神戸から始まる新しい国際文化研究
吉野弘「夕焼け」という詩があります。舞台は満員電車、席に座っているのは若者と娘。娘の前に一人の「としより」が立つ。娘はしばらくためらった後、席を譲る。老人は礼も言わず次の駅で降りていく。また別の「としより」が現れる。今度も娘は逡巡した後、席を譲る。老人は次の駅で礼を述べて降りていく。また別の老人が現れる。今度は娘は席を立たない。うつむいたまま身体をこわばらせている。詩人はそこで電車を降り、「われにもあらず受難者」となった娘が「やさしい心に責められながら」どこまで行けるだろうか、「下唇を噛んで/つらい気持ちで/美しい夕焼けも見ないで」と想像します。
あなたならこの詩をどのように読むでしょうか。この詩の誰に自分を重ねますか。席を立つのがなぜこの娘でなければならないのか。若者は何をしているのか。「としより」が次々と目の前に立つことに象徴される娘の聖性と、聖人になりきれない人間的な葛藤。席を譲られなかった三人目の老人は娘のことをどう思っているのか。娘を見る詩人は立っていたのか座っていたのか。「詩人」の役割とは何か――観察者なのか、つらい気持ちでいる娘(人間)と美しい夕焼け(超越的自然)を結びつけたいと願う媒介者なのか。そもそも席を譲る譲らないということが他の国で詩の題材となりうるか……。車輛というごく狭い空間の中ですら複数の関係性が交錯し、それを読みとる視点と文脈はいくつもありえます。
ローカルな電車から地球規模へ一気に話を飛躍させてみましょう。私たちを取り巻く社会の様相はグローバル化の進展に伴ってますます複雑化し、時には激しい摩擦や対立が生じています。そのような刻々変化する現代社会の諸問題に対処するには複眼的なアプローチが必要です。
国際文化学研究科は、異文化共存を見据えた先端的な文化研究の推進を理念として掲げ、単一のディシプリンを越えた領域横断的な研究を積み重ねています。本研究科には2専攻、15のコースが設けられていますが、それは個別の専門領域を深く掘り下げながらも、そこに留まることなく、異分野の学問研究の養分を吸収しながら、従来にはないテーマや視点を探索し、これまで隠されて見えなかった問題群を発見するための配置です。
本研究科が国内外の大学や研究機関と連携して取り組んでいるプロジェクトに、「日欧亜におけるコミュニティの再生を目指す移住・多文化・福祉政策の研究拠点形成」(日本学術振興会の研究拠点形成事業 A.先端拠点形成型)があります。これは、人の移動により生ずる多文化化が地域コミュニティの分断をもたらしかねない現状を憂慮し、福祉の再分配に必要な連帯感の構築に必要な政策を提言するための事業であり、人文科学と社会科学の交差・融合による最先端かつ世界水準の研究成果を発信することを目指しています。
本研究科では多彩な専門と経験を有する教員・学生が自由闊達に意見を交わしながら研究を進めていく環境が整っています。海外からの留学生も多数おり、この研究科自体が地球全体の縮図であるといっても過言ではありません。グローバル化する世界で生じる問題の解決には多様なアクターに対する共感と想像力が不可欠です。この研究科に集う皆さんがそれぞれの専門的知識と知性を結集して、未来につながる新たな公共的価値の創造に取り組んで下さることを心から期待しています。
第6代研究科長 (平成31年4月1日~令和4年3月31日)
西谷 拓哉