発表要旨



最終講義:フィールドからの声と人類学(2016,3)
ル・クレジオの『ラガー見えない大陸への接近』を読む(未発表)
オセアニアにおける公共圏と親密圏の出現(広島大学大学院国際協力研究科 研究会発表:2010,2,1)
人類学バトル「ポストコロニアル論争は人類学の自殺行為に等しかった」  ⇒  『くにたち人類学研究』第三巻に掲載(クリック
(文化人類学会関東地区研究懇談会:2007,10,7)
多配列概念と比較の視点(民博研究会発表:2005,7,24)
二ーダムを考える(文化人類学会関東地区研究懇談会:2005,4,23)
ポストコロニアル人類学を批判する(民博研究会発表:2005,1,29)
ヴァヌアツの都市生活者における“エスニシティ”−ルガンヴィルの事例より(民博研究会発表:2004,10,23)
文化のグローバリゼーションーオセアニアは取り残された地域か?(公開講座 講義: 2003,11,1)
オセアニアにおける新しい宗教ーバハイ信教を中心に(民博研究会発表:2003,3,1)




文化のグローバリゼーションーオセアニアは取り残された地域か?ー

(第4回神戸大学国際文化学部公開講座・ひょうご講座「グローバリゼーションを問う
 ー地域文化からのまなざしー」2003年11月1日 神戸大学にて)


1 オセアニアと秘境としてのメラネシア

  1−1 三つのネシア
      ○ポリネシア  :多くの島々  モンゴロイド系の人々
       ○ミクロネシア :小さな島々 モンゴロイド系の人々
      ○メラネシア  :黒い島々 ネグロイド系の人々

  1−2 秘境としてのメラネシア・イメージ
      ○フジテレビ『ワレワレハ地球人だ』より「ジャングル・クエスト」におけるヴァヌアツ共和国の扱い
      ○カニバリズムとメラネシア

  1−3 現実のメラネシア
      ○キリスト教徒、テレビ放送、インターネット・カフェ
      ○それでも続く、「世界から取り残された所」としてのメラネシアのイメージ
      ○グローバリゼーションとの関連

2 文化のグローバリゼーション

  2−1 グローバル文化:文化の地球的な規模での拡散

  2−2 マクドナルドについて      
      ○アメリカ文化は多様である、という議論との関連で

「・・・言い換えればアメリカという国の支配的な「ヴァージョン」とは、企業資本主義によって海外に輸出されている文化であると考えるのが妥当であろう。そのため、アメリカ以外の国民にはそれが純然たるアメリカ文化のように見えるのである。「ヤンキー・ゴー・ホーム」というスローガンがあるが、そこではアメリカ文化の微妙な多様性が全く認識されていない。認識されているとすれば、それは国内・国外で支配的な力をもつ文化的活動の担い手が何であるかということだろう。その担い手とはドル・パワー、およびそれを体現したマドンナやマクドナルドなどの文化的商品である。・・・その意味でマクドナルドはアメリカ文化なのであり、・・・ユダヤ人のデリカテッセンやチャプスイ(アメリカ風の中華料理)のレストランは決してアメリカ文化にはなれないのである。」(トムリンソン『文化帝国主義』)

3 文化のグローカリゼーション

  3−0 グローバリゼーションとローカリゼーション

  3−1 ワトソン編『マクドナルドはグローバルか』(新曜社)
      ○北京、香港、台北、ソウル、日本でのフィールドワークに基づく研究
      ○それぞれの地域文化を加味して、主体的に独自のマクドナルドを作っている

  3−2 二つのグローバリゼーション:マクドナルドとラスタファリ
      ○マクドナル
                 ・中核部分(商品の品質、作り方、衛生観念、食事のスタイルなど)が拡散していく
                 ・全体として受け入れられ、細部がローカル化される
                 ・世界中どこでも同じに見える「グローバル文化」の形成
      ○ラスタファリ
                 ・ローカルな部分に受け入れることが出来る部分だけ受け入れられ、全体が薄められる
                 ・細部がヴァリエーションをもって世界に拡散する

