「天平の響き」や「源氏物語の音楽」などのキャッチコピーとともに、人々の想像やロマンをかき立て、復元の対象となってきた。

 ただし、一旦廃絶した音楽の復元は容易ではない。古譜に記された記号の連なりは旋律の骨格を示すだけで、各楽器の当時の演奏の実態はわからない。この骨格をもとに、観客が聴いて「おもしろい」と感じる音楽を創るには、古譜には書かれていない様々な「肉付け」を行わなければならない。その意味で、音楽における復元作業は、現代の音楽家による過去の伝承の創造的解釈であり、さらに、その解釈の結果は一つではなく、復元者の立場や方針により複数存在する。

 国立劇場が、雅楽の復元演奏に取り組み始めたのは1975年である。この年、第一回「管」公演「正倉院と雅楽の管」(〈元歌〉〈蘇莫者〉上演)と第一九回雅楽公演「舞楽 大曲と稀曲の再興」(〈蘇合香〉〈河南浦〉上演)が催された。以来、〈盤渉参軍〉、〈団乱旋〉、〈獅子・狛犬〉、〈曹娘褌脱〉、敦煌琵琶譜の諸曲、〈鳥歌萬歳楽〉、〈番假崇〉、〈玉樹後庭花〉、〈陵王荒序〉、〈皇帝破陣楽〉など、さまざまな楽曲が国立劇場の舞台で現代に甦った。初期のものを除いて、ほとんどの復元を担当し、「復元雅楽」という一分野を開拓したのが、本年7月に亡くなった芝祐靖氏(1935〜2019)である。芝氏は自身の復元作業が、厳密な意味で「復元」ではないことをよく自覚していて、復元曲CDの解説で次のように述べている。

 さまざまな音移行と跳躍音型、そしてフレージングなど、手探りで不安の多い作業ですが、その中から古さばかりでなく、思いもかけない新鮮なメロディーの出現に驚かされることもあります。

 琵琶の訥々とした音型から旋律を探る作業、そしてその中から出現した旋律を合奏へと展開する作業、つまりオーケストレーションの過程でも、つねに創造/想像的な判断が求められます。この敦煌琵琶譜を音楽として甦らせるために、私自身の雅楽の経験を元に創意工夫を加え、作品として仕上げました。(CD『芝祐靖の音楽 復元正倉院楽器のための敦煌琵琶譜による音楽』2011)

 ここで芝氏は、古譜と向き合う中で、思いがけず新鮮な旋律に出会うことがあること、また、それを最終的な合奏形態へと展開する作業で、それまでの自身の雅楽の経験を活かして創意工夫を加えていることを明かしている。つまり、芝氏にとっての復元作業は、現在のみずからの経験と想像力にもとづいた過去の解釈作業に他ならず、きわめて創造的な営為なのである。また、その解釈には、一つではなくいくつかの異なる可能性があることも実際に示している。たとえば、本公演でも演奏される〈番假崇〉に対して、琵琶独奏、現在の唐楽様式の合奏、復元された正倉院楽器のための合奏、の三種類の解釈(編曲)を遺している(CD『甦る古代の響き 天平琵琶譜「番假崇」』一九九九)

 音楽の復元には決まった答えがない。しかしだからこそ魅力的である。芝氏が築いた「復元雅楽」というジャンルは、古典雅楽や現代作曲家による新作雅楽とともに、雅楽の世界を今後も豊かに彩っていくに違いない。

(公演当日のパフレットとは一部の記号、フォント、レイアウトなどが異なります)

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