近年、音楽を論じる学界の世界的な動向として、環境や紛争に関する話題を取り上げることが増えている。たとえば、2021年に開催予定の国際伝統音楽学会International
Council for Traditional Musicの第46回世界大会では、発表テーマの一つに "Ecomusicologies
and Ecochoreologies: Sound, Movement, Environment"(エコ音楽学とエコ舞踊学:音、動き、環境)を掲げている。また、2018年に開かれた同学会の分科会・東アジア音楽研究会(Study group
on Musics of East Asia)のシンポジウムでも同様に
"Ecological Habitus of Music and Dance"(音楽と舞踊の環境に関わる慣習)がテーマの一つであった。さらに遡り、2016年にはCurrent Directions
in Ecomusicology: Music, Culture, Nature (エコ音楽学の現在の動向:音楽、文化、自然)という論文集も発行されている(Allen, Dawe共編著、Taylor & Francis)。Ecomusicologyはecology(生態学)とmusicology(音楽学)の合成語で、一般の辞書には出て来ない単語だが、ここ10年でエコロジー的視点による音楽の議論は一気に活性化した感がある。その背景には、自然破壊による楽器材料の減少や劣化、紛争や災害による音楽を支える共同体そのものの崩壊の危機などがある。
Ecomusicologyの意味するところは実際にはかなり広範で、右のCurrent Directions in Ecomusicologyの中には、自然と人間との関係を思索する哲学的アプローチ、人間を取り巻く社会環境と音楽のあり方や音楽の概念を論じるもの、自然の素材との対話から生まれる音楽的美意識を扱うものなど、多様な視点の論文が含まれている。その中で私が注目したのは、編者の一人Daweが寄稿した、"Materials matter:
towards a political ecology of musical instrument making"(材料が問題(重要)だ:楽器作りのポリティカル・エコロジーに向けて)という論文である。この論文では、手作りでギターを製作する職人の事例が報告されていて、手の感触や耳を通して材質と対話していく職人の繊細な感覚的作業が描かれると同時に、できるだけ環境にやさしい方法で材料を集めるというこの職人のポリシーが紹介されている。「材料が問題だ」とわざわざDaweがタイトルで強調している理由は、これまでの音楽研究は、音楽様式の分析や、何をもって「美」とするかという美学的な研究には膨大な蓄積があるのに比べ、楽器の材料という物理的、あるいは形而下学的側面に着目した研究があまりないことにあるように思われる。'political ecology'ということばも耳慣れないが、同書の巻末の用語解説によれば、「資源、物質的環境の問題と人間の社会システムとの関係を批判的に考察する複合的な研究」とある。「ポリティカル」は通常「政治的」と訳されるが、ここでは環境・社会・人間の関連について批判的(反省的)な視点を持ち、あるポリシーに基づいて行動することを意味しているように思われる。ギター職人の事例に即していえば、自然にやさしく上質な材質にこだわり、丁寧に楽器を仕上げていく姿勢が、あるポリシーに基づいたエコロジカルな行動、つまり'political ecology' の実践に当る、ということなのだろう。
翻って、日本の伝統楽器の製作は大きな困難に直面している。特に三味線や箏のバチ、コマ、柱の材料となる象牙、鼈甲などは元来輸入品で、これらの動物が絶滅危惧種となった現在では輸入が困難である。しかし、植物由来で国内調達が可能な篳篥の盧舌も安泰とは言えない。鵜殿の葭は千年以上の時間をかけて、楽人と楽器職人が磨いてきた美意識によって選ばれた素材であり、そのような葭が生育できる環境は、さらに途方もない長い時間をかけて自然と人が創り出してきたものである。その環境を維持するにはどうしたらよいのか。個人的には、良質な葭の産地として皇室の御料にして保護したらどうかなどと妄想するが、現実的には、地元の方々との協力を軸に、外部のより多くの人を巻き込んで、今の環境がこれ以上悪くならないように活動して行くことが重要であろう。それこそ「ポリティカル(政治的)」な戦略も使いつつ、貴重な環境を守り、後世に雅楽の豊かな音色を遺していかなければならない。
『雅楽だより』(雅楽協議会発行)61号(2020年4月1日発行)pp. 8-9掲載