  3−3 発展途上国から見たグローバリゼーション
      ○文化のグローバリゼーション=西洋的価値観の全体的な流入と受け入れ
                         =支配の側にいる者の価値観の流入と受け入れ

4 文化帝国主義としてのグローバリゼーション

  4−1 グローバリゼーションと植民地主義:コロニアリズムとネオ・コロニアリズムとの関連
      ○グローバリゼーションは niufala kolonaizeisen(新しい植民地化) であるというヴァヌアツ人
       エリートの捉えかた

  4−2 トムリンソン著『文化帝国主義』(青土社)
      ○一般的な議論:世界の多くの場所で、正統的、伝統的な地域文化が、おもにアメリカ合衆国
       による商品やマス・メディアの産物の無差別な大量販売によって破壊され消滅しつつある
      ○帝国主義とグローバリゼーション

「・・・これまで出会ってきた文化帝国主義の諸言説はすべて、この「新時代」の特徴である地球上の権力の新しい配列という観点から解釈できるということだ。この新しい配列は、「帝国主義」として知られてきた地球上の権力の配分にとってかわるものである。「帝国主義」とは1960年代までの近代を特徴付けてきたものだが、その「帝国主義」にかわるのが「グローバリゼーション」なのである。」

  4−3 グローバリゼーションとメラネシア

      ○植民地支配が終了した後も、支配的な立場にある西洋世界の価値観が全体として流入してきて、
        それを受け入れざるをえない状況となる。
        → まさに、新しい植民地主義として捉えられることになる。

5 グローバリゼーションと植民地主義の背景

  5−1 西洋世界を頂点とした進化主義的見方
      ○西洋的視点と異なるもの = 未開 
      ○かつて「未開社会」、今「発展途上国」(未開 → 文明、発展途上国 → 先進国、
        つねに、西洋世界に向かって世界が発展してくると想定するこうした物の見方を問題にすべき)

5−2 自文化中心主義
      ○無意識のうちに、自分の文化的価値観というフィルターを通して異文化を見てしまうこと

5−3 メラネシアが秘境となるわけ
      ○西洋的価値観に反するメラネシアの伝統的生活(たとえば、豚を殺す儀礼)  
        → いくらキリスト教化してもテレビ放送を導入しても、インターネットカフェを作っても、
          伝統文化が西洋的価値観からすれば「未開」なもの
        → メラネシアは、いつまでも世界から取り残された地域としてのイメージを背負う
      ○西洋を中心とした自文化中心主義的な見方を批判する必要



オセアニアにおける新しい宗教ーバハイ信教を中心に

(研究会「キリスト教と「文明化」の人類学的研究」2003年3月1日 民博にて)

1 太平洋における新しい宗教(資料1

  ○資料1の統計は1997年、1998年のもの、参考程度の統計
  ○ポリネシアにおけるモルモン教の活動:トンガ、サモア、仏領ポリネシア
            バハイの存在
            エホバの証人は少数
  ○ミクロネシア:モルモンとバハイは互角。ポリネシアのバハイ並み
  ○メラネシアにおけるSDAの活動、モルモン、バハイの少なさ
            ペンテコステ(ヴァヌアツのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド)
            ホーリネス系の活動
  ○傾向として:
   ポリネシア、ミクロネシア:LMS、メソディスト
         モルモンとバハイの組
   メラネシア:アングリカン、カトリック、長老派など
         SDAとペンテコステ、ホーリネスの組

2 なぜバハイなのか?という疑問

  2−1 バハイ信教(資料2

  スンナ派(イスラーム正当派)

  ○第3代カリフ・ウスマンの出身であるウマイヤ家と第4第カリフのアリーの対立
  ○アリーがハーリージー派によって暗殺。ウマイヤ家はカリフを世襲化しダマスカスを首都として
    シリアにウマイヤ朝を開く(661年)
  ○ウマイヤ朝はアッバース朝へ(750年)。アッバース朝正統カリフの支配下にあるのがスンナ派
  ○イスラーム法解釈をめぐる四法学派(ハナフィー学派、シャーフィイー学派、マーリキー学派、
    ハンバリー学派)が公認されている。
  ○ワッハーブ派:18世紀のスンナ派復古主義ーーイスラーム神秘主義や飲酒、喫煙などの
   堕落した生活に反対し、コーランとマホメットの伝承のみに指針を求めるべきと主張
    --------------------サウジアラビア

  シーア派

  ○第4代カリフのアリーとその家族がマホメットの後継者とする。
  ○アリーの後継者をイマームと呼ぶ。
  1)イスマイール派
     アリーの第2子フセインの曾孫の息子・イスマイール及びその息子や子孫に仕える派                      --------------------チュニジア
  2)ザイド派
     第5代イマームをザイド(アリーの曾孫)とする派-------イエメン
  3)12イマーム派(シーア派の中心)
     イマームの地位はアリー家の12人に継承されていると考える。9世紀に志望した
     第12代イマームは子どもがなく、ここでイマームが途絶えるが、イマームは死んだ
     のではなく「隠れイマーム」として存在していると解釈。最後の審判の日に救世主と
     して再臨。法学者がその代理を果たす。-----イラン

  バーブ教

  ○セイエド・アリー・ムハンマドが興す。
  ○カルバラーの神学者カージム・ラシュティーの弟子になり、シャイヒー派の教理を学ぶ。
  ○ラシュティーは、隠れイマームの再臨を予言。
  ○1844年、自らが隠れイマームへのバーブ(門)であると宣言。
  ○シーア派の改革、両性の平等、政治・社会の再編成の必要を訴える。
  ○イスラームおよびシャリーアから完全離脱し、積極的な布教をするため政府と戦う
  ○1848年から2年間、イラン各地で武装蜂起。イラン政府と抗戦。
   50年にバーブが処刑された後も続き、
   52年、2人のバーブ教徒が国王暗殺を企てる。これを機に、政府側の弾圧と迫害。
   4万人のバーブ教徒が犠牲になったとされる。
  ○基本教理:神は唯一にして、バーブは神が映し出される鏡であり、
   何人もバーブに神を見ることが出来る。

  バハイ信教

  ○1863年、バーブの弟子のバハオラが、自分こそがバーブの予言した使徒であると宣言。
  ○バーブとバハオラは、クリシュナ、仏陀、ゾロアスター、アブラハム、モーゼ、キリスト、
    そしてモハメットと同等の神の顕示者であると考える。
  ○すべての形の偏見を放棄すること。
   男女の平等。
   世界の偉大な宗教が同じ源から発し、本質的に同じであること。
   極度の貧困と富を除去すること。
   世界的に義務教育を施すこと。
   人間ひとりひとりが、独自に真理を捜し求める責任があること。
   集団的安全保障の原則に基づく世界の連邦制度を確立すること。
   宗教は論理や科学知識と調和するものであること
  ○万国正義院
   地方行政会、全国行政会、世界行政会(万国正義院)の三段階。
   それぞれ9人から構成。
   メンバーは大人のバハイ全員から選ばれる。
   地方行政会は市町村単位の活動を、全国行政会は国単位の活動を、万国正義院は
   全世界の活動を指導します。
   万国正義院は1963年にバハイ共同体の中心地イスラエルのハイファで設立。
   世界の200国と179の属領に拡大。

  2−2 太平洋におけるバハイ

  ○第一次大戦中:アブドル・バハがオセアニアへの布教を訴える
  ○1921年、オーストラリア、NZに布教。
  ○1953年、エフェンディが太平洋への布教を指令
   オーストラリア、NZ、フランス、パナマ、合衆国などから信者が太平洋の島々へ布教
   に出かける。(サモア、トンガ、ギルバート・アンド・エリス、ソロ モン、PNG、カロリン諸島、
   グアム、ツアモツ群島、ソサイエティ諸島、ロ イヤルティ諸島、東チモール、フィジー、
   マリアナ、マルケサス、ニューカレドニア)。
  ○布教活動は、改宗させようとする伝道団としてよりも、日常生活を通して自分たちを見て
    バハイを知ってもらおうという方向での布教。
  ○1959年に南太平洋の島々をカヴァーする(ソロモン諸島、マリアナ諸島、
    ギルバート・アンド・エリス、ニューカレドニア、ロイヤルティ諸島、ニューヘブリデス、
    フィジー、トンガ、サモア、クック諸島の計10地域)地域行政会設立。スヴァに本部。
  ○四年計画で、バハイ文書の翻訳、初等教育校の建設、会議とサマースクールの開設、
   地方行政会の増加などを目標
  ○太平洋における全国行政会

      1967年ギルバート・アンド・エリス
      1969年PNG
      1970年サモア、トンガ、フィジー
      1971年ソロモン諸島
      1977年マーシャル諸島、ヴァヌアツ、ニューカレドニア、ロイヤルティ諸島
      1978年マリアナ諸島
      1981年ツバル
      1985年クック諸島、西部カロリン諸島、東部カロリン諸島

3 C特性群とP特性群

  3−1 ゲルナーのC特性群とP特性群

  ○C特性群
      1)現世、来世におけるハイエラーキー志向
      2)司祭、儀礼的職能者、諸聖霊の活動
      3)知覚可能な象徴、イメージへの宗教の具象化
      4)儀礼、神秘的行為の盛況
      5)特定の個性への忠誠
  ○P特性
      1)厳格な一神教
      2)ピューリタニズム
      3)聖典と読み書き能力の強調
      4)平等主義
      5)霊的仲介者の欠如
      6)儀礼的放縦の制限、中庸と覚醒した態度
      7)情緒よりも規則遵守を強調

  3−2 イスラームと「近代」

  ○スンナ派内部におけるマフディー運動-----------土着主義運動として描かれている
  ○ファダメンタリズム--------------------------イスラム主義として捉えられている
      ○近代西洋なるものとの対立
      ○反動、復古、伝統主義などの特徴
      ○初期イスラームへの強い指向性
      ○原点指向性は、18世紀のワッハーブ主義、19世紀から20世紀にかけての
        サラフィー主義と同じ
  ○イスラームでは前近代においてはC特性が目立ったが、近代になってからはP特性が
    強調されるようになってきた、という議論
  ○バーブ教もバハイ信教もP特性を持つのか?
  ○これらを、「近代」か「反近代」で語ることの空しさ

4 太平洋における「近代」とキリスト教布教活動

  4−1 アングリカンの布教

   1842 最初のニュージーランド管区の司教セルウィン、NZに到着
   1843 St. John's College 設立
   1849 ロイヤルティ、ニューカレドニア、ヴァヌアツからこの学校へ入る者を連れてくる
   1850 初のソロモン人入学者が来る
   1855 パターソン、セルウィンの助手となる
   1861 メラネシア管区設立。パターソン初の司教となる。
   1867 ノーフォークにメラネシア管区の本部が移る。
   1871 パターソン、サンタクルズで殺される
   1873 サラウィア(バンクス)、メラネシア人初の司祭となる

   (1)メラネシアの各地からノーフォークに連れてきて教育してその出身の島に戻す
   (2)特にサンタクルズ地域からはほとんど来ないし、来ても海岸部の者だけ。
      かれらは内陸部で活動したがらなかった。
   (3)ソロモン諸島の離島はポリネシア人の島が多く、そこでメラネシア人が布教することは難しかった。
   (4)白人の宣教師は、内陸部のブッシュで布教することに一般には適さず、
      結婚している場合は、家庭を離れて長期布教活動に出かけることはいやがった。
   (5)白人宣教師の多くは、教育制度の維持、メラネシア人カテキストの監督などに
      忙殺されていた。

  ○以上のことから、ブラザーフッドが設立される

  4−2 メラネシアン・ブラザーフッド

  経緯

  ○未婚男子の集団で、数人で異教徒の地に入り、互いに支援と激励を行うという
    ルールのもとに集まった
  ○コプリアはサンクリストバルのパムアの学校で学んだ者の一人。かれは
    スチュアードが布教のベースとしていた 村(ガダルカナルで最初のキリスト教の村)出身
  ○コプリアはノーフォークで勉強を続ける
  ○人々は助祭になることを望んだが、彼はポリスとなった。
  ○病気で入院中、お告げを聞く。イエスが「私がお前にしてほしかったことをしていない」
    と告げる。
  ○当時メラネシア管区の司教であったスチュワードに相談
  ○ブラザーになることを望んでいると確信。1932年に神に誓いをたてる。
  ○パムアの学校やソロモン人やヴァヌアツ人が訓練を受けているウギの上級学校
    に仲間を求める。ウギの学校で校長をしていたのがフォックス。コプリアに協力する。
    後に、白人でただ一人のメラネシアン・ブラザーになる。

  活動

  ○ブラザーフッドは伝道の先鋒となり、司祭やカテキストなどの仕事の準備をする役割。
    しかし、マライタにおいてはこうした後陣の整備が遅れ、他のキリスト教に改宗する人々
    が多く出た。
  ○1年ごとに、ミーティングで更新するかどうかはかる。辞めた者の多くはカテキストになっていく。
  ○ブラザーフッドの活動:食事や宿は布教しに行った村で提供してもらう。
    それが出来ない場合は、野宿。ブッシュで自分で食料を探す。
  ○受け入れてくれた場合だけ村に入っていく。畑で村人と一緒に働いたり、もし土地を
    貸してくれると、出来るだけ早く自活する。
  ○無理強いをしない。
  ○一人ではなく二人でいく。しかも出来るだけ別の島出身者で組む。これは、「愛」の印。
    島単位の対立が多く見られるから。受け入れられるまでは、なんら説教じみたことはしない。

  組織

  ○tuaga(head Brother)が毎年ごとの全ブラザーの会合で選ばれ、Father of the Brotherhood
    つまりビショップ of Melanesia によって承認される。
  ○Church of the Province of Melanesia. 6つのダイオーシスを抱える。

  4−3 シロン・ダン

  ○1930年代初頭、それまでのアングリカンのやり方が変わった。
   セルウィンの方針は、出来るだけ伝統文化を温存する形での布教活動を行うということで
   あったが、1930年代初頭にやってきた宣教団は、それに反対した。
  ○シオタで宗教会議が行われ、二つの道の選択をメラネシアンに迫った。
  (1)カヴァ飲用とブタを殺す儀礼を続け、教会には行かない
  (2)二つをやめて、教会に従う
  ○意見は二分したが、大勢は結局伝統に戻っていくことになった。しかし
   (2)に従う人々は、カヴァ用のプレートなどを破壊していった。
  ○カヴァ飲用とブタを殺す儀礼は、ラガ社会に影響を与えることなく除去出来るというお告げを
    受けたと、タンボック村のダニエル・タンベが触れ回る。
  ○「ラガのキリスト教徒は、お祈りに十分な時間を割いていないし、聖書についての勉強もして
   いない。聞くだけで家に帰ったら教会で聞いたことを忘れている」と指摘。
  ○シロン・ダンに従った人々は、SDAに改宗。

  「伝統」と「近代」のせめぎ合いが、SDA布教に重なった
   伝統と共存するアングリカン/非伝統としてのSDA
  
   アングリカン     人々                シロン・ダン
   伝統許容      アングリカン許容
   伝統否定      アングリカン拒否     宗教的堕落指摘と伝統拒否
   伝統許容      アングリカン復帰     SDAに改宗

5 キリスト教における新セクトとイスラーム教の新しい動き

  5−1 リバイバル・ムーヴメント(資料3

  ○第1次(18世紀中頃)
   会衆派を中心とした布教団体・LMS(ロンドン伝道協会)の成立
   メソジスト
      ウェスレー:    アルミニアン・メソジスト
      ホイットフィールド:カルヴィニスト・メソジスト
   バプテスト
      一般バプテスト    アルミニアン
      特殊バプテスト カルヴィニスト
   アメリカにおける会衆派
      エドワーズ:     カルヴィニスト

  ○千年王国的視点は、17世紀に出現した特殊バプティストと結びついて
   いるという
  ○特殊バプティストは、一般バプティストがアルミニウス神学と結びつい
   たのに対し、カルヴァン神学と結びついている。そして、18世紀、イ
   ギリスで起こったエヴァンジェリカル・リヴァイヴァル、すなわち、メ
   ソジスト運動も、アルメニアン(ウェスレー派)とカルヴィニストに分
   かれる。そしてカルヴィニストたちは、超教派の伝導協会を組織してい
   く。これらの組織の創設者達は、「正確には、千年王国の熱に浮かさ
   れていたわけではないが」、現世の終わりとキリストの再来に向けての
   出発点として、世界の人々に布教しようとしていたという

○第2次(1830〜1840年代)-------------- アメリカにおいて
   会衆派から、布教団体としてのABCFM(アメリカン・ボード)の成立
   ホーリネス派からペンテコステ派へ、ミラー派からSDAあるいはエホバの証人へ
       ○1820年代の移民の急激な流入。独立後の領土の拡大
        旧来の教会拠点制などではついていけなくなる
       ○一方、バプテストのファーマー・プリーチャー方式、メソジストの
        俗人プリーチャーの協力方式
       ○自分探しという特徴
       ○「新しいイスラエル」=実現した千年王国=アメリカの喩え

  5−2 CでもPでもない新セクトの特性

  ○キリスト教新セクトもバハイもともに第2次リバイバル以降の特徴を持つ
○出発点は、改革。救世主の到来予言

  ○モルモン、バハイ系----------------「約束された地」の前向きな建設
      モルモン------スミスの予言と戦い→ヤングの組織確立
            新しい経典
            約束の地・アメリカ アメリカ・白人至上主義
      バハイ---------バーブの予言と戦い→バハオラの組織確立
            新しい経典
            約束の地・世界、国連  グローバル主義
   ペンテコステ、SDA系------------救済や到来を待つ

  5−3 オセアニアと新しい宗教
  
  ○ポリネシアとミクロネシア
      第1次リバイバル・ムーヴメントの流れ(LMS、メソディスト)
     →かすかな千年王国的色彩を持った布教(千年王国運動起こらず)
     →約束された地の建設
   メラネシア
      第1次リバイバル・ムーヴメント後の格宗派(アングリカン、カトリック、長老派)
     →千年王国的色彩を持たない確立した宗教(千年王国運動の勃発)
     →救済や王国の到来を待望する
○ポリネシアとミクロネシア
      伝統と近代の連続ーーキリスト教やバハイは我々の伝統
                旧宗教から新宗教への連続
 メラネシア
      伝統と近代の二分ーーアングリカンからSDAへの改宗
                アングリカンからモルモンへの改宗   
                旧宗教と新宗教の間にある伝統と近代の二分

5−4 西洋近代との出逢い

○ピューリタニズム出現 と 資本主義精神出現
   第1次リバイバル出現 と ナショナリズム、コロニアリズムの出現
未開概念の出現
○イスラームと近代の出会い
      オリエントとしてのイスラーム(←未開としてのオセアニア)
○マフディー運動→反オリエンタリズムとしてのリバイバル性
オセアニアの土着主義運動→反未開でリバイバル性を持たない
  ○リバイバル運動としてのバーブ教→バハイ信教

参考文献

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ウィルソン     1991 『宗教セクト』
エッセルモント  1978 『バハオラと新時代』
大塚和夫     1995  『テクストのマフディズム』
           2000  『近代・イスラームの人類学』
           2000 『イスラーム的』
サイード     1993   『オリエンタリズム』平凡社
バリッジ      1997  『個のアイデンティティ』
半田・今野    1977  『キリスト教史U』
ホブズボウム  1971  『反抗の原初形態』
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Welcome to the Japan Baha'i Network.htm
Adherents_com.htm